鬼殺し
「影仁さん、私は……」
誰に聞こえるでもなく由夢は弱々しく呟いた。彼女はどうしても覚悟が決められないでいた。自分が再び手にした『光』を失ってでも影仁を助けるという覚悟が。齢十四歳の少女にその決断をさせるのも酷というもの。それでも、彼女は己を奮い立たせ戦場に立っていた。狂鬼化薬は、念のためスカートのポケットに忍ばせてある。
今は、ゆっくりと回転し出した観覧車に乗りゴンドラの窓からライフルのスコープを覗いていた。桐崎の指示だ。ここならばパーク全体を見渡すことができ、尚且つ獣鬼の襲撃を受けず鬼人も簡単には手を出せない。今、スコープを通して由夢の目に映っている光景は――
――女性主体の飛鳥第八班が鬼人に蹂躙されているところだった。
その鬼人『隼人』は、白く長い髪を靡かせその強靭な爪を振るっていた。由夢にはよく分かる。彼が脚力に特化した鬼人なのだと。あまりのスピードに、鬼の眼ですら追うので精一杯だ。やがて、隼人は最後に残った女隊長を切り裂きニタァと愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
『第八班も全滅か……』
桐崎が声のトーンを落とし、ため息を吐いた。しかし、これはチャンスだ。狩りが終わって油断しきっている今が最も無防備。由夢はゆっくりと隼人の頭部に狙いを定めた。そして引き金を引く。その刹那――
「――っ!」
隼人が由夢へ目を向け、ニヤリと口角を吊り上げた。それを認識した由夢は恐怖に支配されながらも撃つ。だが、我に帰ったときには隼人の姿は既にない。もちろん、撃ち込んだ銃弾も命中することなく地面にめり込んでいる。由夢が混乱していると、すぐ上から風を感じた。
「――よう、ガキ。覗きは犯罪だぜぇ」
急に上から降ってきた声に、由夢は驚き立ち上がる。隼人はゴンドラの扉を強引にこじ開け、由夢の目の前に立ち塞がっていた。この男は、1キロメートル近くある距離を移動し、八十メートルはある高さを跳び上がったのだ。瞬時に。夢は気丈に隼人を睨みつけるが、油断すると恐怖に頬が歪みそうだった。隼人はギザギザの歯を見せ薄ら笑いを浮かべると、
「おらっ!」
その強靭な爪を突き出した。水平に由夢の心臓目掛けて。
『伏せろ!』
インカムから桐崎の声が響く。由夢は言われるまでもなく、無我夢中でしゃがんだ。
――ガシャァンッ!
隼人の爪はそのままゴンドラの窓を突き破り、ガラスの破片は地上へと吸い込まれていった。
『そこから飛び降りるんだ、由夢くん!』
桐崎が切羽詰まった声でインカム越しに叫ぶ。今はそれしかないのだ。こんな狭い部屋で鬼人に攻撃を繰り出されてはライフルは機能せず、ひとたまりもない。
「で、でもっ……」
しかし、由夢の乗るゴンドラはもう頂上付近まで上がっているのだ。八十メートル近くの高さがある。飛び降りたところで地面に激突し死ぬだけだ。
『大丈夫だ。僕を信じてくれ』
桐崎の真剣で力強い言葉が由夢に届く。隼人は腕を引き、爪を由夢へ振り下ろそうとしていた。真上から串刺しにするつもりだ。由夢は意を決し、ゴンドラから飛び出した。
飛び込みの要領で、隼人の右下の隙間に身体を滑り込ませる。同時に振り下ろされた隼人の爪は、ゴンドラの床を貫くが由夢は脱出に成功し空中に身を投げ出す。
「きゃあぁぁぁっ!」
あまりの高さと迫り来る死の恐怖に絶叫を上げた。そんな由夢に桐崎はゆったりと穏やか口調で告げる。
『大丈夫だ。彼がいる。一般市民のヒーローが――』
――ブオォォォンッ!
そのとき、地上からけたたましいエンジン音のような騒音が響いた。
「――え?」
由夢は空中で男に抱き止められ再び地上に落下した。地面が間近に迫るとバーニアが噴射され、荒々しくも無事に着地した。由夢はゆっくりと男の腕から降ろされる。
「おい、大丈夫か?」
息を整えた由夢は、ようやく男の顔を認識した。
「あ、あなたは飛鳥の……」
第十班長『平子鋭二』だった。由夢が顔に付けていた半人半鬼の仮面に戸惑いの表情を浮かべた鋭二だったが、今は気にしないといったように頬を緩めた。
「なんだ、俺を知ってんのか? 鬼のお嬢ちゃん。まあ、俺はもう飛鳥を辞めたからただの一般市民だけどな」
鋭二は「ふっ」となにかが断ち斬れたかのように、ニンマリと目を細めた。
「――なんだぁ? 正義の味方のご登場か?」
隼人も既に地上へ降りていた。あまりのスピードに鋭二も眉をしかめる。鋭二は由夢を背にかばい、前へ出ると隼人を睨みつけた。隼人はその風貌を見て言葉を続ける。
「お前のお友達なら、俺がさっきズタズタに引き裂いてやったぜ」
隼人が口元を醜く緩めながら、血に染まった右爪を顔の前に掲げた。鋭二は一瞬ギロリと怒りの眼差しを向けたが、すぐに相手をバカにしたような薄い笑みを浮かべた。
「俺はもう飛鳥の班長でも、ムサシの戦闘員でもない。ただの一般人だ。だから、お前らと戦う義務はない。ただ、未練が残らないように鬼人の一匹ぐらい殺しておこうと思っただけさ」
隼人も心躍るかのように明るい表情で、頬を三日月のように吊り上げた。
「人殺しに向いてそうだな、あんた」
「バァカ。『鬼殺し』だ――」




