44 匣入り娘―刃を隠すモノ
――腑に落ちた。どうしてユウが自分にこんなにも好意的なのか。
日澄よすがの悪事を知る大勢は、彼の所業に嫌悪や憎悪、敵愾心と殺意を浴びせるはずだ。だが、そんな負の感情を反転させるような者達もまた存在している。よすがの悪事を賞賛し敬意を表し、地獄の再来よ世の終焉を夢想する――そしてそのような者達で構成されているのが斎場衆だ。
ユウ。斎場衆の少女。忌蔵を襲撃し、封印されていた数多くの干戈を奪取した組織の人物。瑞里を拐った天原祇雲の仲間だ。
孝里は飛び起きてユウから距離を取った。突如激しい動きを見せた孝里に、ユウは驚いた表情で目をパチクリとさせていたが、やがて微笑みへと変える。今となってはその愛らしいはずの笑みも、秘められた意図を隠すための贋物、不気味な仮面にも見える。
「頭痛、良くなった?」
「……お陰様で」
嘘である。頭痛はまだ続いているし、ユウに感謝の念も抱いていない。快方したように宣ったのは、これ以上の弱体化した姿を晒さないためだ。
ユウは立ち上がって足に付着した植物の屑を払い落とした。膝丈が短く、ミニスカートのようではあるが、それ以外の部分は袴の形をした漆黒の衣を身に纏っていた。驚く事に裸足である。左足首に枷のような鈍色のアンクレットが嵌められている。しかし孝里はアクセサリーの類に全く詳しくないので、その鈍色の輪を「枷」のようだと思った。
「それじゃあ、行こ、孝里」
差し出されるユウの手を見ない振りして、孝里は険しい顔で沈黙を保った。ユウはそこまで鈍感では無いようで、孝里が自分を警戒している事に気付くと潔く手を下ろした。不満気に頬を膨らませる。
「もー! 何でユウを怖がってるの?」
「だって、君は斎場衆じゃないか」
斎場衆の構成員だと自称する人物を前にすれば、誰だって怖がるに決まっている。
「そーよ! ユウは斎場衆の子! でも悲しいなあ、孝里が寝ちゃってる間、禍身をずっと追い払ってあげてたのに……」
「禍身が残す悪穢を全く感じないけど」
「それはそーだよ。だって、結界を張ってたんだもん」
「……結界?」
「うん。この結界の中はユウの領域だから、入っちゃダメだよって」
結界には攻撃防御や気配遮断の二つの種類がある。退獄師や忍備役が修得する共通の異能だ。斎場衆の中にもこれらの結界術を駆使する者達がいる。敵と同様の結界術を使うことが出来る所以は、元退獄師や元忍備役といった前歴のある構成員がいるからだ。しかも厄介な事に、数年前から気配遮断の結界術をアレンジし、退獄師や忍備役、干戈からの気配探測を阻害出来るようになってしまった。この数年間における構成員の捕縛やアジトの観測が難しくなっている。
術者が強力である程、結界もまた強力だ。どうやらこのユウという少女は強力な術者らしい。たった一体の禍身の侵入も無く、疲れている様子も一切無い。
「誰に教わったの?」
「オモカゲ!」
先程も聞いた名だ。悪い人達と戦っているというオモカゲ。ユウはその人物の事を慕っているらしい。カイの時と同じように華やいだ笑みを見せた。
ユウが「悪い人達」と言って示しているのが、黎明社と禍狩――その中でも鳳越主従を指しているのだと孝里は判断した。周囲には黎明社所属の忍備役である支塚影倚と鳳越奏士郎の二名と、禍狩の刺客達が囲っていた。影倚が殿を務めて橋に残り、転移枠を通ったのは孝里と鳳越主従だけだった。
しかし、孝里にとって悪い人達とはもちろん斎場衆である。ユウは孝里と瑞里を引き離した事を悪事として詰っているが、当時の状況を鑑みるとそれが最善で最適あったと、孝里だって納得はしている。そのため、引き離された悲しみはあれど、憎悪や憤激の類は一切抱いていない。
奏士郎が戦っている事はわかった。孝里は二体一――それどころか禍身の大群も交えての戦況を強いられている奏士郎と苛燐が心配になった。しかし、彼等の禍身を瞬殺する程の強さを目の当たりにした事があるので、きっと無事に再会できると信頼し、奏士郎の元へと駆ける判断を霧散させる。むしろ、丸腰の自分が向かっても返って邪魔になるだけである。
今、自身と相対している敵――ユウを心身で見据える。脳裏の制圧という武力行使の可否が過る。彼女も丸腰だが、何かしらの異能を有している可能性もあるので、下手に刺激して反撃されてしまえば元も子もない。制圧の選択は否決だ。
「……わかったよぉ」
ユウは眉尻を下げて唇をとんがらせた。いじけた表情である。
「元々、孝里を瑞里のトコまで送ったら戻って来いって言われてたけど……孝里が嫌なら仕方ないよね」
ユウは窓の外を指差す。木立が並び、鬱蒼とした影を落としている。反対側と明暗の違いが顕著だ。幹の間に目を凝らせば拓けた場所が見え、灰色の光でさえ眩しく感じるくらいだ。
「あっちに行ったら、ホールの玄関前の広場に出るよ。禍身はいないから、孝里一人でも入れる」
気絶していた自分を介抱してくれていた事や、禍身を寄せ付けないように結界を張ってくれていた事もそうだが、ユウは孝里に親身だ。孝里にはそれが不気味に感じる。彼女がそうする理由も知っている。斎場衆だからだ。嫌気が湧き上がる。確かに自分は日澄よすがの息子だが、だからと言って仲間意識を持って欲しくなんかない。自分は父とは違うのだ。そして、瑞里も。よすがの意思に賛同する事も、意志を継ぐことも無い。これからも、断じて。
――お前が成せ! 俺の子として、こんなクソみたいな世界を終わらせ、あの邪魔者共を皆殺しにしろ! そして瑞里と共に、あの女を――母親を殺せ!
「……」
忌々しい記憶が甦る。お前の思い通りになるもんか。再度強く戒める。
「祈瀬瑞里ノ鞘はそこにあるの」
封じられているのが鞘だけであることも知っているらしい。とすると、現在瑞里を手元に置いている釈神も同様の事実を知っているはずだ。
なら、刃の在り処も知っているかもしれない。
「……刃はどこに?」
ユウはきょとんと顔を呆けさせた。この質問の後、確か影倚さんも似たような反応をしていたな、と思い出す。残念ながら、鈴ヶ谷の事務室で一度目に在り処を教えてもらう前に会話が逸れたし、二度目は赤い彗星の襲来の対処で話も潰えた。阿蝉山方面に向かう車内でも聞くことができなかった。証言の中で、刃は移動している、と言われていた。
「孝里、気付いてないの? ――今まで生きて来て……何も、感じてこなかった?」
問いかけられ、ここにも疑似感を覚える。これもまた、影倚との会話の中からだ。印象的な会話を思い返し、ヒントとなるものを見つけ始める。
――「祈瀬瑞里ノ太刀チャンは今、二分されてます。刃と鞘です。鞘の方は忌蔵に封印されており、刃の方はずっと行方不明でした……いや、在り処は判明していたんですよ? でも、その在り処こそが行方不明で……なんせ、動きますから」
黎明社は、瑞里の鞘の在り処を把握していた。しかし、その在り処は移動可能なモノらしく、そちらの行方を掴む事が出来ずにいた。
移動するモノとは何だ? 車や船? いや、そんなものが特定も発見もされないわけがない。であれば、動物や鳥? これも違うだろう。例えよく躾けられている退獄組織の特別な鳥獣でも、日澄よすがの娘であり干戈である瑞里の刃を任せて置けるはずがない。
であれば、残されているのは一つ――人間。
――「それにしても、よかったね、奏士郎クン。ずっと探してた子に再会できて。キミの躁鬱も少しは良くなるんじゃないかな。孝里クン達と離れてから加速した鬱だったし。何年振りかな。何か思い出話でもした? 祈瀬瑞里チャンの鞘が封印された時だから……七、八年振りくらいじゃない?」
――「よりんさん‼︎」
奏士郎は上司である影倚を相手に怒鳴りつけて話を阻止しようとしていた。重要なのは……七、八年という年数。地獄顕現災害の後日、暫くの間孝里と瑞里はまだ一緒にいたという事だ。
放棄していた黎明社との齟齬の部分を拾い上げる。冷静さに重きを置いて、慎重に考えなければならない。
考えろ、考えろ――。
おそらく、最重要人物は鳳越奏士郎だ。七、八年前に何かしらの交流があったことは確定していて、彼は当時の事情を秘匿したがっている。つまりは、良くないことが起こったのだろう。それこそ、瑞里が忌蔵に封印されなければならない程の出来事だ。
でも、どうして僕は思い出せない? 地獄顕現災害で頭部に負った傷の後遺症のせいか?
……いや、違う――異能だ。
「彼の異能か」と影倚は原因を解明していた。
今思えば、影倚は意味深な言葉ばかりを溢していたようだ。全ての重要なキーワードは、彼が齎している。これが奏士郎だったら、そうはいかなかっただろう。茶目っ気があって懐っこくとも、面ではどうとでも偽れる。裏がどうであるかは見えない。何が何でも、孝里に一切のヒントも与えないよう自身の言動を最大限警戒していたはずだ。先程の広場でも、奏士郎は孝里が問いかけた言葉に対して嘘を付いた。奏士郎にとって、孝里との間に何があったのか疑問が残る。
とにかく、何かしらの異能が関係しているらしい。
被術に身に覚えがないか――そういえば、自分の特定の記憶は不定の期間を過ぎると忘却されてしまう。周囲に示唆されて初めて忘れていた事に気付くのだ。今朝は、鳳越奏士郎の事を思い出す事が出来ず警戒心を向けてしまった。
鳳越さんを忘れてしまっていた事にも、異能が関係しているのか? きっと他にも、今、何かを忘れているのかもしれない。だが、どうして忘れる必要ようがあったのかが明朗としない。瑞里の事もそうだ。何故、忘れる必要があった?
――「不思議なことが起こったりはしてなかったかな。例えば、夢に瑞里チャンが出て会話するーとか、周囲を自分だけにしか見えてない瑞里チャンが浮遊してるーとか」
当時は不真面目な列挙だと思ったが、これにもまた深い意味があったのだ。影倚が、身の回りで瑞里が関連している何かしらの現象はなかったかと有無の確認をとった。つまりそれは、瑞里からのアプローチがある、または交流の手段を有しているという認識と確信があったのだ。しかし、孝里はそれを否定した。影倚はその事を疑問視した。
そして、
――「え、マジ? おかしいなあ」
――「瑞里チャンって、今――」
影倚はもしかすると、「瑞里は孝里の近くにいる」という事を伝えようとしていたのではないか?
「……」
視界がぼやける程の思考の海に沈む。不可解は深まるばかりで、やっと治ったはずの頭痛が再発を感じていたその時、
「ねえ、孝里」
下からユウが覗き込んできた。思考に耽けるあまり懐への侵入を許してしまった事に、孝里は血の気を引かせて戦慄しながら上半身を退け反らせた。ユウは孝里を追いかけて、さらに顔を近付ける。
血色の無い、形の良い唇が笑みを形作っている。
「ユウと一緒にいて、何か感じない?」
そう言うとユウは細く生白い腕を伸ばし、孝里の胸に手のひらを重ねた。
二重する鼓動。大きく膨らみながら早打ち、内臓を振動させ、耳の中にまで音を届けている。
その片方が自分の心臓。だが、もう片方の――孝里が第二の鼓動と呼ぶそれが何なのかは判然としない。
禍身が近くにいる時、それは警鐘を鳴らすように脈撃ち始める。悪穢を感じる時は、必ず反応を起こすわけではない。だが、察知した段階で第二の鼓動が動く場合は――必ず禍身が近くにいる。自分でも気付かない禍身の気配や悪穢を鋭敏に感じ取るのだ。それはまるで、干戈が退獄師よりも先に禍身の存在に気付くように。
干戈と禍身は剥き出しになった魂の形成体。肉を隔てた生者よりも、死者同士の方が互いの存在に聡い。
――「僕ってもしかしたら、憑器なんじゃないかって……」
奏士郎に打ち明けた予想を思い返す。自分でも馬鹿馬鹿しいと思って、すぐに撤回し、奏士郎もそれを肯定した。だが今思えば、奏士郎もその肯定にも違和感を感じてしまう。これもまた、欺かれたのではないか? 疑念が尽きない。
自分に触れるユウの手を振り払う事さえ考え付かない程の思考の濁流が押し寄せて脳を掻き混ぜていく。必死に泳ぎ、そしてしがみ付いたのは一つの可能性だった。
だがしかし、有り得るのか? 自分の考察が信じられない。もしも合っているとしたなら、また新たなる難解な疑問が生まれるだけの答えだ。
「可哀想な瑞里」
ユウは声に憐憫を、表情に哀憐の微笑みを滲ませた。向けられているのは、孝里の胸――その奥だ。
「っ」
孝里は息を呑んだ。
第二の鼓動が他人の心拍のようだと感じた事がある。だからこそ、自分にも憑器が存在しているのでは無いかと想像したのだ。
「――僕の中に」
ユウが顔を上げる。孝里は眩暈を感じながらも、しっかりと彼女と視線を合わせた。
「瑞里がいるの……?」
ユウは笑みを深めた。 それが、答えだ。
「やっと、気付いたんだね」




