最終話 ユシェルの楽園
晴れ渡る空の下、重なった落ち葉を踏みながら、冬木立の隙間から覗く山頂の小屋を見据える。もうすぐ着く距離にあった。
「ほら、あと少しだぞ!」
先頭を歩く伊織が、後ろでへばっている博斗を鼓舞する。
「ほんとに、何が楽しいんだ、これ……」
「まあまあ、山頂に着けば分かるんじゃねえか?」
悪態をつく博斗をなだめる、しんがりの剛弘。
「どうせ、登りきって見る景色が綺麗とか、飯が美味いとか、そういう話なんだろ。それって、道中の苦労に見合ったものだって、勝手に脳が補正するだけじゃん……」
「ふっ……そこまで言いつつ付き合ってくれる博斗は、いい奴だよ」
「そりゃまあ、友達だし、友達と話すのは、まあ楽しいよ。でも山登りながらする必要はなくない?」
他愛ない話をしながら、三人の男子は山頂に辿り着いた。
「ほら、どうでもいい景色じゃん。別にそんなに高い山じゃないし」
「ははっ、まあリハビリにはちょうど良かったんじゃねえのか?」
「リハビリって……別にそんなの必要なかったけど。というか、そのうちそれ、死語になりそうじゃない?」
「……なるほど、その考え方もあるな」
「だろ? こういう話してるほうが絶対楽しいから。“人類の不死化”について語ろうよ」
半年ほど前のことだった。空に浮かぶ星々の配置が突如として変わり、星空の様子は一変した。それとほぼ同時に、全人類の傷や病が治り、一切の死者が発生しなくなった。
世界は混乱し、職を失う医療従事者などが続出したが、やがて補助金などが交付されるようになり、社会は一応の落ち着きを見せた。
博斗の遷延性意識障害も、例外ではなかった。泣いて喜ぶ博斗の父親の姿は、伊織の記憶に新しい。
「星空が変わったっていうのが肝になってる気がするんだよなあ」
「太陽系が突然宇宙の遠くにワープしたとかか?」
「うーん、荒唐無稽だけど、起きてる現象がすでにそうだからなあ……」
「……」
「伊織? どうして黙ってるんだ?」
「あ、いや、考え込んでてな……ははっ、ほんと不思議だよな」
伊織は笑ってごまかした。
真実を知っていることは、隠さなければならない。
「でも、ほんとに良かったよな。現に博斗も、こうしてここにいられてるわけだし」
それは、隠し事のない本心だった。
三人でこうしていられることは、得難い幸福だと思った。
(ありがとう、フェンジェオさん……それと、名もなき少年)
◆
「フェンジェオ、朝よーっ!」
人里離れた高原に建つ、とある一軒家。そこに住まう者は、二人いた。
金髪の少女が、ベッドで眠る銀髪の青年の大きな身体を揺する。
「……もう少し、眠らせてほしいのじゃ……」
「もう……今日の予定、忘れたの?」
「……久々の、休みだったはずなのじゃ……」
「今日は二人でお出かけでしょう。ほら、起きなさい」
「……ああ……そうだったのじゃ……」
フェンジェオは観念して、ベッドから降りる。
「……おはようなのじゃ、リミニア」
「おはよう、フェンジェオ。朝ごはん、できてるわよ」
リミニアの優しい微笑みを寝ぼけまなこで見下ろしながら、フェンジェオは苦笑する。
「おぬしはわしの親か何かか……」
顔を洗い、食卓へ向かう。見慣れない料理が並んでいた。
「これは何なのじゃ?」
「この世界の料理よ。せっかくだから作ってみたの」
「……朝から冒険することはないのじゃが……」
そう言いつつも、料理を口に運ぶ。仕事に追われていたフェンジェオにとって、久しぶりの食事だった。
「……美味いのじゃ」
「そうでしょう? ふふっ、美味しいものを食べるのは、一番幸せなことの一つよね」
「ううむ、そうかのう……」
父親の料理を食べたかったころを思い出す。今どんな美味しい料理を食べても、その欲求が満たされることはなかった。
「……そうよ。ずっと、そう思ってた気がするの……」
「……リミニア?」
リミニアの声が小さくなり、表情は寂しげになっていた。
「あら、私、どうしたのかしら……ふふっ、どうしてか少し感傷的になってしまったわ。ちゃんと、幸せを噛みしめないといけないわね」
「……まあ、魔術師として生まれれば、食事のありがたさを感じにくいことは確かじゃのう……」
食事を終え、二人は外出に向けて支度した。
「さあ、行きましょうか。本当は、もっと早く訪れるべきだった場所……」
「うむ。楽園を築いた者に、感謝せねばならんのじゃ」
リミニアが生まれるより少し前のことだった。ティアレーの作った上の世界のさらに上に、世界が誕生したことが観測された。
フェンジェオは直ちに上の世界に転移し、エイディエと通信して、レキのとった行動を確認した。しかしそれだけでは新たに世界が誕生した説明がつかず、魔王が閉じ込められた地下建造物を確認すると、魔王は消え去っていた。原因不明だが、世界を生み出した存在が魔王だということだけは判明した。
その後、地球上の人類を移動させるため、フェンジェオをはじめとした、楽園の統治者たちは、上の上の世界で、人類の居住に適した星を探した。ティアレーが世界を生み出してからの短い間で、上の世界では百三十八億年経っていたことから、世界の時間の流れは、誕生直後は極めて早く、その後徐々に遅くなっていくと推測されていた。そのため、探索は時間をかけて行われ、その途中でリミニアが生まれた。それから十一年間探索は続き、早熟だったリミニアも途中で探索に参加した。だが結局、地球より条件が良い星は見つからず、フェンジェオたちは太陽系ごと人類を転移させた。
フェンジェオたちは各国首脳と接触し、真実を伝え、社会をどう変えていくか極秘裏に話し合いつづけた。そして、ある一人の少年にも真実を告げた。勇者として選ばれていた、神月伊織という少年だった。
話し合いは一応のまとまりがつき、フェンジェオは久しぶりに休暇を取った。そしてリミニアは彼に、レキと魔王の墓を作りに行くことを提案したのだった。
郊外の草原に、二つの墓を立てる。魔王が閉じ込められた地下建造物のあった場所だった。
「結局、私たちのこととか、能動的な魔術の存在をみんなに知らせるのはどうなったの?」
「うむ、それについてはまだ先のことになるのじゃ。まず死がなくなった世界に、人類が慣れてからじゃのう」
この世界の主流の墓と同じように、墓石に十字を刻む。
「そうなの……せっかくの楽園なんだから、早いほうがいいと思ったのだけど」
「まあ、それもそうじゃのう。他の世界の星に住む人類を救う技術も、開発せねばならんのじゃ……あとは、いずれ起きる魔力の枯渇への対処法などもな」
「……この世界に、人類が生まれるだけの魔力がなくて良かったわね。もし生まれたら、堂々巡りだもの」
「うむ……“集約”によって不死身となっていたこの少年が生み出した世界だからこそ、実現できた楽園じゃ。本当に、感謝せねばのう……」
犠牲となった人々を、フェンジェオは思い起こした。ユシェル。ティアレー。レキ。そして、魔王となった少年。彼らを礎として、ようやく成り立った楽園だった。
「ううむ、名前を刻もうと思ったのじゃが……そういえば、少年のほうには名前がなかったのじゃ」
「それじゃあ今、私が付けていいかしら?」
「うむ……それも良いじゃろう」
「……楽園のための犠牲になった、あなたの友人から名前を借りるわね」
リミニアは墓の前に跪き、手をかざして墓石に少年の名を刻んだ。
そして、語りかける。
「ユシェル。あなたの名前は、ユシェルよ」
かすかに暖かい風が、二人の頬を撫でる。
世界に春が近づいていた。




