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最終章 「LEGEND OF THE WESTERN」


 通常、公開処刑は町の中央広場に柵を設置して行うが、今回の刑場は西側の門前に増設するような形でこの日のために一週間かけて作らせたもの。理由はいくつかあるが、その最も大なる要因はきたるべき襲撃者に備えての措置である。中央広場では周囲に建物が多く、内側からの見通しが悪い。つまり襲撃する側にとっては身を潜めやすく、狙いやすいということである。その点、町の境目に沿ったこの位置であれば、外は開けた荒野となっているため、内側に関してのみ警戒を厳しく向けさせれば済む。さらに刑場の周囲には等間隔で五つの監視塔を設け、不審な動きをする者があれば即座に感知できるよう万全の態勢が整っていた。

 しかしそのすべてを指揮するジョーンズの心中には、もう一つ別の思惑があった。それは彼の持つ美意識であり、処刑の舞台を極めて神聖なものに仕立て上げるための演出だ。

 西側の門を選んだのは、言うまでもなく落陽を効果的に利用し、終末を連想させるため。

 十字架に磔られた囚人たちは、地平線の彼方へと沈み行く夕陽を見つめながら死んでゆくことになる。夕陽は人を振り返らせる。過去の思い出を誘い出し、郷愁と寂寥を呼び起こす。ロマンチストであるジョーンズは、自らが指揮した舞台演出の素晴らしさに心酔していた。

 柵の外には大勢の観衆(オーディエンス)が詰め掛けている。皆、顔に能面を貼りつけたかのような表情で、厳かに沈黙している。この町に住む大半の者が集まっていながら、小声の一つも聞えてこないその静けさに、ジョーンズの嗜好心はいよいよ満たされた。

 刑場に突き立った六つの十字架。燦然と燃え盛る日没間際の陽光で、荒涼たる大地は皆すべからく赤と黒の強烈な色彩に染め上げられ、その壮絶な景観の中、一人、また一人と、銃弾の雨に鮮血の花を咲かせながら力尽きてゆく罪人たち。それを無言のまま立ち尽くし、影のように見送る大勢の民衆。そして処刑の終わりには、眩暈のするような快感と、虚しく乾ききった感慨だけが残るのだろう……。

 ――嗚呼、なんと刹那的で、美しい光景だろうか。これこそが真の芸術というものだ。

 教会からの鐘声が、空と大地の間を反響し、壮大に刻限を告げてくる。

 処刑の三十分前から五分間隔で鐘を突くよう、教会の神父には指示してあった。

 そして今のが七つ目の鐘。つまりタイムリミットを知らせる、最後の慟哭だ。

 射撃隊が標的に向かってライフルを構える。

 磔になった男たちの表情が強張った。

 あとはどちらも、ジョーンズの合図を待つのみ。

 ジョーンズは気を引き締めて、鐘が鳴り終わるその瞬間を待った。

 ジャンゴという男が現れるとすれば、もうこの瞬間しかない。

 ――さぁ、来るなら来い。

 これ以上待ってやるつもりはなかった。鐘が鳴り終わるまでに何らかのアクションを起こさなければ、磔になった男たちを殺すまでだ。

「……」

 緊張で凍りついた空気の中、深い余韻を残しながら鐘の音が止む。

 ジョーンズは軽く右手を挙げ、射撃隊に向けて合図を下そうとする。

 そのとき、観衆がざわめいた。

 ジョーンズは目を剥いて挙げかけた右手を下げ、代わりに左手を翳す。

「――待て!」

 射撃隊に制止をかけ、そのまま待機を指示したジョーンズは振り返った。

 柵の外、並び立った人々の壁が、波打つように揺れ動いている。

 しかしジョーンズは眉を顰めた。静寂から一転、騒然となった民衆の群れを掻き分けるようにして姿を現したのは、一人の娘だった。――

 十字架に磔られた格好のまま、ルークはその光景に思わず目を疑った。

 他の仲間たちも口々に動揺の声を漏らしている。

 ジョーンズの指示で正面の門が開かれ、コーネリアは刑場内に足を踏み入れる。

 毅然とした態度で堂々と歩いてくる女の顔に、ジョーンズは見覚えがあった。あれは確か、酒場で歌をうたっていた女だ。しかし何故この場に彼女が現れるのか、巡り巡った運命の帰結を知らぬジョーンズにとっては甚だ不可解でしかない。

 真っさらな素足で焼けついた地面を踏みしめ、白いワンピースの裾を翻しながら歩いて来る女に、ジョーンズは近寄って行って声をかけた。

「貴様、何のつもりだ。ここはお前のような者の来るところじゃない。失せろ」

 恫喝のような口調にも怯まず、コーネリアは言葉を返した。

「荒地の、ジャンゴ……」

「何だと?」

 雄飛な決意と深い思慕の念を瞳に宿して、コーネリアは名乗りを上げた。

「……私の名前は、荒地のジャンゴです」

 思いもよらぬ一言に、ジョーンズは面食らってしまい言葉を失った。

 周囲の者たちも呆気に取られ、観衆からは一層どよめきが増す。

「クックックックッ……そうか。お前がジャンゴか。フッフフ、まさか女だとは思わなかったなぁ……! フハハハハハハァアア――――ッッ!! あははははははははは!!」

 ジョーンズは声を上げて笑い出した。自警団の者たちからも沸々と失笑が漏れる。

 しかしコーネリアは轟然と胸を張っていた。そしてルークを含む革命団の残党達は、そんなコーネリアの様子を切迫した面持ちで見つめている。

 あまりのくだらなさ故、ここ数年で一番の笑い声を吐き出したジョーンズは、腹と顔の筋肉を未だ引き攣らせながら、最早どうでもよさそうに磔となったルークたちの方を顎で示した。

「……」

 コーネリアは黙ったまま十字架の方を向き、静かに歩き始める。

「コーネリア! 何故ここへ来たんだ!」

「早く逃げてくれ! ここは危険だ!」

 革命団の仲間たちから叫び声が上がる。しかしコーネリアは足を止めようとはしない。

 ルークは黙り込んだまま、激しく胸を痛めていた。

 ――どうして……。どうして来てしまったんだ、コーネリア……。

 彼女の人生に夢を託していた。多くの仲間を失い、自分が捕まったときでさえ、彼女が無事に逃げられたことだけが唯一の救いだった。

 生きて、幸せになって欲しい。それがルークの願いだった。それがルークの希望だった。

 たとえ自分が死んでも、コーネリアが生きていてくれる。リーダーであり、弱音なんて吐ける立場じゃないルークにとって、それだけが心の支えだった。だからこそ、ここまで耐えられた。絶望せずに済んでいた。

これで自分は安心して死んで行けるのだと思った。悔いはないと、そう思えた。

 それなのに、どうして。どうしてこんなことに……。

 ルークは心の中で、ハリーとゲンジのことを怨んだ。他の皆のように助けに来てくれるなんて、二人の本性を知る彼は思っていなかった。ただコーネリアを連れて、どこか遠くの町まで逃げてくれればそれでよかった。コーネリアの性格はあの二人にもわかっていたはずだ。どうして止めてくれなかったんだ。無理やりにでも、連れて行ってくれれば良かったのに……。

「……ッ」

 ルークは悔しくて悲しくて、涙が出そうになるのを必死に堪えていた。

 コーネリアの目は、ただルークだけを見つめていた、口元に小さく微笑みを浮かべ、愛する彼の許へと向かって進む。心はすれ違いながらも、二人の距離は縮んで行く。

「……」

 しばし傍観者の一人となっていたジョーンズは、酷く冷めた心境でその光景を眺めていた。あれほど気負って臨んだはずの舞台が、まさかこんな茶番劇になろうとは思いもしなかった。

 期待はずれもいいところで、拍子抜けなのだが、しかしそれはそれとして、この殺伐とした刑場という舞台に娘の姿は良く映えている。儚く、美しく、まるで荒れた大地に降り立った天使のようじゃないか。天使の白い翼を引き裂いて、真っ赤な鮮血に染め上げたい。

 不意に湧き上がってくる嗜虐の衝動に、ジョーンズは冷酷な笑みを浮かべた。

 せっかくここまで用意したのだから、せめてこの衝動だけでも満たしておこうと、ジョーンズは腰のネイビー・コルトに手を掛ける。

 取るに足らぬ存在として放置していたが、どうやらあの娘もクーデターを目論んでいた連中の一味らしい。それにこの様子だと仲間内でもなかなか慕われているようだ。ここであの娘を嬲り殺してにしてやれば、奴等はどんな顔をするだろうか。処刑の前菜にはちょうどいい見世物だ。

「……フフッ」

 ジョーンズはコーネリアに向かって背後から拳銃を構えた。

「危ない!」

 気づいた者が空かさず叫ぶが、遅い。

 放たれた銃弾はコーネリアの右脹脛を撃ち抜き、真紅の飛沫が上がった。

「――っ!?」

 バランスを崩したコーネリアが糸の切れた人形のように倒れ込む。激痛に悶え、涙を浮かべながら呻く彼女の姿に、ルークの心は砕け散った。

「うぅっ、くっ、ふぅー、ふぅー……ッ!」

 声を押し殺して喘ぎながら、想像を絶する苦痛に耐えるコーネリア。

 細い脚からだくだくと血を流し、純白のワンピースを砂で汚した姿で彼女は立ち上がった。

 ジョーンズは彼女の心意気に些かの感嘆を覚え、歪んだ笑みを一層濃くする。

 簡単には死なせないよう、わざと急所を外してやっているのだ。一発で観念されてしまってはそれこそ興ざめというもの。被弾した右足を引き摺りながら再び歩き出すコーネリアの背後に向けて、ジョーンズは二発目を発砲する。

 囚われた革命団の残党たちから悲痛な叫び声が上がるも、何一つ牽制にはならない。

 今度は右の肩口に鮮血の華が咲いた。

「ぐっ!」

 コーネリアは再び倒れ込み、苦い砂と血に塗れた。今度は先ほどよりも時間がかかる。それでも何とか立ち上がって、非力な娘はまた歩き出す。

「もういいコーネリア!」「撃つなら俺を撃て!」「頼む、もうやめてくれぇえ!!」

 見ていることしか出来ない死刑囚どもから上がる泣き叫ばんばかりの懇願を聞き流し、非情な笑みを湛えたジョーンズは間髪入れずに三発目。娘の左肩を鉛の弾で無残に抉った。

「ひぎぃ!」

 コーネリアは倒れる。歯を食い縛り、拳を握って、それでもやはり立ち上がった。

 素晴らしい。正直ここまで持つとは思わなかった。やはりクーデターを起こそうなどという大それたことを企む輩は、気負いが違うなとジョーンズは俄かに感心する。

 しかし……。

 四発目は左の脹脛。もはや撃たれずともひとりでに倒れてしまいそうだったコーネリアは着弾の衝撃でいとも容易く薙ぎ倒された。

「っ――……」

 これで前に進むための足を失った彼女は、もう立ち上がることが出来ない。

 吹き出す汗と血で砂がべっとりと体中に貼りつく。失血と全身を駆け巡る痛みとで既に意識は半ば遠ざかりかけていた。仲間たちの叫び声が朧気に聞えて来る。しかしその中にコーネリアが求める彼の声はない。苦しい中で僅かに顔を上げた先、ぼやけた視界に映った彼は十字架に磔られたまま絶望の表情をしていた。そんな顔をしないで欲しい。私がここへ来たのは――。私はあなたと――……。解って欲しいと、手を伸ばそうとするも、彼女の体は機能を失いつつある。体に自由が利かなくなってゆく中で、コーネリアの心が黒い影に覆われて行く。諦めという名の鎖が、コーネリアの足首を掴んで離さない。

 暗転。目の前が暗くなる。もうこの目を閉じてしまおうと。コーネリアは――。

「フン、ここまでか……」

 ジョーンズは淡々とした口調で呟いた。嗜虐の興奮はとうに消え失せている。これ以上は時間の無駄だろう。ショーは終わった。あとはさっさと幕を引いてしまおう。

 五発目の発砲に際し、激鉄を引き起こす。

 ――……そのとき、遂にその種は芽吹いた。

 コーネリアがこれまで、大切に、大切に育み、永い沈黙と抑圧の果てにやっと灯った、小さな小さな、火の種が。

「うちあおーぐ、そーら。かぜーはゆうひにー……」

 柵の外、大勢の観衆に囲まれた中で一人の幼子が一片の詩を口ずさみ出す。

 理不尽に与えられる懲罰を恐れ、これまで能面のような表情で黙り通してきた観衆の中で唯、幼子の歌声は鮮烈に響く。ジョーンズや自警団の耳に入れば、殺されてしまうかもしれない。しかし幼子は気にせず歌い続けている。幼い声を奮って、コーネリアを応援するように――。

 幼子の歌声を優しく包み隠すように女性の歌声が重なった。幼子の母親だ。

 彼女は思い出していた。我が子が自警団の尖兵たちに取り囲まれたあのとき。身を挺して庇ってくれたコーネリアの姿を見て、彼女は自分を恥じたのだ。後悔と自責の念で胸が苦しくなり、思わず涙を溢しながらも、あのとき伝えきれなかった精一杯の感謝を込めて、震える声を懸命に尖らせる。

 母親の歌声を隠すように、また新たな歌声が重なった。力強く頼もしい、父親のものだ。

 そしてその声を、そしてまたその声を隠すようにと、幼子を中心に歌声の輪が広がってゆく。この町に住む民の中で、もはやその旋律を知らぬ者などいなかった。

 荒れ果てた街から、確かな愛が聞える――。

 ルークが革命団の皆を率い、励まし合って、訓練に明け暮れたあの日々の陰で、たった一人、コーネリアが紡いできた旋律をなぞり、名もなき人々の想いが、心の猛りが一つとなって今、空前絶後の大合唱を織り成してゆく。

 見張り役の兵士が銃を振り翳しながら歌をやめろと恫喝の声を張り上げる。しかし誰一人としてそれを聞き届ける者はない。もはや彼らはただの観衆ではなかった。兵士の声は大勢の歌声に呑み込まれ、消える。

「――っ」

 ジョーンズはその信じられない光景を前に、目を、耳を、そして現実を疑った。

 なんだこれは……。一体どういうことなんだ……。

 自警団の者たちも、その異様な熱気と気迫に圧され、明らかに怯えている。

 不穏な面持ちで辺りを見回したジョーンズがハッと気づいて睨んだのは、数メートル先で地面に伏している一人の娘だった。――

「くっ、うぅ……」

 柵の外から溢れ出さんばかりに聞えて来る歌声の波に、コーネリアは涙を流していた。

 それはコーネリアも確かに革命団の一員であったことの証明であり、彼女がその役目を終えたことを知る瞬間でもあった。

 町の皆が自分の作った歌を奏でてくれている。苦しくて死にそうなのに、感激で胸が一杯になった。嬉しくて涙が止まらない。だけど何も恥じることはない。この誇らしい気持ちを彼に伝えたい。こんな自分にも出来ることがあったのだと。

 盛大な鎮魂歌を口の中いっぱいに広がる砂の味とともに噛み締め、傷つき倒れた娘は地面を這って進み出す。――……

 男は思った。キミのためなら喜んで死ねると。

 女は思った。それは男のエゴであると。

 記憶の中にあるコーネリアの姿は、いつも儚く美しかった。だからこそ幼少の頃から共にあったルークは、彼女を守るべき存在であると肝に銘じてきた。しかしそれがいつの間にか彼女のことを非力で何も出来ない弱者だと決め付けるような傲慢さに変わっていた。

 それが今、どうだ。見れば血と汗に塗れたボロボロの格好で、地面を這ってでも、命を削ってでも前に進もうとする彼女の姿は、強く、そしてやはり美しい。

 彼女は今、誰よりも勇敢に戦っていた。そして誰よりも大きなことを成し遂げた。

 この一週間、迫り来る死への恐怖を、コーネリアが幸せに暮らしている未来を夢想することで必死に宥め続けていたルークは、真に彼女を理解した今、本当の気持ちを抑えきれなくなる。

 ――死にたくない。生きたい。

 歌によって人の心を繋いできたコーネリアが今、心で繋がれた人々の歌によって突き動かされる。そして最後の一本を、ルークとの心を繋いだのだ。

 

ルークは繋がれた鎖を振り解き、背後の十字架を突き放そうと身をよじる。


 コーネリアも諦めという名の鎖を振り解き、死という名の絶望を突き放そうと、必死に身をよじった。


「ルーク……。ルーク……!」


 彼女は手を伸ばす。強く求めるようでいて、そっと差し伸べるように。


「コーネリア!」


 ルークも身を乗り出し、なんとかそれに応えようとする。そのとき、コーネリアの後方、彼女に向けて拳銃を構えるジョーンズの姿が目に入った。――

 ジョーンズは今一度寒々しい思いで苦笑する。コーネリアがジャンゴを名乗ったとき、ジョーンズは笑った。しかし今ならどうだろう。彼女が本当にジャンゴだったとしても何ら不思議ではない。少なくともそう思わせるだけの説得力があった。取るに足らぬ存在として甘く見ていたこの娘こそが、自分を殺そうとする者たちの中心だったのだ。

 今思えば、確かにその予兆はあった。酒場で娘の歌を耳にしたとき、ジョーンズは何故か娘に惹かれた。あのときはジョーンズ自身、彼女の何に惹かれたのか理由がわからず、単なる戯れの衝動かと思っていたが、今ならわかる。

 この娘は危険だ。生かしておいてはならないと長年の勘が告げていたのだ。

 ジョーンズはゆっくりと銃口をコーネリアの後頭部に向けて構える。

 確実に殺せるよう、念入りに照準を定め、――

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 ルークが喉を振り絞って、叫びを上げた。

 ジョーンズは引き金へと掛かった指に、力を込める……。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。


 そのとき、彼方より放たれた一発の銃声が、すべての時を止めた。



 鮮やかな一撃。ジョーンズのコルト・ネイビーが火を噴きながら弾き飛ばされる。放たれた銃弾は当初の目標を僅かに逸れ、コーネリアのすぐ脇の地面を抉った。

「――!!」

 刹那の沈黙。その場に居合わせた誰もが目を剥き、何が起きたのか分からず呆然とする中、いち早く狙撃されたことに気づいたのは、やはり当のジョーンズだった。

 着弾による衝撃で右手に痺れこそあるものの、外傷はない。弾はジョーンズの握ったネイビーの銃身に命中していた。そして弾の飛んできた角度から相手の位置を素早く察知し、振り返る。眩い夕陽が視界に入り、ジョーンズは鋭く目を眇めた――。



 ――黄金の空。

 西の彼方に沈み行く灼熱の太陽を背に、

 燃え盛る陽炎の中を一歩、また一歩と、

 砂塵棚引かせ、進んで来る一人の男がいた――……。

 十字架を背負い、片手に抜き身の拳銃、口元には銜え煙草、そしてもう一方の手で肩へと担ぎ上げた鎖の末端には、後方へと引きずる漆黒の棺桶。

 その異様な出で立ちと鮮烈な出現は、瞬く間に人々の視線と注意を惹きつけ、刑場の空気を一変させた。

 目深に被った黒い帽子。

 鍔の影からは透き通るような青い瞳が覗き、赤髪とポンチョの裾が風にはためく。

 群衆の海が真っ二つに割れ、一筋の道が拓かれた。

 鳴るはずのない八つ目の鐘が、ごうごうと福音の如く響き渡る中、数多の視線を受け流しつつ歩く、その堂々とした佇まいは、――

 伝説の英雄――かつてそう呼ばれた男の姿が今、ジョーンズの目の前をちらついている。

 ルークは心が震えた。コーネリアの瞳から新たな涙が一筋伝う。

「……」


〝鉄砲玉のハリー〟は、悠然と固唾を呑んで見守る観衆の最中を通り、門を潜って刑場に踏み込んだ。


「何者だ、名を名乗れ!」

 銃を構えて駆けつけて来る自警団の兵士どもを制し、ジョーンズが問いかける。

 ハリーはやおら背負って来た十字架を下ろし、地面に突き立てた。

「……別に名乗るほどのモンじゃねェ。そちらにいらっしゃる、お美しいジャンゴ様のフアンでね?」

 七つ目の十字架が、生贄を欲するかのように無言のまま佇む。

 ジョーンズは何か確かめるような目つきで、ハリーの容貌をじっくりとねめつけた。

「そうか、貴様が……」

 目の前の男こそ噂の〝ジャンゴ〟本人であることはもはや誰の目から見ても明らかだ。

 しかしジョーンズにはわからない。こうして対峙してみても、やはり男の顔にはまるで見覚えがなかった。一方で男の表情には猜疑心に歪んでゆくジョーンズの心の内すら密かに弄んでいるような余裕が感じられる。その実、ハリーの方も今なぜ自分がここにいるのか、その最も奥深いところにある因果は理解できていないのだが、それこそジョーンズには知る由もないことだろう。

「目的は何だ……? 俺に何の恨みがある?」

 自分の与り知らぬところで男の手のひらの上にいるような感覚が、支配者であるジョーンズにとっては堪らなく不快だった。

「答えろッ! 貴様は一体、誰なんだ!!」

 屈辱的な心情を露にするジョーンズに対し、ハリーはたった一言、

「――地獄で閻魔に訊いてみな」

 言うが早いか、十字架の前に据え置いた棺桶の蓋を思い切りに蹴り上げた。まるで奈落の底へと通じる裂け目が開いたかのように、漆黒の棺がその大きな口を広げて構える。

 そうして刑場の真ん中に〝墓〟が完成した。

「……ッ」

 問答無用。既に話し合いなど無駄であることを悟ったジョーンズは、以降一切の疑念をかなぐり捨てることに決めた。

 主人の意思を汲み取ったように射撃隊が銃口の先をハリーに向けながら、ジョーンズの前に躍り出る。ハリーは冷静に目で追ってその数を数えた。

 目の前の射撃隊に加え、さらには左右後方にある監視塔からも、合わせて十数丁の銃口が一斉にハリーを狙っている。一触即発の緊迫した状況の中、ルークたち革命団の諸兄は手に汗握る思いで、ハリーの一挙手一投足を見守っていた。

 現場は文字通り八方塞の状況。いくら早撃ちの名人とて、これでは勝ち目がない。

 しかしハリーは彼らの懸念を嘲笑うかのようにまざまざとポンチョの裾をたくし上げ、腰のピースメーカーを衆目に晒した。

 それはガンマンにとって、交戦の意思があることの表明。

 導火線に火がついた。

 絶体絶命の状況をまるで理解していないようなハリーの挑発に乗せられ、敵陣の放つ殺気がいよいよと強まる。十数丁の銃口は発砲の切欠を今か今かと待っていた。それは無論ハリーが腰の銃に手を掛けた瞬間だ。しかしハリーは戦闘の素振りを見せたまま動かない。まだ動かない。やがて訪れる逢瀬の瞬間を信じて待つように。――

 肌を刺すような緊張の中、限界まで膨れ上がったボルテージが遂に火蓋を切る。

 そして一気に爆発した。

『――!?』

 文字通り大地を震撼させるほどの衝撃。刑場の周囲に設置された監視塔が根元から爆発して豪快に吹き飛ぶ。凄まじい爆風と轟音の中、跡形もなく崩れ去る監視塔の残骸。驚いた民衆が咄嗟に悲鳴を上げ、処刑の場は一瞬にして阿鼻叫喚の渦に包まれた。猛然と巻き上げられた砂煙に視界が遮られ、パニックが起こる中、ハリーは目印を頼りに飛び去って身を伏せる。

 爆発と民衆の声に気を取られ、一瞬ハリーを見失った射撃隊が動揺に駆られたその瞬間、凶弾の集中豪雨が靄の向こうから怒涛の如く降り注ぎ、射撃隊を急襲した。――

「クッ!」

 地鳴りのような凄まじい銃声を、ジョーンズは茶色の煙幕の中で確かに聞いた。

 一体、何が起こっているのだ。煙が風に飛ばされて、ゆっくりと視界が開けてくる。

 まず目に入ったのは、蜂の巣となって地面に転がった射撃隊の屍だった。全滅している。恐らくは煙に巻かれて浮き足立っていたところを狙い撃ちにされたのだろう。しかし誰の仕業か。

 薄くなってゆく霞の向こうに、一本だけ爆破を免れた監視塔の高い影が現れる。一条の煌く光は、日没間近の陽光を照り返す黒いレンズ。

「……!」

 ガトリング砲のようなものを構えた大男が、監視塔の上に立っていた。

 自警団が空かさず拳銃やライフルの銃口を向けようと浮き足立つ。

「おおっと! 動くんじゃねえぞう雑魚ども! こいつが目に入らねえのか!?」

〝木偶の坊のゲンジ〟は機関銃をひけらかしてそれを制すると、恫喝の声を響き渡らせた。

「こいつは一分間に五百発撃てる銃だ! 馬鹿な真似はよした方がいいぜ!」

「……いつの間に!?」

 ゲンジの立つ正面の監視塔は刑場全体を見渡せる、いわば起死回生の一手を仕掛けるには格好の位置だった。しかしそれは裏を返せば一番目立つ位置にあるということ。本来であれば誰にも気づかれずに占拠することは難しいはず……。

 しかし、ジョーンズは既に気づいていた。

 ――〝ジャンゴ〟は陽動(フェイク)か!

 つい今しがたの鮮烈な光景が脳裏を過ぎる。娘の危機を間一髪のところで救うかのような現れ方、十字架も、棺桶も、余裕綽々の態度も、すべてはこのためのミスディレクションだったと言うのか。

 そういえばと今さらながらに思い出す。自警団にスパイが潜り込んでいたのではないかと嫌疑が掛けられたあの一件、逃走した兵士は二人いた。さらに遡れば盛り場で自警団の若い団員が殺されたとき、犯人はアフロ頭の大男という情報があった。ジャンゴと名乗る男も、捕らえた反乱分子の中にもそれに当てはまる容姿の者はいない。ジャンゴという名ばかりがいやに印象的ですっかり見落としていた。どこまでが計算の内だったのかはわからない。しかし今思えば〝ジャンゴ〟という謎の存在そのものが、初めから今このときのために用意されていた囮だったような気もする。

 完全に裏をかかれたことを悟り、ジョーンズは歯噛みした。

「……」

 衣服に付着した砂埃を払い、立ち上がったハリーは監視塔に立つ相棒を見つめた。

 ゲンジもハリーを見ている。ゲンジの背後から両手にダイナマイトを持ったエンジェルアイがひょっこりと顔を覗かせる。

 実際にこの三人がやったことは、ジョーンズが思い描いているような高度な情報戦術などではもちろん無く、実にずさんで行き当たりバッタリの出たとこ勝負だった。

 ハリーは特に何の策もなく、どうせやばくなったらゲンジが何とかしてくれるだろうと考え、あとは単純に自分がいかに格好良く、いかに目立った登場をするかそれだけにこだわってここまで来ていた。真性の馬鹿だ。コーネリアがあそこまでボロボロにされるまで現れなかったのも、葬儀屋に寄ったときに手持ちの金が足りず、結局は自分で十字架を作るはめになっていたため到着が遅れたのだった。行きずりの幼女相手に粋な振る舞いをしたことが仇となり、やっぱり柄にもないことするんじゃなかったと思いながら、不器用な手つきで材木を組んでいたとんでもない間抜けだ。

 強いて言えば、今回の功績はゲンジにある。

 ゲンジはハリーの性格を良く心得ていた。何の策もなく好き勝手に振舞って、どうせ最後には面倒な役回りを押し付けられることも先刻承知していた。だからこそそれを逆手に取ったのだ。あのやたらと派手好きで目立ちたがり屋の男だったら、何の策もないくせに堂々と正面の門から、大げさな間を作って現れるだろうと確信があった。

 ゲンジはハリーが現れるのをじっと待ち、馬鹿が派手に馬鹿やって注目を集めている隙にこっそりと裏から侵入。自分は監視塔の一つを速やかに乗っ取り、エンジェルをダイナマイト係として遣いに走らせた。木偶の坊の汚名を払拭する程度の活躍だ。

「ふぅ……」

 ゲンジは呆れたように溜息を吐いてサングラスの縁をくいっとあげる。

〝あんまり世話焼かせるなよ〟

 ハリーは帽子の鍔に指を触れて合図した。

「けっ。まったくあの馬鹿は、俺がいないと何にも出来ねぇんだからよぉ……」

 小声でぼやくと、そばのエンジェルが笑った。

 ゲンジはキッと厳つい表情を作り、眼下の連中に向けて決まりきった恫喝の文句を放つ。

「全員武器を捨てて両手を挙げろ! いいかテメェら! 少しでも妙な動きをしてみせたら、全員まとめて皆殺しだぞ! さっさとしろ!」

 舌打ちや不遜な態度をいちいち示しつつも、案外目立った抵抗はなく、自警団の兵士たちは降参していった。彼らにしてみればゲンジの持つ機関銃はやはり未知数の脅威であり、先ほどの先制掃射でその威力が桁外れであることもわかっている。しかし心の底から降参したわけでは決してなかった。あくまでもこの場を凌ぐため、仕方なくだ。反抗する度胸がないわけでもないが、分が悪い。それにそこまでしてジョーンズの側に就く価値があるとは思わない。ルークたち革命団のように志や情によって繋がっているわけではない自警団の者たちは、極めて利己的で打算的な考え方だった。実際ジョーンズも彼らを単なる駒と見ていたし、彼らの方も割が合わないと思えば即座に裏切る腹積もりでいた。ジョーンズと自警団とは所詮、金で繋がっているだけのドライな関係だったのだ。

「……フン、それで?」

 あっという間に形勢は逆転。自警団を失ったジョーンズは、もはや丸腰も同然なのだが、それでも命乞いなどしない。誰に助けを求めるつもりもない。

「どうするつもりだ」

 絶体絶命の状況に追い込まれて尚、相手方の動向を高所から静観するような目つきで堂々と佇む。その精神の気高さを賞賛する思いで、ハリーはしたたかな笑みを浮かべた。彼の手の中には爆風の中で飛び退いた際、拾っておいた物が握られている。

 ハリーはジョーンズへの対応を据え置いたまま、位置を図るようにゆっくりとした足取りで歩き出す。そうして最初に立っていた〝墓〟の前まで来ると、足を止めて再び向き直った。

「……?」

 不審に目を眇めるジョーンズに対し、ハリーは振り向き様、それを投げ渡す。

 ジョーンズの足許に転がったのは一丁の拳銃。

 ジョーンズの愛用するコルト・ネイビー。爆発の際に紛失したと思っていた。

 長年慣れ親しんだ冷たい鉄の感触を確かめるように握り締め、そしてそれが意味するところを理解したジョーンズが、激しい怒りに目尻を引き裂く。

 すべての準備は整った。

「――いいぜ?」

 嘲笑うかのようなハリーの一声が、

「――いつでも撃って来い。……」

 来るべき決戦の火蓋を落とした。



〝決闘〟それは誇り高き兵法者のみに与えられた究極の審判。

 


 拳銃を腰のガンベルトに収め、ジョーンズはハリーの前に立つ。

 対峙する両者。どちらからともなく歩き出す。

 二人は大きく円を描くように、生死を交えるその瞬間の立ち位置を計る。緊張と牽制を保ったまま、一歩、また一歩と、相手の歩調に合わせながら、足を運んでゆく。

 ゲンジは取り出した葉巻を悠然と燻らせながら、二人の闘いを傍観していた。その脇にいるエンジェルが何か食い入るようにその光景を見つめている。柵の外を囲む観衆は押し黙り、ルークたち革命団は息を吐くことすらも忘れ、二人の動向にひたすら目を奪われていた。自警団の者たちもこの期に及んで余計な手出しなどはしない。二人のガンマンが生死を賭けて争う〝決闘〟の場においては、いかなる干渉もあってはならないということを、彼らは熟知していた。

 ゲンジもエンジェルも、ルークもコーネリアも革命団も自警団も、もはやハリーとジョーンズ以外のすべてが観衆と化していた。そこは二人の為だけの舞台だ。



〝決闘〟それは生来のすべてを献上し、互いの命のみを賭した神聖なる戦いの場。



「……」

 大勢の観衆に混じって、一人の老いた男が遠い昔に思いを馳せていた。

 かつて英雄と呼ばれ、伝説となった一人の男。

 彼はその男の親友として、ある決闘の場に立ち会った唯一無二の証人だった。

 ――その彼、シャイアンは思い出していた。タネンが名も無き少年の一発に敗れたあの時のことを……。忘れるはずもない。あれはまさしく運命の悪戯だったように思う。たった一度の敗北によって、タネンはすべてを失った。絶望し、誇り高き男のケジメとして自ら死を選ぼうとした。しかしそんなタネンを説得し、雲隠れの手助けをしたのがシャイアンだった。シャイアンの尽力によってタネンは名を変え、姿を変え、農夫として敗北の地であるこの町に骨を埋めた。当時、酒場で歌手をやっていた女を妻に娶り、子を生したが、結局はその妻にも先立たれ、幼い娘と二人、ひっそりと生きながらえた男の生き様を、シャイアンはずっと影から見守っていた。シャイアンもタネンとともに隠居したが、もともとガンマンとしても盗賊としても大して実力がなかったせいか、アウトローに対する感慨はさほど抱かなかった。しかしタネンは違った。ガンマンとしても盗賊としても、類い稀なる才能と実力を持っていた。

 そんな親友がすべてを失ったあの時から、一体どんな思いで生きてきたのか、その胸の内を思いやると、やるせない気持ちでいっぱいになる。そして二年前、彼が病気で死んだときから度々思うようになった。あのとき、すべてを失ったあのとき、どうして彼は死ねなかったのだろうと。いっそ死んでいた方が彼にとってはずっと楽だったはずだ。無様な生き様を晒すよりは、せめて美しい死に様を、そう思うのがアウトローの心意気だったはずだ。しかしそれを許さなかったのはシャイアンだったのだ。自分は彼を助けるべきではなかったと後悔し、ひたすら飲んだくれ、置き去りにした生き様を夜の寝床で抱いていた。

 ――あのときの少年こそが、時を経て、今また決闘の場に立たされているジョーンズであることをシャイアンは知らない。しかし何故か湧き上がってくる想いを胸に、老人はしわがれた手のひらをきつく握り締める。一筋の涙が、乾ききった頬を濡らした。



〝決闘〟それは勝者に栄華と名誉を与え、敗者からは生来のすべてを剥奪する刹那の運命。



 夕陽が落ちてゆく。

 壮絶な色合いとその光を一層強めながら、地平線の彼方へと沈んでゆく。

 ハリーとジョーンズ。二人の距離は双方にとって必殺必中の間合い。然れば、勝負はコンマ零秒の差を競う、抜き撃ちの速さで決まる。

 ジョーンズはハリーを睥睨しつつ、目標と定めた場所まで慎重に移動する。決闘のセオリーに則り、優位とされる太陽を背負った位置。

 つまり最初にハリーが立っていた、あの〝墓〟の前へと。――

「……ッ」

 ジョーンズは内心、激しい焦りを感じていた。

 脳裏に浮かぶ光景はやはりあのときの記憶。運命を決したタネンとの一戦。

 月日は流れ、あのときより幾十年と歳を重ねたが、腕は未だ衰えていない。むしろ熟練されたといってもいい。それに比べて〝ジャンゴ〟という男。あの第一印象や先入観さえ捨てて見れば、まだ三十路にも届かぬ齢の若造ではないか。無鉄砲で、大した実力もないくせに口幅ったい言葉ばかりを並べ連ねる、アウトロー気取りのそれこそどこにでもいるような輩だ。

 しかし何故か、その躊躇いのない足取りからは並々ならぬ自信と余裕が溢れ出している。

 生死を賭した今この状況を、まるで恐れてなどいない。

 男の双眸は、夢を見る少年のように煌いていた。

 ジョーンズは、その瞳を知っていた。

 あれは〝決闘〟を、心の底から楽しんでいる目だ。

 まるであのときの、自分のように。――……

 ふと思う。

 俺は、本当に勝てるのだろうか。

 守るべきものなど何一つなかったあの頃。己の命一つを元手に、手放しで生きられた。しかし今のジョーンズにはもうあの頃のような気概は持てない。抱え込んだ栄華を手放さんとするがために、どうしても後手にまわらざるを得ない。

 俺は今、恐れているのか。すべてが無に帰すことを。俺は、ここで死ぬのか……?

 何十年という人生のすべてを、たった一瞬で奪われることに途方もない恐怖感を覚える。

 知らず知らずのうちに手足が震え出し、全身から嫌な汗が滝のように湧いて流れ落ちる。

 かつてない焦りと動揺に、思わず意識が遠ざかり、目の前が白みかける。

 まずい。落ち着け。冷静になるのだ。このままでは……

 このままでは、確実に殺される。

 真剣勝負の場において、懼れを抱いた者は敗退するのが理だ。

 ジョーンズは強く自我を保つかのように、渇ききった唇をぎりぎりと噛み締めた。

 俺は今、試されている。ここで死ぬようなら、所詮はその程度の器であったというだけのこと。つまりこれは神より与えられし試練なのだ。ジャンゴを殺し、あの娘を殺し、反乱分子の処刑を完遂させる。そうして俺は再びこの町の支配者として君臨するのだ。もう二度と揺らぐことなどない。完璧な支配者として。

 そう、この逆境を乗り越えてこそ、俺はさらなる高みに臨むことが出来る。恐れることなど何も無い。愚かな虫けらどもに、絶対的支配の勝利を盛大に見せつけてやることが出来る、此処はまさしく、最高の舞台ではないか! 

 俺はまだ死ぬわけにはいかない。

 俺は勝つ。……勝たねばならない。

 ――俺は、女神に愛された男なのだッ!!



 長い長い歳月を費やし、絡み合った因果が織り成す、運命の縮図。

 すべての結末は白日の下、一瞬にして決する。――



 一歩一歩、確かめるような足取りでジョーンズが夕陽を背にした位置へと到達する。

 しかしそれはハリーにとっても思惑通りの位置であることを、彼はまだ知らない。

 最初の位置からぴったり180度のところで、二人の足が止まった。

 刹那、風が凪ぐ。

 一瞬のうちに向かい合い、真っ向から対峙する二人のガンマン。

 目と目、手と手、足と足が、合わせ鏡の如く同調する。

「「――!!」」

 二つの銃声が、重なり合って、轟いた。


 眩い閃光の鋭い交錯。その差はまさしく、レイコンマの世界。

 そこには善も悪も、正も邪もありはしない。お互いの命のみを懸けた、究極の審判。

 すべての采配を担い――

 すべての想いを乗せ――

 超音速の果てを今、たった一発の弾丸が交差する。




 撃ち抜かれた帽子が、風に攫われて高々と舞い上がった。

 それはまるで、黄金色に輝くあの空を目指し、

 どこまでも高く高く、飛翔して行くかのように。

 

 支えを失った体が、大きく仰向けに傾いて行く。

 それはまるで、奈落の奥底を目指し、

 どこまでも深く深く、沈んで行くかのように。


「――」

 ジョーンズは永遠とも呼べるその刹那、空を見ていた。

 両手を広げて、ただ無心にうち仰ぐ空。

 雲が棚引き、暮れてゆく黄昏の輝きを、

 東の空を微かに彩り始めた星々の瞬きを、

 水晶玉のように澄んだ、その瞳いっぱいに映し出して……。



 虎視眈々と口を広げ、背後の地面で待ち構えていたのは漆黒の棺桶。

 眉間を撃ち抜かれたジョーンズの体は、――そのまま吸い込まれるかのように、――荒々しく音を立てて棺の腹に納まった。


 銃口から立ち昇る硝煙を、そっと吹き消し、囁く。

「……狂い無し」

 向かい風に流されて、静かに落ちて来た帽子を、素早く片手で攫って被り、

 ハリーは眩しすぎる夕陽から視界を遮るように、帽子のつばを下げて目元を隠した。




「ブラボー……」

 小さく感嘆し、ゲンジは火のついた葉巻をエンジェルに向けて差し出した。エンジェルが両手に握っていたダイナマイトの導火線を傾ける。

 ――祝砲の如く火柱が高々と立ち昇った。

 ――賞賛と喜びの大歓声が一斉に飛び上がる。

「さぁ、仕上げだ……!」

 ゲンジは素知らぬ顔を通しながら密かに逃げ延びようとしていた自警団の兵士どもにニカッと笑いかける。思いがけず目が合い、ぎくりとして血相を変える有象無象たち。不気味に笑うゲンジを見て、瞬時に凄まじい形相を醜悪な顔面に刻み込む。

 一匹たりとも逃がしはしない。

 ゲンジは豪快に機関銃を担ぎ上げ、容赦なくトリガーを引き絞った。

 耳を劈く絶叫のような銃声。飛び散る薬莢。体を芯から震え上がらせる激動のエクスタシーが心を燃えさせる。

 空間を埋め尽くす高密度の弾幕に、逃げ場もなければ身を隠すための盾もなく、踊るように砕け散る無頼漢たちの群れ。真っ赤な血の華を咲かせ、皆あっという間に死んでゆくその様は、ある種の美学すら感じられる。

 以前ハリーの語った哲学が、ゲンジの脳裏を掠めた。

〝――悪党に勝てるのは善人じゃねぇ。悪党の上を行く悪党なんだ〟

 その戒文をしかと心得、ゲンジは非情な世界の理を思いっきり笑い飛ばした。


「オラオラァア!! 死に晒せぇええ!! このクズどもぉおお!! ヒャッハァアーッ!!!!」


 大勢の観衆が、遂にその柵を突き破って刑場内に雪崩れ込んで来た。笑顔と涙と雄叫びで顔をぐしゃぐしゃにしながら、一斉に駆け寄って行ってルークたち革命団を解放する。

 自由を取り戻したルークは、すぐさま〝彼女〟の許へと走った。

「コーネリア!」

 傷ついたコーネリアは駆けつけた町の人々に介抱されていた。

 ルークもそばに寄って懇々と呼びかけ、強くその手を握り締めれば、小さく返ってくる温かな感触。コーネリアは薄っすらと目を開き、ルークの姿を確かめると僅かに微笑んだ。

「……コーネリア」

 ルークはほっと胸を撫で下ろす。どうやら命に別状はないらしい。

 それから一言二言交わすと、コーネリアは安心したように再び目を閉じ、しばしの眠りに就く。その安らかな寝顔に軽く口づけをし、心の中でささやかな感謝を捧げた。

 次に目を覚ます時まで、ずっと付いていてあげたい気持ちもあったが、ルークはあとのことを町の人々に頼み、名残惜しくもコーネリアのそばを一旦離れた。

 ルークにはまだ最大限の感謝を伝えなければならない人物が二人いた。彼らがいなければ、コーネリアの命は助からなかっただろう。自分は掛け替えのないものをすべて失っていた。ハリーとゲンジ、彼らは恩人だ。

「……?」

 刑場は見渡す限り、歓喜に沸く人々の熱気で溢れかえっていた。しかし何故か二人の姿が見当たらない。彼らこそがこの場を作り出した立役者だというのに、誰もそのことに気づく者はいない。ルークは不意に疼くような焦りを感じ、刑場の中を駆けずり回って二人を探した。そんなはずない。きっと、きっとこの人込みのどこかにいるはずだ。早く会って感謝の言葉を述べなければならないのに。彼らをゲストに町を上げての宴を開くんだ。あの人たちは賑やかなのが好きだから、きっと喜んでくれる。

「はぁっ、はぁっ、ハァッ!」

 ――本当は、なんとなく気づいていた。

 ――彼らはもういない。たぶんもう会えないだろうと……。

「……嫌だ」

 ルークの目に涙が浮かぶ。これまでどんな酷い目に遭わされても決して涙だけは見せなかったルークが、目的を果たし、とうとう気持ちが弛んでしまったのかポロポロと涙をこぼす。ルークは咽び泣きながら、声を上げて二人の名を呼んだ。

「ハリーさぁあああ――んん!! ゲンジさぁあああ――――んんっ!!」




「……」

 乾いた荒野を黙々と歩き去るハリーは、遠くその声を聞き、静かに足を止めた。

 葉巻の煙を思い切り吸い込んで、ゆっくりと瞼を下ろす。

 突き抜けてゆくような爽快感と葉巻の旨みをじっくりと噛み締め、堪えきれずにニンマリと笑った。――してやったりの、ふてぶてしい笑み。

 振り返ることはなく、照れを隠すようにそそくさと歩き出すハリー。



 ジョーンズの墓標となった十字架には、さり気なく一丁の拳銃が立て掛けられていた。

 かつて英雄と呼ばれた男の運命が、確かに終わったことを見届けた拳銃は、今はただ安らかに眠っている。遠い昔から聞えて来る、懐かしい勝利の喧噪に包まれながら。錆びついた拳銃はかつての輝きを取り戻したかのように、眩しい陽の光を煌々と照り返していた。

 ――――。



 ジョナサン秘書は、息も絶え絶えにジョーンズの屋敷へと逃げ帰った。

 自警団の兵士たちが辿った末路を鑑みれば、ハリーの出現と共に早い段階で主人を見限った彼の慧眼は、実に見事なものだったといえよう。

 ジョーンズ勢力の衰えを敏感に察知していた彼は、逃げ道も抜け目なく確保していた。

 最もジョーンズに忠誠を誓っていたように思える彼だが、その実、主人と心中するつもりなど更々なかった。自警団の有象無象と同じく、所詮は金という細い糸で繋がった主従関係だ。

 ジョナサンは計算高く、狡猾な男だった。

 彼の手には、ジョーンズの部屋にある金庫の合鍵が握られている。かねてよりジョーンズから信頼を寄せられていた彼は、有事の際に備えて、密かにスペアを作っておいたのだ。

 じきにこの屋敷も反乱分子の手によって鎮圧されるだろう。その前に、金庫にある数十万ドルの金銭を頂戴し、逃走の資金と当面の生活費にあてる。それだけの額があれば、少なくともあと十年は遊んで暮らせる。あれだけ尽くしてやったのだ。その程度の保障は当然だろう。

 長居は無用だ。何はともあれ急がなければならない。

 金を手に入れたら、早々にこの町を出る。

 ジョーンズの部屋に駆け込んだジョナサンは合鍵を使って、金庫の錠を外した。

 重たい鉄の扉を開く。

「――っ!? どういうことだ……」

 ジョナサンは愕然とした。分厚い鉄板で作られた箱の中身は、蛻の殻だった。

 数十万ドルどころか、一セントすらもない。

 途方に暮れて立ち尽くす彼は、不意に気配を感じて背後を振り返った。

 美しいブロンドの死神が、部屋の入り口に背を預けるような格好で立っていた。

「エレンっ、お前、何故ここに!」

「……」

 驚くジョナサンの足元に、エレンは矢庭、何かを放った。

 ちゃりんと音を立てて床に落ちたのは、ジョーンズが持っているはずの鍵だった。

 ジョナサンの目つきが変わる。

「貴様ァ!」

「キミがここに来ることが分かっていれば、余計な手間は省けたんだがね」

 エレンは透き通った柔らかい声で、嘲笑うかのように言った。

「少し意外だよ。キミはもっと愚直な男だと思っていたが、案外、立派な悪党じゃないか。しかしキミがここまで逃げてきたってことは、どうやら坊やたちは勝ったみたいだね」

 女の言葉には耳を貸さず、ジョナサンは憎悪を込めた目でエレンを睨みつけた。

(この疫病神めが! 一体、どこまで邪魔をすれば気が済むんだ!)

 もとはと言えば、すべての凶兆はこの女が現れてからだった。

 この女が自警団に加入してから、ジョーンズ勢力には明らかな衰えが見え始めた。

 エレンが団員を大量に粛清したことによって、自警団は人手不足に陥り、監視や警戒の目が以前と比べてザルになった。それによって町の均衡が乱れ始め、さらには反乱分子の摘発が遅れたことが原因となり、結果として破滅に繋がったのだ。

 ――ジョーンズの敗因は一つ、この女を甘やかし過ぎたことにある。

 時に悪魔は人の心を惹きつけるため、とても美しい容姿をしているという、まさしくこの女のことだとジョナサンは思った。耐え難い激情が一気に込み上げてくる。

(薄汚い淫売女め。殺す。殺してやる。こいつだけは、殺さなければ気が済まない)

 ジョナサンは懐の拳銃に手を伸ばしかけたが、エレンがその挙動をしっかりと目で追っていることに気づき、はたと手を止めた。

 ダメだ。とても勝てない。

 エレンの腕前に関しては、それこそ嫌というほど見せ付けられている。

 じりじりと額からにじみ出る脂汗が鬱陶しい。口の中がからからに渇いていた。

「どうした? 抜かないのか?」

 既にこちらの手のうちは読まれている。

 切羽詰ったジョナサンは、なり振り構わず声を上げて、助勢を求めた。

「だっ、誰かッ! 誰かいないのかーッ!!」

 必死の叫びは、虚しい反響だけを残し静謐の中に溶けてゆく。

 広い館の中は、不気味なほどひっそりと静まり返っていた。

「みんな行っちまったよ……」

 寒気のするようなエレンの返答に、ジョナサンは思わずゾッとして青ざめる。


「――地獄の底にさァ?」


 恐怖に急き立てられたジョナサンは、咄嗟に拳銃を引き抜き、そして呆気なく胸を撃ち抜かれて死んだ。硝煙の匂いが僅かに香り、再び冷淡とした静寂が訪れる。――

「……」

 深紅の窓辺に佇んで、エレンは夕焼けに染まる街並みをぼんやりと眺めた。

 半年間に渡った潜入捜査も、結局、無駄に終わったのだ。

 どっと押し寄せてくる徒労感に、愁いを帯びた溜息が口をついて出る。

 ――二十年前、現在のスウィートウォーターに一軒家を構えていた、とある開拓者の一家が皆殺しにされた。この事件は南北戦争終戦間際の混乱の中、当時既に劣勢であった南軍の敗残兵が暴徒化して起こったものとして処理され、うやむやのうちに歴史の闇へと葬り去られた。

 その後、数少ない情報を集めたエレンは、一家の殺害が利権の絡んだ土地を奪い取ろうとする、鉄道王・モートンの差し金であったことを掴む。

 そして二年前、間に合わせの無宿人二人と手を組んだエレンは、列車強盗を働いた。狙いは現金輸送車両。――しかし、彼女の真の目的はその列車に乗り合わせていた仇敵モートンの殺害であった。現金目当ての犯行を装い、エレンはそこで最初の復讐を果たす。しかし思わぬ誤算に突き当たった。首謀者であるモートンを糺せば、もう一人の居場所も簡単に掴めるものと踏んでいたのだが、そのモートンですら〝あの男〟の消息は関知していなかったのだ。

 計画の変更を余儀なくされたエレンは仲間の二人を出し抜き、列車から強奪した金を当面の情報収集・捜索活動の資金にあてた。

 そして今回。――いよいよ捜索に行き詰ったエレンは、取るに足らぬと軽視し、放置していた御山の大将を堕とすことに決めた。

 事件の際、資金援助と上層部への口利きを見返りに、一連の偽装工作を担ったのが当時・北軍大尉であったジョーンズ=ネッガー。

 ジョーンズを殺すこと自体は簡単だった。問題はそれをどう隠蔽するか。

 理由は二つ。一つは残りの仇敵をいたずらに警戒させないため。ジョーンズは有名人だ。それをいきなり現れた女が殺したとなれば、その噂はすぐに広まるだろう。二十年も前のことで杞憂に思えるかもしれないが、今なお相手の素性も消息も不明である以上、あらゆる可能性を考え、復讐者が目立つような行為は極力避けなければならない。

 もう一つは、一家皆殺しの一件で、ジョーンズが偽装工作を担ったことへの皮肉である。

 エレンはまず町の情報屋としてシャイアンに目をつけた。表向きは冴えない鍛冶職人、裏では闇ルートから仕入れた珍妙な銃器を捌いているという老人の噂は、一部の無宿人の間で密かに語られていたものだ。エレンは早速シャイアンとコンタクトを取り、ジャスティスシティーにおける様々な情報を仕入れた。その中でルークとコーネリアのことを知ったエレンは、シャイアンを通じて彼らを唆し、革命団が組織される切欠を作った。

 ――圧政に耐えかねた市民がクーデターを起こし、騒ぎのどさくさに紛れてジョーンズを殺すというのが、彼女の計画であった。

 予定通り、ルークが革命団を立ち上げたことを知ったエレンは自警団に潜入する。目的はジョーンズに近づき、〝あの男〟に関する情報を探ること、そしてもう一つは自警団勢力を内部から削減することの二点。計画の都合上、クーデターには成功して貰わなければ困るのだ。ジョーンズ=ネッガーは市民の反乱によって命を落とした。その筋書きが欲しかった。

 順調に自警団の頭数を減らして行き、ジョーンズ一派の戦力及び監視を低下させたが、それだけではまだ足りなかった。実戦経験のない反乱分子たちに戦って勝てるだけの実力を授けてやる必要があったのだ。そこで思いがけず現れたのがハリーとゲンジである。二人の参入はエレンにとって好都合だった。本来であれば、指導の役目もエレンが二足の草鞋で買って出る予定であったが、その負担が軽減された。逆に厄介だったのは、ジョーンズの秘書ジョナサンだ。切れ者で諜報と隠密活動に長けた彼は当初からエレンを訝しみ、危うく計画を頓挫させられそうにもなった。それも結局は、飛び入りゲストの二人が上手く覆してくれたようだが……。

 結局すべては彼女の手のひらの上での出来事だったのだ。

 ハリーとゲンジの二人には、エレンも何かしら奇妙な縁を感じていた。

 ――二年前も、そして今回も。決して彼らの意図するところではなかったであろうが、結果として二人は上手く陽動の役目を果たしてくれた。ジョーンズを自らの手で殺せなかったことも、この際まぁいい。今回は彼らの働きに免じて、花を持たせてやったということにしよう。

 そもそも、エレンはジョーンズを殺すことに大して感慨を抱いてはいなかった。ジョーンズにとっても殺人事件の隠蔽などという汚れ仕事は、恐らく出世のための数ある踏み台の一つに過ぎなかったのだろう。だから怨恨というには少々繋がりの薄いエレンに暗殺されるよりも、反逆を起こした市民の衆目に晒されながら死んでゆく方が、あの男にとってはよほど屈辱的だったはずである。

 エレンの第一の目的は、〝あの男〟の足取りを掴むことだった。

 主犯格であるモートンですら知らなかった情報を、単なる傀儡に過ぎなかったジョーンズが持っているとは思えない。もとより期待は薄かったが、どの道あてのない捜索も手詰まりの中で僅かな可能性に賭けたのだ。しかし案の定というか、結局〝あの男〟に繋がる手掛かりは見つからなかった。――

「……」

 エレンはジョーンズの金庫から頂戴した数十万ドルの大金を袋に小分けし、停めてあった荷馬車に積み込む。これが今回唯一の収穫。今後の捜索活動にあてる資金の追加だ。

 金髪のエレンこと、〝クラウディア・マクベイン〟は、超然とした佇まいの裏に熾烈な復讐心と決意を秘め、再び明日のない、孤独な闘いの中に身を投じてゆく……。

 ――マクベイン一家の殺害に関わった主要人物は三人。

 既に決着のついた鉄道王のモートン、ジョーンズ=ネッガー。

 そして、あと一人。是が非でも殺したい男がいた。込められた憎悪の深さでいえば、先の二人とは比べ物にならない。それほど狡猾で醜悪で、最低最悪の男。

〝あの男〟だけは赦せない。どこに隠れ潜もうとも、必ず見つけ出して殺してやる。

 首謀者であるモートンがその男に命じたのは、あくまでも土地を奪い取ることであり、一家の虐殺は実のところ、その男の一存によるものであったと、モートン自身が死に際に証言した。

 父と母、まだ幼かった弟と妹を殺した実行犯であり、自らを陵辱したのち、人身御供として売り飛ばした、最も憎むべき仇。――男の名は、フランク。

 今のところ分かっているのはそれだけだ。

 ――――。




 コーネリアは町の診療所で静かに目を覚ました。なんだか長い夢を見ていた気がする。それがどんな内容であったのか、残念ながらその詳細は目覚めると同時に忘れてしまい、今はただ輪郭だけがうっすらと記憶にある状態だが、とても幸せな夢だったように思う。   

 そのままぼんやり、見知らぬ天井を見つめていると、付き添っていたルークが気づいて声をかけた。

「傷は痛むかい?」

 まだ少し霞みがかった意識の中、コーネリアは小さくかぶりを振って、ううんと答えた。

「お医者様の話だと、幸い後遺症の可能性は少ないそうだよ。弾はもう摘出してあるからあとは感染症にだけ気をつけて、傷口が塞がるまではまだ当分、安静にしていないとね」

 少し疲れた声で言いながら、優しく布団を掛けなおしてやるルーク。

 コーネリアはどことなく沈鬱な彼の表情を見て、すべてを悟ったように言った。

「あの人たちは、もう行ってしまわれたのね」

「……ああ」

 ルークは項垂れたように黙ってしまう。コーネリアは彼の表情を見て、少し考えた。

 がらんとした静謐がやけに涼しく、祭りのあとの寂寥感を誘う。

「――あの人たちは……」

 物寂しげな沈黙を突くコーネリアの開口に、ルークはふと顔を上げて耳を傾けた。

 コーネリアは小さく笑って、朗々と話し出す。

「私達が麦だとすれば、あの人たちはきっと風ね。麦を食い荒らすイナゴを吹き飛ばし、どこへともなく去ってゆく。あの人たちは強く大地を吹き抜ける、熱く乾いた風なのよ」

「……フフ、そうかもしれないね」

 ――口を開けば出てくる言葉は不平不満ばかり、乱暴で、態度が悪くて、すげなくて。そんな彼らが最後の最後で魅せてくれた勇姿。そのあと一言も告げずに去って行った彼らのことを想うと頬が熱くなる。

(なんて不器用で、いとおしい人たちなんだろう)

 ベッドの上からすぐ横にある窓を見やると、いまだ残照に燻った空がある。

 コーネリアは目を閉じ、その空に向かってささやかな祈りを捧げた。

 ルークもコーネリアに倣って、静かに黙祷する。

〝せめてこの感謝と幸福が、あの人たちの胸にも届きますように〟と。

「またいつか会えるかな……」

 祈りのあと、ルークの問いにコーネリアは「わからない」と答えた。

「でも、その頃にはこの町も変わっていなくちゃね?」

「ああ……」とルークは頷いた。

「ジョーンズの支配がなくなっても、まだまだやらなくちゃならないことは山積みだ。この町をみんなで建て直して、そしていつしか、あの人たちがまたこの町を訪れるようなことがあれば、胸を張って歓迎できるようにしないと」

「ルークはもう、みんなのリーダーですものね」

 ルークはふと膝を正したように真摯な顔つきになって、コーネリアを正面から見据えた。

「コーネリア、僕と結婚して欲しい」

 唐突な申し出にコーネリアは少し驚いた顔をする。

 だがルークはこれが最高のタイミングだと思っていた。ジャスティス・シティ最後の日であり、最初の日でもある記念すべき今日。

「僕は一人では何も出来ない男だ。だから、君の力が必要なんだよ。これからの道程(みちのり)を、末永く、僕と一緒に歩んでくれないか?」

 ルークのその言葉は、コーネリアを守るべき保護の対象とするものではなく、共に支えあって歩く、真のパートナーとしてはっきりと認めたことの証だった。


 コーネリアはちょっぴり目の端に涙を滲ませながら、ルークの手を取った。


 二人は笑いあい、温かな心地が冷めてしまわぬように、少し先の未来を夢想する。


「フフ、これから忙しくなりそう」


「焼けてしまった僕らの家も、建て直さないといけないな」


「ええ、落ち込んでいる暇なんてないわ」


「そうさ……。銃や暴力に頼らない、本当の戦いがこれから始まるんだ」


 ――――。





 壮大な荒野の真ん中を一台の古ぼけた馬車が、のらりくらりと進んでいる。

 ジャスティス・シティーを去った後、偶然通りがかった農夫の馬車に乗せてもらい、ハリーとゲンジ、そして新たに仲間となったエンジェル・アイの三人は、干し草と一緒の荷台で、眠気を誘うような心地良さに揺られていた。

「あーあ、なんだかちょっと勿体ねぇような気もするなぁ」

 ゲンジはお天道様の匂いをたっぷりと含んだ干草を枕に、空を眺めながら嘯く。

「あの町じゃあ、俺たちはいよいよ英雄サマ扱いだったんだぜ? 祝い酒をカッ食らって、もうしばらくは踏ん反り返って居ても、バチは当たらなかったんじゃねーかな」

「……フフ。いいんだ、これで」

 通り過ぎた賑やかさの、微かな余韻を追い求めるように、ハリーは遥か遠くの地平線を眺めながら漫然と語った。

「結局、勝ったのはあいつらさ。あの町にはもう、俺たちみたいな乱暴者の居場所はなくなった。たぶんそれが、世の中の流れってやつなんだろうぜ……。あいつらの居場所は、きっとこれからどんどん増えてくだろう。そしていつまでも残り続ける。だから明日のない俺たちは、どこまでもただ流離うだけなんだ。この命が尽きるまでよ」

 ゲンジはふと真顔になってハリーの方を見た。しかしすぐにまた冗談のような調子に戻っていい加減に答える。

「……へっ、気取りすぎなんだよテメェは」

 二人揃って妙にしんみりとした心境に浸っていると、それまで大人しく座っていたエンジェルが、何事かを教えるように明後日の方角を指をさした。

 少女の主張に従って見ると、豪快に砂煙を上げて別の馬車が走って来る。そして、その操車台で馬の手綱を握っている人物を目にしたハリーとゲンジは、ニヒルな表情を一気に吹っ飛ばした。

「――坊やたち!」

 馬を並走させながら、エレンは笑顔で快活な声を投げかけた。

「ああっ、てめッ、ブロンディ!?」

 ゲンジがドスの利いた声を上げ、ハリーも今さら思い出したように憤怒した。

「そういや姿が見えねぇと思ってたんだこの(アマ)ァ! 人のことを煽るだけ煽っておいて、今の今まで何処で何してやがった!」

 エレンは含みを持たせた目線を流し、さらりと後方の荷台を示す。山ほど積み込まれた麻袋の隙間から、ちらりちらりと数十万ドルの大金が得意げに顔を覗かせている。

「「なっ!?」」

 ハリーとゲンジは思わず目を剥き、卒倒しそうな勢いだ。

「キミたちのおかげで、また荒稼ぎが出来たよ! どうもありがとう!」

 嘲笑うかのようなエレンの言葉が、一層彼らの神経を逆撫でする。

「ちくしょう! 俺たちはまたこいつに利用されたッてのかァア!!」

 髪の毛を掻き毟って悔しがる二人を尻目に、エレンはふとエンジェル・アイを見つめた。

「……」

 悪戯っ子の少女はおもむろに上着をたくし上げると、お腹のところに隠しておいた札束を自慢気に見せつける。納屋の地下金庫を訪れた際、ハリーとゲンジにも内緒で、こっそりとくすねておいたものだ。

 その瞬間、二人は密かに通じ合う。

 いつかエレンが教唆してくれた〝女の特権〟を今度は自ら主張するように、名前のない少女はにぃっと白い歯を見せて笑った。金髪の女は小さく頷いてそれに応える。

「この際だ、全部とは言わねぇ! 分け前をよこせ! ほら!」

「おっとっと! おいハリー、危ねぇぞ! 落っこちる、落っこちる!」

 馬鹿で間抜けな男二人が呑気に手を拱く。掴みどころのない霞のようにそれをかわしながら、エレンは心を込めて彼らに言葉を贈った。

「飢えてる方が素敵なんだよ、キミたちは……フフフ」

 彼らとはまたどこで会えるような気がする。

 そして、そのときは、きっと――。

「……」

 落陽の深度を確かめ、エレンは帽子の鍔に手をやると小さく微笑んだ。


「――maybe next time(また会おう)」


 手綱を思い切り振るって、金髪の女はいずこかへと去って行く。

 ハリーは馬鹿にされた悔しさを吐き出すように、腹の底から大声を発して叫んだ。



「HEYッ、ぶろんでぃいいーッ!! テメェは薄汚い、大悪党だぁあああああ――ッ!!」



 一面の荒野に響き渡る卑劣漢の罵声。エレンの乗った馬車がぐんぐんとスピード上げて遠ざかり、やがて見えなくなると、ハリーは干草を枕に寝転んで嘯いた。

「あーあ、やっぱり勿体ねぇことしたなぁ~」

「だろぉ~?」とそれに同調するゲンジ。

 二人は溜息を一つ、不意に向き合って情けない顔を見合わせた。

「……ぷっ、」

「クックックッ……」

 そして、どちらからともなく笑い出す。

「「WAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!」」

 まともな頭をしている者には到底理解できないような二人の行為に、しばし横でぽかんとしていたエンジェルだったが、二人があまりにも晴れやかに笑うせいか、なんだか見ているこっちまで楽しくなってしまい、思わず一緒に笑ってしまった。

 生ぬるい風が頬を掠めて通り行く。

 三人の陽気な声は荒れ果てた大地に花を咲かせた。

「おい爺さん、この馬車は何処まで行くンだ?」

「――サン・ミゲルじゃよ」

 寝惚けた手つきで馬を手繰りながら、年老いた農夫は暢気に答える。

「あそこは確か、ギャングの二大勢力が常に縄張り争いをしてるって聞いたぜ」

「ああ、ロホ一家とバクスター一家。両陣営とも均衡状態のおかげで、町のモンは随分と迷惑しておるわい」

 ゲンジと農夫の何気ないやり取りを聞いたハリーは少し考え、やがて何事かを閃いたようにゲンジとエンジェルの肩を抱き寄せた。

「おい、一つ良い儲け話を思いついたぜ!」

 ゲンジがニヤリとしながら即座に問う。

「どっちに就く?」

「両方だ、最終的には皆殺し」

 エンジェルがころころと笑いながら頷いた。

「どうせ相手は人間のクズだ。両方とも潰しちまった方が町の連中も助かるだろう。そして、――浮いたお金は、俺たちの懐に転がり込むって筋書きさ!」

 三人はこれから始まる新たなお祭り騒ぎと、派手なドンパチを想像し、期待感に胸を膨らませた。

「へっへっへっ、こいつァ面白くなってきやがったな! ちょうど新しい武器も手に入ったところだ。一丁、荒稼ぎするか!」

 満面の笑顔でエンジェルアイがOKサインを出す。

「詳しい算段は向こうに着いてからだ。それまではとりあえず、そうだなぁ……」

 ハリーはキラキラとその双眸を輝かせ、片方の瞳をぱちくりと(しばた)かせた。


「――まぁ、のんびり行こうや?」


 深く澱んだ悲しみも、重たく背負った運命も、熱く乾いた風が悪戯する手つきでさらってしまう。

 そんな伝説に謡われる時代があった。

 数多の危険と栄華犇めく大いなる荒野を、おんぼろ馬車は進んでゆく。

 沈む夕陽を追いかけるように。 

 西へ東へ、大地の果てまで。

 まだ見ぬ明日へと駆けて行く。――





 Once upon a time in the west… 〝遠い昔の西部で……〟

 


僕が十七の頃に書いた処女作でした。

思い出いっぱいの作品です。。

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