第10章ー1
「エグランティーヌ嬢!」
ぐらりと崩れ落ちたエグランティーヌをすんでのところで抱きとめたのはアルベルトだった。
「大丈夫か?」
「申し訳ありません……大……丈夫ですわ。自分……で……」
力なく言うエグランティーヌをアルベルトは何も言わずに抱き上げた。そして後ろに控えていたユイカに向かって口調を荒らげた。
「何故休ませなかった? 一目見れば分かっただろう?」
「申し訳ありませんでした」
ユイカは謝るしかない。エグランティーヌにも、アルベルトにも。
「殿下……」
カイが気づかわしげにアルベルトに声を掛けた。
アルベルトは顔を歪め、分かっている、とだけ答え、エグランティーヌを横抱きにしたまま歩き始める。ユイカは泣きそうになるのを必死で堪えながらその後を付いて行く。
(あたしが泣いて良いところじゃない。自分の情けなさを泣いて誤魔化すなんて、そんなことしちゃいけない)
自分に言い聞かせ、溜まった涙が零れ落ちないように、必死で目を見開きながら侍女たちに状況を説明してベッドの用意を頼んだ。
アルベルトは何も言わないまま王太子宮内の客間に入ると、エグランティーヌをそっとベッドに下ろす。
「殿下……ユイカを責めないでくださいませ」
エグランティーヌがアルベルトの腕に指先で触れながら乞うた。こんな時に女官である自分の心配をするエグランティーヌにまた涙が零れそうになって、ユイカは身体の両脇でこぶしを握り締めた。
「いえ、お止めするべき判断を誤ったのは私です」
ユイカの言葉にエグランティーヌが重ねる。
「違います。ユイカの言うことを聞かずに無理を通してここに参ったのはこの私です」
アルベルトがたまりかねたように、頭を振って尚も言葉を重ねようとするエグランティーヌとユイカを止めた。
「もういい。今はとにかく休んでくれ、エグランティーヌ嬢」
ひどく傷ついたような表情で、アルベルトは言った。
それ以上は誰も何も言えず、静かな時間だけが過ぎて行き、十分ほど経った頃だろうか、エグランティーヌのかすかな寝息が聞こえてきた。
「王太子殿下、エグランティーヌ様は……」
ユイカの言葉にアルベルトは前髪をくしゃりと掴む。
「分かっている。彼女が自分の身体よりも周囲の期待に応えることを優先したというのは、分かっているんだ。済まなかった、フォルンシュタイン嬢、私も……動揺していた」
「いえ……」
ぽつりと呟くようなアルベルトの小さな声がユイカの耳に届く。
「最近、彼女の様子がおかしいと気づいてはいたんだ。無理をしている、いや、無理をさせているということは……よく、分かっていた」
アルベルトの視線は、生気のないエグランティーヌの顔に注がれていた。
「せっかく君という心を許せる友人が出来て、彼女の表情が昔のように明るく色づき始めて。その顔をずっと隣で見ていられたら、と願っていたけれど。……私はこの国の王とならなければならないから」
「殿下? 一体……」
どういう意味ですか、と問いたかったユイカの声は、医務官が到着したことで遮られてしまった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
侍女に呼ばれて急いでやって来たらしい医務官の診断は、やはり過労だった。
エグランティーヌはベッドの上であっても文字を読んだりしないように、侍女以外には会わずに過ごすことを医務官に厳命され、一週間ほどで顔色は戻ったらしい。その後しばらくローラン家で過ごすこととなり、ユイカは彼女が倒れた日からエグランティーヌの顔を見ることが叶わないまま二週間が経った。
『けれど。……私はこの国の王とならなければならないから』
アルベルトの、エグランティーヌへの想いを放り出してしまったような暗い声が何故だか頭から離れない。
(って、まさか、エラ様を遠ざけるおつもりじゃ……)
ユイカがその答えが正しかったのだと知るのは、それから更に一週間後のことだった。
「殿下からお見舞いのお花を頂いたの」
三週間ぶりにユイカがエグランティーヌの元に向かうと、今朝貴賓宮に戻ったばかりのエグランティーヌが寂しそうに窓際の花瓶に生けられた花を見て、泣き笑いの顔をユイカに向けた。
「お花と一緒にお手紙を頂いたわ。選定試験を放棄して家に帰って養生するといい、ですって」
「え……」
「家に戻ってから二週間、王宮に戻る許可が下りなくて……。何とか許可を頂いて今朝戻ってきたらそんな手紙を届けられて。私、どうしたら良いのかしらね。体調管理もままならない者だと、呆れられて、候補からも外されてしまったのかしら」
外を眺めるエグランティーヌの肩が小さく揺れる。
「でも、私……まだ諦めたくないの……どうしても殿下のお傍にいたいのよ……ユイカ……っ」
声を押し殺して泣くエグランティーヌをユイカは声も無く抱きしめ、落ち着くのを待って再びベッドに寝かせてから、ユイカは王太子宮に向かった。貴賓宮の誰にも、エグランティーヌにさえも言わずに自分の意思だけで。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「随分殺気立って来たものだね」
執務室で書類に王太子印を押しながら笑ってこちらを見ているアルベルトはすっかり通常の彼に戻っていた。けれど、その表情にはどことなく、陰りがあるように見て取れた。
「それで? エグランティーヌ嬢からの手紙を言付かってきたと聞いたけれど」
そんなのはユイカの嘘である。本来ユイカの立場であれば、エグランティーヌか貴賓宮主席女官の命が無ければ王太子宮に行くことなど決して許されることではない。
「人払いをお願いできますでしょうか?」
アルベルトが片眉を上げる。
「必要ない。手紙がないならお引き取り願おうか」
王太子が手を上げて合図をしたのを見た侍従が、ユイカを送り出そうと傍にやってくるのを払い除け、ユイカは声を張り上げた。
「殿下! 今朝お送りになったエグランティーヌ様へのお手紙は、殿下のご本心からのものですか!?」
アルベルトの動きが一瞬止まる。けれど、再度ユイカを見る彼の瞳は、何の動揺もない静かなものだった。
「……無論だよ。さぁ、カイ。元気すぎるこの女官殿を貴賓宮までお送りして差し上げてくれ」
「……御意」
侍従だけでなく、カイまでもがユイカを執務室から追い出そうとする。
「待ってください! 殿下っ! お願いです、エグランティーヌ様のお気持ちを聞いてくださいっ!! 殿下っ!!!」
「女官殿、これ以上の騒ぎになると兵を呼ばねばならなくなります」
耳元で小さくカイに諭され、ユイカは続けようとしていた言葉を飲み込む。
そしてカイに背中を押されるようにして、執務室から追い出されてしまった。
「女官殿。さぁ、行きましょう」
「……」
(絶対に殿下の本心じゃないもの)
ユイカは孤児院訪問の時に、表情豊かに笑うエグランティーヌの顔を、眩しそうに嬉しそうに、幸せそうに見ていたアルベルトの横顔を知っている。
そして、エグランティーヌがどれだけアルベルトを想っているかも知っている。知っているのに何もできないことが、歯がゆくて、むしゃくしゃして、そしてとにかく胸が痛くて仕方なかった。
「エグランティーヌ様……泣いてらしたんです」
「そうですか」
ユイカの声に、カイは足を止めることなく貴賓宮に向かいながら短い返事をする。
「ローラン家に帰って体調を整えたのに、一週間経っても殿下から入宮の許可が出ないと聞いて、ひどく不安になって無理やり来たら、その日のうちにあんなお手紙を……」
「……」
どうしても納得できず、ユイカはひとり喋り続けた。
「試験を放棄しろって……婚約者から外れろってことですか? ひどい、ですよ」
「……」
「殿下は、何をお考えなのですか? 王族なら、どれほど人の心を傷つけてもいいと……っ!」
「不敬です。それ以上は看過できかねます」
「……っ!」
一瞬だけこちらを振り返って冷たく放たれたカイの声に、ユイカは一瞬口をつぐみかける。しかし、どうしても止められなかった。
「カイ様は何とも思われないのですか!?」
「私は何かを言える立場ではありませんので」
「それは、私も同じように何も言うな、するな、ということですか?」
あまりにも無感情な答えしか返さないカイに、ユイカは苛立った声で疑問をぶつけたけれど、カイは意に介した様子もなく、ひたすら歩き続けるのみ。
「カイ様っ!」
思わず大きな声を上げてしまったことにハッとして立ち止まるユイカを、カイは再度振り返った。
「貴女は、貴女の想うようになされば良い」
その言葉すら無感情で、ユイカはぐっと両手を握りしめてカイを睨み上げた。
「……結局、カイ様も王太子殿下側の方なのですね」
「……」
カイは再び口を閉じて歩き始めた。ユイカは唇を噛みしめてその後ろを俯いて歩く。
(分かってるよ、八つ当たりだって。あたしはただ、『そうですね』って、『間違ってない』って言って欲しかっただけなのに)
分かっていたのに、まだまだ零れ続ける言葉を止められない。
「殿下の気分次第で振り回されて……私たちは、エグランティーヌ様は、心のない道具などではないんです!」
「幼き頃よりお傍に仕え続けた専属護衛として言います。殿下は、エグランティーヌ嬢を大切に想ってらっしゃいますよ」
「ならどうしてっ!」
それ以降、ユイカが何を言ってもカイは一切何も答えず、ただ黙って貴賓宮までの道を先導するのみであった。
次回(2/27)19時、アルベルト語る!




