7話
冬の寒さが訪れ始め、窓から見える山々の頂きに白いものが見隠れし始めた、そんな季節のことだった。
「ところでデジレ、何か欲しいものって無い?」
稽古も勉強も休みのある日のこと、暖炉の薪を節約するために自室ではなくお兄様の部屋のソファーでゴロゴロしていたら、藪から棒にそんな質問をされた。
というか私は適当にお兄様の部屋で本を読んだりお菓子をつまんだりしているが、お兄様は真面目に勉強をしている。そろそろ勉強にも飽きたのだろうか。
「カレー粉」
「ああ、うん……それは無理だね」
「だよなぁ。白米も無理か」
「米も難しいねぇ、隣国にはあるっぽいけど……って、そうじゃなくて」
と、お兄様は勉強を取りやめて私の向かいのソファーに腰掛けた。
「なんていうのかな、現代日本人の目から見て不便なところとか、こういうの改善したいとか無い?」
「うーん、そう言われてもな……」
確かに日本から比べたら不便なことはたくさんある。
だが水回りなんかはメイドが水魔法を使えるので風呂などで困ったことはない。料理もまあ、カレーライスをむしょうに食べたくなることはあるが、かといって栄養価に極端に乏しいというわけでもない。このへんは貴族の特権ゆえではあるだろうが。
「あ、一つあったな」
「なに?」
「スニーカーがほしい」
「なるほど、靴か……」
「あとパンツ」
と私が言うとお兄様がむせた。
「げほっ、ちょ、デジレ、いきなりそれは無いよ」
「いや実際、伸縮性のある肌着が無いのって辛くないか?」
「それはまあ……わかるけどさぁ」
悩ましげな顔をするが、お兄様はひとしきり考えた後に頭を振った。
「やっぱりゴム製品とかゴム紐とかが無いとスニーカーも下着も難しいね。ちょっと実現は難しそうかなぁ」
「というか実現しようと考えてたのか」
「何か日本の知識で金策できそうなものを考えてたんだよ。でもゴム製品や樹脂製品はハードル高いね。僕もそこまで化学の知識は無いし」
「化学の概念そのものも無いんじゃないか」
「錬金術はあるけどね。あ、でもそっち系を勉強するのも悪くないかな」
「それも面白そうだなぁ……ともかく、運動しやすい靴があると助かるんだよ。子供用の革靴は余所行きの用でも無い限り使わせてくれないし、木靴は靴擦れして痛いし。かといって裸足ってわけにもいかないし」
「ん? じゃあ今はどういうの履いてるの?」
「サンダルとわらじの合いの子みたいなのを履いてる」
「なるほど……」
「なんか良い靴ないかな」
「うーん……」
お兄様はひとしきり考え、そしてやおら立ち上がった。
そして部屋のすぐ側で控えているメイドに声をかける。
「馬を用意してくれる?」
「おや、お出かけですか?」
「ちょっと街の方までね。デジレの服を見繕ってくる」
お兄様はメイドにそう話すが、ちょっと意外に思ったことがある。
「お兄様、乗馬大丈夫なの?」
「基本的になんでも不器用だけど、生き物の世話は好きなんだよね」
「あの、ランベール様……自慢になっておりません……」
メイドが困ったような顔をしている。従妹としては自虐芸も程々にしてほしいところだ。
「というかお母様もお祖父様も忙しいのに子供だけで外出して大丈夫か? ここのところ国に税を納めるとかでやたら忙しそうだぞ」
「ああ、そこは大丈夫。デジレ痩せてきたからちゃんとサイズの合う服見繕ってくれって、おばさまから頼まれてたんだよね。ていうか道着でゴロゴロしないでよ」
「普段着より楽なんだよなぁ」
道着は腰紐のついた貫頭衣といった感じの簡素な作りで、見た目的にはローマ人っぽい雰囲気だ。寒い時期でなければとても過ごしやすい。
「仕方ないなぁもう」
「お兄様も見繕う?」
「ちょっと欲しいけど、今はそれよりデジレの服だよ」
★★★
自分らが住んでる屋敷から近隣の街まで、馬で3時間ほどの距離だ。
最初は馬に乗っての移動を考えたが、街に出るなら護衛を付けてくださいと言われて馬車での移動となった。ネイサンという、馬丁と屋敷の警護を兼任している壮年の男に御者を任せることとなった。
意外だったのはランベールお兄様が馬の面倒を甲斐甲斐しく見ていることだった。道すがらの休憩時など、ランベールお兄様が馬に水やりをしたりと御者の仕事を奪うもので、ネイサンが肩身狭そうにしているのが面白かった。
「お兄様、使用人のお仕事を奪うもんじゃないぜ」
「お嬢様のいう通りでさぁ、バレたら奥方様に怒られちまいやす」
と、ネイサンが私の言葉に追従するが、お兄様はどこ吹く風といった様子だ。
「生き物好きなんだよね。猫とか」
「……スケールが相当違う気もするが、まあわからんでもない」
「それに剣とか弓とかは苦手でも、馬に乗れるならあんまりとやかく言われないし」
「なんで自電車乗れないのに馬に乗れるんだろうな」
「自転車はいう事聞かないけど馬は言うこと聞くし全然問題ないよ。なにより可愛いし」
ねー、とお兄様は馬に話しかけると、馬は嬉しそうにお兄様に顔をすり寄せてきた。
仲がよろしいことで。
「そんなもんか……」
そして休憩を終えてまたのんびりとした旅が続き、牧歌的な光景に眠気を覚える頃、ようやく町並みが見えてきた。まあ、現代日本に比べればまあ可愛らしい規模だ。賊や魔獣避けの石積みの壁はあるが、平屋と二階建ての建物の中間くらいの高さで、登ろうと思えば登れないこともないという程度のものだ。町の門には番兵らしき人が建っており、こちらの馬車に気付いたのか緊張した様子でしゃちほこばっている。
「ハークレイ家の屋敷より来た。ランベール様とデジレ様を連れておる」
ネイサンが馬車を降りて番兵に告げると、すぐに門が開かれた。馬車が見えた時点で誰何するまでもなくこちらが誰かわかっている様子だった。ネイサンは再び馬車馬を御して街中へと繰り出す。門を潜り抜けたあとに広がる光景は……まあ、うん、栄えている方なんじゃないかな。よくわからないけど。現代日本人の価値観的には郷愁を感じさせる原風景ですねって感じだ。町の門付近の見張り台が一番高い建物で、他は高くとも三階建て。後はほとんど平屋の建物ばかりだ。馬車は迷わず街の中央の大通りをかっぽかっぽと長閑に歩いて行く。
「このまま真っ直ぐ行ったあたりに、ウチの御用商人の店があるんだ」
「ウィンドウショッピングとかは?」
「いや無理だよ、お忍びで来てもまずバレるし」
「なーんだ」
「王都にでも行けば別だけどね」
そして私達はとある屋敷へと入っていった。それなりに大店らしく、他の家屋や建物と比べても瀟洒な雰囲気がある。と言っても自分の屋敷のほうが豪華さは上なのであまり驚きはないが。私がお兄様に手を取ってもらって降りると、周囲の人々から妙に注目されていた。
「なんか野次馬が多くないか?」
「そりゃまあ、領主の息子と娘が買い物に来たなんてちょっとしたニュースだよ。娯楽の少ない世界なんだから」
「なるほどねぇ」
確かに、周囲を見れば若い人のほうが多い感じだな。どれもこれも好奇の目線と言ったところか。というかお兄様には黄色い声援らしきものと熱っぽい視線が集まっている。この世界ショタコンが多いんだろうか。妹としてはとても心配である。
軽く手を振って彼ら彼女らに愛想よくしつつ店の中へと入る。そこではこの屋敷の主人らしき男とその女中達が控えていた。
「ようこそいらっしゃいました、ランベール様、デジレ様」
「エドラ殿、お久しぶりですね」
お兄様にエドラと呼ばれたのは、壮年の髭面の男だ。恰幅が良いというか、中々のビール腹をしている。召し物も豪華でなかなか儲かっているのだろう。そんな男が深々と礼をしてきた。それにお兄様が一礼して返す。自分もお兄様にならった。
「先触れは出したからわかっていると思うけど、この子の服がほしいんだ。王城の夜会に行くような素晴らしいドレスはまだ要らないけど、他の貴族と面会しても礼を失さない程度の服を用意したい」
用意周到なことに、既に用件は手紙で伝えていたらしい。
「ええ、もちろんですとも。ではデジレ様、失礼ながらどうぞこちらへ」
と言うと、女中らしき人が何やら紐を手にしてこちらににじりよってきた。
なんだお前ら。お兄様ちょっと怖い。
「採寸を取るだけだよ」
「ええ、採寸を取った後は布を選んでくださいませ」
「あ、そっか」
しかし布から選んで採寸を取ってイチから服を作るなんて大変だな……。
などと同情していたのだが、そんな気分はすぐに吹き飛んだ。仕立て職人の女達がやいのやいの言いながら布はあれが良い、この飾り紐をつけよう、最近はこんな作りが流行りなのよ、いやそれはどうだろう、などと白熱した議論に発展し、なかなか決まらずに一時間以上はお人形扱いされたのだから。しかもその中にお兄様も混ざっていた。店主の方も席を外すわけにもいかず疲れた顔を見せながら立っていた。流石に同情して「お仕事があるならどうぞ」と言ったのだが首を横に振った。おとなっておしごとたいへんね。
「ええい、とりあえず布はこれで! あとはもう、良い感じで繕っておいて!」
と、強引に打ち切る。これ以上あれやこれやしていたら日が暮れてしまう。現代日本じゃあるまいし夜歩きなど簡単にできないのだ。店主は私の怒鳴り声に肩をすくめつつもどこかホッとした顔をしていた。
「ええー、デジレ、もっと色々試そうよ」
「これ以上あれこれやってたら日が暮れちまうよお兄様」
「それもそっか……仕方ない」
と、わかってくれたと思い安堵のため息をつく。
「じゃあ靴とアクセサリを選んで終わりにしとこうか」
「まだやんのぉ!?」
★★★
で、諸々の買い物が終わって馬車を出す頃にはギリギリだった。
屋敷にたとどり付くのと日没が同時くらいというところだろう。
私は着せ替え人形のごとき扱いを受けただけだというのにやたらと体力を消耗し、帰りの馬車の中ではぐったりとしていた。
「あれだな、日本の服屋とか靴屋って優秀だったんだな」
「化学繊維と工場での大量生産があって初めて成り立つものだから比較しても仕方ないよ。長持ちするかどうかって意味ならこっちで仕立てた服のほうが持つよ」
「あ、そうなんだ」
「ていうかTシャツとか長持ちしないじゃん」
「それもそうか」
確かにTシャツだのなんだのは薄手だしな。靴下なんかもこっちの世界のほうが長持ちする気がする。肌触りはともかくとして。
「あ、じゃあさ、機械がなくとも人を集めて安いシャツを作るとかどうだ? デザインも現代のワイシャツとかポロシャツとかを参考にしてさぁ」
「ん? どうしたのいきなり」
「こないだ金策してみるとか言ってたじゃないか。工場作って人を雇って既製品の服をたくさん作らせるとか。そうすれば私もあれこれ採寸の時間を取られずに済むし、服は安くなるし、お前も儲かる。どうだ!」
「んー……却下」
「やっぱダメか」
ただの思いつきだしな。
「まあ、そのうち工場の大量生産ってのもこの国には産まれると思うよ。でもやんない」
「大変だろうしな」
「それもあるけど、『服を作る』って、ある人にとっては大事な収入源なんだよ」
「ある人?」
「未亡人とか」
「……そうなのか」
「服を繕ったり刺繍をしたりって、この国の女の人は大体できるんだよね。だから平民は子供の服なんかは自分で作っちゃう。ただ、忙しかったり子供が多すぎて手が回らなかったりするときは他所に頼んだりもする。そういうとき、旦那さんに先立たれた女の人に仕事ができるんだよ」
「……となると、そういうところから仕事を奪っちゃうのは」
「下手すると物凄い恨まれるかもね。何らかの歪みが出ることは確かだよ。お金は稼ぎたいけど、そのせいで領地が荒れたり失業しちゃうような人が出たら元も子もないし」
「いい考えだと思ったんだけどなー」
やはり取らぬ狸の皮算用なんてするもんじゃないな。
「ま、そのうち運動しやすい素材の服とかは見つけてみるよ」
「ゴム紐とかは無理でも、手触りが良くて緩みにくい紐があると良いんだがなぁ」
「革とかじゃダメ? あと魔獣の素材とか」
「素肌にレザーを付けるのはちょっとな……ってか、魔獣って簡単に手に入るのか?」
「普通の毛皮よりちょっと高いくらいで手に入らないことはないよ。もっとも肌触りとか着心地が良いかは別問題だけど」
「それもそうか」
ジャージとスニーカーで運動できるってけっこう文化的なことだったんだな、と今更ながら思う。
「ないものねだりだな。すまん」
「……でも、緩みにくい紐か。それは研究するには悪くないかも」
「お、ホントか?」
「一朝一夕ではなんともならないけどね」
「まあ気が向いたらなんか作ってくれ」
などと気軽に無茶振りしつつ、馬車での旅を楽しんだ。
気付けば居眠りをしてお兄様に寄りかかっており、屋敷に着くまでぐっすりと眠っていた。




