第十二話 リミニアとユシェル その五
「……それからずっと……何百年か、それとも何千年か、それも分からないほどずっと、ぼくは閉じ込められて、体は傷付きつづけた。痛みで意識を失って、痛みで意識が戻って、それを繰り返してた。その途中で、ぼくの魂は負魔力で膨れ上がって、耐え切れなくて一度破裂して、全部吐き出したんだ……きっとそのせいで、この世界は負魔力でいっぱいになって、それを吸い込んだ人類はみんな魔物になって……魔物は魔力を探して、勇者が転移した穴を通って、リミニアの世界に転移したんだ。だから、この世界が滅んだのも、リミニアの世界の楽園時代が終わったのも、ぼくのせいなんだ……」
ユシェルは震える声で、懺悔するように話した。
「リミニアの魔力がなくなって、ぼくから負魔力を吸収できなくなったら、ぼくの負魔力は溜まりはじめて、いつかまた同じことが起こる……だからぼくは、死なないといけないんだ……リミニア……勇者を探して、ぼくを、殺して……」
そう言って、ユシェルは膝から崩れ落ちる。
「ほんとに、ごめんね……もっと早く言わないといけなかったのに……リミニアに見捨てられたくなくて、今になるまで隠してた……ぼく、最低だ……」
「……ユシェル」
リミニアは年相応の高い声で、それでも穏やかに名前を呼ぶ。そしてユシェルに歩み寄り、顔を上げた彼は、彼女の微笑みを見た。
「大好きよ」
リミニアは、両膝をついたユシェルの頭を、そっと胸に抱きしめた。
「……」
「本当は、ユシェルが大災害の原因だって、薄々分かっていたわ。それでも、あなたが大好きなの」
「……うう……」
「大丈夫、私はユシェルを見捨てないから。絶対に助けてあげるわ」
「……うううっ……リミニアぁ……!」
リミニアの体に、ユシェルの腕が回る。街灯の淡い光に照らされながら、二人は互いの存在を確かめるように抱き合った。
そうしないと消えてしまいそうな錯覚を、互いに感じていた。
「ユシェル……そのために、私は一度元の世界に戻らないといけなくて、あなたにはここで少しの間待ってもらわないといけないの。大丈夫かしら?」
「……大丈夫……」
「絶対に、戻ってくるわ。安心してちょうだい」
リミニアは頭をなでて、ユシェルから離れる。そして、転移装置ごと世界から消えていった。
問題は二つあった。
一つ目は、ユシェルがリミニアの世界に“下降”すると、負魔力を溜め込んでしまうこと。死ぬことはないが、長い苦痛が伴うだろう。
この問題は、リミニアがユシェルから、彼の持つ量以上の負魔力を吸収することで、疑似的に彼に魔力を渡すことによって解決できる。ただし、そうすればリミニア自身は元の世界に帰ることができなくなる。
二つ目は、ユシェルが持つ負魔力の集約の術印が、いずれ世界の滅亡を引き起こすこと。
リミニアは、この術印を吸収して自分のものにするつもりだった。そうすれば、リミニアが死に、魂が転生したときに術印は消える。ただし、いつ転生できるかは決まっていない以上、転生より前に、負魔力の放出が起きてしまうかもしれない。
万一のことを考えたリミニアは、タノスの“施錠”を用いることで、自分をユシェルのいた世界に閉じ込める計画を立てた。それは、自己犠牲によって楽園を築く計画でもあった。
リミニアの計画の全容はこうだった。
まず、自分が元の世界に戻り、タノスに計画を伝え、上の世界に連れていく。
次に、ユシェルの負魔力と術印を吸収し、タノスに連れて帰らせる。
そして、タノスに世界の間を時限式で施錠させて、自分を上の世界に閉じ込めさせ、自分は命が尽きるまで魔物を消滅させつづける。
リミニアが絶命した後も、魂に負魔力は集約されつづける。その魂が破裂して負魔力が放出されるとき、その勢いによって負魔力が元の世界まで飛び出してくる可能性があるが、施錠すればその問題もなくなる。そして、不死身の術印を刻まれたユシェルの魂とは違い、破裂することによってリミニアの魂は術印ごと消滅するだろう。
最後に、施錠が終わったら、タノスは計画を公にし、元の世界の人類は上の世界に移って魔力を獲得する。それは、リミニアが望みつづけた楽園の完成だった。
リミニアは元の世界に戻ると、人目を忍んでファノールド城に戻ったが、タノスは出張で不在だった。ゼイネに誰にも漏らさないよう頼み込み、タノスを通信で呼び寄せさせた。リミニア自身の通信機を使えば、傍聴によって、彼女が遺跡から帰ってきていることが判明してしまう可能性があったからだ。
「……そういうことなの。急な話でごめんなさい……でも、先生にしか頼れないわ」
「……かしこまりました、姫様。すべて私にお任せください」
そして、二人で遺跡に向かいながら、リミニアはタノスに上の世界であったことと計画を伝え、世界の穴が開いた地点に到達した。
リミニアが元の世界に戻ってからそれまでに、丸一日が経過した。
「ユシェル、この一日は不安だったでしょうね……」
「いえ、私の見立てでは、こちらとあちらの時間は連動していないので、一瞬のことに感じているかと」
「えっ……時間が連動していないって、どういうこと?」
「今日は三月二十日、つまり姫様が帰っていらっしゃったのは三月十九日ですよ。姫様が調査をお始めになったのは三月十五日……上の世界に約半年いらっしゃったことはこちらに帰っていらっしゃった時間に影響を与えていないですから、世界間で時間は連動していないものと推察いたします」
「そうだったの……道理でゼイネの反応が変だと思ったわ、あれは私が早く帰ってきたのもあったのね。でもそれを聞いて安心したわ。さあ、行きましょうか」
二人は転移装置の前で、上の世界に渡る。
次の瞬間、二人の目に映ったのは、崩れては再生しつづける、横たわったユシェルだった。
「なっ……」
「ユ、ユシェル!?」
「姫様、お下がりください!」
タノスの制止を振り切り、リミニアはユシェルの元に駆け寄って負魔力と術印を吸い取った。
ユシェルの自壊は止まったが、目を覚ます様子はない。
「どうして……一日で、こんなに負魔力が溜まるなんてありえないわ……」
「……私の見立てが間違っていたのかもしれません。ユシェル君の衣服に刻まれた保護の術印がどれだけ時を経ているか、調べてみてください」
「……まさか……」
タノスの言葉の真意に気づき青ざめながらも、それに従うリミニア。
「……七百年……経っているわ……」
「私たちの世界と比べてこちらの世界は、時間の流れが圧倒的に早いのでしょう……ここでの半年は、私たちの世界では一瞬だったということです」
「七百年間、ユシェルは……そんな……!」
「姫様、お気持ちはよく理解できますが、過ぎたことは仕方ありません。気をお取り直しになって、計画を遂行しましょう」
「……もう、術印は吸収したわ……負魔力も溜まっている以上に吸い取ったから、これでユシェルは十分な魔力を持つはず。でも、ユシェルを連れて帰るのは、目を覚ましてからにしてちょうだい。私に謝らせて……」
「……お言葉ですが、ユシェル君とは今のうちにお別れになったほうがよろしいかと」
「それだと、ユシェルがあまりに可哀想でしょう……ずっとこの状態で放っておかれたのよ。私のことを思ってそう言ってくれているのは分かるけれど……」
「いえ、ユシェル君のためでもあります」
「ユシェルのため……?」
リミニアは怪訝そうな顔を、タノスのほうへ振り向かせた。
「はい。姫様からお話を拝聴した限りでは、ユシェル君は姫様に依存しているようなので……ここで接触なさらないほうが、ユシェル君の自立を促せるかと存じます」
「……それは……」
リミニアは言葉を詰まらせる。
ユシェルが自分に依存していることを、分かっていないわけではなかった。だから、彼に自分と別れなければいけないことを伝えるのも、後回しにしてしまった。
それでもリミニアは、最後には自分から伝えるつもりだった。その前に別れてしまうつもりはなかった。
「ユシェル君が目を覚ましたときに、私から話を伝えます。必ずユシェル君に悪いようにはしませんので、姫様は安心して計画を全うなさってください」
「……先生を信じるわ」
「ありがとうございます……それでは、ユシェル君を連れて帰らせていただきます」
タノスはユシェルを抱える。軽い体は、容易に持ちあがった。
「先生、こんな形で別れることになって、本当にごめんなさい。ユシェルにはもちろん、私のことを愛してくれていた人みんなにも、計画が終わったら、私が申し訳なく思っていたことを伝えてちょうだい」
「はい……姫様の教師としていられることは、幸福でした。ですが私は、姫様のご意志を尊重いたします。この別れに悔いはありません」
「ありがとう、先生。さようなら……」
「……さようなら、姫様」
タノスはユシェルと共に姿を消し、世界にただ一人、リミニアだけが残った。
「ユシェル……ごめんなさい……」
◆
眠りつづけるユシェルが匿われた屋敷。家主のタノスは彼の傍らで、窓の外の豪雨を眺めていた。
(あの日も、こんな雨だった)
タノスは、十一年前の遺跡調査を思い出した。
ファノールドの国王は、スピラリヤに支配されている現状を良しとしていなかった。そしてスピラリヤに対抗する力を手に入れるため、国の魔術師たちに定期的に遺跡調査を行わせていた。
しかし、優秀な魔術師は賢者会会員としてスピラリヤに奪われるため、ファノールドが自由に動かせる魔術師は、調査を行うには非力だった。そのため、調査の成果を上げられるどころか、無事に帰還できることすらまれだった。
タノスが隊長として向かわされた調査隊も、魔物の大群に立ち向かうには力不足だった。隊員たちは次々と犠牲になり、最後に残ったタノスも、帰還できるだけの魔力は残っていなかった。
「ここまでか……」
雨の中、遺跡の中心部で魔物に囲まれはじめたタノスが、すべてを諦めようとしたとき。
すぐ目の前に、透明な小さいカプセルに入った赤子がいるのを見つけた。
(なぜこんな所に……いや、そんなことはどうでもいい、この子を守らねば!)
タノスはカプセルを抱き、地面にうずくまって目を閉じた。無駄だという考えが浮かんでいても、そうしないことを自分が許さなかった。
(頼む、この子に気づかないでくれ……)
背中に打ち付ける雨の冷たさを感じながら、ただ願う。そして、願った以上のことが起きた。
魔物たちが倒れる音が聞こえる。目を開けたタノスは、聡明そうな赤子の瞳を見た。
(何が起きている……まさか……)
タノスは赤子の魂を観察した。膨大な魔力を以て、何かの魔術を魔物に対して行使している最中だった。
立ち上がって、魔物たちが全滅したのを確認する。
「……君が、助けてくれたのか」
にわかには信じがたかったが、タノスの目の前で起きたことだ。
「……」
「……リミニア……君は、リミニアと言うんだな」
巻かれた布に、その名が記されていた。
「ありがとう、リミニア。この恩は、一生忘れない」
リミニアの力を借り、ファノールドに帰還したタノス。彼の報告を受けた国王は、リミニアをスピラリヤに取られまいと、出自不明の彼女を王女に仕立て上げることを考えた。王族の子は賢者会への入会を免れるためである。
リミニアが新生児であり、王妃が妊娠中だったことが、国王の計画を成功させた。スピラリヤの魔術師の目を盗み、人工早産させたのちに実子を捨て、リミニアと入れ替わらせた。
タノスには思うところがあったが、計画を止めようとはしなかった。ただ一つだけ、“リミニア”という名前は残すように国王に懇願した。
それから十一年間、タノスはリミニアを見守りつづけた。
そしてその最後に彼女を、滅んだ別世界へと、自分の魔術で封じ込めた。
「ううう……」
(……そろそろ起こしてあげようか)
ユシェルが小さく呻く。今日中に目覚めるだろうと、タノスは予測していた。
「ユシェル君、起きられるかい」
「……うう……」
ユシェルの体を小さく揺らす。やがて彼は、大きな瞳を開けた。
「……」
「おはよう、ユシェル君」
「……」
「……」
「リミニアは、どこ……?」
横たわったまま、呆然と呟くユシェル。その言葉にタノスは胸を痛めつけられながらも、穏やかな表情を失わないように努めた。
「……私は姫様に教師としてお仕えしていた、タノス・ファナクスだよ。何があったのか、すべて教えてあげよう」
タノスはベッドに座るユシェルに、経緯を説明した。
「……そうして、君と私はここにいるわけだ……何か質問はあるかな」
「……」
「……」
「どうすればリミニアに会えるの?」
ユシェルの神妙な面持ちから、タノスは感情をくみ取れない。説明を聞いているときから、その表情に変化は見られなかった。
「……先に言った通りだけど、姫様は、私が上の世界に閉じ込めたんだ。鍵が外れるのは姫様がお亡くなりになってからだから、もう会うことはできない」
「……」
「話が唐突だから、理解するまでに時間がかかるかもしれないね……だけど大丈夫だよ、急ぐことはない」
「……どうして」
そう呟くと共に、ユシェルは保っていた表情をわずかに歪ませる。
「どうしてリミニアは、ぼくと一緒にいてくれないの……」
「姫様も悲しまれていたよ。それでも君を救うためには、こうするしかなかったんだ」
「……嘘だ」
「……」
「だって、リミニアが救ったのは、ぼくじゃなくて世界だもん……!」
ユシェルの目は潤み、声は震えながらも、語気は強まりはじめた。
「リミニアのそばにいられたら、他に何もいらなかった! 世界が滅ぶことなんてほんとはどうでもよかったんだ……! だけど……リミニアは世界を愛してたから……だから、ぼくは死ぬことを選ぼうとしたんだ! リミニアが犠牲になるくらいなら、そのほうがまだ良かった! リミニアのいない世界で生きたって、何の意味もないのに……!」
「っ……いい加減にしろぉ!」
「ひっ……!」
タノスの突然の叫びに、ユシェルは怯んで身を縮ませる。
「ああ、私もそうだ! 姫様がいらっしゃらない世界に価値など感じられない! 姫様ではなく君が死んでほしかった! なぜ姫様なんだ!? あの小さなお体に、どれほど背負わせた!? どれほど抱え込ませた!? 私が喜んで姫様を閉じ込めたとでも思ったか!?」
「……」
しばしの沈黙。窓越しの雨音だけが部屋に響いていた。
「だが……姫様はお望みになったんだ。楽園を……そして君が、その住人となることを。私は姫様のご意志を尊重したい。君も、姫様を愛しているなら、そうするべきだろう……」
「……」
「……取り乱して済まなかった。事実はゆっくり受け入れればいいよ……君と私以外に、この話を知るものはいないからね」
「……」
そのとき、タノスを違和感が襲った。
「……! ぐうっ……」
タノスの視界は突如として暗転し、息は吐いたきり吸い込めなくなり、彼は床に倒れ込む。
急速に生命活動が終わろうとしていた。
(当たっていた、か……)
覚悟していたことだった。
そうでなければ、ユシェルが起きる前、あらかじめ日記に“犯人は魔王だ、異世界から来る勇者を探せ”などと書いてはいなかった。
“開錠”を使えば上の世界に移動してリミニアと再会できる、とユシェルは気づく、とタノスは予想していた。
それを実行することは、世界を滅ぼすことを意味している。
仮にユシェルに実行する意志があるなら、「自分とタノス以外に事情を知る者はいない」と聞いた段階で、口封じのために自分を殺害するだろうとも、タノスは予想していた。
予想は的中した。
(そのときのために、ゼイネ氏を呼んだんだ……姫様から話を聞いている彼女なら、メッセージの意図も分かるだろう……)
薄れゆく意識の中、思考は高速で回っていく。
(……だが……当たっていてほしくは、なかった……)
それが、タノスの最後の思いだった。
「……はは……リミニアからもらった魔力、最初に人殺しに使っちゃった……」
タノスの亡骸を背に、ユシェルは自嘲する。
「……ずっと待ってたのに……もう一度だけ会えたら、それでいいのに……」
涙が流れても、その微笑みは崩れない。
「……ねえ、リミニア……君のいる所だけが、ぼくの楽園なんだよ……」
雨が降りやむ気配はなかった。




