XVI 本心
「え?」
わたしは一瞬、セレナさんの言うことが理解できず、まじまじとセレナさんを見つめた。どうしてフィルに友達を作らないで、なんて言うんだろう?
セレナさんは頬を赤らめて、うつむく。
「だって……私は、ひとりぼっちのフィル様が好きなんです」
たしかに、セレナさんはフィルのことを好きと言った。これは事前の予想通りだ。
でも、一人のときのフィルが好きってどういうことだろう?
「フィル様は、いつも窓の外をぼんやり眺めて……本を読んで……。そんなフィル様はとてもかっこよくて、可愛くて……」
たしかにフィルは可愛い。けど、ひとりぼっちのときよりも、わたしの目の前で微笑んでくれるフィルの方が好きだけど……。
レオンが口をはさむ。
「自分と同じ、一人のフィル様が好きってこと?」
レオンの言い方は少し意地悪だったけれど、真実を言い当てているようだった。
セレナさんはうつむいた。
「そう……かもしれません。ずっと……一人のフィル様を眺めていたいんです」
気持ちはわかるかもしれない。
孤立しているセレナさんは、同じように孤立しているフィルに親近感を抱いているんだと思う。
そして、フィルは孤立していても、容姿も優れているし、勉強もできるし、目立つ存在だった。
セレナさんが憧れのような好意を持つのも理解できる。
でも……。
それでは困る。フィルがひとりぼっちのままなのは、わたしは嫌だ。
「あのね、セレナさん。わたしもね、このままフィルがひとりぼっちだったらいいな、って思いがないわけじゃないの」
セレナさんは驚いたように褐色の瞳を見開く。
レオンもぎょっとした顔をした。
「な、何を言い出すんですか、お嬢様?」
二人がびっくりするのも当然だ。だけど……。
「フィルが一人だったら、ずっとわたしがフィルを独り占めできるじゃない?」
「お、お嬢様……。でも、それではフィル様が……」
そう。
そのとおり。
それでは、フィルにとって、不幸なことだ。
わたしが教室へ行くだけで、フィルがぱっと顔を輝かせる。その魅力には抗いがたいけど……。
でも、それはフィルがひとりぼっちだからで、そしてフィルはひとりぼっちを望んでいない。
ひとりが悪いわけじゃない。世の中にはひとりでいることの方が気楽で素敵だという人もたくさんいる。
でも、フィルはそうではなくて……周囲と仲良くなることを望んでいる。
そして、わたしが観察するかぎり、セレナさんも同じだと思う。
「わたしは、フィルにもっとたくさんの人と仲良くなってほしいの。そして、みんなにもフィルの魅力を知ってほしい!」
セレナさんとレオンがあっけにとられたようにわたしを見る。
わたしはにやりと笑った。
「だって、あんなに可愛くて、頭も良くて、そしてとても優しい子をわたしが独占していたら、きっと神様からの罰が当たるもの。わたしはフィルのことが大好きだから、みんなにもフィルのことを知ってもらいたいの」
わたしの言葉に、レオンは呆れたというようにため息をついた。けど、その顔はどこか楽しそうで、優しい表情が浮かんでいた。
そして、セレナさんは……固まっていた。
しばらくして、セレナさんはわたしを上目遣いに見る。
「私が間違っている……ということですか?」
「そういうわけじゃないわ。あなたがフィルのことを好きなのは、わたしも嬉しいもの。だからね、あなたも眺めているだけじゃなくて、フィルの友達にならない?」
「私が……フィル様の友達……」
つぶやいた後、セレナさんはぶんぶんと首を横に振った。
「私なんかじゃ……きっと……ダメです。私は……ダメなんです。ずっとお屋敷にいて……家から一歩でも出ると怖くて……。人と話すのもうまくできないですし……何の取り柄もないし……」
ずいぶんと自分に否定的だな、と思う。
ある意味、前回の人生のわたしとは正反対だ。あの頃のわたしは、完璧な公爵令嬢として、王太子の理想の婚約者として、自信に満ちていた。
もちろん、それは思い込みで、わたしは破滅したわけだけど。
セレナさんの自己評価だって、思い込みだ。
「私は……クレア様とは違うんです。クレア様みたいに……フィル様と仲良くしたりなんて……」
セレナさんは小声で言う。
セレナさんは、それはそれは両親から愛されたそうで、使用人たちからも大事にされてきたはずだ。
でも、だからこそ、外の世界が怖いかもしれない。
わたしは身をかがめ、とても小柄なセレナさんと目線を合わせる。
「セレナさんはとっても可愛いもの。取り柄がないなんてことはないと思うの」
「そう……でしょうか」
「ええ。わたしが男子だったら、セレナさんみたいな女の子が友達になってくれるなんて言ったら、きっととても喜ぶと思うし」
これはお世辞じゃなくて事実だ。だからこそ……フィルをとられたらどうしようという心配もないわけじゃないけれど。
さらに言葉を重ねようかとも思ったけど、あまりグイグイいかないほうがいい、というレオンの忠告を思い出した。
このあたりで切り上げようかな。
「あなたが勇気をもってフィルと友達になりたいなら、わたしはいつでも協力するから」
わたしの言葉に、セレナさんは答えず、うつむいたままで、でも一瞬きらりと目が光った。
あと一歩押せば行けるんじゃないだろうか?
セレナさんは、孤独なフィルを眺めていたい、なんて言うけれど、それは本心じゃなくて、本心では普通にフィルと仲良くしたいと思っているはずだ。
最初に教室で見たとき、セレナさんはわたしを憧れや嫉妬のこもった目で見ていた。
あれは自分も、フィルと仲良くしたいということだったはずだ。
やっぱり、もう一歩、踏み込んでみようか?
そのとき、レオンがわたしの服の袖を軽く引いた。
「お嬢様、そろそろ戻らないと……」
いけない。
毎日授業をさぼるわけにはいかないし、そろそろ戻らないと午後の授業に遅れてしまう。
わたしはひらひらと手を振り、「じゃあね」と言って立ち去ろうとした。
「あの……」
セレナさんに呼び止められて、わたしは振り返る。
青空を背に、セレナさんがわたしをまっすぐに見つめる。
「どうして、クレア様はそんなに堂々としていて……自信をもって振る舞えるんですか?」
そんなに堂々としているかな?
でも、たしかに……わたしはセレナさんのような物怖じはしない。破滅は怖いけれど、それはまた別の怖さだ。
わたしが自信をもって振る舞えるとすれば、前回の人生では、王太子の婚約者だったからだ。
完璧な公爵令嬢、理想の王太子の婚約者であることがわたしの存在意義で、そして自信の源だった。
でも、今のわたしは……自分がそんなものにはなれなかったことを知っている。
前回の人生での破滅は、わたしの心に深い傷を残していた。
それでもなお、わたしが少しは自分を信じることができているとすれば、その理由は、たった一つだ。
「フィルがわたしを必要としてくれているから。フィルがわたしのことを姉として頼ってくれるから、だから、わたしは堂々としているんだと思う」
わたしがそう言って微笑むと、セレナさんは目をおおきく見開き、そしてうなずいた。
フィルがわたしに破滅に立ち向かう勇気をくれている。だからこそ、わたしはフィルの最高の姉になりたいんだ。
わたしは心のなかでそうつぶやいた。
立ち去る前に、わたしはもう一つだけ、言うべきことを思い出した。
「そうそう。セレナさん。わたしのことを『様付け』はやめてほしいの。同じ学園の生徒でしょう?」
レオンと違って、セレナさんはリアレス公爵家の家臣というわけでもないのだから、変にかしこまるのもおかしいと思う。
まあ王太子のアルフォンソ様の婚約者のわたしに遠慮する人は多いのだけれど。
セレナさんはためらった様子だった。
「で、でも……」
「わたしが二年生。あなたは一年生。だから、『クレア先輩』って呼んでくれると嬉しいな。考えておいてくれる?」
こくこくとセレナさんはうなずいてくれる。
そうして、わたしは微笑みセレナさんの肩をぽんと叩くと、レオンと一緒に今度こそ屋上から立ち去った





