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19 笑みも涙も束の間。

 恐怖が大放出していたアドレナリンの効果が切れ始めて、自分がすでにすっかり疲労困憊の身体であることに気付いたが、それでも山道を駆ける。ぐったりと脱力した秀作の体重が、強打した背中に染みるように痛んだ。


(ひびでも、入ったかな……)


 口から出て行く喘鳴と体内に響く痛みが疾走と打撲のせいだけではないような気がする。


 道が二手に分かれていた。立ち止まって逡巡する。右へ行けば町へ行ける。しかし禍身を撒けるような隠れ場は無く、禍身は巨大な鼻で血の臭いを追って来るかもしれず、負傷した二人では町へと逃げ込むより先に捕まって殺されてしまう可能性が高かった。


 左は阿蝉山の中腹を一周するような道で、遠回りにはなるが町へと下りる道もある。道中には夫婦岩や池がある。その他にある物、特に隠れ場や遮蔽物になるような物は――


(……宝物庫)


 小さな宝物庫があることを思い出した。そこならば、身を隠せるかもしれない。


(安西さん……)


 救けを縋る。孝里はよろりと一歩踏み出し、左の道へ曲がった。


◇◆


 宝物庫の観音開きの扉は、不用心にも施錠されていなかった。孝里は片手で一枚ずつ扉を開け放った。


 宝物庫の中は、がらんとした伽藍洞。宝物の庫とあるが、そこに黄金の光を誇るような物品は何一つとして無い。ただ、月光と、天井の闇と、ひんやりとした空気があるだけの洞。


 氏神が殺害された後、町の中に阿蝉宝物館という建物が建てられた。この宝物庫の中身はすべてそちらへと移動したのだ。


 孝里も一度、安西父娘と秀作と一緒に阿蝉宝物館へ来館したことがある。そこには、以前この宝物庫に保管されていた仏像や絵画、工芸品などの歴史的価値の高い数々の他に、手紙やクレヨンや色鉛筆、絵具で氏神の似顔絵を描いた古びた画用紙や、狛犬を模した折り紙、変哲の無い竹とんぼや大縄跳びなど、阿蝉神社に遊びに来ていた子供たちが書き、描き、作り、使用し、氏神が愛した宝物の数々が大事に展示されていた。


「秀作君、下ろすよ」

「ああ……う……」


 身体を動かすと傷口が傷むのだろう、秀作は呻きながらも、孝里の背から下りて座り込んだ。


「横になってて」

「……」


 秀作はうつ伏せになり、痛みを逃がすように深く息を吐いた。


 五本の赤い線が、背中に長く伸びている。血でしっとりと背中が濡れ、肌にへばり付いていた。


(止血しないといけないのに)


 医療品の類は無い。自然に出血が止まるのを待つしかできず、あまりにも歯痒い。


 孝里は扉を閉め、湾曲した取っ手に木刀を潜らせて閂代わりにした。心許無いが、これで多少は籠城の時間を稼げるだろう――突破されれば一巻の終わりかもしれないが。


 しかし、これが今の所の最善策だ。重傷のふたり、ひとりは走ることも、ましてや歩くことさえも儘ならない。肩や背骨か肋骨のヒビは確実で、秀作を背負って逃げることにも限界を迎えていた。


(この山は広いからなあ……宮地さんが禍身の気配を追って、安西さんを案内してくれるはずだ。それまでに、何とか持ちこたえないと)


 ひゅーっと、笛のような音が吐息と共に鳴った。


「……」


 秀作がわずかに顔を向け、横目で孝里を見上げた。


「……ジジイ」

「ん?」

「……ご………ごめん……」

「……えぇ?」


 ぽかん。目を丸くして驚いている孝里を、秀作はそれ以上何も言わず見つめている。気不味げだ。だが、不服そうではない。本心から申し訳ないと思っているらしい。


「君に、謝られることなんてないと思うけど……」

「い、今までのこととか、今日のことだって……迷惑かけまくってんじゃねえか、オレ」

「いや、元を辿れば原因は僕だし」

「……自虐せずに、受け取れよ……」


 秀作の眼差しが呆れに変わる。


「えっ、ごめん」

「それもうぜえ。いちいち謝んな」

「ごめ、あっ、ご、あぁまた、ごめん……」


 もう性分なのでどうしようもない。秀作がまた溜め息を吐いた。


「……いてくれて、いい」

「え?」


 こんな静寂の山の中だ。もちろん秀作の声は聞こえていたが、意味が理解できずに聞き返した。


「だからぁッ!」

「はいっ」

「じゅっ、受験が終わっても、もしも不合格だったとしても……鈴ヶ谷に来ていい……」


 そう言って腕に顔を隠す秀作の耳は赤く色付いていた。


「会社でのあの言葉は……まあ、思ってたことではある」

「……うん」

「でもそれはっ、お前が退獄師目指す理由をちゃんと知りもしなかったからで……言い訳みたいになるけど、今はホントに……ごめんって、思ってる……」


 どんどん尻萎みになった。


「……うん」


 目元が熱い。喉の奥がぎゅっと痛んで、鼻が詰まる。


「……お前の双子の瑞里って奴のことだって、オレは別に、そういう理由で忌蔵に封印されてるんなら、悪い奴だとは思ってない。そりゃ、戸惑う。戸惑うに決まってる。お前を刺して、退獄師を斬って、てさ……」

「瑞里のこと、わかってくれるの?」


 孝里の涙声に、秀作は弾かれたように顔を向けた。表情は怯えと驚愕が入り混じっている。


「はっ? な、泣かなくてもいいじゃねえか!」


 オレが泣かせたのか? と戦慄する秀作に、孝里はついに涙腺を決壊させながらも笑顔を見せた。


「ごめん。嬉しくて……」

「そっ、そうかよ!」


 秀作は照れ隠しで声を荒げた。

 命の危機に瀕しているのに、未来の話をすると希望が湧いてくる。ここでは死なない。自分達には未来があるのだと。


「けどお前、就職先はどうするんだ?」

「すごく遠い未来の話だね」

「今のうちから考えとけよ。忌蔵の干戈の契約者が、そんじょそこらの退獄社に就職できるわけねえだろ。特に、日澄よすがの干戈だった奴ならな。理由がどうであれ、偏見も憎悪も付きまとうはずだ。鈴ヶ谷でも難しいはずだ。入れたくない、とかじゃなくて、入らせることができるほどの立場が無いってことだ。何かあった時……万が一にも、忌蔵出身の干戈が暴走したり、反逆したりした時に、責任を背負い切れるほどの大手じゃないからな。いや、そもそも……」


 多少気遣わしさが込められた目で見られる。


「お前が志願してる学校で、忌蔵出身の干戈との契約が許されるかってのも問題だぜ」

「……」


 一気に血の気が引いた気分だ。そもそも孝里は、養成学校卒業後には組織に入らず、フリーの退獄師として働くつもりだった。入学し卒業さえできてしまえば良いと、今思えば甘すぎる考えだ。


 プロの退獄師を集めた組織が、有事に責任を背負いきれないからという理由で忌蔵出身の干戈とその契約者の入職を許諾しないのだから、学校だって同じことだ。退獄師養成学校は公立高校と同じで、志願所の受付締め切りを一月下旬から二月上旬の間に定めている。まだ猶予はある。今からでも志望校を変えることはできる。だが――


「可能だったとしても、それこそオレが目指す国家退獄機関の禍狩か……」


 孝里は禍狩に入るつもりは毛頭ないので、その案を瞬時に除外した。


「……もしくはゲテモノ揃いの黎明社……」

「……ゲテモノ揃い?」


 罵倒的な異名に、孝里は首を傾げた。胡乱な顔で見返される。


「……あ? 知ってるはずだぞ。訳ありばかりを集めて退獄師とか忍備役として養成してる組織だ。令架地獄顕現災害で、日澄よすがを捕えた退獄師で護国右五指のひとり・神志名白呂が率いてる。禍狩とは滅茶苦茶嫌煙の仲で……この間、どっかの公園の公衆トイレの中で捕食死体が見つかったってニュースがあっただろ」

「うん」


 数日間、事件現場付近を恐慌状態に陥らせた事件だ。すでに解決したという情報も聞いている。


「あれ、警察も出動したんだ」

「警察も? 禍身関連の事件って、被害者の身元特定とか聞き込み調査以外には警察の介入ってほとんど無かったんじゃ……」

「そのはずなんだよ。でも出動する羽目になった」

「どうして?」

「喧嘩だよ」

「……喧嘩?」


 孝里は拍子抜けした。禍身関係なくない?


「禍狩と黎明社の職員同士の喧嘩。あの二社がかち合ったら、免れない出来事らしい。今回は、禍狩が追っていた禍身がたまたま黎明社の退獄師と鉢合わせして討伐された。禍狩からしちゃあ、功績を横取りされたようなもんだ。それで突っ掛かったらしい。けど黎明社の方も煽ったみたいで。ネットの記事に載ってたのは確か……え、お前らがモタモタしてんのが悪くねーですかぁ?(笑) 禍狩のわんこ達は獲って来いもできないんですぅ?(笑)。こんな感じだった」

「あ、煽ったねえ……」

「それで大喧嘩だとよ。一応人間同士の争いだから、警察が仲裁したらしい」

「それが出動ってわけかぁ……」


 ふたりは笑い声を零した。







「 なんでわらってるの? 」



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