第7話:死闘の60秒
見つけてくださりありがとうございます。
ノアとシオンの60秒間の激闘…
戦闘描写は書いているとどんどん頭の中にイメージがわいてきて楽しくなっちゃいますね。
六十秒。
シオンが与えてくれた猶予。
両手の中で、七本の冷たい糸が螺旋を描きながら絡み合っている。
本来なら、三十二人の魔導師が円陣を組んで、十五分もの詠唱をかけて、ようやく一つにまとめ上げる構造体。
僕はそれを、凍えた手の中で、殴り雨と轟音の中で、一人で紡いでいる。
集中しろ。
糸の一本一本に意識を注ぐ。右手の親指と人差し指の間に一本、人差し指と中指の間に二本、中指と薬指の間に一本。薬指と小指の間に、残りの三本を重ねて通す。
あやとりの要領。でも、あやとりよりもずっと繊細で、ずっと危うい。
一本でも弾けたら、集束した冷気が暴発して、僕の右腕ごと凍りつく。
「……五十」
シオンが、僕の耳元で秒数を数え始めた。
声に温度がない。感情を殺している。計器のように正確に、残り時間だけを僕に伝える。
ゴオオォォ——。
水竜が再び身を捩った。暴走の周期が短くなっている。苦しみが限界に達しているのだ。
空気が裂ける音。ブレスではない。尾だ。
「——十時、尾! 振り下ろし!」
紡ぎの手を止められない。
身体だけで避ける。左に体重を移して、半歩横へ。
水竜の尾が、僕の右肩から五寸の位置を薙ぎ払った。風圧だけで身体が持ち上がりかけた。
——耐えた。
でも、紡ぎかけの糸が一本、振動で弛んだ。
「っ——!」
慌てて小指で押さえる。弛んだ糸を張り直す。大丈夫。切れてない。
「四十二」
冷たい。
両手が凍えている。これは外気の寒さじゃない。手繰り寄せた「冷たさの糸」そのものが、僕の体温を吸い取っているのだ。
指先の感覚が薄れていく。
糸の手応えが、遠くなっていく。
「シオン、僕の手、ちゃんと動いてますか」
「……動いてるわ。震えてるけど」
「じゃあ、大丈夫です」
嘘だ。震えているのは、寒さだけじゃない。身体中の熱が、この糸に流れ出していくのが分かる。
三十二人で分け合うはずの負担を、一人で背負っている。
身体が、芯から、冷えていく。
「三十五」
——紡ぎが、一段階進んだ。
七本の糸が、ようやく一つの構造として繋がった。
右手の掌の中に、小さな、とても小さな「結び目」が生まれている。
触れた感触は、凍った夜明けの露のように冷たくて、硬くて。
でも、その内側で理の糸が震えているのが分かる。まだ完成していない。これを「結い」で締めれば——。
「シオン」
「何」
「座標を」
「……まだ早いわ。紡ぎが完成してからじゃないと——」
「いえ。先に教えてください。座標が分かっていれば、結いの瞬間に、一手減ります」
「…………」
シオンが一瞬黙って、それから小さく息を吸った。
「——前方、十二。核の最深部。水竜の胸、あの竜の心臓の真ん中。座標、十二──八──四。理の結び目が、そこに集まっている」
座標が、僕の意識の中に「点」として打ち込まれた。
シオンの声を通じて伝わる空間情報は、目の見えない僕にとっての灯台だ。暗闇の海を泳ぐ僕に、「ここ」と示してくれる、たった一つの光。
「ありがとうございます」
「お礼はあとにして」
「二十五」
紡ぎの最終段階。
七本の糸を束ねた結び目の上に、もう一重、螺旋を巻く。
表面を滑らかにして、発動の瞬間に一切の抵抗なく「開く」ようにする。
花の蕾に似ている。
この結び目は、開いた瞬間に「熱の死」を咲かせる。
あらゆる振動を停止させて、世界を一瞬だけ、静止画に変えてしまう。
「二十」
——もう少し。
水竜が、また身を捩った。今度の叫びは、これまでで一番大きかった。
森全体が揺れた。天を仰いで逆流する滝の水柱が一段と太くなり、地面が割れて新しい水脈が吹き出す。
「前方! ブレス! 最大出力!」
シオンの声が、初めて悲鳴じみた色を帯びた。
空気が一斉に水竜の口元へと吸い込まれていく。耳が痛いほどの減圧。
特異点そのものを爆発させるような極大のブレスが、今まさに放たれようとしている。
——あと十五秒。
足りない。
紡ぎが、あと一巻き、足りない。
「シオン——」
「分かってるわよ!」
シオンが、僕の肩から跳んだ。
猫の身体が宙を舞う——そして。
空間が、軋んだ。
シオンの周囲の空気が歪むのを、理の糸の震えで感じた。
猫ではない。
精霊でもない。
もっと深い、もっと根源的な——シオンが本当の姿に「片足を踏み入れた」、ほんの一瞬の出来事。
その一瞬だけで充分だった。
水竜の極大ブレスが放たれた瞬間、シオンの「影」が空間を遮断した。
轟音が、消えた。
いや、消えたのではない。シオンが影で「切り取った」のだ。世界と僕の間に、一枚の黒い壁を割り込ませて。
ブレスの衝撃が、影の壁にぶつかって四散する。世界が震える。空気が爆発する。
でも、僕の周り一歩分だけは、完全な凪だった。
「……っ、ぅ——」
シオンの小さな呻き。影を維持する代償が、彼女の身体を蝕んでいる。
猫の姿に戻ったシオンが、ふらりと僕の肩に落ちてきた。小さな身体がぐらりと揺れて、爪がローブに食い込む。
「——シオン!」
「黙って。あと十秒。紡ぎなさい」
声が掠れていた。でも、爪は離れない。
僕は歯を食いしばって、最後の一巻きを紡いだ。
指先の感覚はもうほとんどない。でも、糸の重さだけは分かる。結び目の中で七本の糸が渦を巻いて、一つの完成形へと収束していくのが。
「五」
「四」
「三」
紡ぎが、完成した。
両手の中に、氷の蕾がある。
冷たくて、硬くて、完璧に閉じた結び目。
あとは、これを「開く」だけ。
「二」
僕は、右手の五指を大きく広げた。
左手を、前に突き出す。
さっきシオンがくれた座標——十二、八、四。水竜の心臓の真ん中——を、掌の中心に据える。
右手の結び目を、左手の座標へと、叩き込む。
「一」
世界が、息を止めた。
「…………結い(ゆい)」
声にならない声で、呟いた。
指先の腹で、最後に残った一番細い糸を——弾いた。
きゅっ、と。
理の糸が最後の一線で、力強く締まる音がした。
——零。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ノアは結構強いほうですが、防御はペラペラなので死なないように気を付けないとですね。
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