第9章ー4
「どうして私たちを罰しないのですか!?」
エマから突然叫ぶように言われた言葉の意味を、ユイカは量りかねた。
「え?」
「『え?』じゃないんですよ! 貴女、私が顔色悪くてふらついただけであんなに心配するくせに、どうしてご自分にはそんなに無頓着なのですかっ!? 信じられないんですけど!!」
「いや、だから、どうして私が責められているのかさっぱり……」
「責めてません、呆れています」
「ちょっと、エマ!」
ヘレンの方が顔面蒼白である。
「私たち、貴女の洗濯物や掃除をしなかったんですよ? 職務放棄ですよ!? 貴女には怒る権利があるんです。なのにどうしてそれをしないのよ! 王太子殿下や王女殿下とも繋がっているのでしょう? さっさと告げ口して私たちを罰すればいいじゃない!!」
「え、エマ様、落ち着いてくださいよ」
ユイカはオロオロしながらエマの肩に手を置こうとしたが、思いっきり払いのけられてしまった。哀しい。
「なんでこんなひどい目に遭わされて貴女はそんなにのほほんと落ち着いていられるわけ? ただでさえ忙しい女官の仕事の後に掃除と洗濯で疲労困憊になってるくせに。今だって顔色悪いわよ。信じられないんだけど、気味悪いんですけど」
(完全に理不尽にブチ切れ散らかしていらっしゃる……)
ユイカは一周回って冷静になれた。
「安心してください、怒ってませんよ」
ユイカはヘラっと笑って見せる。……が。
(あ、やばい。更に切れさせそう)
エマのこめかみがピクピクとひきつっているのを認めて、ユイカはわざとらしく咳払いした。
「あのですね。私、自分にまつわる噂、知ってるんです。王太子殿下に変わった謝罪をしたとか、ローラン公爵家のご令嬢を泣かせたとか、王太子殿下を狙う不審な男を飛び蹴り一発で倒したとか、王宮女官になるために王太子殿下の後ろ盾を匂わせて学園の教師に学校推薦枠を用意させたとかって奴でしょう?」
ヘレンが恐る恐る、という様子で手を軽く上げて口を挟む。
「研修初日に王女殿下を密室に閉じ込めて泣かせたとか、新人騎士の魔法剣から放たれた風の刃を素手で叩き落としたとか……」
「待って、知らない噂が増えてる。なんで私女性を泣かすキャラになってるんですか」
「すみません、すみません」
自分で爆弾級の噂を投下しておいて、ヘレンは身を縮めていた。そんな様子が可笑しくて、ユイカは肩から力が抜けた。
「っていうか、もし私が本当に王女殿下を閉じ込めて泣かせていたら今頃、王命で首と胴体切り離されていてもおかしくないですよね」
「それもそうですね」
ヘレンがくすっと笑った。
「だからですね、その噂に本当のことなんて何ひとつ……あ、いや、ひとつだけありました。王太子殿下を怯ませる謝罪をしたことだけは事実ですけど、後のやつは尾ひれ背びれがついて、完全の別物になってます」
「……だったら」
くだらない話の間に落ち着いたらしいエマが、腕を組みながらユイカを睨みつけて言った。
「もっと堂々としていればいいじゃない。私たちのことも罰すればいいじゃない」
「そこですよ」
ユイカの言葉にエマは不審そうに眉根を寄せた。けれど何も言わないので、ユイカはそのまま話し続けることにした。
「何で私が言いつけて貴女方を罰しなきゃいけないんですか、くだらない」
「なっ!?」
「そんな無駄なことする暇があったら眠りたいですし、美味しいものを食べたいですし、友人とお喋りしたり、大切な人と過ごします」
「無駄って……」
エマは訳が分からないというように首を横に振った。
「自分が嫌な想いをしたからって、人様に嫌な想いさせてもなかったことにはなりません。その上、自分が人様に嫌な想いをさせてしまったって、自己嫌悪に陥るじゃないですか。そんなこと、私はしたくありません」
「……」
「それに……」
「それに、何よ?」
エマはもう取り繕うことも完全に辞めたようだ。ユイカとしてもその方が話しやすい。
「……怒りません?」
「もう怒ってるから関係ない」
「そ、そうなんですね」
ユイカはちょっとだけ哀しくなりながら続ける。
「私は誓って女官になるにあたって卑怯なことはしておりません。こればっかりは信じていただく他ないのですが、以前もこのことを証明するために王太子殿下にお出ましいただこうかと提案したら全力で断られてしまったので」
「当然でしょう? 王太子殿下をそんなことのために呼びつけないでちょうだい。っていうか、そうやって呼びつけることができること自体、もう優遇されているじゃない」
「いえ。多分、殿下はこの城で働く者が呼んだら絶対にいらっしゃいますよ。すぐには無理でしょうけど、いつかは来そうな気がします。試してみます?」
「た、試せるわけないでしょ!?」
「ほら、そうやってやってみることもしないで決めつけて、一方的に私を悪者にしたって、いつまでも貴女方の求める答えなんて出ませんよ? 疲れません?」
「……」
「だから私は弁解も報復もいたしません。ただ、エマ様と同じように、矜持を持って職務に務めております」
「……」
エマは何も言わない。言いたくても言えないことがあるのかもしれない。だから、ユイカは言った。きっとアルベルトならこう言うだろうから。
「でも、皆さんが家の格で理不尽な目に遭われているとか、どうにもならないことで苦しんでいらっしゃるのであれば、殿下は必ず何とかしてくださいますから」
「……」
「だから、頑張って声を上げてください。正々堂々と」
「……!」
エマが反応してくれたのを見てから、ユイカはぺこりと頭を下げた。
「聞いてくれてありがとうございました。ということで、私はこのまま作業を続けても良いでしょうか?」
(本当にこの書類だけでもやっつけとかないと!)
「良くないわよ」
「えぇ……?」
伝わらなかったのか、とがっかりしていると、エマが掃除道具を手に取った。
「貴女の埃だらけのスペース、今日のところは床だけでも掃除するから、その間に洗濯物をまとめてください。それも、持っていきます」
「!」
「……前にも言った通り、私にも矜持があります。卑怯者のための仕事はしたくないけれど、それは私の勘違いだったと分かったから、仕事はきちんと責任をもって果たします」
隣でヘレンが頭を下げた。ユイカは首を横に振って見せてから洗面台へと向かう。
鏡の中のユイカは、少し笑っていた。それに気づいて、もう少し笑う。ずっとフロアメイドたちの姿を見るたびに委縮していた心が、解けていく気がする。
(伝わったんだ、多分)
それから洗濯籠を持ってエマに手渡した。てきぱきと床の掃除だけ済ませた彼女は籠を受け取り、ユイカの顔を見た。そしておずおずと口を開く。
「……ごめんなさい」
エマが部屋を出る瞬間に言った、泣きだしそうな小さな小さな声が、ユイカの心に柔らかくゆっくりと沈んで行った。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
それから数日後、ユイカはエマたちフロアメイドや、洗濯メイドたちに聞き取った情報をまとめ、エグランティーヌの部屋に向かっていた。
(エマ様たちの誤解が解けてから、一気にみんなが色々教えてくれるようになった! 早くエラ様にお伝えしないと!)
足早に貴賓宮を歩いていると、ローラン家からエグランティーヌに付いて来た侍女がひどく不安そうな顔をして歩いているのが見えた。
「どうかなさいました?」
「あぁ、ユイカ様。エグランティーヌ様に少しでも休むように、食事をもっと摂られるよう仰ってください!」
「え? 寝ていらっしゃらないのですか? お食事も?」
侍女は困り果てたように頷く。自分たちがどれほど言っても、時間が足りない、と言って聞いてくれないのだと。
「私がお聞きした時には、きちんと眠って食べている、と仰っていたのに」
侍女から話を聞いた後、ユイカはここ最近のエグランティーヌの様子を思い返した。
ここ数日、エグランティーヌはどんな顔をしていただろうか。エグランティーヌの声と書類にしか注視していなかった自分に気づく。
自分ばかりが一生懸命になっていて、目の前のエグランティーヌを見ていなかったのだ。
(私より頑張ってらっしゃるとしか思ってなかった。貴賓宮で過ごされる方の健康を保てないなんて、女官失格だ!)
自分の気の回らなさに失望に似た感覚を覚えながら、ユイカはエグランティーヌの部屋のドアをノックした後に開けた。
「エグランティーヌ様、お約束の資料をまとめましたので、お時間のある時に……」
ユイカの言葉が途中で途切れた。
「……あぁ、ユイカ、ありがとう」
机に向かっていたエグランティーヌがユイカを認めて微笑むが、その顔はぎこちなく、頭がぐらぐらと揺れている。
(これはもう……限界に近い)
前世の自分を思い出してゾッとする。
「ユイカ?」
ユイカは資料を別のテーブルに置き、エグランティーヌの隣に立った。
「エグランティーヌ様、本日はもうお休みください」
「何を……」
言っているの、と続けようとしたエグランティーヌの目から光が抜けていく。と同時に身体がぐらりと大きく揺れた。
「エグランティーヌ様っ!」
慌てて身体を支えると、尋常でなく熱い。
「エグランティーヌ様! お熱が……」
「ダメよ。言わないで」
エグランティーヌが制した。
「どうしてですか!」
「この後、殿下とのお茶の時間なの。大丈夫。熱だけなのだから、絶対に……出なきゃ……」
「そんなこと!」
「『そんなこと』とユイカは思うかもしれないけれどね、パトリシア様も、私も、絶対に……絶対に選ばれなければならないの。私は誰もが認める王太子妃にならなければならないの」
ユイカの目を真正面から紅い瞳が見つめる。
こんな強い瞳に抗える人間がいるだろうか。ユイカは自分がそのお茶会についていくことを条件に、エグランティーヌの言い分を呑むしかなかった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「……」
王太子宮の中庭でのお茶会の席に現れたアルベルトは、エグランティーヌを一目見るなり眉をひそめた。
そう、目ざといアルベルトが気づかないはずがないのだ。ユイカは十分にそのことを予想できたはずなのに、どうしてもエグランティーヌを止めることができなかった。
化粧で顔色は誤魔化せても、幼い頃からの王太子妃教育の中で培ってきた完璧な笑顔を見せても、アルベルトは誤魔化せない。
「エグランティーヌ嬢、今日はもう休んだ方がいい」
アルベルトは四阿にセッティングされたテーブルに近づきながら、固い表情でそう言った。
「殿下? 私は何も……」
「……」
エグランティーヌの後ろに控えていたユイカから見えるアルベルトは、ひどく険しい顔をしていた。彼のこんなにも余裕のない表情を見るのは初めてかもしれない。
(それだけ、エラ様の状態が悪いということだ。分かってたのに……)
アルベルトの後ろに控えているカイは、エグランティーヌを見て、痛ましそうな表情をしていた。
「殿下、私はだいじょう……」
エグランティーヌの言葉を最後まで聞かず、アルベルトは踵を返した、
「君が休まないのであれば、私が退出しよう」
「……っ」
その瞬間、傷ついたような表情のエグランティーヌの身体がぐらりと揺れた。
そして、椅子から崩れ落ちる。
次回(2/26)19時、ユイカ孤軍奮闘!




