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第48話:算盤の歓声、女帝の戴冠(たいかん)

嵐のあとの静けさとは、まさにこのことだった。

昭和四十五年、八月十六日。日曜日。

東の空から昇った朝日は、前夜の激しい熱狂と雨露のすべてを乾かし、初音銀座商店街の赤錆びたトタン屋根を、眩いばかりの純白の光で洗い流していた。

路地裏を吹き抜ける朝風は、驚くほどからりと澄み渡り、昨夜の生ゴミや泥水の臭気はどこへやら、八百杉の店先から漂う瑞々しいスイカの皮の匂いと、やぶ忠の換気扇から漏れ出す煎り番茶の香ばしい匂いだけが、清々しく通りを満たしている。

昨夜、杉本勇たち青年部が泥まみれになって掃き清め、本田鉄工所の男たちが解体して撤収したメインストリートには、一本の串も、一片の紙屑も落ちていなかった。

けれど――その静けさの底には、昨日この路地を埋め尽くした六千人を超える人間の足音と、大輪の花火の轟音の残響が、目に見えない黄金の粒となって、街全体にキラキラと降り積もっているかのようだった。


午前八時。

初音銀座商店街の中ほどに建つ「初音町民集会所」。

三十畳敷きの大広間には、すでに四十名を超える商店主、町工場の親方たち、そして女衆が、ぎゅうぎゅう詰めに車座になって集まっていた。

誰の顔にも、昨夜の激闘と片付けによる濃い隈が張り付き、肩は重く沈んでいた。

けれど、その瞳の奥に灯っていたのは、どんよりとした疲労の色などではなかった。

自分たちは、昨日、一体何を成し遂げたのか。

あの国道沿いの巨大な黒船「サンライズ」の前に怯えきっていた自分たちが、本当にあのバケモノを押し返したのか。

そして――あの狂乱の一日の果てに、自分たちの手元には、一体何が残ったのか。

それを確かめたいという、震えるような期待と緊張が、広間の空気を張り詰めた太鼓の皮のようにピンと引き絞っていた。


上座の正面。

十畳ほどの一角に据えられた大きな座卓の上には、前夜から一睡もせずに籠もり続けていた文房具店「寺岡堂」の店主・寺岡雅之が、端座していた。

銀縁の丸眼鏡の奥の目は真っ赤に充血し、手入れの行き届いた黒髪はボサボサに乱れていたが、その背筋は定規を当てたように真っ直ぐに伸びていた。

寺岡の前には、山のように積み上げられた、紫色の特殊インクと朱肉の割印が押された「使用済み半券チケット」の束。

そして――寺岡が夜を徹して万年筆を走らせ、複式簿記の計算式で埋め尽くした、畳二枚分ほどもある巨大な特大方眼紙――『初音銀座サマーフェスティバル特別会計総決算大福帳』が、神々しく広げられていた。

その寺岡の右脇には、同じく徹夜でチケットの回収と集計を補佐し、泥のついたワイシャツの袖をまくった吉村健一が、手提げ金庫を両手で抱えて控えている。

そして左脇には――大山源三と、桐島結衣が並んで腰を下ろしていた。


結衣は、洗いざらしの清潔なブラウスに、アイロンの利いた黒のスラックス姿だった。

右足の指先の水膨れは、源三が巻いてくれた清潔なサラシの包帯で保護されていたが、まだズキズキと熱い拍動を刻んでいる。

全身の関節は軋み、声は掠れていた。

だが、その背筋は寸分の揺らぎもなく伸び、その瞳は、大広間に集まった下町の人々の顔を、一人一人慈しむように見つめていた。


「……皆さん」

寺岡雅之が、静かに口を開いた。

大広間が、水を打ったように静まり返る。

安煙草を吸う男も、団扇をパタパタと仰ぐ女も、誰一人として動かない。

寺岡は手元に引き寄せた、使い込まれた黒塗りの五珠そろばんの上に、長くて白い指先をそっと乗せた。


「大変、お待たせいたしました。……昨夜の深夜二時より、吉村さんとともに、各店舗から回収いたしました半券チケットの全数検算、ならびに関所(販売所)の現金有高の照合、各仕入れ先への立替金の精算処理を、複式簿記の貸借対照表に基づいて完了いたしました」

寺岡のよく通る澄んだ声が、静まり返った広間に染み渡っていく。

「まずは――総動員数、ならびに来場者数のご報告を申し上げます」

寺岡は方眼紙の最上段、赤インクで太く書かれた数字を指差した。


「当初の目標来場者数――二千人」

寺岡は息を呑み、眼鏡を押し上げた。

「昨日の、総来場者数実績――推計、六千八百五十名!!」


――ざわっ!

広間が、息を呑む音で大きく波打った。

「ろ……六千八百……!?」

「二千人でも大風呂敷だって騒いでたのに……三倍以上じゃないかい!?」

忠吉が、金造が、目を丸くして顔を見合わせる。

「ええ」

寺岡は力強く頷いた。

「初音銀座商店街が、大正時代に開かれて以来……半世紀を超えるこの街の歴史のなかで、一日にこれほどの人間がこの路地に足を踏み入れたことは、ただの一度もありません。……我が商店街の、創業以来の空前絶後の新記録です!」


おおおおっ……!と地鳴りのような感嘆が広がる。

だが、寺岡はそろばんから手を離さなかった。

「本番は、ここからです。……皆さまがもっとも気にされている、お金の数字です」

寺岡はそろばんの梁(はり)を指先でスーッと撫で、天の五珠を一気に払った。


ジャッ――!!


背筋が凍るような、鋭いそろばんの清算音。

「当初発行いたしました、百円回数券チケット・二千冊――額面百万円分は、午後二時の段階で完全に完売いたしました。その後、桐島さんのご指示により、使用済み半券を回収・検印して緊急再発行いたしました追加チケット・千二百冊――額面六十万円分」

寺岡はそろばんの珠を弾き始めた。

パチ、パチパチ、パチパチパチッ!

「総発行チケット数――三千二百冊! 総売上高――百六十万円!!」


「ひゃ……百六十万……!?」

八百杉のトミが、口元を両手で覆い、椅子から転げ落ちそうになった。

大卒初任給が四万円の時代である。百六十万円といえば、普通のサラリーマンが三年以上汗水垂らして稼ぐ金額だ。それが、わずか一日の、半日の路地裏のフェスティバルで動いたのだ。


「そこから、吉村さんが調達してくださった特級上質紙の代金、提灯の電気工事代、そして各仕入れ先への食材原価をすべて差し引きます」

寺岡の指先が、目にも留まらぬ速さでそろばんの上を踊る。

パチッ、パチッ、パチパチパチッ!

「仕入れ原価合計――五十八万四千円。諸経費合計――三万六千円。……差し引き、初音銀座商店街全体の、純利益(手残り)――」


寺岡はそろばんの親指を力強く跳ね上げ、ドンと机の上に手帳を置いた。


「――九十八万円きっかりです!!」


「…………っ!!」

大広間に、息を呑むような沈黙が走った。

純利益で、九十八万円。

寺岡は、座卓の前に並ぶ店主たち一人一人の顔を見据え、個別の店舗利益を読み上げ始めた。


「やぶ忠さん! 出汁巻き玉子串・千二百本完売! 純利益――七万二千円!」

「なっ……ななまん……!?」

忠吉が腰を抜かしかけ、震える手で膝を掴んだ。普段の蕎麦屋の営業なら、一ヶ月休みなしで働いてようやく残るかどうかの大金だった。

「宝来軒さん! 肉ちまき五百個、魚介つけ麺百五十杯完売! 純利益――八万四千円!」

「八万……! 嘘だろおい、八万も残るのかよ!?」

金造が禿げ頭を抱え、油まみれの手で口を押さえた。

「八百杉さん! 完熟トマトセーキ、氷結スイカセーキ、合わせて千二百杯完売! 過熟野菜の全量現金化を含め、純利益――十一万五千円!」

「じゅういちまん……!」

勇が息を呑み、隣のトミが「あんた、腰抜かすんじゃないよ!」と叫びながら自分の胸をドンドン叩いている。

「カトレアさん! レトロボトルプリン、下町フルーツサンデー完売! 純利益――六万八千円!」

「きゃああっ!」

さゆりが黄色い悲鳴を上げて飛び上がった。

「そして――キリシマ食堂!」

寺岡は満面の笑みを浮かべ、源三と結衣を見つめた。

「一口ビフカツサンド四百個、炭火焼き下町スタミナ洋食串・八百本完売! 純利益――十四万二千円です!!」


パチッ……と、そろばんの最後の玉が収まった。

「各店舗への配分金、ならびに資材の清算金は、すべてこの金庫の中に、一円の狂いもなく現金で揃っております。……通常の日曜日の、各店舗平均日商の……実に【四・二倍】! 全員が、大黒字です!!」


大広間の空気が、一瞬にして沸点へと達した。

そして――。


「……さらに、もう一つ」

吉村健一が、手提げ金庫の脇から、一枚の折り畳まれた用紙を取り出し、立ち上がった。

その表情には、商社マンとしての、そして結衣と共に戦い抜いた男としての、隠しきれない誇りと痛快さが満ちあふれていた。


「今朝六時、僕が個人的なツテを使い、国道沿いの大手ファミリーレストラン『サンライズ一号店』の昨日の営業実績を入手いたしました」

吉村の言葉に、全員の視線が突き刺さる。

「サンライズ一号店――昨日の土曜日、オープン以来初となる、前週比【四十二%の大幅減収】!」

吉村は用紙を高く掲げた。

「特に、ファミリー層と若年層の来店数は半減! 彼らの広大な駐車場は一日中ガラガラで、開発本部は昨夜、緊急の対策会議を開いて大混乱に陥っているとのことです! ……初音銀座商店街は、サンライズへの顧客流出を完全に阻止したどころか、あの大手チェーンの胃袋を、力づくで奪い取りました!!」


静寂。

一秒。

二秒。

そして――。


ドォォォォォォォォンッッッッッッ!!!!


集会所の古いスレート屋根が吹き飛ぶんじゃないかと思うほどの、凄まじい地鳴りのような大歓声と拍手が、大広間を木霊した。

「うおおおおおおおおおおっッッ!!」

「勝った! 勝ったんだァッ!!」

「あの大手を叩きのめしたぞォッ!!」

忠吉と金造が、座布団の上で抱き合って大泣きした。

乾物屋が立ち上がり、魚屋の親父が拳を突き上げ、さゆりがトミと手を取り合って飛び跳ねる。

拍手の嵐。

足踏みの轟音。

誰もが涙を流し、鼻水をすすり、笑い、叫んでいた。

大卒初任給が四万円の時代に、一日で手にした何万円もの純利益。

だが、彼らが泣いていたのは、金のためだけではなかった。

近代化の波に怯え、巨大な資本の怪物の前に「自分たちのような古い店はいずれ淘汰されるんだ」と諦めかけていた下町の商人たちが、己の手作業の腕と、街の結束だけで、あの巨大な怪物の鼻っ柱をへし折ってみせたのだ。

その誇りと歓喜が、男たちの、女たちの胸を、熱く、熱く突き上げていた。


その狂乱の渦の中。

ドスンッ!!

ひときわ重い音が、上座の中央で響いた。

本田鉄工所の社長・本田辰夫が、持参していた桐箱入りの特級清酒の一升瓶を、座卓の真ん中へと叩きつけるように置いたのだ。

作業着の腕をまくり、顔を真っ赤に紅潮させた本田は、仁王立ちになって大広間を見下ろした。


「野郎ども、静かにしろィッ!!」

雷鳴のような一喝。

歓声がピタリと止まり、全員の視線が本田へと集まる。

本田は一升瓶の首を力任せに掴み上げると、涙で濡れた目をギラリと光らせ、座卓の端に座る桐島結衣を、その太い指先でビシッと指差した。


「おい、てめえら! 胸に手を当てて、よぉく考えてみろ!」

本田の喉から、魂を絞り出すような咆哮が放たれた。

「この奇跡を起こしたのは、一体誰だ!?

バラバラにいがみ合って、大手に怯えて震えてた俺たちに、あの鉄パイプの屋台を組ませて、街を一つの大きな食堂にする絵図面を描いてくれたのは誰だ!

泥水の中へ飛び込んで食材を守り、兵站が崩れた時にビールケースの上で仁王立ちになって、俺たちのケツを叩いてくれたのは誰だ!!」


本田の声が、涙で微かに掠れた。

「源さんの姪っ子……? 余所者の小娘……? 冗談じゃねえぞ!!

この人はな……俺たちの街の、かけがえのない若女将だ!

初音銀座商店街を地獄の底から救い出してくれた……俺たちの、真の『女帝』だァッッッ!!」


「「「そうだァッッッ!!」」」

割れんばかりの賛同の叫びが、広間を揺るがした。

「結衣ちゃんのおかげだ!」

「結衣さんがいなきゃ、この街は死んでた!」

「結衣ちゃん! 結衣ちゃん!!」


杉本トミが、割烹着のまま突進するように駆け寄り、座っていた結衣の身体を、その豊満な胸の中へと力一杯抱きしめた。

「結衣ちゃん……っ! ありがとう、本当にありがとうよ……っ!」

トミの大粒の涙が、結衣のブラウスの肩を濡らしていく。

「あんたが来てくれてから、この街の空気が全部変わったよ! 泥だらけになって、足から血を流してまで、あたしたちのために戦ってくれて……! 神様が、あんたをこの街に遣わしてくれたんだよ!!」

「トミさん……」


その隣で、腕組みをしたまま動かなかった大山源三が、ゆっくりと立ち上がった。

五十年の料理人人生。

浅草の繁栄と挫折を経験し、妻に先立たれ、頑固と偏屈の殻に閉じこもっていた老職人。

その源三が、前掛けの端を両手で強く握りしめ、顔をクシャクシャに歪ませていた。

老いた両の目から、止めどなく溢れ出す大粒の涙。

源三は、鼻をすすり、震える手で結衣の頭を、くしゃりと優しく撫でた。


「……結衣」

掠れた、けれど世界で一番温かいだみ声だった。

「俺の……たった一人の、自慢の娘だ。……お前が、この街の命を繋いでくれたんだ」

「源さん……っ」


振り返れば、八百杉の勇が、照れくさそうに腕組みをしながら、けれどその瞳を真っ赤に潤ませて結衣を見つめていた。昨夜、結衣のために四十キロの鉄を背負って歩いてくれた、あの無骨な男が、無言のまま、深く、深く頷いてみせる。

手提げ金庫を抱えた吉村健一が、誇らしげに、万感の想いを込めて結衣を見つめ、拍手を送っている。

誠二が、さゆりが、忠吉が、金造が、寺岡が――四十人を超える初音銀座のすべての人々が、立ち上がり、結衣に向かって、惜しみない拍手と感謝の歓声を送り続けていた。


「結衣ちゃん! 万歳!」

「若女将、万歳!」

「下町の女帝、万歳ッッッ!!」


ドォォォォォォォォンッ!

広間を埋め尽くす、祝福の嵐。

拍手の音は止まらず、歓声は天井を突き抜け、初音銀座の青空へと吸い込まれていく。


◆


その歓喜の渦の真ん中で。

桐島結衣は、トミの温かな腕に抱かれながら、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。

胸の奥底で、何かが、音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。


(……ああ)


脳裏に蘇る、あの冷え切った令和の世界。

午前二時半のオフィス。

モニタの青白い光。

クライアントからの無機質なチャット。

『桐島さん、修正まだですか?』

『代わりはいくらでもいるんだから、早くしてください』

誰も自分の目を見てくれなかった。

誰も自分の名前を呼んでくれなかった。

どれほど徹夜をして、どれほど胃を壊して、どれほど完璧なデザインを作っても、返ってくるのは「替えの利く歯車」としての冷淡な扱いだけだった。

誰のために働いているのかも分からず、誰からも必要とされず、ただ孤独に震え、駅のガード下ですがりつくようにして倒れ込んだあの日。

自分の人生には、何の価値もないのだと思っていた。

自分という人間は、どこにも居場所のない、ただの哀しい亡霊なのだと、心の底で諦めていた。


――けれど。


(違った……)

結衣は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。

(違ったわ……!)


いま、目の前にある、この光景。

泥臭く、不器用で、怒鳴り合い、けれど誰よりも温かい、昭和四十五年の下町の人々。

彼らは、結衣を「替えの利く部品」になんかしていない。

結衣の知恵を信じ、結衣の言葉に命を預け、結衣の流した汗を、自らの血肉のように受け止めてくれた。

そしていま、全員が涙を流し、笑顔で、結衣の名前を呼んでくれている。

「結衣ちゃん」と。

「若女将」と。

「俺たちの女帝」と。


(私……ここにいていいんだ)

その想いが、雷撃のように結衣の全身を貫いた。

(誰かの役に立っている。

私の知恵が、目の前の人たちの命を救い、この街の未来を守っている。

私は……この初音銀座商店街で、愛されているんだ……!)


過去のトラウマ。

令和の世界で負った、深く、冷たい心の傷のすべてが。

この下町の人々の温かな涙と、割れんばかりの拍手によって、いま、完全に、跡形もなく溶かされ、光となって昇華していった。

自分はもう、迷子の亡霊ではない。

この街の大地にしっかりと両足で立ち、人々と共に生きる、血の通った一人の人間なのだという、震えるほどの自己肯定感。


「……皆さん」

結衣はトミの腕からそっと離れ、涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。

拍手が、ふっと静まる。

結衣は、広間の全員を見渡した。

そして――深々と、腰を九十度に折り、畳に額がつかんばかりの最敬礼をした。


「……ありがとうございました」

結衣の声は、掠れていた。

けれど、その響きは、凛として、澄み渡っていた。

「私を受け入れてくれて……私の言葉を信じてくれて、本当にありがとうございました。

奇跡を起こしたのは、私じゃありません。

忠吉さんの出汁巻き、金造さんのちまき、勇さんのセーキ、さゆりちゃんのプリン、本田社長と誠二君の鉄板、寺岡さんのそろばん、吉村さんの足……そして、源さんの魂の洋食。

皆さんの五十年の技と、下町の意地が、あの大手を打ち破ったんです」


結衣は顔を上げた。

その瞳には、一筋の迷いもなかった。

泣き腫らした目元には、しかし、大資本の怪物をも恐れぬ、真の指導者としての気高い光が宿っていた。


「巨大な時代の波は、これからも押し寄せてくるでしょう。

大手チェーンの攻勢も、これで終わりではありません。

でも……恐れることは何もありません。

私たちには、この固いスクラムがあります。

手作業の職人の魂があります。

どんな困難が来ようと……この初音銀座商店街の灯火だけは、私たちが、絶対に消させません!!」


「「「おおおおおおおおおおっッッ!!」」」


集会所を揺るがす、魂の咆哮。

本田社長が一升瓶の栓を抜き、湯呑みに酒がなみなみと注がれ、祝勝の大宴会が幕を開けた。

泥酔した源三が「結衣は俺の孫だ!」と叫んで忠吉と抱き合い、勇が照れくさそうにサイダーの瓶を結衣に差し出し、吉村が誇らしげに微笑み、さゆりが結衣の腕に抱きつく。

満ち足りた多幸感。

初音銀座商店街の熱い夏は、完全なる勝利と、真の女帝の戴冠をもって、最高のフィナーレを迎えたのだ。


◆


だが――。

宴もたけなわ、窓の外から吹き込んできた風に、結衣はふと、肌を撫でる微かな冷たさを感じた。

八月も後半。

真夏の狂乱の向こう側から、季節は確実に、秋の足音を忍ばせ始めていた。


結衣は、賑やかな宴の輪から少し離れ、縁側の端に腰を下ろした。

何気なく、自らの右手を持ち上げる。

昼の光に透かされた、自らの指先。

……いまは、透けてはいない。

けれど、結衣の胸の奥底には、あの屋根の上で見た蛍のような明滅の記憶が、静かな砂時計の音となって刻まれ続けていた。


(いつか……令和に帰る日が来るとしても)

結衣は空を見上げた。

どこまでも高く、青い、秋の気配を孕んだ空。

(私は、この街の未来を……最後まで、守り抜く)


その時、結衣はまだ知らなかった。

この栄光のサマーフェスティバルの大勝利のすぐ後に――。

大阪万博の閉幕とともに、初音銀座商店街そのものを根こそぎ削り取ろうとする、国家規模の「巨大な再開発と道路拡張計画」という、ファミレスの買収劇など比べ物にならないほどの、真の時代の濁流が迫りつつあることを。


けれど、今の結衣の心には、一片の恐れもなかった。

守るべき家族がいる。

信じてくれる街がある。


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