第四話 リミニアとユシェル その二
リミニアは元の世界に戻るために、ユシェルと共に転移装置のある場所を目指した。朝にユシェルが起きてから、夕方に日が沈むまで、彼の体力に合わせ、彼が魔物に襲われないように庇いながら歩みつづけた。
(車があれば、楽だったでしょうけど……)
車を持ってくるには、転送機は小さすぎた。だが、リミニアはユシェルと共に過ごせる時間が増えることを悪く思わなかった。
初めて魔物を見たユシェルは、皮が剥がれた人間のような外貌に怯えていた。
「リ、リミニア……だいじょうぶなの……?」
「ええ、大丈夫よ。私に任せなさい」
魔物は人間の魂に反応する。それはユシェルの傷だらけの魂でも例外ではないようだった。魔物が襲い来るたびにリミニアは巧みに誘導し、自分に食らいつかせた。
「……あ、あの、リミニア……」
「どうしたの?」
ユシェルが魔物に見慣れてきたころ。安全な場所にユシェルを置いて、魔物を倒してから戻ってきたリミニアに、ユシェルが話しかけた。
「……まものは、まりょくを食べるんだよね」
「そうね。正確に言うと、負魔力を人間の魂に注ぎ込んで、その負魔力が魔力を消してしまうの」
「……だったら……ぼくは、食べられても死なないよね……?」
「多分、そうでしょうね」
それはリミニアも想定していた。負魔力を溜め込んでなお死ななかったユシェルを囮にすれば、リミニア自身の魔力を犠牲にせずに済むだろう。
「でも、負魔力を溜め込んでいると苦しいでしょう? 私に任せてちょうだい」
「……でも……そ、その……へん、じゃないかな……」
「何のことかしら」
「…………小さい女の子に、守られるの」
「ふふっ」
ユシェルがそのことに対して恥じらうだけの感覚を持っていることを、リミニアは微笑ましく感じた。
「大丈夫よ、誰も見ていないもの。それに、もし見ている人がいたとしても、ユシェルのほうが可愛らしいんだから、誰も変に思わないわ」
「……」
ユシェルの顔が、夕日に照らされていても分かるほどに赤くなる。そういった反応も、リミニアは愛していた。
日が沈むころにはテントを張って、ユシェルが眠る時間まで、文字の読み書きや様々な常識を教えた。
ユシェルは記憶力に優れていた。一を聞いて十を知ることはできなかったが、その一を忘れることはなかった。
「今日は、魂と魔術の関係について話すわね。ユシェルが他の人とどう違うのかを知るのに、大事なことよ」
「うん」
リミニアの魔術で、テントの中は明るく照らされていた。
「世界には、人間の目に見えないところがあるの。そこは霊界って呼ばれているわ。霊界には魔力という粒が漂っていて、私たちは、魂っていう器官でそれを取り込んで、使って、命を成り立たせているわ。ほとんどの人は、命を成り立たせる分だけの魔力しか取り込めないけど、私のように、魔力をたくさん取り込める人がたまにいて、そういう人は魔術師って呼ばれるわ。魔力をたくさん取り込めると、それを色々なことに使えるの。その色々なことっていうのが魔術よ。……詳しく言うと、術印っていう魔力でできた印を色々なものに刻んで、その魔力で色々なことを起こすことを魔術って呼ぶの」
「……たましいは、体のどこにあるの?」
「それも、目に見えないところよ。私たちの体の一部が霊界に伸びていて、そこが魂っていう風に想像してくれたらいいわ。魔力は霊界に漂っているものだから、魂を通じてしか魔力は扱えないわ」
「たましいの仕事は、まりょくを使うことだけ?」
「そうね。けれど大事な仕事よ。人の命は、本当は魔力がないと保てないはずだもの」
「……でも、ぼくはちがうんだよね?」
「ええ。ユシェルの命は、魔力がなくても保たれているわね。ユシェルの魂の中では、なぜか負魔力が生まれているみたいで、その速さが魔力を取り込む速さより大きいから、魔力がなくなって負魔力が溜め込まれていたの。魔力がなくなった時点で人は死んでしまうはず。それに、死んでしまったあとの魂が負魔力を溜め込むと、傷がつくの。傷がついた魂を持って生まれた命は不安定で、いずれ魔物に姿を変えてしまうわ。けれど、ユシェルは魔力を失っても生きているし、魂が傷だらけなのに、私が負魔力を吸い取っている今のところは、働きも安定しているわ」
ユシェルの不死性と、魂での負魔力の発生は、おそらく術印によるものだとリミニアは推測していた。だが魂の損傷が激しく、そこに刻まれた術印を確認することはできなかった。
「死んでもたましいはのこるんだね」
「ええ。死んでしばらくすると魂は体を離れて、新しい命に宿るの。離れてから宿るまで一瞬のこともあるし、何十年も宿らずに漂うこともあるわ」
「……たましいが、まりょくをすいこんだり使ったりするんだよね。じゃあ、まじゅつが上手な人のたましいが宿った人も、まじゅつが上手なの?」
「いいえ。でも、良いところに目を付けたわね。魔力を取り込む力の強さは、魂が命に宿るときに決まるわ。だから、同じ魂でもそれが宿る命によって、取り扱える魔力の量には違いが出るのよ。でも、魂によって必ず引き継がれるものもあるわ。固有魔術よ」
「リミニアが、ぼくからふまりょくをすいとってくれるのが、こゆうまじゅつだよね?」
「ええ、そうよ」
ユシェルの負魔力は絶え間なく発生しているため、リミニアは定期的に取り除いていた。
「ある魂だけが持っていて、その持ち主にしか扱うことができない魔術が、固有魔術。存在が分かっているのは八種類、つまり私を含めて世界で八人だけ持っているわ。私の固有魔術は“吸収”。他人の魂が持つ魔力や、刻まれている術印を自分の魂に吸い込むことができるの」
「……まりょくを全部すいこまれた人は、死んじゃうよね?」
「ええ。あなたと出会うまでこの魔術を使うことはなかったわ。それでも私を怖がる人はいるけど、無理もないわね」
リミニアは、そういった人々を恨むことはなかったが、自身の固有魔術がおおよそ奪うことにしか役立たないことを悲観していた。
だから、“吸収”を必要とするユシェルと出会えたことは、リミニアにとっての喜びだった。
「そんなこと、するはずないのにね。リミニアは、やさしいもん」
「ふふっ、ありがとう。……固有魔術は、魔力が足りれば何度でも使えるものと、魔力にかかわらず生涯に一度しか使えないものの二つに分類できるわ。私のものは何度でも使えるけど、例えば私の教師、タノス先生の固有魔術、“施錠”は一度しか使えないの」
「……リミニアにも、先生がいるんだね。でも、リミニアはとっても物知りだから、先生がいなくてもだいじょうぶじゃないかな」
「一応、私はまだ十一歳だから、形だけでも教師が付くことになっているのよ」
タノス・ファナクスの顔が脳裏を掠める。
魔力量はリミニアの方が遥かに多く、タノスから教わることもすぐになくなったが、今でもリミニアのことを過保護なほどに心配して、年相応の少女のように扱っていた。
(遺跡の探索も、引き止めたがっていたわね。心配しているでしょうね……)
「リミニア、どうしたの?」
「え? ああ、ごめんなさい。少し考えごとをしていたの」
リミニアにとって、物思いにふけっていたのは一瞬のつもりだったが、ユシェルは不審に思ったようだ。
「……何を考えてたの?」
「タノス先生のこと。私を心配しているだろうと思っていたわ」
「……じゃあ、リミニアは、そんなタノスさんのことが心配なんだね」
「ふふっ、そうよ。でも、今は話に集中するわね」
リミニアは気を取り直して、説明を続けた。
「固有魔術を持っている人は、魔術師であることが多いわ。逆に言えば、固有魔術を持っていても、魔術師じゃないから、実際には使うことができないということもあるわ」
「こゆうまじゅつを持ってるかどうかって、どうすれば分かるの?」
「魔術を使うのに十分な魔力を持っていれば、本人が自覚できるの。……それ以外には、今テュオキズ様っていう魔術師が持っている固有魔術、“霊窓解析”でも分かるわ」
テュオキズ・クゼルス・スピラリヤ。リミニアはその、スピラリヤ賢者国の君主でもある魔術師にあまりいい印象を抱いてなかったが、今度はユシェルに心中を訝しまれないように努めた。
「れいそうって、何?」
「魂の中の、術印を刻む部分のことよ。固有魔術の持ち主は、特別な霊窓があるの。私たちの世界では、子供が生まれたら、できるだけ早くテュオキズ様に霊窓を見てもらわないといけないの」
「……あぶないまじゅつを持ってる人を、みはるためかな?」
「まあ、それもあるわね」
「リミニアも、みはられたの?」
「ええ……でも、それもほとんど形だけだったわよ。スピラリヤの魔術師、ゼイネさんとトートスさんが監視役だったけど、そんなに行動が縛られることはなかったわ。実際、一人で遺跡調査に向かうのも許されたもの」
「……そうなんだ」
ユシェルは度々リミニアの過去について尋ねてくる。リミニアも生い立ちについては簡単に話したことがあったし、それに答えること自体に抵抗はなかった。
だがリミニアには、未来永劫秘匿するつもりの、ある過去があった。だからユシェルに過去について尋ねられるたび、それをユシェルにも隠す自分が頭をよぎり、一抹の自己嫌悪を覚えた。
「今日はこれくらいにしましょうか。そろそろ寝る時間ね」
「うん」
不死性によって食事を必要としないユシェルでも、毎日睡眠をとっていた。あるいは起こしつづけることもできるかもしれないが、夜も休ませずに歩かせるのは酷だとリミニアは考えた。リミニア自身は、夜も魔物の接近を警戒するために、この世界に転移してから一睡もしていなかった。
「おやすみなさい、ユシェル」
「おやすみ……」
魔術による照明が弱まる。しばらくすると、ユシェルは寝息を立てはじめた。
(相変わらず、寝つきがいいわね)
リミニアは、愛らしい寝顔を眺めていた。それだけで、起きているのが苦にならなかった。




