8話
いつしか冬の厳しい寒さも去り、前世の記憶を取り戻して一年ほどが過ぎた。
お兄様はこのところ家を空けることが多い……というか、一週間や二週間ほど家を空けることがざらになってきた。次代の領主としての勉強に励むため、代官のところで修行したり領地を見回ったりしているらしい。代官からの評価は上々なようで、代官から手紙が来たり帰ってきて話を聞く機会がある度にお母様がニヤニヤしていた。私の知らないところで何をしているのか非常に気になるところだが、お兄様もお母様も意味深に微笑むだけであまり具体的には教えてくれなかった。いずれ教えてくれるつもりのようだが仲間はずれのようで少し寂しい。
で、自分はと言えば修業の日々だ、我ながら8歳にしてはかなり頑張っている方だと思う。
まずは早朝に起きたら朝練だ。お祖父様と共にジョギングと素振りをして一汗流し、そして家族とともに朝餉を取る。その後はお母様が手配した家庭教師やメイドから詩歌や音楽、針仕事、あるいはテーブルマナーなどのお嬢様としてのお勉強を習っていたが、ここぞというときはお母様が直接教えることもあった。お母様の出自も由緒正しい侯爵家であり結婚する前にみっちり仕込まれていたらしく、なかなか教育は厳しい。意外だったのは算数、というか数学もお母様の授業の中に含まれていたことだ。だがお母様が日常的にこなしている仕事を考えれば当たり前のことだった。代官から渡された税収や支出をチェックする他、メイドたちの給料や住み込みに関わる衣食住全般の費用、結婚や葬儀など突発的に発生する慶弔費、その他社交に関する費用の他、家や領地にもしものときがあったための蓄財や投資など、しちめんどくさい経理や財務はお母様が管理している。細々とした雑務は数字に強いメイドを秘書代わりにして補っているようだが、それでも忙しいことには代わりない。この手の勉強はあまり好きではないが、その仕事の合間を縫って見に来てくれるのは嬉しいものがあった。
「デジレ、あなた計算とテーブルマナーだけはかなりできるのよね……」
と、家族揃っての昼食兼テーブルマナーのテストの際にお母様から不思議がられた。ありがとうニッポンの義務教育、ありがとう高等教育そして予備校。微分積分あたりの高等数学は苦手というかほぼ忘れてるのでムリだが、小中学生レベルの計算ならば何の問題もない。テーブルマナーについては凄まじい複雑怪奇なルールがあるものと覚悟していたが、ぶっちゃけ日本のホテルの方が緊張するくらいだ。見苦しく音を立てないとかクチャラーはダメとかの大前提以外はあまり口うるさく言われない。ナイフを綺麗扱えるならば上等というレベルだ。日本に居た頃にウェブ創作で読んだのだが、ヨーロッパでフォークを使って食事することが定着したのは18世紀頃らしく、それまでスープ料理でもない限りは手づかみで食べていたらしい。それを思えば手づかみこそがマナーだという世界もあり得たかもしれない。この世界にナイフ、スプーン、フォーク、そしてお皿が定着していて良かったとけっこう本気で安堵した。
針仕事などもギリギリ家庭科の授業でやったことを覚えていたので何とかこなすことができた。詩や音楽については平均水準以下のようで呆れられているが、全体としてはお母様から及第点の評価を貰っていた。しかし貴族の令嬢ってのも大変だな。余裕があれば有閑マダム生活もできるのだろうが、ウチは金銭的にはともかく大事な仕事を任せられる血族やブレーンといった人材的な余裕が無い。おねだりは聞いてもらえるがおやすみはなかなか貰えないのだ。
「あなたハークレイ家の血が濃いのよね、質実剛健というか武張ってるというか……。むしろランベールの方が私に似てるんじゃないかしら」
ため息まじりに言われると私も苦笑いせざるを得ない。いやー前世の影響が強くってごめんなさい。
「って、あれ、ランベールお兄様には血はつながってないのでは?」
「あの子の母も私も、マレー家という侯爵家の出なの。一応ランベールと私も血は繋がっているのよ」
「へぇ……」
この家の兄も弟も、マレー家から嫁を貰ったということか。そういえばお母様の実家は行ったことがないな。前の世界だと母方の実家に行くなんてのはよくあったのだが。
「もう少し近ければ気軽に遊びに行けるんじゃがのう、軍務でもあれば会えるんじゃが」
「お祖父様が呼び出されるほどの軍務なんてたまったものじゃありません」
「それもそうじゃな……さて」
と、お祖父様はちらりと私とお母様の方を見る。
母が憮然として答えた。
「……わかりました。これならば貴族としての勉強も疎かにはならないでしょうし、本格的に剣も魔法も、習って構いません」
「よく頑張ったのう、デジレ」
「えーと……?」
なんだなんだ、大人たちだけで謎の合意が成立している。
「実は、ちゃんとお母様の手配する教育が疎かにならないかテストしていたんだよ」
「ちょ、お兄様、それ黙ってたんですか?」
「言ったらテストにならないしね」
……そうか、なるほど、抜き打ちチェックされていたわけだ。
「もし私の出す課題や授業から逃げたり、真剣味が無いようであれば、全寮制の幼年学校に閉じ込めるくらいしていたのですよ」
うっ、こりゃ本気だな。
未来のことを考えるとサボってでも修業を優先すべきか迷っていたが、この調子だとお母様の授業もちゃんとこなさないとマズいな。
「なーに、飯を食うにしても針仕事をしても、一念を貫くならばそれもまた武の道に通ずる。お母様の教えも真面目に受けるんじゃぞ」
「何にでも武に絡められても困るんですけどね……」
すまんねお母様、やっぱり体を動かすほうが好きなんだよ。しかし剣や魔法を教えてくれとお願いして「もう少し待て」と言われてたのは裏にこの約束があったからか。
そんなわけで、普段は午後から体力トレーニングの時間であったが、これからはより実践的な修行をすることが認められたのであった。
★★★
以前お兄様から「体力が既に一般的な水準を超えている」と言われて、試してみたことがある。使用人の男の子供ら全員――といっても10人にも満たない数だが――を集めて、腕相撲をしてみた。
私はまだ8歳で育ち盛りはこれからだというのに、普段から力仕事をしている年長の男の子にも余裕で勝った。手加減はするなと言ったし恐らく相手側も、最初はナメてたが途中から全員本気でかかってきた。それでも私の腕力に抗える者は居なかった。
話を切り出したとき、いくら武術修行を始めたとは言え女の子には負けるまい、そう高をくくっていたガキどもの顔が次第に真顔になっていくのは楽しく、一番身長が高く腕力もある男の番になると周囲にギャラリーができるほどに盛り上がった。集めた覚えのない使用人の娘までもが集まり、「流石はケヴィン様の孫よ!」、「素敵! 男なんてはったおしちゃえ!」、「ゴードン! てめえが最後の砦だぞ! 気合入れろ!」、「デジレ様! もう一回ぼくと勝負してください!」、「てめえ抜け駆けするんじゃねえ!」、「手を握りたいだけだろ!」などなどの怒号が飛び交う騒ぎとなった中、私は3頭身近く背の高い男に勝利し、屋敷の裏庭は最高潮に盛り上がった。
当然騒ぎはお母様にバレてガキども全員厳しいお然りの言葉を頂いた。罰として大人たちが日々こなしている掃除や庭仕事を仰せつかり、大人のメイドたちは子供らに労働を任せて優雅な午後のお茶会を開くこととなった。
「親に休みを与えてやったのじゃから孝行娘じゃあないか」
「屋根裏部屋まで掃除させられたので、大掃除はもう要らないんじゃないでしょうか……」
そんなおしかりを受けた次の日の稽古で、お祖父様は私の話を聞いてカラカラと笑った。
しかし指でホコリをチェックして「やり直し!」なんて嫁いびりじみた掃除チェックを実の母から受けるとは夢にも思わなかった。お兄様が嫁をもらったらどういう扱いを受けるかとても不安だ。いつかウチに来るであろう義姉には優しくしてやろうと内心で誓った。
「さてデジレ、これでわかったじゃろう?」
「へ? なにがですか?」
「おぬしは今、少しずつオドの魔法に目覚めつつある」
「……はい」
ごく当たり前の話として、重くてデカいやつの方が力は強い。
柔よく剛を制すなんて言葉もあるが、それでも体重差というのは絶対的なものだ。
しかも腕相撲という腕力勝負ならばなおさらである。
それを覆す「何か」が無いとおかしい。
「これはちょっと……同い年の子と喧嘩したら相当マズいですね」
私は自分の手を見ながら言った。
「うむ。剣を持つ者も、拳を握る者も、己の危うさを自覚せねばならぬ」
「……でも、いつの間にこんなことになったんでしょう?」
「体を鍛えていれば自然と目覚める者がほとんどじゃ。とはいえ生半可な鍛え方では無理じゃがな」
「日々の修練の結果と……?」
「しかも、ランベール家も、ミーシャの実家のマレー家も魔力量には恵まれておる。恐らく儂が鍛えずともオドの使い方やマナの使い方に目覚めておったじゃろうな」
「やはり貴族のほうが魔力に恵まれてるのですか」
「うむ。しかし恵まれているといってもそれは努力で覆せる程度の物に過ぎぬ。それに本物の才というのはどこに埋もれているかわからんからの。人を生まれで侮ってはいかん」
祖父は峻厳な目で私を見つめる。
しっかりと真正面から見返し、「はい!」と強く返事をした。
「よし、よい返事じゃ。今のことは忘れてはならぬぞ」
★★★
そしてお祖父様の講義は続いた。
お祖父様の話によれば、魔力は人間の体の中を、血のように体を巡っている。人間以外の生き物でも、いや、生き物以外の精霊や悪霊といった形のないものにも、その身に魔力が循環しているらしい。この世界の定義としては、魔力を持っていればそれは体を持っていなくとも生物と言えるのかもしれないな。
「さて、血ならば心の臓が高ぶり、全身に行き渡っていく。では魔力はどうか」
「魔力にも、心臓みたいな部分があるのですか」
「ある。それがチャクラじゃ」
「チャクラ」
これって中世ファンタジーの世界じゃなかったっけ。
あ、でも攻略対象の男に中華系イケメンも居たし、隣国は中華っぽい雰囲気だった。
「でも、いつの間に……?」
「うむ、それは儂が修練後のボディチェックで……」
「え? 自然に目覚めたとか言ってませんでした?」
「あ」
おいちょっとじじい、今「あ」って言ったよね。
「私の身体に何かした!?」
「い、いや、そうじゃない。勘違いするでないぞ。世の中には、幼い子供に強力な魔力を流し込んで無理矢理チャクラを目覚めさせようとする外道も居るが、儂は違う」
「本当ですね?」
「もちろんじゃ。修行した後、お前の体に怪我や負荷がかかっていないかいつも確認していただろう。そのとき、少量だがどうしても魔力がお前の体に流れ込む。そこでゆっくりとチャクラが開いていったのじゃろう。だが一番の要因はお前の才覚と修練じゃ」
「ああ、アレですか……なるほど」
確かに怪我がないか確認してくれてたな。
陸上で故障した身としてはアレはありがたいことだったし、納得しておこう。
「よってこれからは、開いたチャクラ……体をめぐる魔力をコントロールすることが大事じゃ。自分でもそう思わんか?」
「……たしかに」
今は想像以上のパワーを発揮してしまう状態だ。遊びで腕力自慢する程度ならともかく、ちょっと加減を間違うだけで子供の喧嘩が凄惨な刃傷沙汰になりかねない。
「チャクラが開いているといっても、それだけではだめだ。魔力を抑えて力を加減したり、あるいは強く放出して今以上の力を発揮したりと、己の力を律していくことが肝要じゃ」
「はい!」
「では、そのための修行を始めるとするかの」
「具体的には、どうするんですか?」
「……デジレ、そなたは家の外で寝泊まりしたことは無かったのう?」
「無いです」
「じゃあこれが初めての外泊になるな」
「ん? どこか別のところで修行するのですか?」
「うむ、その場所は……」
お祖父様はにやりと笑い、修行場の丘よりも更に奥の、山の方を指差した。
「……山?」
「左様」
そんな悪戯っぽいお祖父様の表情から、凄まじい修行が始まりを告げるのだった。




