XXVII どうなりたいか
ともかく、わたしは王宮に行くことになった。
なるべく早く屋敷に戻りたいところだけど、当面は仕方がない。
王太子がそう望んでいるのだから。
なぜ王太子がわたしを王宮へ連れて行くのか。
それが問題だ。
前回の人生では起きなかったイベントなのだから。
王立空軍所属の飛空戦艦『アガフィヤ』の甲板の上に立ち、わたしはため息をついた。
強い風が吹き付けて、わたしの焦げ茶色の髪を揺らす。
アガフィヤはさすが空軍の戦艦だけあって、その大きさは空飛ぶ要塞といってもおかしくないほどだ。
洗練された機能美が、この船にはある。
飛空艇大好きなわたしだから、普段ならテンションが上がるところなのだけれど。
前回の人生でわたしを捨てた相手に連れられての旅だから、気分は浮かない。
とはいえ、フィルやアリスたちがわたしについてきてくれている。シアもついてきているのだけれど、病気だといって自室に引きこもってしまった。王太子の名前を聞いて以来、シアの様子がなんだかおかしい。
わたしは、遠く雲の向こうに輝く夕日を見つめた。
もうすぐ、夜が来る。
「……クレアお姉ちゃん?」
声に振り返ると、フィルがいた。フィルは恐る恐る、といった様子で、こちらに歩いてくる。
飛んでいる船の上だから、怖いんだろう
わたしはにっこりと微笑み、そして、フィルの手をつかんだ。
そのままフィルを抱き寄せる。
「これで怖くないでしょう?」
フィルは恥ずかしそうにうつむきながら、こくこくとうなずいた。
わたしは手すりのついた柵の向こうを指差した。
「あれは、たぶんアンカーストレム公爵領ね」
真下に見えるのは、城壁に囲まれた都市だった。
一面が雪景色だけれど、教会の尖塔や公爵邸のような大規模な建物がいくつか見て取れる。
アンカーストレム公爵は、リアレス公爵と並ぶ帝国七大貴族の一つだ。
この公爵領を超えると、いよいよ王都、ということになる。
フィルは興味深そうに、飛空戦艦から見える景色を眺めていた。
わたしはフィルに尋ねてみる。
「王都からうちに来るときは、飛空艇から景色を見なかったの?」
「うん……ずっと部屋に閉じこもっていたから」
リアレス公爵領に来る前、フィルは孤独だった。
「王都にも……いい思い出がないよ」
「ごめんね。わたしのわがままでフィルにまでついてきてもらっちゃって」
フィルは慌てて、ふるふると首を横に振った。
「ううん。ぼくも……お姉ちゃんと一緒にいたいから。それに……いまはお姉ちゃんがいるから、王都もきっと悪くないと思う」
「そっか」
わたしは嬉しくなって、フィルの頭を軽く撫でる。
足音がした。
気がつくと、王太子アルフォンソ殿下がわたしの後ろにいた。
王太子の金色の髪の幾筋かが、風に吹かれて舞っている。
「ここにいたのか……クレア。探したんだよ」
「申し訳ありません。なにかご用事がありましたでしょうか?」
「ああ、まあね……」
そして、王太子はちらりとフィルを見た。
フィルはびくっと震え、そして、わたしを一度見上げると、たたっと駆け出して、船内へと戻っていった。
せっかくのフィルとの時間だったのに。
でも、婚約者である王太子殿下を邪険に扱うわけにはいかない。
「弟と仲がよいのだな」
「ええ」
王太子の顔に、憂鬱そうな色が浮かんだ。
フィルと仲良くすることが、王太子には気がかりらしい。
婚約者だからヤキモチを焼いている、とかならいいのだけれど、そうではない気がする。
王太子は甲板の柵の手すりにもたれかかった。そして、その青い瞳でわたしを見つめる。
夕日に照らされた殿下は、改めて見ても美しかった。
王太子という至高の身分を持ちながら、その容姿も抜群に優れている。それだけでなくて、12歳にして剣術の腕も一流で、学問にも熱心だった。
一点の非の打ち所もない完璧超人。それが殿下だ
とても真面目で、努力家で、優しい性格をしている。
と、前回の人生のわたしは思っていた。
だけど、殿下はわたしを捨てた。だから、わたしは殿下をまっすぐな瞳では見られない。
王太子はゆっくりと口を開く。
「……クレアは、大人になったら、何になりたい?」
唐突な質問に、わたしは面食らった。
お菓子屋さんになりたいとか、そういう話?
……そういえば、この質問、前回の人生でも王太子にされたような……。
あれは学園だったか、わたしの家の屋敷だったか、王宮だったか。
思い出せないけれど、大人になったら何になりたいか、と12歳のときに聞かれた記憶がある。
そのとき、わたしは王太子のことが好きで、そして、自分が未来の王妃になると信じていた。
だから、「立派な王妃になりたいです」と答えてみたと思う。
そのとき……王太子は「そうか」とつぶやき、なぜか冷たい瞳をしていた。
あの答えは、もしかして、間違いだったのかもしれない。王太子に嫌われる最初の原因だったのかも。
理由はわからなくて、あのときの王太子の冷たい反応にわたしは戸惑った。ただ、ともかく、今度はべつの答えをしたほうが良さそうだ。
それに、立派な王妃になるつもりなんて、欠片もない。
わたしは飛空艇の外を指差した。
空を一羽の鳩がゆっくりと飛んでいる。飛空戦艦よりも鳩は遅くて、どんどん小さくなって、やがて見えなくなった。
「ああいうふうになりたいですね」
王太子の顔に疑問符が浮かんだ。
わたしは肩をすくめる。
「わたしは、鷲や鷹のような偉大な鳥になりたいとは言いません。でも、鳩でもいいから、自由に空を飛んでいたいんです」
「不思議な答えだな」
王太子がきょとんとした目をしているのを見て、急に恥ずかしくなってきた。
もっと、普通の回答をすればよかったかも。
でも。
「何になりたいか、なんてわかりません。でも、どうなりたいかなら、わかるんです。わたしは自由でいたいだけですから」
王妃なんて高望みはしない。
ただ、自由に楽しく生きていられれば、それでいい。そして、フィルやアリスがそばにいてくれれば、幸せだ。
王太子は憂いを帯びた瞳で、空を見つめていた。
「そうか。そうだな……私も自由でありたいよ。だが……」
それは叶わない。
殿下は王太子なのだから、それに伴う責任がある。
ただ、前回の人生で、殿下は無理にでも、シアを選ぼうとした。
それだけの魅力がシアにはあったんだと思う。まあ、もちろん婚約者のわたしの立場からすれば、たまったものじゃないんだけれど。
でも、殿下もその気になれば、自由になれるはずだ。
「きっと、殿下を自由にしてくれる方が現れますよ」
「そうかな」
「はい」
わたしが微笑むと、王太子は軽くうなずき、わたしに微笑んでみせた。
しばらく更新頻度が落ちます。次回の更新は火曜日ぐらいです。
面白い、続きが気になる、という方は
・ブックマーク
・評価の「☆☆☆☆☆」ボタン
で応援いただきますととすごく嬉しいです。





