347 事前学習の終わり
藤城皐月たちの班は修学旅行の訪問先について調べるのに夢中になっていて、事前学習に当てられる時間がなくなってきた。
修学旅行2日目は奈良の東大寺と法隆寺に行く。奈良は京都と違って班行動ではなく、学年全体で行動する。
「なあ、秀真。東大寺と法隆寺ってどうする? 一応調べてみる? 東大寺は授業で習ったじゃん。国分寺と国分尼寺の見学に行った時に、東大寺は国分寺の総本山だって。8世紀中頃だったよな」
皐月たち稲荷小学校の児童は社会見学で三河国分尼寺跡史跡公園に行った。そのことが皐月には忘れられないほど印象に残っていた。皐月が歴史に興味を持ち始めたのはこの時からだった。
「さて、どうしようかな……。時間もなくなってきたことだし」
神谷秀真はなぜか薄笑いを浮かべていた。皐月は全部調べられそうにないもどかしさと、秀真の態度にイライラしてきた。
「東大寺と法隆寺の創建は学校から配られた『修学旅行のしおり』に書いてあるよ。東大寺は8世紀中頃に聖武天皇が建てて、法隆寺は推古天皇と聖徳太子が607年に建てたって」
岩原比呂志に言われて三河教育研究会から配られた冊子を見ると、確かにそう書いてあった。
「あっ、東寺のことも書いてある! 796年だって。清水寺のことも書いてある。778年って、俺たちが調べたのと同じじゃん。八坂神社も656年、下鴨神社は……書いていないな。伏見稲荷も書いていない。もしかして岩原氏、このこと知ってた?」
「当たり前だよ。冊子をもらったら、普通は目を通すでしょ?」
皐月はひどくショックを受けた。今までやってきたことは徒労なのか、と血の気が引く思いだった。
「真理も知ってた?」
「あ〜あ。とうとうバレちゃった。岩原君、言っちゃうんだもんな」
「まあ、いいじゃん。冊子を読めばどうせわかることだし。それより藤城氏が冊子を読んでいなかったことが驚きだよ」
「実行委員のしおり作りで頭がいっぱいになっちゃって、学校からもらったしおりのことを忘れていたんだよ」
皐月は栗林真理と比呂志から馬鹿にされたことだけでなく、迂闊だった自分自身にもだんだん腹が立ってきた。
「なんで黙ってたんだよ! これじゃ俺、バカみたいじゃん。『調べることは寺や神社の由緒くらいでいいかな』なんて、偉そうなこと言っちゃって。秀真、お前はこのこと知ってたのか?」
「知ってたもなにも、僕がみんなにしおりを読もうって呼び掛けたんだ。皐月が修学旅行の委員会に出ている昼休みに」
「マジか……」
皐月はなんだかいろいろ馬鹿らしくなってきた。一気に疲れが出た。
「でも、藤城さん。神谷さんがしおりの情報だけじゃ物足りないから、もうちょっと詳しく調べてみようって、提案してくれたんだよ。この時間にこうやって掘り下げて調べてみて、すごく楽しかった」
二橋絵梨花は歴史好きなだけあって、この事前学習を楽しんでいたようだ。
「藤城君と神谷君のおかげで、修学旅行がより楽しみになった。しおりの知識だけだと頭に残らないから、みんなで意見を出し合って推理したことって忘れられないよ。それに下鴨神社や伏見稲荷大社はしおりには載っていなかったし、調べないと何もわからないから」
吉口千由紀の言葉に皐月は救われたような気持ちに変わってきた。確かに自分たちのやって来たことは無駄じゃなかったかもしれないと思えてきた。
「私は皐月のこと、見直したよ。やっぱり皐月は賢いなって」
「真理の方が頭がいいじゃん。勉強だってできるし」
「私ができるのは受験勉強だけだから。ちっちゃい頃から皐月の方が賢くて、ずっと憧れていたんだよ」
真理に変な持ち上げられ方をされ、皐月は気持ちが悪くなった。
「まだ少し時間が残っているから、とりあえず東大寺をやろう。僕が見つけたところを話すね」
秀真はみんなで調べるというスタンスから、自分が知っている情報を伝えるというやり方に変えた。
「東大寺の公式サイトには728年に建てられた山房(後の金鍾山寺)が始まりだって書いてある。『修学旅行のしおり』にはここまで書いていないからね」
秀真は公式サイトの「東大寺の歴史」のページの冒頭を指差した。
「ちなみに空海は東寺を真言宗の根本道場にする1年前に、東大寺を灌頂道場にしていたんだ。どっちも嵯峨天皇に国家鎮護を頼まれてね」
秀真は東大寺の詳しい説明をせずに、次の法隆寺に話題を移した。
「法隆寺は『修学旅行のしおり』に書いてある通り、607年頃に完成したんだって。でも670年に全焼したって公式サイトには書いてある。奈良時代の初頭までに復興したらしいけど、復興に40年もかかったんだね」
秀真が早口で話していると、担任の前島先生から事前学習を終わりにして、給食の準備をするように、と指示が出た。
「午後は修学旅行前日集会です。予鈴が鳴るまでに体育館に集合してください。最後に修学旅行での行動の最終確認をします」
前島先生が教室を出ていくと、皐月は急に寂しくなった。旅行は出かけるまでが一番楽しいという。
修学旅行実行委員を務め、江嶋華鈴や水野真帆たちとしおり作りをした。
芸妓の明日美や満と一緒に旅行に着ていく服を買いに出かけた。
一緒に住んでいる高校生の及川祐希に修学旅行の体験談を聞かせてもらった。
班のみんなとどこに行こうか決め、行き先の神社仏閣の起源を調べた。
何もかもが楽しかった。旅行は出かけるまでが一番楽しいが真実なら、もしかしたら修学旅行はこんなに楽しくないのかもしれない、と少し不安になってきた。
「今まで調べてきたことをまとめておいたから、必要がある人は書き写しておいてね」
いつの間にか比呂志がノートに訪問先の神社仏閣の創建の年と簡単な由来を書いていた。みんなで比呂志のメモを皐月たちが作った修学旅行のしおりのメモ欄に書き写した。秀真のしおりにはすでにびっしりと一人で調べたことが書き込まれていた。
「岩原氏、ありがとう。調べっぱなしだと忘れちゃうから、助かる」
「まあ、自分用にメモっただけだから。僕のオタ活は結構アナログが活躍してるんだ。現地でメモをとったりするから」
皐月たち6人は給食に備えて席を移動させた後も、比呂志のメモを書き写したり、秀真の蘊蓄を聞きながら給食が運ばれてくるまで修学旅行の予習を続けていた。