戦士たちの日常
伊刈光汰は、どこにでもいる普通の高校生だった。成績は中の中、中学まではバスケ部に所属していたため運動神経も悪くない。陽気な性格で友達も大勢いた。特徴といえば、正義感が人一倍強いことか。特に何不自由ない人生。
しかし転機は訪れる。
あれは二か月前、しんしんと雪降る放課後のことだった。光汰が商店街の横断歩道を渡ろうとしたとき、一台の車が高速で迫っていた。しかし、横断歩道は既に歩行者が一人。光汰のクラスメイト『梅山藍』だ。運転手はよそ見をしていたのか、慌ててブレーキを踏むが――
「――危ないっ!」
藍は目を見開き、目前に迫る車をただ見つめるだけだった。反射的に光汰は飛び出し、
「――っ!」
藍を突き飛ばし車に跳ねられる。
次に光汰が目を覚ましたのは、白いベッドの上だった。家族や友達は泣いて喜んだ。しかし、光汰へ告げられたのは、辛い現実。それは脊髄損傷による全身麻痺ということだった。まだ十六歳の少年が一生寝たきりの生活を強いられるのは、あまりにも酷だ。
(ちくしょう! なんで俺がこんな目に……)
それから光汰はその晩、枕を涙で濡らした。そんなあるとき、梅山藍が見舞いに来た。
「ごめんなさい。伊刈くん。でも、助けてくれてありがとう」
彼女は辛そうに微笑みながら頭を下げる。クラスメートではあるが、目立たず大人しい彼女とはほとんど接点はなかった。それでも彼女は、毎日のように見舞いに来た。
(あぁそうか。俺は人を助けたんだ。それなら後悔しちゃだめだな)
藍の真心こもった献身に、光汰の心も少しずつ癒されていく。
それから数週間後の夜、彼は現れた。半人半鬼の仮面を被った『黒野影仁』が。彼は、悲惨な状況にあってなお瞳の輝きを失わない光汰に問うた。
「お前に意志はあるか? どんな逆境だろうと闘い抜く強い意志が」
光汰は強い眼差しで以って答えた。そして、影仁は半鬼化薬を光汰の脊髄へと注入し、新たな半人半鬼が誕生する。
すぐに退院し、医者や知人たちが心底驚いていたが、脊髄損傷は医師の勘違いだったというように情報操作された。大山功の手によって。
「――どうしたのコウくん? 難しい顔して」
心配そうに光汰の顔を覗き込む藍。髪型はショートカットで服装は制服。綺麗に切り揃えられた前髪に留めている花柄のヘアピンがよく似合っている。光汰と藍は、学校帰りに繁華街のカフェでスイーツを楽しんでいた。と言っても、スイーツを食べているのは藍だけだったが。
「いや、なんでもないよ」
光汰は恥ずかしげに藍から目を逸らし、カフェオレを飲む。
藍は「そう?」と首をかしげると濃厚宇治抹茶パフェを口に運んだ。
「でも、なにか悩みとかあったらすぐに言ってね。だって私たち――」
「――恋人なんだから」と後に続くであろう言葉は、藍が恥ずかしさに耐えられなくなり沈黙へ変わった。
彼女の頬はほんのりと桜色に染まっており「あはは」と笑って誤魔化していた。光汰も気恥ずかしくなり、そっぽを向いて頬をかく。キッカケはどうであれ、入院中に甲斐甲斐しく世話をしていた藍と、彼女の命を救った光汰が惹かれ合うのは自然な流れだった。
光汰が退院してすぐ二人は恋仲になり、そのときの親友の驚いた顔を光汰は今でも忘れない。
「心配させてごめん。むしろ俺が藍を守るんだから、気にせずどんどん頼ってくれよ」
光汰は自慢げに自分の腕を叩き、二カッと笑う。
藍は「ありがとう」と微笑むと、スプーンを置いた。
「でも、あのときみたいに自分を犠牲にするようなことはやめてほしいな」
藍は伏し目がちに呟く。苦しそうにも見える表情は、交通事故のことを思い出しているからだろう。光汰は拳を強く握り、彼女を悲しませないようにと、もっと強くなる決心を固めた。
場所は変わり、影仁の放課後。影仁は友人の智也と直人に連れられ、茜色に染まる商店街を歩いていた。積極的に引っ張っていく直人、気遣いのできる智也、冷静沈着な影仁。なんだかんだいって、影仁はこの組み合わせが嫌いではなかった。
「しかし直人も丸くなったよな~」
智也がしみじみと呟く。
「は? 僕は細いほうだぞ」
「そういう意味じゃねぇよ! まったく、転校してきたときのクールでピリピリした感じはどこへいったのやら……」
智也が遠い記憶を探るように目を細め腕を組む。一人でしみじみと頷いていた智也だったが、なにかに気付いたように目を勢いよく見開いた。
「そう考えると、影仁もそのうち直人みたいな変人になるのか?」
「誰が変人だ!? けど、影仁も僕ぐらいアクティブになれば……」
「なれば?」
智也のオウム返しに、直人はメガネをくいっと上げた。
「合コン三昧じゃね?」
「……は?」
「よし、そうと決まれば、ナンパだ影仁! 綺麗なお姉さん捕まえて来いや!」
「影仁をお前と一緒にすな!」
智也が直人の手をチョップで叩き落す。そんな二人のやりとりを静観していた影仁は呟いた。
「……くだらないことに付き合う気はない」
「ほら、影仁が怒ってるじゃんかよ」
智也が「あちゃ~」と額を押さえるが、直人は「いやいつも通りだろ」と笑って返す。
やがて、直人は何かを見つけたのか目線がピタッと止まった。
「お、おい……お前ら、あれ見ろよ」
直人がそれを指さし、智也もその方向へ目を向けた。
「ん? なんだ、あの制服は中学生じゃないか」
影仁も目を向ける。そこには、中学校の制服を着た女の子が三人並んで歩いていた。
「真ん中の娘見ろよ。アイドルかってくらいかわいいぞ」
「バカやめろよロリコ……いやマジか」
直人は鼻息を荒くし、智也は硬直する。
「やべぇ……っておい! あの娘、こっちに手振ってないか」
「バカ野郎。それストーカーの始まりだよ。ってこっち来る!」
栗色の髪にツインテールで澄んだ碧眼、小柄で愛嬌のある整った顔に、弾けるような笑みを浮かべ、彼女は近づいてきた。甘いボーイミーツガールを夢想している男二人を尻目に――
「あぁっやっぱりぃ! 影仁さんじゃないですかぁ。こんなとこで会えるなんて嬉しいです」
その女子中学生は嬉しそうに破顔すると、影仁の腕に抱きつこうと両手を伸ばした。しかし、影仁は最小限の動作で回避しため息をつく。
「……なんの用だ」
「えぇ冷たい……」
影仁に躱された女の子はショックを受けたようにのけ反ると、頬を膨らませた。智也と直人は口をあんぐりと開け硬直している。だがすぐに直人が目を白黒させて割り込んだ。
「ちょちょちょちょちょっとぉっ! 影仁の知り合い??」
「はいっ。天前中学校の弓岡由夢っていいます」
由夢はニコニコしながら自己紹介する。
智也と直人が鼻の下を伸ばしながら由夢と話していると影仁は一人で歩き出した。
「ちょっと影仁?」
影仁は、ぶっきらぼうに「用事がある」と言い捨て、足早に立ち去った。
「ざ~んねんです……」
由夢は残念そうに肩を落としながら友人たちの元へ戻っていく。合流した彼女ら三人組は「由夢ちゃん、あんなカッコいい人と知り合いなんだね」ときゃっきゃとはしゃぎながら駅のほうへ歩いていった。そして、その場に取り残された智也と直人は、しみじみと呟くのだった。
「「影仁の友達で良かった……」」