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もう猫を被るのは疲れました。 悪役令嬢全開でいかせていただきます。  作者: 渚月(なづき)


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第4話 紋章は語る

監査官の名はエドガー・ヴァレット。ギルモア伯爵の甥にして、二十代半ばの若い官僚だ。


応接間に現れた彼は、薄い笑みを浮かべていた。細身で、叔父に似た痩せた顔立ち。だが老獪さはまだない。若さゆえの傲慢さが、目の奥に見えた。


「ヴァイス公爵令嬢。このたびは、公爵のご逝去、お悔やみ申し上げます」


「ありがとうございます。して、監査の件ですが」


「ええ。まずは交易に関する全記録の提出を——」


「すでに整理してございます。こちらへ」


エドガーの目が、わずかに見開かれた。まさか、父を亡くしたばかりの令嬢がすべて用意済みとは思わなかったのだろう。彼の計算では、悲嘆に暮れる娘が書類の所在も分からず右往左往する——そういう絵図を描いていたはずだ。


私は彼を書庫に案内した。父が三十年かけて残した記録は、一点の曇りもなかった。通行税の収支は年ごとに整然と記され、商人への許可証は発行日と有効期限が正確に管理されている。道路の補修記録には、使った石材の産地まで記されていた。冬季の物資輸送計画は、北方五領の人口と必要量から逆算して策定されている。


父は几帳面な人だった。その几帳面さが、今、私の盾になっている。


「……拝見します」


エドガーは記録を一つ一つ確認し始めた。その手つきは丁寧だったが、目は別のものを探していた。粗を。この記録の中から、ヴァイス家を追い落とす材料を。


(……見つけられるものなら、見つけてみなさい)


三日間の監査が続いた。その間、私はエドガーの動きを観察していた。人間は、探しているものがある時、無意識にその方向を見つめる。彼が特に時間をかけた記録。繰り返し確認した箇所。質問の仕方と、質問しなかった箇所。すべてが、彼の上——ギルモア伯爵——の意図を映していた。


紋章学において、盾の分割方法にも意味がある。縦に分割する「パーティー」は連合や結婚を、横に分割する「フェス」は軍功を示した。斜めの「ベンド」は防衛を意味する。つまり紋章を読めれば、その家の歴史と性格が見える。同じように、監査の仕方を読めば、相手の目的が見える。


エドガーが執拗に確認していたのは、五年前の冬季輸送記録だった。


「この冬、通常より三割多い物資が運ばれていますが、理由は」


「五年前の冬は記録的な大雪でした。北方五領への緊急物資輸送を行ったためです」


「緊急輸送の許可は」


「国王陛下の直接命令です。許可書はこちらに」


エドガーの表情が強張った。国王の許可書を前にしては、それ以上追及できない。だが彼の目は許可書の日付を凝視していた。何度も、何度も。


(……なるほど。日付か)


私は仮説を立てた。おそらくギルモア伯爵は、王宮に保管されている許可書の写しを消し、日付の齟齬を利用して、ヴァイス家が無許可で交易を行っていたという証拠を捏造するつもりだ。


「エドガー殿。一つお願いがございます」


「何でしょう」


「監査報告書は、公爵家にも写しをいただけますね。これは宮廷の慣例ですので」


「……もちろんです」


彼の一瞬の躊躇い。ほんの僅かな間。報告書の写しが手元に残ると困る理由がある。私の仮説は補強された。


その夜、ノエルが訪ねてきた。約束通り、監査に助力するためだ。


「報告書の写しを要求した。ここからが勝負よ」


「何を見つけた」


書斎で向かい合い、私は観察結果を伝えた。ノエルは腕を組み、黙って聞いていた。この人は聞くのが上手い。余計な相槌を打たず、ただ集中して聞く。


「五年前の冬季記録を狙っている。おそらく日付を改竄して、無許可輸送の証拠を作るつもり」


「根拠は」


「三つ。一つ、エドガーが最も時間を費やしたのがその記録。彼は他の年度には各半日しかかけていないのに、五年前だけで丸一日使った。二つ、許可書の日付を凝視していた。三つ、報告書の写しを求めた時に躊躇った。改竄前の記録が残ると困るからよ」


ノエルは短く言った。


「対策は」


「写しが届く前に、原本の複写を作成して別の場所に保管する。それと——」


私は銀の鍵を取り出した。父が遺した鍵。


「この鍵が何の鍵か、まだ分からない。でも、父がこの時期に備えて残したものなら、きっと今の状況に関係がある」


ノエルは鍵を見つめた。それから、表情が少し変わった。


「心当たりがある」


「え?」


「公爵は三ヶ月前に私の領地を訪ねた。その時、うちの古い書庫を使わせてほしいと言っていた」


「お父様が、あなたの書庫に?」


「山の中にある石造りの書庫だ。鍵は——たぶん、それだ」


息を吸い込んだ。父は知っていた。自分がいなくなった後のことを。だからノエルに鍵を託し、書庫に何かを残した。


「ノエル。その書庫に、案内してくれますか」


「明日、馬を出す」


彼は立ち上がり、扉に向かった。ふと足を止めて、振り返った。


「イレーネ」


名前を呼ばれた。「令嬢」でも「公爵家の方」でもなく。


「しっかり寝ろ。顔色が悪い」


それだけ言って、出ていった。不器用で、素っ気なくて、けれど確かに心配してくれている。


(……変な人)


メルテがお茶を運んできた。私の顔を覗き込んで、小さく首を傾げた。


「お嬢様、少し顔が赤くないですか?」


「暖炉のせいよ」


嘘だったかもしれないし、本当だったかもしれない。


——翌日、私たちは山の中の書庫に向かった。銀の鍵が開けたのは、古い樫の扉。その奥に、父の最後の贈り物が眠っていた。



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