01.魔法乙女は会社員
水曜日、午後三時四十二分。
ネオ・トーキョー中央第三地区の商業エリアに、けたたましい警報音が鳴り響いた。
通りを行き交っていた人々が足を止め、次々と音のする方へ顔を向ける。
遠くから緊急車両のサイレンが近づき、街のざわめきが次第に大きくなっていった。
そんな騒がしさの中、美雨の携帯端末に通信が入った。
『こちら通信指令部。中央第三地区、第二商業区画の中心部にてギアビースト出現。周辺住民の避難を開始しています。アムール公共安全、出動可能な魔法乙女は応答してください』
美雨は素早く状況を整理する。
現在、中央第三地区の第二商業区画を警らしている魔法乙女は、自分だけだ。
携帯端末を操作し、通信指令部からの呼びかけに応答する。
「こちら、アクア・アムール。現在地からおよそ三分で現着可能です」
『了解。アクア・アムールの出動を承認します。現場では警察および消防の誘導に従ってください』
「承知しました」
水瀬美雨、二十八歳。職業、魔法乙女。
株式会社アムール公共安全に勤務する、魔法乙女歴およそ二年の会社員だ。
その可愛らしい名称から、魔法乙女は世間的に華やかな職業だと思われている。
実際、変身後の衣装は華やかだし、街を守る仕事にはやりがいもある。
しかし、現実の業務は意外と地道だ。
出動前には通信指令部の指示を確認し、現場では関係機関と連携し、任務終了後には報告書を書かねばならない。
もちろん、勤怠管理もある。むしろ、書類仕事をせずに済む日はほとんどなかった。
「よし、と」
美雨は人通りのない路地へと入り、周囲に誰もいないことをたしかめた。
左手首に装着したブレスレットに指先を添える。細い銀色のチェーンには、水色の雫をかたどった宝石が揺れていた。
「中央第三地区、アクア・アムール。変身の承認をお願いします」
『本人認証完了。アクア・アムール、変身を承認します』
「承認確認。――ラブ・オン!」
ブレスレット型の変身デバイスから溢れ出した淡い水色の光が、美雨の身体を優しく包み込んだ。
肩に触れるほどの長さだった艶やかな黒髪が、氷を思わせる青みがかった銀髪へと変わっていく。
髪はするすると伸びて長いツインテールになり、左右の結び目には小さなお団子が形作られる。毛先には柔らかなカールがかかった。
瞳も水面のように輝く明るいアクアブルーへと変われば、白と水色を基調とし、銀の装飾があしらわれた衣装が光の粒から形を成す。
ふんわりと広がる膝丈のスカートに、胸元で揺れるリボン。手首まで覆う短いグローブと、膝下までの編み上げブーツ。
見た目は可憐だが、グローブとブーツには強力な魔力補助が施されている。
携帯端末も光に包まれ、イヤリング型の通信機へと姿を変えて耳元に収まった。
美雨――いや、アクア・アムールは、装備をたしかめるように軽く拳を握った。
「変身完了。現場へ急行します」
そして、跳躍。
アクアの身体が軽やかに宙を舞い、次の瞬間には建物の屋根へと着地していた。
着地の勢いをそのまま次の跳躍へとつなげ、屋根から屋根へと駆けていく。
銀色のツインテールが風を受け、背中で大きくなびいた。
◇
たどり着いた第二商業区画の中心部では、全長四メートルほどの機械仕掛けの怪物が広場をゆっくりと歩き回っていた。
角張った胴体に太い両腕と二本の脚。
黒ずんだ金属の装甲に覆われた機体からは、エンジンが唸るような低い駆動音が響いていた。
その怪物から少し離れた場所では、警察官が市民の避難を誘導し、消防隊員が安全確認を進めている。
「今日はよく見る機体だな」
ビルの屋上から周囲の状況を確認し、アクアが呟いた。
動きは鈍いが、装甲は厚い。とはいえ、何度も対処したことのある型だ。
これなら対処にさほど時間はかからないだろう。
そう考えていると、耳元の通信機に通信指令部からの連絡が入った。
『アクア・アムール、到着を確認しました。広場南側に取り残された児童が一名います。救助を優先してください』
「了解です」
言うが早いか、アクアは屋上のコンクリートを蹴った。空を飛ぶようにして広場の南側へ向かう。
指示された場所に目を凝らすと、ベンチの陰に小さな男の子がうずくまっていた。
膝を抱えたまま顔を伏せ、小さな肩を震わせている。
アクアは男の子の前に降り立ち、目線を合わせるように膝を折った。
「もう大丈夫!」
できるだけ明るく、優しい声で呼びかけると、男の子が涙で濡れた顔を上げた。
「アクア・アムールが迎えに来たよ!」
「ま、まほうのおねえちゃん……!」
「えらかったね。あともう少しだけ、私と一緒に頑張ってくれるかな?」
男の子は小さな手で涙を拭い、こくこくと頷いた。
アクアは安心させるように微笑み、男の子をそっと抱き上げる。
「しっかりつかまっててね」
男の子が首に腕を回したのをたしかめ、アクアは地面を蹴った。
広場の外へ向かって一気に跳び上がると、男の子が驚いたように身をすくめた。
けれど、空を飛んでいることに気づいたのか、やがてきゃらきゃらと笑いはじめる。
その声を聞いてアクアも微笑み、安全区域で待機していた消防隊員に男の子を引き渡した。
「児童一名、救助完了です。怪我は見当たりませんが、念のため確認をお願いします」
「了解しました。救助、ありがとうございます!」
消防隊員への引き継ぎを終えると、アクアは通信回線を開いた。
「南側の救助完了。周辺の避難状況を確認してください」
『警察から避難完了との報告が入りました。戦闘区域内に一般市民はいません』
「了解。戦闘許可を申請します」
『安全条件を確認。戦闘を許可します』
「許可、確認しました」
アクアは再び広場へと向かった。
広場ではギアビーストが鈍い金属音を立て、こちらを見据えていた。
その姿を確認すると、アクアは背筋を伸ばして胸を張った。
「澄みわたる心に、恋のきらめき!」
ツインテールになった銀髪が、風にふわりと揺れる。
「愛と希望の魔法乙女!」
右手を胸元へ、左手を前へ。
アクアは優雅な仕草でスカートの裾を摘むと、踊るようにカーテシーを披露した。
「アクア・アムール!」
そして、にっこり可憐に笑う。
「わるものさんは、恋のしずくでお仕置きです!」
業務に必要だからと練習をして、今ではすらすら言えるようになったセリフ。
けれど、二十八歳にもなって大真面目にこんな可愛らしい口上を唱えるのは、やはり少し照れくさい。
『アクア・アムール、識別口上を確認しました』
「はい。それでは、行きます!」
アクアは地面を蹴った。
ギアビーストが重たそうな腕を振り下ろす。
アクアはその軌道を見切り、軽やかに横へ回り込んだ。勢いをつけた蹴りが厚い装甲に叩き込まれる。
鋭い衝撃音が広場に響き、機械の巨体が大きくよろめいた。
「もう一発!」
アクアは大きく踏み込み、右拳を突き出した。
水色の光をまとった拳が装甲を打ち抜き、ギアビーストの巨体が後方へと揺らぐ。
機械の怪物は数歩後退すると、その場に膝をついた。
アクアはすぐに距離を取り、通信回線を開いた。
「対象の動作が低下しています。活動状態の確認をお願いします」
『対象の反応低下を確認。ギアビーストの完全停止までその場で待機してください』
「了解です」
十秒。二十秒。
機械の怪物は身じろぎひとつせず、広場に膝をついたままだった。
やがて背中の排気口から白い蒸気が勢いよく噴き出し、低く響いていた駆動音が次第に小さくなっていく。
『ギアビースト、完全に沈黙。活動停止を確認しました。任務完了です』
「お疲れさまでした」
アクアは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
今日も無事に終わった。それがなによりだった。
もっとも、これで仕事が終わったわけではない。支援センターに戻れば、報告書が待っている。
魔法乙女にも、避けて通れない現実があるのだ。
◇
「美雨先輩、お疲れさまです!」
午後五時過ぎ。
美雨がアムール公共安全の中央第三地区魔法乙女支援センターに戻ると、桃井莉子が明るい声で迎えてくれた。
莉子は魔法乙女になって半年の後輩だ。
変身すると、桃色の衣装と長いリボンがよく似合うピーチ・アムールになる。
「お疲れさま、莉子ちゃん。今日の訓練どうだった?」
「リボンの拘束時間、前回より二秒伸びました!」
「すごい! 頑張ったね」
「ありがとうございます! でも、最後に着地をちょっと失敗しまして」
そう言って肩を落とす莉子に、美雨は小さく笑いかけた。
魔法乙女は危険を伴う仕事だ。訓練中の失敗でも、思わぬ怪我につながることがある。
美雨は莉子の様子をさりげなくたしかめながら、声を和らげて尋ねた。
「莉子ちゃん、怪我はない?」
「ありません!」
「ならよかった。次は着地まで意識してみようか」
「はい!」
莉子は元気よく返事をすると、ふと美雨の手元にある端末を見た。
「あ、美雨先輩。それって今日の報告書ですか?」
「うん。さっきの出動分」
「私、報告書ってまだ苦手です」
「最初はみんなそうだよ」
どこか役所めいた細かな記載ルールのある報告書には、美雨も入社当時ずいぶんと苦労した。
今では少し慣れたものの、入社してまだ半年の莉子には大変な作業なのだろう。
莉子は唇を尖らせてぼやいた。
「どうして戦闘の時間より、書いてる時間のほうが長いんでしょう」
「それは、私もたまに思う」
二人は顔を見合わせ、思わず吹き出した。
ひとしきり笑ったあと、美雨は手元の端末を操作して出動記録と活動報告書を開いた。
出動時刻に現場到着時刻、市民の避難状況。救助人数や戦闘開始・終了時刻、それから戦闘区域の損傷箇所まで。
報告書には細かな項目がいくつも並んでいる。
以前、一般企業で事務職をしていた頃は、もっと理不尽な書類仕事に追われていた。
それに比べれば、今の職場はずっと働きやすい。給料もいいし、休暇も取りやすい。
なにより、自分の仕事が誰かの役に立っていると実感できる。
「……あちゃあ」
美雨の指が画面の上で止まった。
活動報告書の下部に、見慣れない添付欄があった。
「報告書の添付欄、また増えてる」
「えっ」
「今月から現場写真を二種類添付するようになったの、忘れちゃってた」
「一種類じゃ駄目なんですか?」
「うん。現場の記録から、それぞれ該当する写真を選ばないといけないみたい」
莉子は一瞬だけ顔をしかめた。
けれど、すぐに美雨へと向き直り、感心したように目を輝かせる。
「美雨先輩、よく気づきましたね! 私だったら絶対に見落としてます」
「いや、私も今気づいたところだから」
莉子の言葉に美雨は苦笑した。
どんなに技術が進歩しても、書類の入力欄はなぜか増える。
これはきっと、魔法でも解決できない問題なのだろう。




