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第1章ー3


「止まれ」


 突然、低く声を掛けられたのと同時に手首を掴まれた。


「あぶなっ!」


 急に止められ、勢い余って前につんのめりそうになったが、強く掴んでいる誰かの手のおかげで転ばずに済んだようだ。


(転ばなくて助かったけど……いきなり女性の身体に触れるなんて非常識なのではっ!)


 と、文句のひとつでも言ってやろうと思いながら振り返ると、目の前にいた相手はユイカの知らない顔だった。


 手首を掴む手はごつごつしていて力も強い。


 そして顔もかなり怖い。せっかく黒目黒髪の整った感じの男性なのにもったいない。


 眉間にしわを寄せてめっちゃこっちを睨みつけてくるではないか。見目のよろしい人間の睨んだ顔はなかなか迫力がある。


「……どちら様ですか? 見ず知らずの女性に許しもなく触れるなんて……」


 こういう時、結衣の経験から言うと、一旦怯えた態度を見せた結果、相手は更に居丈高になることがある。ユイカは正直怖かったけれど相手に負けないように自分が更に居丈高に見えるように胸を張り、顎を上げながら名を尋ねた。


 しかし相手はユイカのペースに乗ってはくれないらしい。


「こんな時間に一人で笑いながらスカートで全力疾走など、この学園の生徒にあるまじき行いだと思わないか?」


 相手の男はユイカを見下ろしながら手をしっかりと握って離さない。


 ぶんぶん振っても身体全体で捩っても、思いっきり揺さぶってもとにかく何をしても離れてくれない。ユイカは諦めて相手の言い分をとりあえず認めることにした。戦略的撤退である。


「その説明だけお聞きすると、私、相当危ない人ですわね」


「危ない人物には相違なかろう。だから、まだ手を放す気はない。不審者ではないと疑いが晴れるまでは拘束させていただく」


「そこまでします? 一体私が何をしたと……」


「貴女は我が主の憩いの時間を台無しにした」


「……はい?」


「貴女は我が主の憩いの時間を台無しにした」


 一言一句違わずに繰り返す男にユイカは、ちょっとキレ気味に長々と説明してやることにした。


「……私が聞き返したのは聞き取れなかったからではなく、この中庭という公共の空間で一定数の生徒が過ごしている中の、ただお一人である貴方様のご主人の『自称』憩いの時間を台無しにした、という貴方の主観的観測と、一方的な決めつけで私を不審者として拘束までなさるのはどんな権利があって行っていらっしゃるんですか? という半ば呆れた感情を二文字に納めた『はい?』なんですが伝わらなかったようですわね」


「……」


 男がぽかんとユイカのよくまわる口を見つめている間に、もう一度思いっきり腕を振って掴まれていた手を振りほどき、五歩ほど距離を取った。少し離れたことで、男の顔だけでなく全身の姿が視界に入る。


(騎士らしき服装……ちょっと待って……この学園で騎士を従えている人なんて……)


 瞬きするほどの短い間にユイカの脳がフル回転する。


 そして出した答えが正解ではないといいなぁと意識が遠のきそうになりながら考えていると、騎士の後ろからくすくすと楽しそうな笑い声が聞こえてきた。


 その声の主の姿を目にした瞬間、ユイカはヒュッと息を呑んだと同時に深く礼の姿勢を取った。


「も、申し訳ございませんでした……!」


「いや、私も誰もいないと思って油断していたんだ。しかし女性の手首を突然掴むなど、私の護衛が大変失礼をした」


「とっ……とんでもないことでございます!」


 ユイカは自分の声が震えていることに気づいた。頭を下げたままでいるから、自分の足元しか見ることができない。


「大丈夫だから、顔を上げてくれ。ご令嬢」


 声の主は穏やかな声色のまま言葉を重ねる。


「ご令嬢、楽にしてくれ」


 頭を上げてその姿を視界に入れるなど恐れ多すぎて出来ない。というか、何かの間違いであってほしい。


「殿下、このような不気味な女とお話する必要はございません」


 この言葉を聞いたユイカは、終わった……と即思った。この学園で『殿下』と呼ばれるお方などひとりしかいない。


「カイ、君だって相当失礼だよ?」


 そう苦笑しながら言ったのは、ルミナス王国王太子アルベルト・ド・ルミナス。この世界ゲームの攻略対象である。


 そして困ったようにため息をつきながら護衛らしき騎士を宥めている。


 弱小田舎貴族である男爵家令嬢ユイカの目の前で。いや、今ユイカは頭を深く下げているのでユイカの頭頂部の前で、が正しいのかもしれない。


 なんて思考が逸れてしまうくらいにユイカは混乱していたが、とりあえず考えるべきはこの危機的状況をどうやって切り抜けるか、ということである。


 とにかく王太子殿下に名を名乗られてしまってはおしまいだ。


 王太子殿下の眼前に不審で不気味で様子のおかしい姿を晒してしまった罰として首が物理的に飛ぶかもしれない。


 もしそうならなかったとしても、相手が名乗れば自分も名乗らなければならなくなる。


 というか、マナー的にはユイカが名乗らなければならないのだが、とにかく今はどうにかして逃げだしたいのだ。


 これ以上の面倒ごとはごめんである。


(うなれ! あたしのよくまわる唇と舌!!)


「本当に、失礼をいたしました! 誠にそちらの騎士様の仰る通りでございます。こんな不気味で不審で様子のおかしい女が、どなたか存じ上げませんが知らぬ殿方の前で息をすることさえ失礼過ぎること! 私、今すぐ全力でこの場を辞し、お暇させていただきますのでっ!!!」


 ユイカは頭を下げたまま小走りに数歩下がったと同時に、土ぼこりを立てながら方向転換した直後、全力疾走で逃げ出した。


 それはもう必死に。さきほどの全力疾走とはわけが違う。


 後ろから王太子殿下のお声が聞こえて来たような気がしたけれど、聞こえなかったことにした。


(やばいやばいやばいやばい! 目立たず、効率よく、簡潔に、密やかに私は人生を切り開くと決めたのだから。もうお貴族様とは金輪際関わらないようにしないと!!!)


 先ほど笑いながら走っていた時よりもよっぽど危険人物そのものだったろう走りを披露しながら飛び込んだ自室で、ユイカは息を整えてからドアに背をもたれさせぐったりと膝をついた。


(今日は調子に乗り過ぎた。明日からは絶対に大人しく、地味に、目立たぬように今世での生きる方向性、つまり進路を決めるのよ!)


 そう決めてベッドに入ったのだが、そういうのは大体フラグが立つというものである。



・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


 翌日ーー。


「貴女が何故アルベルト殿下と知り合いになっていらっしゃるの?」


 ユイカは、青筋立ちまくりの仁王立ち公爵家令嬢とその取り巻き二人に朝から進路をふさがれていた。







※次回、前進したいユイカ、一点突破する!

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