第1章ー2
「……は?」
今まで反論どころか自分の意見さえ口にすることのなかった、田舎の貧乏男爵家令嬢の突然の変貌ぶりに、エグランティーヌだけでなく、二人の取り巻き令嬢も目を見開き言葉を失っているようだった。
結衣改めユイカはふっと笑って首を傾げ、目の前の三人に再度物申す。
「あら、聞こえませんでした? 四人もの成人直前の淑女が、たった一人のご令嬢に、しかも下級生に集団で嫌がらせをすることが、心底バカバカしい、と申し上げたんです」
そう言い切ったユイカ自身は、特筆すべき特産品も観光地もない領地で育ったしがない三男四女きょうだいの末っ子四女であり、貴族子女が通うことを義務とされているルミナス王立学園の高等部三年生。
親からは卒業までに平民でも良いから持参金が少なくても良い結婚相手か、生涯続けられる仕事を見つけてくるように厳命されている、吹けば簡単に飛ばされる程度の地味な女子生徒である。
記憶が戻る前のユイカは、結婚相手を一生懸命探しはしていたが、灰色のまっすぐな髪に灰色の瞳という超絶地味な見た目である上に、学業も魔術もパッとしない彼女にそんな相手が見つかるはずがなかった。
だから焦った彼女は、ちょうど一枠空いていた公爵令嬢の取り巻き……もとい、『ご学友枠』に結構ぐいぐい必死に入り込み、奇跡的に納まることができたのだ。だからこそ、その位置に死に物狂いでしがみついていた。
結果、エグランティーヌの言うことに対して反射的に何度も大げさに頷き、『エグランティーヌ様の仰る通りですわ~』と一時間に一度は発する毎日を送っていたのだ。
(ほんっとに……情けない。死ぬ前の記憶がなかったからにしても……だ)
そう。今この瞬間、記憶が戻る直前もユイカはエグランティーヌの理不尽な言い分に乗っかり、このゲームのヒロイン、リリアにくだらない言いがかりをつけていた真っ最中であった。
事実、今ユイカを射殺さんばかりに睨みつけているエグランティーヌの肩越しに、この状況について来れず、おろおろしているピンクブロンドの豊かな髪を持つ絶世の美少女がいる。
きっと彼女がこの世界のヒロイン、リリアに違いないだろう。
リリアの存在を認めた瞬間、ユイカのこめかみにズキンっと鋭い痛みが走った。
(あー情報量が膨大過ぎて頭痛くなってきたかも……早めに切り上げなきゃ……)
痛む個所を指先で押さえながら、ユイカはエグランティーヌに視線を向けた。
「ここルミナス学園は、身分問わず、貴族、そして平民が入学することを国王陛下の名の元に許可されております。その上、リリア様は男爵家ご令嬢でいらっしゃいます。『身分不相応』などと糾弾される謂われはございません」
取り巻きCによる突然の正論攻撃に、令嬢たちはリリアを含めてぽかんとしている。
まさに今、エグランティーヌと共に、ユイカ自身もリリアに向かって『田舎娘がこの学校の制服を着ていることが間違っていますわ、身分不相応という言葉をご存じかしら?』とちくちく嫌がらせをしていたというのに。
自身の腰ぎんちゃくであるはずのユイカが突然裏切った上に、突然牙を剥いた状態なのだから、悪役令嬢エグランティーヌの混乱と怒りは至極当然である。
しかもユイカ自身は今しがたまでの自分の言動を完全に棚に上げ、朗々と語り続けるのだ。
「彼女が入学を許されたことが納得いかないのであれば、エグランティーヌ様? 貴女が国王陛下に直々にご意見を奏上なされば良いのではないですか?」
「!?」
「直接顔を合わせることができるお立場なのですから。それをなさらないということは、言いがかりであると貴女ご自身がよくお分かりだからでしょう?」
モブに好き放題言われっぱなしのエグランティーヌは怒りを通り越して、顔面に虚無の面を貼り付けていた。ただ、彼女の震える手が持っている扇はミシミシと不穏な音を立ててはいたが。
「そんなことに時間を使うよりも……もっと有意義なことは、きっとたくさんございますよ。探してみてはいかがです?」
そう力説するユイカではあったが、実は先ほどから始まった頭痛が酷くなっていた。
耳鳴りと、チカチカと明滅し始めた視界に気づいたユイカは、脈打つような痛みを何とか堪えながら、スカートを軽く上げ、片足を下げて教科書通りのお辞儀をする。
喋ることはおろか、目を開けていることさえ辛かった。一歩動くごとに鈍器で殴られているのではないかと思うほどに痛む。
「では……私はここで失礼いたしますわ。放課後ですもの。学業もエグランティーヌ様のお話相手を務めることも……義務ではございませんものね」
令嬢たちの返事を待たず、ユイカは速足でその場を去った。そして必死で学生寮の自室に戻った。誰もいない狭い空間にホッと息を吐き、後ろ手で扉の鍵を閉めてからへなへなと床にしゃがみ込む。
本当に頭が痛い。この痛みは今の状況が決して夢であるはずがないことを暗にユイカに伝えていた。
「本当に……異世界転生……しちゃった? しかもやりこんだ乙女ゲームの世界? そして、名前もないモブ令嬢って……」
呟いた瞬間、ユイカの視界がグラリと揺れた。そして彼女の意識はブラックアウトした。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「佐藤さん、これお願いできる?」
終業時刻まであと一時間。結衣が壁掛け時計を見て、今日こそ定時で終われそうだとホッと肩を緩めた時、主任が数センチはあろうかという書類の束を手に、結衣のデスクに歩み寄ると明るい声色で言った。
「……は、はい。大丈夫ですよ。期限とかありますか?」
「申し訳ないのだけど、明日の始業時までには整えておいて欲しいの」
「明日の? 始業前って……」
戸惑う様子を見せるも結衣は、差し出された書類の束を条件反射のように受け取ってしまった。
(さようなら、私の睡眠時間……)
「あ……はは……が、頑張りますね!」
ひくつく頬に、相手は何も気づかない。いや、気づかないふりをしているだけなのかもしれない。その代わり、表面上をなぞるだけの誉め言葉をするすると口から吐き出すのだ。
「ほんと、佐藤さんて仕事できるし、いつもニコニコして完璧に仕上げてくれるから社内の雰囲気も円滑にまわるのよね~」
「いえ、そんなことは……」
「頼りにしてるのよ」
朗らかな笑みで結衣の就業態度を褒めそやしてくれる上司を前に、結衣はバンっと机を叩いて立ち上がった。
「そうやって頼りにされまくった結果、ひとりぼっちで死にましたけどねっ!!!」
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「!」
ユイカは飛び起きた。
周囲を見て大きくため息を吐く。前世の夢をみたらしい。
会社員時代が夢のような世界の出来事であり、乙女ゲームの世界に転生した今が現実なのだということを、嫌というほど突き付けられた気分である。
自室に戻るなり気絶してしまったのだろうが、そんなに時間は経っていないようで、外に目をやれば窓から夕暮れ時を示すオレンジ色の光が室内に差し込んでいた。
ユイカは呻きながら立ち上がって鏡台を見やると、疲れ切った灰色の髪と瞳をした少女がこちらをじっと見ていた。
(ユイカも彼女なりに自分の人生を切り開こうとしてたんだろうけど……)
自分の力だけではどうしようもないからこそ、公爵家令嬢の取り巻きという立場にしがみついていたのだろうと思う。
しかし今のユイカは違う。彼女は鏡に映る自分の頬を、指先で優しく撫でて言った。
「貴女の頑張りをあたしは否定はしない。でも、肯定もしない。目覚めたからには今度こそ、あたしは自分も他人も削らずに定時で帰って、睡眠時間を確保するんだから!」
鏡の中の自分に宣誓するように、ユイカはきっぱりと言い切った。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「さて……と。食堂に行くかぁ。まずは腹ごしらえしないとね」
胃が空腹を訴えている。ユイカは決して裕福な家の出ではないため、平民と大して変わらない学生生活を送っていた。
金銭的に余裕のある家であれば、侍女も一緒に学生寮に入って世話を焼いてくれるから、食事も入浴も自室で済ませることができるが、そうでない者は食堂や浴室、洗濯など共用スペースを使うのだ。
そうでない者の一人であるユイカも食堂に向かう。一人で食堂のテーブルに着き、夕食のビーフシチューを堪能していると、頭の上から遠慮がちな声が聞こえてきた。
「ユイカ様、ちょっとよろしいかしら?」
見上げると、エグランティーヌの取り巻きのうちの一人、記憶が戻った瞬間のユイカに大丈夫かと声を掛けてくれたサラだった。サラは伯爵家令嬢である。食事を摂りに来たわけではないだろう。
「えぇ、サラ様。かまいませんよ」
「……」
サラは黙ったまま、ティーカップがひとつだけ乗ったトレイをテーブルに置くと、ユイカの斜め前に座った。
「夕食後でもいいですから、早めにエグランティーヌ様に謝罪するために面会の申し込みをなさってください」
「何故です?」
「何故って……。あなた、ご自分が今日何をなさったのか理解していらっしゃるの?」
ユイカはサラの顔を見つめた。どうやら、本気で心配してくれている様子だった。
「理解はしておりますよ。でもね、私にはもう自分の気持ちを押し殺してまで貴女方と一緒に行動する利点が見つからないんですの」
スプーンを口元に運ぶ動作を続けながらも、ユイカはきっぱりと言い切った。
「なっ……」
「私たち、卒業まであと一年もないでしょう? 最後くらい、好きに過ごしても良いと思いますの」
「さ、最後だからこそ、学友と良い思い出を作りたいと思うのが常というものでしょう? 将来のことだって……」
ユイカの言い分がさっぱり理解できないという顔だった。気持ちは分かる。なにしろ彼女は正真正銘十八歳なのだ。
しかもユイカと違って本物のお貴族のお嬢様であるのだから致し方ないとも思う。
しかしこちとら精神年齢二十六歳のくたびれた社会人なのである。その経験が今のユイカを形作っている。だからサラの言いたいことは手にとるように分かったが、その後の苦労も簡単に想像できた。
「将来の伴侶を……ですわよね。でもそれは、もう私に必要ないものなのです。だって他人に自分の人生の舵取りを任せるのって、怖くないですか?」
「え?」
「私は怖いと思いました。だからこそ、自分の手で、自分の足で人生を切り拓いていこうと考え直したのです。その結果が本日起こした私の行動だと理解していただけたら」
「ユイカ様……?」
二の句が継げなくなってしまったサラを放置してユイカは夕食を黙々と食べ進めた。そして皿を空にしてから立ち上がる。
「このことをエグランティーヌ様にご報告するも良し、貴女様が再度お一人で考えるのも良し。私は私でやっていきますからお気になさらず」
尚も縋るようにユイカを見つめるサラに、ユイカは静かに頭を下げてから、食堂を後にした。
周りが何と言おうとこれが今の自分なのだ。なんだか胸の中で新しい感情が次々に湧き出て膨らんでいくような気持ちがした。
(人からの厚意を断るなんて……しかも自分の意見だけを言って立ち去るなんて……)
結衣として生きていた時も、ユイカとして生きていた間も、そんな行動を取ったことは一度もなかった。
妙に心を急かされているような気分になる。
心に任せてどんどん歩を進めるうちに、だんだん歩幅が大きくなる。
そして気がつけば足早になっている。
ふとガラス窓に映った自分を見ると、頬は紅潮し心なしか緩んでいるように見えた。
「あたし……笑ってる?」
ユイカは足を止めないまま俯いて、ふっと笑った。
(そっか。あたし、ずっとこうやって自分勝手に生きてみたかったんだ……)
ユイカはずっと無理やり押し込めていた本当の自分が、心の殻を破って、自分の身さえすり抜けて、大きく大きく広がっていくように感じた。
いつの間にかユイカは走り出していた。
楽しくて嬉しくてそんな自分が誇らしくて仕方なかった。
中庭を全力で走るユイカをぎょっとしながら見ている生徒が数人いたような気がしたけれど、そんなこと、どうだってよかった。
本当に久しぶりに、心が晴れやかだったから。
※次回、ひとり楽しくなって学園の中庭を全力疾走する男爵家令嬢、怪しすぎて手首を掴まれる!




