第十八話 二つの扉
フェンジェオが半生を語り終えたあと、伊織が彼に協力を求めたときの話だ。
「さて、どこから話そうかな……まずは、この計画の前提になる事実の共有から行くか」
そう言って、伊織は真下を指さす。
「一つ目。下の世界のさらに下に、世界がある」
「……なんじゃと……?」
「根拠は二つある。俺が間違えて下の世界に行って、さらにその下に転移しようとしたとき、何かに阻まれる感覚があった。これは、“施錠”されてる世界に転移しようとしたときの感覚と同じだったんだよ」
もし下の世界のさらに下に何もないのであれば、自分を阻む“何か”の感覚すらないだろうと、伊織は考えた。
「つまり、何者かが昔“施錠”したということかの……? しかし……」
「もう一つの根拠は、魂が持つ言語習得機能だ。これのせいで言語はずっと変化しないってやつ。あなたの世界のほとんどの者が持っていたけど、例外として持っていない人もいる……つまり、この機能はもともと下の世界を作った人の固有魔術だったんだよ。ユシェルが作った世界の魂が“結合”を持ってるのと同じことだ。あなたのような、ごく少数の例外の人は、つまり“その下の世界からの移民”の魂を持ってるんだ」
「……確かに、そう考えれば筋が通るのじゃ」
何気なく話したことが、重要な事実に変わっていく。フェンジェオは内心動揺していた。
「二つ目。魔王は、“一日の霧散”が使える」
「……ふむ、言われてみれば、ティアレーの世界の魂を持つのじゃから、そうじゃのう。しかし、それがどうかしたかの……?」
「“一日の霧散”は、自分の霊窓の状態だけを維持して一日だけ時間を巻き戻す、一度きりの固有魔術、だろ? 例えば“世界”になる魂の意志を持ったまま使ったら、それを維持して時間を巻き戻す……つまり、一日前に戻って世界を作ることができる」
「なるほど、下の世界のさらに下の“一日”は、この世界の“一億年”以上となるのう」
「そういうことだ。まあそれぞれの世界での一年とかの時間の単位は、当然微妙に違うから、正確な計算は面倒だけどな。でも控えめに見積もっても、魔王に下の下の世界で“一日の霧散”を使わせれば、魔王の生涯のどのタイミングにでも時間を巻き戻せるはずだ」
「……! おぬし……!」
そこでフェンジェオは、やっと伊織の意図に気づく。あまりにも巧妙な計画だった。
「気づいたか? そう、普通の人間とは違って、魔王の人生には“生きたまま魔力を一切持たなかった瞬間”が存在する。レキによって魔王にされてからしばらくたった頃、魂に負魔力が集約されて、魔力が完全に相殺された瞬間だ。この瞬間に“世界”になると、どうなる?」
「……ティアレーの作った世界の人類が一切魔術を使えんように、世界に漂う魔力の量は、その世界を作った者の魔力量に比例するのじゃ。つまり、その世界には、魔力が存在しなくなるのじゃ……」
「その通り。つまり、生命活動に最低限必要な魔力すら存在しない……だから、人類がその世界に自然に誕生することはありえない」
「……」
「計画をまとめるとこうだ。魔王が“開錠”の空術印を持って、下の下の世界に転移する。リミニアの魔力を受け継いでるから、魔力量については問題ないだろう。そして、転移した瞬間に、魂の意志を発生させながら“一日の霧散”を使う。それから、魔力を持たない瞬間に巻き戻して、世界を誕生させる。その世界は、ほかのすべての世界の人類に魔力を与えられ、かつ自然に人類が誕生することはない。本当の楽園だ」
フェンジェオは思わず感服した。だが、疑問はいくつかある。
「……魔王が、それに従うとは思えんのじゃ。魂の意志を発生させることも難しいじゃろう」
「それに関しては……まあ賭けではあるんだけど、方法はある。俺が死ぬことだ」
「……ふむ、時間を巻き戻すわけじゃから、それ自体は問題にはならんのう」
「俺が死ぬことによる影響は分かるだろう。“集約”を“分散”で打ち消すことができないから、リミニアの死がぐっと近くなる。魔王の目的は二つだろう……リミニアに会うことと、リミニアを長く生かすこと。俺が死ねば、後者は達成不可能になる、と魔王は思ってるだろう。だけど実際は違う。さっき言った計画を実行すれば、リミニアの人生は振り出しに戻る。貧しい王国の姫として生きるより幸福な人生を、楽園で永く歩めるだろう」
「……二択を選ばせる、ということか」
「そうだ。俺が生きてる限り、魔王が楽園を生み出す選択肢を取る可能性は薄い。あなたの考えていた計画に乗れば目的を二つとも達成できるのに、この選択肢だとリミニアに会うことはできなくなるからだ。だけど俺が死んでからこの選択肢を示せば、魔王にとって極限の二択になる。上の世界に“開錠”を使ってリミニアに会うことを選ぶか、下の下の世界に使ってリミニアに幸福な人生を歩ませることを選ぶか……」
「なるほど……葛藤が生まれるじゃろうな。そこで、魂の意志を発生させるつもりなのじゃな……」
この少年は、一体どこまで計算しているのか。フェンジェオは疑問を投げつづける。
「しかし、おぬしが死ぬには、他ならぬ魔王の手によって殺されねばならんのじゃ」
「そうだな。だから、俺があなたの計画に協力せずに、本気で魔王を殺そうとしているって、魔王に思わせるんだ。絶対に殺さないように、でも殺すつもりに見えるように、魔王と戦う。あなたはその戦いの途中で、タイミングを見計らって俺を妨害して、魔王に俺を殺させてくれ」
「それは良いのじゃが……どうやって魔王と戦うのじゃ。おぬしに魔力はないじゃろう」
「“放出”って固有魔術を持ってる、賢者会の魔術師から貰うよ」
「……おぬし、重大なことを忘れておらんか……?」
フェンジェオは気づいていた。この計画に、大きな犠牲が伴うことを。
「……分かってるよ。賢者会には計画の全容を話さずに、適当にごまかしておく。あなたと俺だけの秘密だ。“開錠”を魔王に渡すために、人類を滅ぼす……いや、それだけじゃない。それより重大な事実がある」
伊織は、皮肉な笑みを浮かべていた。
「そのあと魔王が時間を巻き戻せば、負魔力の放出は起こらなかったことになる……つまり、真ん中の世界の楽園は崩壊しない。だから、楽園時代の終わり以降に生まれたすべての人類が、生まれなかったことになる。二千年間の人々の人生が、最初からなかったことになる」
「分かっておって、提案しておるのか……」
フェンジェオの顔が歪む。伊織の計画はある意味で、人類を滅ぼすより残酷なものだった。
「ああ、そうだ。その代わり、負魔力の放出が起こらないことで死なずに済む人たちも多くいる。真ん中の世界の“楽園時代”に生きたすべての人、それと、上の世界の地球で生きたすべての人だ。本音を言えば、俺は、地球で生きていた家族と友達を救いたくて、この計画を提案してるんだ」
伊織は目を閉じる。シェミカの姿が、まぶたの裏に浮かぶ。
計画が成功すれば、彼女の存在はなかったことになる。
「おぬしは……それで、良いのか……」
「時間が巻き戻ったら、今俺が抱えている罪悪感もなくなって、楽園で人生を謳歌するだろうさ。あなただってそうだ」
「……」
「心が痛まないわけじゃない。でも、全部仕方ないだろ? あなたも、魔王も、俺も、誰も悪くないんだから……誰も悪くないのに、誰かが犠牲にならないといけないんだから」
「……誰も犠牲にならない楽園を作るための、最後の犠牲ということじゃな……」
フェンジェオが行おうとしていたこともそうだった。不幸な人間をなくすために人類を滅ぼすということは、今生きる人々を犠牲にすることだった。
「分かったのじゃ。おぬしと手を組もう」
二人は握手する。いつしか空は晴れ、二人の元へ光が注がれていた。
◆
『……魔王ユシェル。つまり、あなたが選べる扉は、二つだ』
映像の中の伊織が、淡々と語りつづける。
『一つは、上の世界へと続く扉。リミニアの命は長くは持たない……だけど、リミニアに会うことはできる。人類を滅ぼしたことを知ったリミニアがどう反応するかは分からないけど、一切の憎しみを持たないらしい彼女なら、あるいはあなたを受け入れるかもしれない』
「……うう……」
魔王が呻く。ずっと待ち望んでいた再会が、目の前だというのに。
『もう一つは、下の下の世界へと続く扉。リミニアに二度と会うことはできない。それどころか、あなたとリミニアが出会ったという事実すら消え去って、彼女は、あなたがいない世界で、あなたの何もかもを永久に知ることのないまま、人生を歩むことになる。だけど、その人生は永く幸せなものになるだろう』
「……ううううっ……!」
リミニアの幸福は、彼にとって喜ばしいものなのに。
『後者を選べば、本当の楽園を築きたいというフェンジェオの願いも、家族と友達を救いたいという俺の願いも、両方叶えられる。けど、あなたの判断には影響しないだろう……好きに選べばいい。じゃあな、魔王』
その言葉と共に、映像は終わった。
「……魔王様……“開錠”の空術印を、渡します」
最初に静寂を破ったのはゼイネだった。
「選ぶのは魔王様の自由ですし、後者を選んだら私が消えることとかはどうでもいいんですけど……私は、リミニアちゃんと会ってほしいです。だって、最後の最後で結局会えずに、しかも忘れられる結末なんて、あんまりですよ……」
「……」
「……わしとしては、後者を選んでほしいのじゃ。おぬしと同じ名前の、わしの友人の願いが、叶うのじゃ……」
「……」
そして、ユシェルが口を開く。
「リミニアは、ぼくに名前を付けてくれた……色んなことを、教えてくれた……大好きって、言ってくれた……抱きしめてくれた……」
そう言って、崩れるように、床に膝と手をついた。
「だから、恩返ししないと駄目なんだ……もしそれで、ぼくがどんな目にあったって、リミニアが幸せになるなら……けど……っ!」
ユシェルの大きな瞳から、涙がこぼれだす。
「いやだあっ! リミニアに会いたいよお……! もう一度、名前を呼んでほしい……抱きしめてほしい……っ! 忘れられるなんていやだよお!」
「ま、魔王様ぁ……!」
「うううう、ううううううっ……!」
「……すまん、すまんのじゃ……」
嗚咽するユシェルに、ゼイネが寄り添う。フェンジェオは思わず顔を覆った。
「うううう……リミニア……っ」
そして、ユシェルは扉を選ぶ。
片方は、彼にとっての楽園へ向かう扉。もう片方は、リミニアにとっての楽園へ向かう扉。
「ぼくは……」




