番外編
水分の少ない筆にぺたりと水色の絵の具を乗せて、どこまでも均等に塗り広げたような雲一つない空に、王都中の民たちの歓声が上がっている。
「アルベルト新国王陛下、おめでとうございます!」
「エラ様、綺麗!」
「本当にめでたいことだよ」
「これでルミナス王国も安泰だな」
新国王夫妻が王太子夫妻だった頃から今この時までずっと民たちに慕われていることが、誰しもがこの日を喜んでいたことが、表情から、歓声から伝わってくる。
皆が笑顔を浮かべている即位式後、国民への挨拶をも立派に終えた我が愚弟は本当に幸せ者だ、とロザリンデは思った。
互いの心根を知る美しく気高く心優しい妻がいて、愛らしい子どもは三人もいる。
心許せる側近も常に傍に控えていて、彼らも国王たる愚弟を大事に、時には厳しく扱ってくれる。
その上、国民たちからも夫妻共に慕われているなんて、完璧すぎて現実味がまるでないではないか。ロザリンデが監修する舞台台本であれば、『有り得ない』と即座につき返すレベルの出来過ぎた現実である。
しかしロザリンデは笑みを浮かべながら思う。
(七年かけてそれだけの結果をエラたちと共に示したんだよな、アルベルトは)
王宮のバルコニーから民たちに開放された前庭に向けて、幸せそうに五人で手を振っている新国王家族の背中を見つめながら、ロザリンデ・ド・ルミナスは心からの拍手を送る。
もう、大丈夫なのだろう。
弟は立派な国王となり、エグランティーヌは王妃として国王を陰に日向に支えながらも民を心から慈しみ続けるはずだ。彼らの六歳になる愛息子は父の背中を見て大きくなるだろう、そして三歳の双子の娘たちもきっと母に似て賢く美しく育つだろう。 もう……彼らにロザリンデの護りの手は必要ない。大丈夫なのだ。
そんなふうに感傷に浸っていると、国民への挨拶を終えた弟が、家族を引き連れて室内に戻って来た。
「ふふ、素晴らしい大歓声ね、アル」
「本当にありがたいことだと思うよ。これもエラたちが王宮内外で真摯に民たちに向き合ってくれた結果だ」
「いえいえ、陛下が表と裏の顔をお上手に使い分けた結果だと、私の親友が申しておりましてよ」
「はは、相変わらず主席女官殿は私だけには言うことが辛辣だね、カイ」
「……申し訳ありません」
互いに深い信頼があるからこその軽口に、ロザリンデは心がじんわりと柔らかく温まるような気がした。
「良い臣下にも恵まれた、ということだ」
ロザリンデの隣で共に愛息子の即位挨拶に目を細めていた上王夫妻が楽しそうに笑ったのを見て、アルベルトは妻と目を合わせ頷いた。そして両親とも目を合わせた後、ルミナス国王アルベルトが、姉ロザリンデの目の前に立ち、胸元に手を当てて深く頭を下げたのである。
「やっと……姉上の番だ」
ロザリンデは目を見開いた。
「何のお話なの? アルったら、本当に言葉が足りないのだから」
にこやかに朗らかにコロコロと笑って見せた。皆が求めているだろう王国の花たるロザリンデ殿下を演じる。
アルベルトも人の好い笑顔を見せてから、護衛騎士カイに視線を向けると、委細承知、というようにカイは室内にいた使用人たちを全て下がらせる。そして自身は扉の前でまっ直ぐに立った。その様子を見届けてからアルベルトはもう一度姉に言った。
「今度こそ、姉上が、姉上の人生を共に歩んでくれる人を選ぶ番だよ」
と。
人生を共に歩む人、とロザリンデは口の中で弟の言葉を反芻した。そんな姉の様子を見て、アルベルトは嬉しそうに微笑む。
「ルミナス王国のことはもう、私とエラに任せてくれて大丈夫だから」
深く響く声だった。奢っているわけでもなく、不安そうに揺れているわけでもない、穏やかな凪のような声。ロザリンデは大きく息を吐き、いつの間にか自分よりも大きくなった弟を見上げた。
「……本当に頼もしくなったな、アル。エグランティーヌ様のおかげかな?」
愚弟の斜め後ろで微笑む義妹に、ロザリンデも笑みを返しながら言葉を重ねる。
「それにその言い方だと、今までは私も王国を支えていたみたいに聞こえるが?」
そう言って腕を組むと、新国王夫妻はゆっくりと首を横に振った。
「支えてくださっていましたよ。ご自分のことは後回しにして。お義姉様は、アルベルト様と私をずっと守り続けてくださいました」
「……」
「姉上が一夫一婦制であるルミナス王国の王位継承権を放棄もせず、無理にひけらかしもせず、ギリギリのバランスを保ち続けてくださったからこそ、私は……いや、私たちは七年間内政を整えることにだけ専念できた。その結果が今日という日なんだ。本当に感謝しても感謝しきれない」
この部屋には前国王であり、ロザリンデたちの両親でもある上王夫妻、それからアルベルトたち国王家族、それからロザリンデ、そしてカイ。共にアルベルトを支えてきた者たちだけが揃っている。その者たちが皆、アルベルトの感謝の言葉に、揃って深く頷いたのだ。
「……」
言いようのない寂しさ、だけどそれを包み込んで余るほどの安堵感がロザリンデの身の内に満ちてくる。
「だから、今、この瞬間から、姉上は自分のことだけを考えていいんだよ。誰と共に何をして生きていくのか、を」
そう言ってアルベルトは一枚の紙を姉に手渡した。
「要らないかもしれないけど、一応渡しておくよ。父上と私からのプレゼントだよ」
ロザリンデはその紙に押された魔法印を見て苦笑した。
「誰と……か……」
いつかそんな相手が自分にも、本当に現れるのだろうか。残りの人生を共に歩んでくれるような、そんな人が。
「あ……」
そう思った瞬間、ロザリンデの脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。いや、その男はロザリンデが幼い頃からずっと傍に、ずっと心の内側に、いた。
「そうか」
ロザリンデはひとりごちた。そしてドレスの裾を翻す。
「姉上?」
急に歩き出した姉に、アルベルトが困惑したように声を掛けてきたが、ロザリンデは止まらなかった。
どうしても今すぐに会わなければならない人がいる。今、己のこの気持ちを伝えなくてはならない男がいるのだ。
「騎士団詰所に行ってくる」
その声を聞いた瞬間、父も母も、弟も義理の妹も、フッと笑った。
「やっぱりコンラートのところ、だよね」
アルベルトの声に、家族が全員苦笑しながら頷くのを視界の端におさめながら、ロザリンデは一人の男の元へとひた走るのであった。
<了>
これにて元社畜OLのお話は終わりです。ロザリンデ殿下の今後は、新連載の物語へと繋がります。よろしければ、そちらの物語でまた再びお目にかかれたら嬉しく思います。
ロザリンデ殿下の物語は『元王女殿下、騎士団長にプロポーズを断られたので今度こそ頷かせてみせます。』というタイトルで4月1日より連載を開始しますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
※3/23追記
4/1連載開始とお知らせしていたのですが、思いのほか早く出来上がってしまったので、本日3/23から連載開始いたします。全18話で執筆完了いたしました。18話全て予約投稿済みです。よろしくお願いいたします。




