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もう猫を被るのは疲れました。 悪役令嬢全開でいかせていただきます。  作者: 渚月(なづき)


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第10話 猫は二度と被らない

王太子セドリックとの面会は、王宮の小さな庭園で行われた。


薔薇が咲いていた。六年前、婚約が決まった日に歩いた庭園と同じ場所だった。あの日、十六歳の私はここで微笑んだ。完璧な、作り物の微笑みを。今日は違う。


セドリックは薔薇の前に立っていた。金髪が風に揺れている。あの夜の傲慢さは消え、代わりにあったのは戸惑いと——後悔。


「イレーネ」


「殿下」


「単刀直入に言う。私は愚かだった」


「ええ」


「それだけか。怒りはないのか」


「怒る価値があると思いますか」


セドリックは苦笑した。初めて見る、飾らない表情だった。演説のような美しい言葉ではなく、不格好な本音。


「おまえはいつも——いや、今のおまえが本当のおまえなのだな。六年間、気づけなかった。いや、気づこうとしなかった」


「ええ。六年間隠していた本性です。毒舌で、理屈っぽくて、人の嘘が全部見えてしまう、厄介な女」


「知っていたら、違っていたかもしれない」


「それはどうかしら。殿下が求めていたのは、頷いてくれる人形だったのでは。自分の理想を映す鏡であって、鏡に映るものを指摘する人間ではなかった」


セドリックは黙った。否定しなかった。否定できなかったのだろう。


長い沈黙の後、彼は深く頭を下げた。金色の髪が揺れ、額が膝に近づくほど深い礼だった。


「すまなかった」


王太子が、頭を下げている。周囲の侍従たちが目を見張った。王族がこのような形で謝罪するのは、極めて異例のことだ。


「婚約破棄は撤回しない。おまえにとっても、そのほうがいいだろう。今さら形だけの婚約に戻っても、互いに不幸なだけだ」


「ええ。それには同意するわ」


「だが、ヴァイス公爵家の名誉は回復させる。宮廷会議の場で、婚約破棄が不当な影響に基づくものであったことを公式に認める。それは、私の義務だ。せめてもの償いとして」


「ありがとうございます。それだけで十分です」


面会は、短く終わった。言うべきことは言い尽くした。六年間の長さを思えば、あっけないほど簡潔に。


庭園を出る時、不意にセドリックが言った。


「アッシュフォード辺境伯は、いい男だ」


「は?」


「昨日の会議で見ていた。あの男は、おまえが発言している間、ずっとおまえだけを見ていた。私にはあんな目で人を見た記憶がない」


「殿下。それ以上は不要です」


「私に見る目がなかっただけだ。おまえの隣にいるべきは——」


「殿下」


私は早足で庭園を去った。頬が熱かったのは、初夏の日差しのせいだと自分に言い聞かせた。薔薇の香りが鼻をかすめた。甘い香り。だが今はもう、毒の匂いは混じっていない。



宮廷会議から一ヶ月が過ぎた。


ギルモアの不正は次々と明るみに出た。十年間にわたり横流しした税収の総額は、小さな領地が十年は運営できるほどの規模に上った。彼が買収していた商人や官僚の名前も芋づる式に判明し、宮廷全体が揺れた。


オーレリアの兄の死についても、再調査が始まった。馬車事故の当日に不審な人物が目撃されていたことが新たに判明し、事故ではなく殺害であった可能性が強まっている。


オーレリアは王太子との関係を清算した。三年間演じ続けた「王太子の恋人」という仮面を脱ぎ、クレスト男爵家の再建に取りかかった。


「イレーネ様。いつかまたお茶をご一緒してくださいますか」


「もちろん。今度は仮面なしで、堂々と」


オーレリアは笑った。初めて見る、心からの笑顔だった。翠の瞳が潤んでいたけれど、もう泣いている目ではなかった。


ハンスの息子は、約束通り、正規の手続きを経て王立学院への入学が認められた。裏切りの対価ではなく、才能を認められた結果として。ハンス自身は領地を離れ、小さな町で静かに暮らしていると聞いた。


シュヴァルツ男爵の遺族には、遺族年金が支給されることになった。ノエルが領主の権限で手配してくれた。幼い娘二人が路頭に迷わずに済む。


すべてが、少しずつ収まるべき場所に収まっていく。蜘蛛の巣が取り払われた後の宮廷は、以前より少しだけ風通しがよくなった気がする。


北方交易路の管理権は、ヴァイス公爵家に正式に継承された。そして公爵位は——ここで、誰も予想しなかった展開が起きた。


国王アルヴァンが宮廷会議で発表したのだ。


「ヴァイス公爵位の継承について、特例を適用する。イレーネ・ヴァイスに公爵位を授ける」


ざわめきが起きた。女性への公爵位継承は、王国の歴史において前例がなかった。


だがそれだけではなかった。国王は続けた。


「さらに、北方領地運営の功績と、今回の不正摘発における貢献を鑑み、イレーネ・ヴァイスを北方総督に任命する。これは新設の役職であり、北方五領の交易と民政を統括する権限を持つ」


会場が騒然となった。ざわめきは驚きに、驚きは議論に変わった。一部の保守的な貴族が異議を唱えかけたが、国王の次の言葉が彼らを黙らせた。


「異論がある者は、まずヴァイス家が三十年間北方で成し遂げた実績を超えてから申し出よ」


これは、私が求めていたものを遥かに超えていた。交易路を守るだけでなく、北方全体の統治権を与えられたのだ。父が三十年かけて築いたものを、さらに大きく育てる機会を。


「陛下……これは——」


「リヒトが三十年かけて築いたものを、おまえが半年で守り抜いた。その能力に、ふさわしい権限を与えるだけだ。名誉ではなく、実利だ。おまえの父がそうであったように、実績で応える」


国王は窓の外を見た。そして、微かに笑った。あの疲れた目に、初めて安堵の色が浮かんだ。


「それと、もう一つ」


国王の目が、ノエルに向いた。


「アッシュフォード辺境伯。北方総督の補佐役を命ずる。異論はあるか」


「ない」


ノエルの即答に、会場から笑いが漏れた。あの寡黙な辺境伯の、一言だけの返事。だがその一言に込められた意味を、この場にいる誰もが理解していた。


式典の後、私は城壁の上に立っていた。北方から吹く風は冷たく、澄んでいた。遠くに、三つの山脈の稜線が見える。あの山の向こうに、交易路がある。父が三十年かけて守った道が。


ノエルが隣に来た。黙って、同じ方向を見ていた。


「総督か」


「驚いたわ。想像もしなかった」


「似合っている」


「お世辞は苦手でしょう」


「苦手だから言わない。事実だ」


風が強くなった。私の銀灰の髪が舞った。六年間、きちんと編み込んでいた髪を、今日は少し緩めに結んでいる。


「ノエル」


「ん」


「あなたに聞きたいことがあるの」


「何だ」


「どうして最初から、私を助けてくれたの。『困るから』だけじゃ、ここまでする理由にならないでしょう。監査への助力、書庫の提供、王都への同行、シュヴァルツ家族の保護——全部、あなたがやってくれた」


ノエルは長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。


「公爵から手紙をもらった時。おまえのことが書いてあった」


「父が?」


「三ヶ月前の手紙だ。鍵を託された時に、一緒に受け取った。『自分がいなくなった後、娘を頼む。賢くて強い子だが、一人で抱え込む癖がある。信頼できる人間が傍にいれば、あの子は折れない』と」


胸が詰まった。


父は知っていた。私の弱さを。強がりの下にある脆さを。だから、信頼できる人間を傍に置こうとした。自分がいなくなる前に。


「それで——」


「それで会いに行った。会って、分かった。公爵の言う通りだと」


「どの部分が」


「全部。賢いところも、強いところも、一人で抱え込むところも」


「……それは褒めているの、けなしているの」


「褒めている」


彼は私を見た。穏やかな目で。日に焼けた顔に、小さな笑みが浮かんでいた。この人が笑うのを見るのは、数えるほどしかない。


「それと、手紙には書いていなかったことも一つ」


「何」


「俺が困っていたのは、交易路のことだけじゃなかった」


ノエルは手を伸ばした。私の手に触れた。指先だけが、微かに重なった。温かかった。いつもの、日に温められた木のような温度。


「おまえの傍にいたかった。それだけだ」


風が吹いた。冷たく、鋭く、心地よかった。仮面を外した顔に当たる風と、同じだ。あの夜、馬車を降りた時に感じた風と。


私は指を重ねた。ほんの少しだけ、力を込めて。言葉より確かな、小さな答えとして。


「私も」


それだけ言った。それで十分だった。大げさな告白も、甘い言葉もいらない。ただ、隣にいる。それだけで。


城壁の下では、メルテが手を振っていた。その隣にオーレリアもいる。二人とも笑っている。


「お嬢様ーっ! 祝賀会が始まりますよー!」


メルテの声が風に乗って届く。赤毛の三つ編みが揺れている。


私は笑った。猫を被っていない、自分だけの笑顔で。毒舌で、合理的で、人の嘘が見えてしまう——そんな厄介な自分のままの笑顔で。


北方の空は高く、透き通った藍色に染まっていた。父と同じ色の空。ヴァイスの紋章と同じ、誠実さを映す色。


かつて私は、六年間笑顔を作り続けた。誰かに愛されるために。完璧な婚約者であるために。自分を殺して、他人の期待に応えるために。


今はもう、作らない。


猫は一度被れば十分だ。二度目は、ない。


——風が凪いだ城壁の上で、二つの影が並んで立っていた。その手は、離れなかった。


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