38_【祭】十四日目・『福笑い、集めて楽し』2
なにかが……響いている? 声? それとも音?
耳が無いのにどうして『聞こえる』んだろう?
いや、そうじゃない。これは……『遠くで』音がしているんだ。
『ここ』じゃなくて、どこか離れた場所にある『わたしの耳』が音を拾って、それを無線イヤホンのように頭に送ってきているんだ。
右目の視界がそうだったように、耳もまだ繋がっている……!
わたしは立ち止まり、ここには存在しない『聴覚』を研ぎ澄ませた。
――~~♪
聞こえる。かすかだけど、確かに聞こえる。ノイズ混じりの、ラジオみたいな音。
でも、リズムがある。旋律がある。
これは……音楽?
厳かで、重々しいこの感じは……間違いない! クラシック音楽だ!
それも、クラシックに詳しくないわたしでも知ってる、ベートーベンの『月光』だ。
重厚なメロディが、遠くから響いてくる。
もちろん誰かが演奏しているわけじゃない。オーディオの音だ。
それも、かなりいいスピーカーの音。低音が遠くからでも鼓膜に響くような感覚がある。
こんなパニック状態の村で、優雅にクラシックを流している場所なんて一ヶ所しかない。
遊技場だ! 確かあそこには、何百万もするような金ピカの高級オーディオセットがあったハズ。
誰かが音楽を流しているのか、それとも自動で流れるようになっているのか。
どっちでもいい。とにかく遊技場に行けば私の耳がある!
わたしは自然と走り出していた。
音の無い世界を走るのは、すごく怖いことを今初めて知った。
自分の足音が聞こえないから、どれくらいのスピードが出ているのか、地面をちゃんと踏めているのか、まるで感覚が掴めない。
ふわふわした、月面を走っているような心細さ。
時々、バランスを崩してよろめく。
その度にヒヤッとした。もし転んだら、また右目が取れてしまうかもしれないと思ったからだ。
そんな恐怖と戦いながら、私は遊技場を目指した。
息が切れる感覚はあるのに、ハァハァという息づかいが聞こえないのも気持ち悪い。
遊技場に近づくと、頭の中の音楽がだんだん大きくなっている気がする。
まるでボリュームのつまみをゆっくり回されているみたいだ。
急いで遊技場の重厚なドアを開ける。
――ギイィィ。
扉の開く音が近くに聞こえた。
間違いない。この遊技場のどこかにある。
広いホールには――遊技場という名前の通り――ビリヤード台やマージャン卓などがあちこちに置かれている。
そして壁には、バンクシーを初めとした近代アーティストの絵画が飾られている。
その静かな空間を、ベートーヴェンの『月光』が厳かに満たしていた。
ピアノの旋律が、一音一音、丁寧に空気を揺らしている。
外は阿鼻叫喚の地獄なのに、ここだけ時間が止まったように優雅だ。
わたしは目を凝らして探した。
どこ? わたしの耳はどこにあるの……?
音の発生源は、奥にある巨大なスピーカーだ。
あの辺かな……?
わたしはスピーカーの方へ近づいていく。
すると、頭の中の音楽がよりクリアに、より鮮明になっていく。
まるで高性能イヤホンで聴いているみたいだ。
悲しくも美しい旋律が、頭に直接染み渡ってくる。
多分この辺りだと思うんだけど……。
わたしは目を凝らして周りを見渡す。
音の聞こえ方からして、箱の中とかではないハズだ。
床に直接置いてあるか、もしくは――。
……あった! 見つけた!
ビリヤード台の上にポツンと置かれた、肌色の物体。
スポットライトが当たっているわけじゃないけど、そこだけ存在感があった。
形からして、左耳のようだ。けど、ゲームの重要アイテムみたいに置いてあるのがイヤだった。
急いで駆け寄って手に取る。
グニグニとした柔らかい軟骨の感触。
本物の耳を手に取っているハズなのに、オモチャを触っているような気分だった。
これで2つ目だ。わたしは喜んで左耳をつける。――その寸前で手を止めた。
これは……本当にわたしの耳なの? そんな疑問が湧き上がってきてしまった。
もし違う誰かの耳をつけたら、いったいどうなってしまうんだろう……?
そのままくっついてしまうの? それとも、間違った罰としてわたしの耳は失ってしまうの?
どうしたらいいんだろう? どうしたらわたしの耳だって確信を持てるんだろう?
……そうだ!
わたしは耳に向けて指を構えた。そして耳のすぐ側で――パチンと指を鳴らした。
瞬間、頭の中に『パチン!』という音が鳴り響いた。
静かなピアノの音色を切り裂くような、祝福を告げる音。
これで確定だ。
これは間違いなく、わたしの耳だ。
わたしはその左耳を、左側の頭に押し当てる。
すると、吸盤みたいにピタッと張り付いた。
肉と肉が吸い付くような、不思議な感触だった。
本当の意味で耳が繋がった瞬間、世界が変わった気がした。




