姫と雛 2
「サンサーン王国はのどかな国だね」
ふいに、穏やかな声が聞こえた。
「獣でいるとね、尚更に感じるんだ。ピリピリとしてヒトに余裕のない国もあれば、疲れ果てたように静かな国もある。サンサーンは、ヒトの暮らしが地についた国だ」
「……郡部は、そうかも。国境近くの領主は、まだお母様が生きてる頃に精査されたはずだから……」
地方行政への造詣の深さで選ばれた、と聞いている。都市部より郡部の充実が国力を支える、と。
ただ、中央部の領主や官吏は一筋縄ではいかない。利権や地位、家柄や伝統が絡み合う。地方再編で罷免した領主に、代わりに与える中央での仕事も必要だった。
だからこの国は、王都に近いほど腐ってる。王都に近いほど、後妻の権勢も強くなる。
「聖皇国はどうなの?」
国家のあれこれを考えているうちに、いつの間にか、わたしの拗れてしまったテンションも落ち着いていた。
「聖皇国って、詳しい資料がこっちにはほとんどないの」
跡継ぎになる気なんて皆無のわたしだけど、それでも、まったく勉強して来なかったわけじゃない。王都から取り寄せた大量の本があったし、年に数回、家庭教師もやって来た。
でも、本で見る数値や教えこまれた礼儀作法なんかじゃ、国民の生活は支えられない。なんだかんだ言ったって箱入りのわたしには、リヒャール様のような生きた経験がないのだ。そもそも、知識量自体が圧倒的に少ないし。
「うーん、行けばわかると思うけど、『どこよりも特殊な場所』……かな。とにかく精霊が多いんだよね」
「この間の教会みたいに?」
「そう……だね。あぁいう『精霊溜まり』みたいな所があっちこちにあるよ」
「へー! すごくキレイなトコなんだろうなぁ。あ、でもちょっと眩しそうかも。……帽子とか、いる?」
「ふふっ! それは大丈夫だと思うよ? ……ハァ、マーガレットが可愛くてツラい……」
「な!? な、何、急に……」
ようやく戻った心拍と顔の熱がまた上がる。夕闇のせいで周りからはこの赤みが見えないだろうことが救いだ。
「急じゃないよ。いつだってそう思ってる。たまに口から溢れちゃうだけ。……あぁ、早くマーガレットを独り占めしたい……」
「あ! リヒャール様! あれ、お土産に買って行こうよ! 明日のおやつにもちょうどイイしっ」
このままじゃ、さっきの二の舞になる。これはもう……話題を変えるに限るよね!?
明らかに不自然だけど、ちょっと先にある屋台を指さす。焼いた木の実を売る屋台だ。
「……ふふっ……そうだね」
クスクスと笑うリヒャール様は多分、何かを察してる。……仕方なさそうな目、してるもん。
どーせわたしはお子ちゃまですよ。免疫なんかゼロですよ。だからホント、からかわないで!
「おじさん、店じまい後でイイから宿まで届けてくれる?」
ゆったりと歩くリヒャール様を急かして屋台を覗く。店主のおじさんは驚いたような顔をしたあと、ニヤリと笑った。
「そりゃ量にもよるな。しっかし、堂々とデートとは、肝の据わったお偉いさんもいるもんだ」
「お、お偉いさんなんかじゃないよ!? ここに出てる分全部買うから!! ね!?」
「そりゃありがてぇ。どこの宿だい? だぁいじょぶ、お偉いさん方がデートしてたのは内緒にすっから」
「だから……っ」
わざわざ庶民の服を着ているのに、なんで「お偉いさん」なんて呼ばれるのだろう。さすがに身バレはしないだろうが、このままじゃ、防犯上云々言っていたジュリ達に怒られる……!
「毎度あり!」
しどろもどろになりながら威勢のイイおじさんに代金を多めに渡して、配達を頼んだ。時間も時間だし、すぐに屋台を片付けて届けてくれるらしい。
「イイ? 『地味な格好のお嬢さんに頼まれた』とかテキトーに誤魔化してね?」
「がっはっは! 心配すんな! ウチの木の実食べりゃ怒る気なんか失せるからよ!」
従者に怒られる、と理解したおじさんが、ちょっと噛み合わないながら陽気に請け負ってくれる。
おじさん曰く、「服装が地味だろうが、そんなご立派な藍鉱石を身につけている人間が庶民のわけない」のだそうだ。……でも、このピアス気に入ったし、せっかくリヒャール様が買ってくれたし……。ううぅ……。
暗いから近くから見なきゃわからないだろう、と思うことにして、屋台を離れた。外しても、貴重品なんてしまう場所、この服装にはないからね!
「……リヒャール様?」
少し歩いて……異変に気づいた。なんか、やけに静かじゃない?
そっと窺うように、すぐ隣の温もりを見上げる。
「っ……!?」
な……なななな何!? なんでこのヒト、蕩けるような目で黙ってこっち、見つめてるの……!?
リヒャール様なんて見なきゃ良かった!!
ドキッと不整脈が起きるのを感じながら、わたしは慌てて前に向き直る。いくら薄暗くなって来たと言ったって、この距離だ。リヒャール様の甘い甘い、キャンディの蜂蜜掛けみたいな眼差しを、真正面から見てしまった……。
「……デート、だって」
視線と同じくらい甘い声が耳をくすぐる。
「ふふっ、私たち、デートしてたんだって。そう見えるって」
だから何ですか!? やけっぱちで叫びたい。
でも確かに……「デート」って…………2人でお出掛けして、お揃いのアクセサリーを買ってもらって……。ぎゃ───っ!?
「マーガレットとデート……ふふっ! 人間に戻れて良かった!」
またしても恥ずか死にそうになっていたわたしは、最後の一言でギリギリ、正気を保った。
恥ずかしいのは恥ずかしい。頬っぺた、めちゃくちゃ熱いし。
……でも、そうだよね。獣の姿のままじゃ、町に入れない。もし入れたって……もし一緒に歩いてたって、誰一人、そういう目で見ることはなかっただろう。リヒャール様にとっては……他人から「デート」だと思われたことが、嬉しいんだ……。
その気持に、水を差したくない。そう思った。だから、
「楽しいね……!」
勇気を出して言ってみる。真っ赤だけど。涙目だけど。楽しい、そう思ったのは事実だし、リヒャール様にもそう思って欲しかったから。
「マーガレット……っ!」
ゆっくりと歩きながら、できるだけ気さくに、何でもない風を装って他に寄りたい所がないか訊いてみる。たぶん、会話しながら町を歩くのだって、リヒャール様には貴重な経験。
それと同時に、自分のお気楽さに苦笑した。もしリヒャール様が人間のまま、この十年を暮らしていたなら、デートなんて珍しくも何ともなかっただろう。だって、こんなに優しくて、こんなにステキなヒトなんだもん。
全ては呪いのせい。呪いに奪われた、十年のせい。
リヒャール様がわたしを好きだと言うのは、刷り込みだ。鳥のヒナが初めて見た生き物を親だと思い込む、あれと同じ。
わたしが、リヒャール様の呪いを解いたから……。
どうしてだろう、胸が苦しい。でも、ようやく冷静になれた気がする。
この先きっと、リヒャール様は本当に好きなヒトを見つけるはずだ。刷り込みの……親みたいな、わたしじゃなくて。
言うなれば今は、巣立ちの前。生きるために必要なあれこれを学んでいる最中なのだから。
「マーガレットと出会えて良かった……。愛してる、マーガレット」
「…………ありがと」
迷った末小声でそう返したのは、反応に困ったせい。だって……わかっていても、恋愛経験なんて皆無なわたしは赤面するのを止められない。つい、本気で動揺してしまう。
けど……慣れなきゃ、ね。リヒャール様が巣立ちを迎えた時に、笑顔で見送れるように。
リヒャール様はもう、バイドじゃない。わたしの親友じゃないのだから。
聖皇国に帰ったら、皇子として輝かしい道を歩くヒト。
不幸な呪いから解放されたバイドは、もう、自由だ。もう、縛られて欲しくない。
だから。わたしが隣にいられるのは、今だけ。この旅路の途中まで。
シャラリと澄んだ音で揺れるピアスも……いずれ、外す。




