346 東寺の由緒
藤城皐月たちの班は京都旅行の最後の訪問先の東寺について調べるところだ。ここまで通常の授業よりも集中して勉強してきたので、皐月たち六人は疲れていた。
事前学習に当てられる時間の残りが少なくなってきた。もしかしたら全部は調べられないかも、と思いながら調査を続けた。
「公式サイトにははっきりと何年に創建された、と書かれていないんだね」
これはちょっと面倒なことになるかもしれないと、神谷秀真は緊張した。
「ウィキペディアには796年に創建されたって書いてあるね。東寺の記録書『東宝記』に記録が残っているみたい」
東宝記とは14世紀中頃に杲宝という東寺の真言教学の研究をしていた修行僧が編纂した東寺の寺誌だ。
秀真と皐月は役割を決め、秀真が公式サイトを見て、皐月がウィキペディアを見ることにしていた。
「平安遷都には完成が間に合わなかったということなんだ。2年も遅れちゃってる。リニア新幹線みたいにトラブルでもあったのかな?」
岩原比呂志は794年の平安遷都との時期のズレが気になっているようだ。
「平安京は大内裏から造り始めたっていうから、東寺の造営はその後だよ」
吉口千由紀はネットで東寺のパンフレットを探して略年表をみんなに見せた。そこには「796年 東寺の造営が始まる」と書かれていた。
「東寺といえば空海っていうイメージなんだけど、公式サイトには空海が大伽藍建立の大事業を始めたと書いてあるよ。空海が嵯峨天皇から東寺を託されたのが平安遷都より29年目って書いてあるから、東寺が真言密教の根本道場になったのは823年か」
二橋絵梨花が公式サイトの歴史の紹介文を見て、創建と現在の東寺の始まりを区別した。
「じゃあ、東寺ができてから27年間はどんな感じだったんだろう? 公式では最初に工事を始めたのが金堂で、ウィキペディアには空海が東寺に来るころには完成していたって書いてあるけど……」
栗林真理は空白の期間が気になっているようだ。
「普通に考えれば大工の人手が足りないよね。大内裏を最優先で造っていたとして、お寺なら東寺だけでなく西寺も造ってたわけだし、他にもインフラの整備とか、平安京に住む人の家とか、一度に全部できるわけないじゃん。ちょっとずつ造ってたんじゃない?」
すぐに資料が見つからないので、皐月は思いついたことを言ってみた。
「平安京って案外グダグダだね。平安京の模型を見るとすごいって思うけど、実際は違っていたのかもしれないね」
真理は平安京の中の東寺を確認しようと思い、平安京復元模型の画像を見ていた。模型の東寺は京都の神社仏閣にありがちな朱色の柱と白い壁の建物で、今はない廻廊まであった。
何かを調べていた絵梨花が口を開いた。
「さっき吉口さんが言った『平安京は大内裏から造り始めた』が気になって調べたんだけど、平安宮内裏は782年から806年に造営されたって京都市のサイトにあったよ。完成まで24年もかかっているんだって。藤城さんが言うように、東寺を造るのも時間がかかったんだろうね」
皐月は役所のような寺よりも、天皇が住んで、儀式や執務などを行う宮殿の方を優先して造ると考えて、大工の人手が足りないと言ってみた。思い付きが当たっていたみたいで良かった。
「じゃあ、東寺は796年から造り始めたってことで、次に行こう」




