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4 聖域のほとりと静かなるお茶会

「……ん、なんか派手な魔力の爆発音が聞こえなかったか?」


 丘の上、ロクサーヌの家の庭でアップルパイを頬張っていたシオンが、管理局の建物がある方角を振り返って眉を寄せた。


「……気のせいだ。……それより、このお茶、冷める前に飲んだ方がいい」


 レヴィンは一切動じることなく、月光を透かしたような銀髪をわずかに揺らし、静かな所作で紅茶を勧める。


 そのあまりに完成された横顔は、老女であるロクサーヌの止まっていた時間さえも、一瞬だけ春の陽光で溶かすほどの威力があった。


「お口に合うといいのですが、ロクサーヌ夫人。これは王都でもなかなか手に入らない、特別な茶葉なんです」


 シオンとレヴィンは、『世界樹(ユグドラシル)』の麓にある小さな村に住む、老女の家を訪れていた。


 老女はロクサーヌといい、生まれてからずっとこの村で育った人だ。


 二人は『世界樹(ユグドラシル)』の異変について、村人たちに聞き取りを行っていたが、一足先に『聖樹管理局アルボア・ガーディアン』が調査を終えた後だ。


 村の住民も、以前に話したこと以外に特に気付いたことはないと、首を振るばかりである。


 そんな中、一人の女性がうっとりとレヴィンを見上げながらこう言ったのである。


「『世界樹(ユグドラシル)』の伝説についてだったら、ロクサーヌさんが一番詳しいわよ。もっとも、管理局の連中には『おまじない』に興味ないって相手にされなかったけど」


 詳しく聞くと、管理局員の聞き取り調査時にも同じことを伝えたらしいのだが、研究的な価値がないと一蹴されたということらしい。


 確かにロクサーヌの話は『世界樹(ユグドラシル)』に関する「可愛らしいおまじない」に終始しており、学者が取り合わなかったというのも不思議ではないもののように思われた。


「しかし、何かヒントはあるかもしれないな……」


 現状、手詰まりであることには変わりないので、念のため二人はロクサーヌを訪ねたのだった。


 突然の訪問にもかかわらず、ロクサーヌは快く二人を受け入れてくれた。


「お客様がいらっしゃるのは、ずいぶん久しぶりなのよ」


 手作りのアップルパイを二人の前に置くと、小さな花柄をあしらった可愛らしいエプロンを外しながらロクサーヌは席に着いた。


 レヴィンが差し入れた紅茶の香りを感じると、「良い香りね」とおっとりとほほ笑む。その顔はまるで少女のようであった。


「昨年、夫を亡くしてね。寂しくてすっかり引きこもってしまったわ。アップルパイも食べてくれる人がいなくなってしまって、腕が落ちたかもしれないわね。こうして誰かとお話するのも本当に久しぶりなのよ。」


 夫は、同じ村で育った幼馴染だったのだという。


 長く、ずっと当たり前のように一緒だったから、別れる時が来るなど想像もしていなかったし、別れてしまったあとどうなるかなど考えたこともなかったと、寂しそうに笑う。


「夫はね、私がパイを焼くと、いつも世界で一番幸せそうな顔をして食べてくれたの。……あそこに、小さな傷があるでしょう? あの椅子。新婚の頃、彼が私のために作ろうとして、慣れない大工仕事で失敗しちゃった跡なのよ」


  ロクサーヌが愛おしそうに指差した古びた椅子は、『世界樹(ユグドラシル)』の木漏れ日を浴びて、鈍い光を放っていた。


「ずっと一緒に、なんて、無理なことなのにね」


 ふとした時に目が行くのは、長年の習慣なのだろうか。この家は村の中で最も『世界樹(ユグドラシル)』に近い場所にあった。しばらくの沈黙の後、ロクサーヌは口を開いた。


「『世界樹(ユグドラシル)』の話だったわね?私が知っているのは他愛もないことだけよ?」


 彼女の知っている『世界樹(ユグドラシル)』について、ゆっくりと語りだした。


「私が若いころはね、ここは恋する女の子たちのための場所だったの。いろんなおまじないが流行ってね。『あの樹の下で愛を誓うと永遠に結ばれる』とか、『あの樹に月に3回、同じ時間、好きな人の名前を唱えると思いが叶う』とかね。ね、迷信のようなものばかりでしょう」


 懐かしむように目を細めて語るロクサーヌは、それでも優しい顔をしている。


 彼女と夫もよくその「おまじない」をしていたらしく、大切な宝物として心にしまわれていることがよく伝わった。


「でも、だからね。研究員さんが知りたいような専門的な伝承とかは知らないのよ。私が知っているのはおまじないに使う護符の書き方だけよ」


 懐かしそうに言ったロクサーヌの言葉は、しかし魔導士たちには聞き捨てならないものだった。


「その『おまじない』には『護符』をつかうのですか?」


 レヴィンがゆっくりと確認する。シオンの目も真剣みを帯びていた。


「ええ、そうよ?見てみる?私、今でもちゃんと描けるもの。なあに?どなたか好きな方のことでもお願いするのかしら?そうだわ、内緒の話だけど、二人にはこっそり教えてあげる。本当はね、このおまじないは『女の子』じゃなくても使えるのよ。だって私の夫もやっていたもの」


 一年という時間がようやく彼女を癒したのか、久しぶりの来客がうれしかったのか、ロクサーヌはずいぶんと久しぶりにたくさん話をして、よく笑ったと、のちにその日を振り返ったという。


 シオンは手渡された紙きれを食い入るように見つめた。


「…………管理局の連中は節穴か? この曲線の描き方、魔力を一点に集約させるための『収束回路』そのものだ。ただの伝承じゃない。これは失われた古代魔法の……『外部入力用魔力端子(インターフェース)』だ」


「収穫あり、ということだな」


 難しい顔をして、顔を突き合わせる二人に、ロクサーヌは「そんなにおまじないをしないといけないような恋なのかしら?」と考えゆっくりと、この日一番の慈愛のこもったほほ笑みで二人を励ました。


「大丈夫よ、お二人とも素敵だから、きっと恋は叶うわよ」


「……私は、恋などという不確かなものは信じませんが。……あなたという魅力的な女性にお会いできたことは何よりも光栄なことです。あなたのアップルパイは世界一美味しい。ご馳走いただき、ありがとうございました」


  無表情ながらも、レヴィンはカップを置いて丁寧に一礼した。その仕草に、ロクサーヌは頬を染め、「まあ、お上手ね」と声を弾ませる。


 麗しの研究員たちが、最大限の敬意をもってロクサーヌにお礼を伝えたこの日が、ロクサーヌにとってもまた、新たに一歩踏み出すための大切な日となったのであった。


「……さて、収穫はあったが。……レヴィン、そろそろ爆発音が無視できない大きさになってきたぞ」


 管理局の分室がある方角から、今度は地響きを伴う轟音が届いた。


 ロクサーヌが「あら、雷かしら?」と空を見上げる横で、二人の魔導士は「後輩たち」の暴走を察して、そっと溜息をついた。


 優雅なティータイムの余韻を切り裂くように、遠方から響くのは、もはや「乙女」とは程遠い野太い怒号。


「――おい、クソオヤジ。アタシの……いや、ナディアさん達が死ぬ気で着付けたドレスを、何汚してくれてんだよ、ああ!?」


 やれやれと、二人は立ち上がるのだった。

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