生か正義か
自分の身に迫る危機を知らない光汰は、その日も闇夜に紛れ街のパトロールをしていた。人目につかないよう極力暗い道を進む。人とすれ違う際は下を向いて歩く。ここ何日もパトロールし続けているが、一向に死鬼とは遭遇しない。今は、街の外れにある港区に来ていた。辺りに物流関係の倉庫や工場が並んでいる。
「やっぱ、こんなところにはいないか……」
「それはそうだよ」
後方を歩いていた薫がクスクスと笑う。
「弓岡さんだって止めなかったじゃん」
光汰が口を尖らせ、ジト目を薫へ向けた。
「まあまあ、絶対にないなんてことはあり得ないんだから、確かめるだけ無駄じゃないよ」
薫は気にせずそう答える。真黒なセーラー服に半人半鬼の仮面を付け、腰に細剣を携えているというのに、発する声は鈴を転がすような可憐な声なのだから、えらくミスマッチだ。
二人は港区を去りしばらく歩いた。街外れの公園に差し掛かると、
「あれ?」
薫は、公園のベンチに蹲って寝ている少女に気付き駆け寄った。
「君、どうしたの?」
薫が体を揺さぶると、少女は目を開け身を起こした。そして、自分の顔を覗き込む相手の顔を確認すると、「ひっ!」少女の顔が恐怖に歪む。当然の反応だ。なにせ今の薫は、不気味な半人半鬼の仮面を被っているのだから。
「あ、ごめんなさい」
そう言って仮面を上にズラし素顔を晒すと、少女は安心し薫に事情を話し始めた。
少女は『涼』という名で中学一年生だった。家で両親と口論になり、家を飛び出してきたようだ。家出するつもりでいたが、少し寝たことで冷静になったと語った。今の時間は深夜の0時。彼女の両親もさぞ心配していることだろう。
「じゃあ、涼ちゃんはもう帰るのね。家まで送って行くよ」
薫は特に迷惑そうな様子を見せることなく微笑んだ。理想のお姉ちゃん像とはこのような女性なのかと、光汰は思った。光汰は弓岡姉妹のやりとりを想像し苦笑する。薫は少女と手を繋ぐと、蚊帳の外にいた光汰へ振り向いた。
「じゃあ、伊刈くん。今夜のパトロールはここまでで――」
言いかけた薫の言葉が止まる。彼女は目を見開き、光汰の後ろを見ていた。その様子に悪寒の走った光汰は背後を振り向く。
ゾウの形をした滑り台の上に『死神』がいた。否、鬼の髑髏の仮面を付け焦げ茶色のマントを夜風にはためかせた『死鬼』が。その紅い瞳はじっと光汰を睨みつけている。
「涼ちゃん、逃げて」
敵から目を逸らさずに、緊張感を孕んだ声で薫は言った。
「え?」
少女は状況が分からず、混乱している。
「ごめんなさい。お姉ちゃんは用事ができたから、すぐに帰って」
有無を言わさない薫の切羽詰まった声に涼は従った。異様な寒気を感じながら逃げ出すように走り出す涼。しかし、突然死鬼が跳んだ。その着地点は涼の進行上。
「くっ! 待て!」
光汰が慌てて走り出すも距離は遠い。
(あいつ、自分を見た相手は必ず殺すようにしてるんだ)
光汰もしかり。雅人が倒れた夜、駆けつけた光汰は死鬼の標的となっていたのだ。
「い、いやっ!」
両の目の前へ着地し、正面から涼へ手を伸ばす死鬼。間に合わない光汰。しかし、
「――彼女から離れなさい」
薫が瞬時に死鬼と涼の間に割って入った。右手で細剣の柄を握ると抜刀と同時に薙ぎ払う。
死鬼は、バックステップし紙一重でその一閃を躱した。
「涼ちゃんは左から逃げて」
薫はそう告げると、足を踏み出した。そして、砂塵を巻き上げ死鬼に肉薄する。
「キヒッ!」
死鬼は不気味に笑うと迫りくる薫へ手刀を放った。薫は体を逸らして難なく避け、カウンターの突きを放つ。紙一重で躱されるが構わず、連続で繊細な刺突を繰り出す。だが当たらない。
「……鬼の眼か……」
薫は忌々し気に呟く。半人半鬼と違い、死鬼は正真正銘の獣鬼なのだ。個体差はあろうと、眼、脚、腕、どれをとっても人間の比ではない。
「クァッ!」
薫の攻撃が緩んだのを機に、死鬼が反撃を始めた。
「うっ!」
凄まじい勢いと速さで繰り出される手刀と貫手。紙一重で避けると、空気が裂け斬撃となって薫の肌を薄く裂く。
「弓岡さん!」
インカムで桐崎への報告を終えた光汰は、涼が逃げ切ったのを確認し、薫の元へと急ぐ。
――ダンッ!
とうとう、死鬼の掌底が薫の胸を直撃した。彼女は、かろうじて細剣を胸の前に滑り込ませて防御したが、刀身は簡単に折れ薫を吹き飛ばした。勢いよく地面に叩きつけられ、砂塵を巻き上げながらゴロゴロと転がる。
「かはっ!」
光汰が駆け寄ると、薫は吐血した。なんとか呼吸はしているが、「ヒューヒュー」と瀕死の様相を伺わせる。光汰が声をかけるが、薫は呼吸をするので精一杯といったように反応できない。
「てめぇ」
光汰が激怒を声に滲ませ、死鬼を睨みつけると、死鬼も何食わぬ顔で光汰を見下ろしていた。
そこに、インカムから慌てたような桐崎の声が入る。
『どうした、光汰くん! 薫くんは無事か!?』
光汰が通話をオンのままにしていたことで、現場の状況が伝わったのだろう。
「弓岡さんはなんとか生きてます! 早く病院に連れて行かないと」
光汰の声は焦りで早口になっていた。
『光汰、影仁だ。場所を教えろ。すぐに向かう』
「街外れにある勇往公園です。影仁さんが来るまで、なんとか持ちこたえてみせます」
光汰は、立ち上がり背の薙刀を構えた。その足と手は小刻みに震えている。
しかし、桐崎の指示は予想外のものだった。
『……いや、君は逃げろ。勝ち目がない』
光汰は耳を疑った。あの優しい桐崎が「仲間を見捨てろ」と言ったのだ。それに、ここで光汰が逃げれば、涼だって狙われる。逃げるという選択肢など論外だ。しかし桐崎と影仁の判断は合理的だった。
『……桐崎の言う通りだ。お前まで死なれるわけにはいかない』
彼らは既に薫のことを諦めているようだった。
(それが正しい判断だってのか)
光汰は仮面の下で、唇を噛みしめる。影仁たちにそう判断させてしまう自分の弱さが悔しかった。手負いの薫を連れて逃げることは困難。だからといって光汰一人で立ち向かっても、返り討ちに合い、犠牲者が増えるだけ。であれば、最も合理的な策は、光汰一人で逃げること。そうすれば、犠牲は薫一人で半鬼狼の戦力ダウンは一人分に収まる――だから、なんなのだ。
『光汰くん?』
反応のなかった光汰へ桐崎が呼びかける。
「嫌です」
『待て、光汰』
影仁が割り込む。その声は珍しく上ずっていた。焦りが感じられた。
そんな影仁に申し訳ないと思いながらも、光汰は面を上げ目の前の強敵を見据えた。
「影仁さん、すみません。俺は初めてあなたの指示に背きます。だって――『生きる』よりも『正義』を選ぶのが、男ってもんでしょうっ!」
『『っ!』』
影仁と桐崎が息を呑み目を見開いているのが想像できた。今の光汰にはそれで十分だった。
光汰は静かに耳のインカムを外す。深く息を吸った。覚悟を決め、腰を落とす。そして、
「それじゃあ、雅人さんと弓岡さんの敵討ちだ。行くぞバケモノォォォッ!」
光汰は、叫びと共に恐怖を捨て、微動だにしていない死鬼へと駆け出した。




