最終話
光と暖かさに包まれたニールは、思わず目をつぶっていた。ぐんっと上に引っ張られるような感覚があり、気がつくと自分の部屋の見慣れた天井があった。
「え……は、あれ?」
今までの自分が体験していた事は夢だったのだろうか? 「そうだとしたらやけにリアルな夢を見ていたな」とニールが考えながら寝返りを打つと、腹部に強烈な痛みが走った。
思わず右手で傷口を押さえたとき、掌から赤いクリスタルが転がり落ちた。河原での石投げに手ごろなサイズの……。
「は……ははっ…………あ痛っ!」
ニールは自分でもわからず笑いがこみ上げてきた。あれは夢ではなかったのだ。確かに自分はまたしても違う世界に飛ばされ、そして帰ってきたのだ。腹の傷はその代償、と言ってしまえば格好がつくが、要は自分の未熟さの結果でもある。
ともかくも、今、彼は生きている。
今回も無事に生き延びたのだ。
剣による傷の適当な言い訳を考えつつ救急病院へ向かう。手当をしてもらい、鎮痛剤を打ってもらって、ニールは自分の部屋へ帰らず、その足で知人のもとへと向かっていた。
興奮冷めやらぬ、というよりはハイになっていたのかもしれない。だが、今は無性に見知った顔が見たかったのだ。珍しくタクシーで乗り付けたニールを、彼は驚きの表情でもって出迎えた。そして、荒唐無稽な体験談を酒のつまみに夜遅くまで話し込んだ。
「しかし、嘘ともホントとも言えねえ話だなぁ」
「いや、信じてくれなくて良いさ。俺だって無条件に信じてもらえるとは思っちゃいない」
「まあ待てよ、信じないなんて言ってない。オレもなぁ、その、不思議な赤いクリスタルを見ると、どうしてかお前の話がホントにあったことだと思えてくるんだ」
「…………」
スキンヘッドの大男が、バツの悪そうな顔でカウンターの上の水晶を指さす。ニールもそれには頷いた。自室に無造作に置いておくのがためらわれ、こうしてここまで持ってきてしまったのだ。捨てるつもりも手放すつもりもない。だが、ずっと持ち歩くのには不便だった。
「なぁ、このクリスタル、アクセサリに加工できないか?」
「おお、それくらいならすぐにできるぞ。今日は泊まっていくだろ? 朝までには仕上げといてやるよ」
「ああ、頼む」
酔った頭を振って客用寝室に引き上げていくニールの背中に声がかけられる。
「なあ、ニール。さっきの話だが、他の奴に話してみていいか? ちゃんと人は選ぶからよ」
「好きにしてくれ」
後ろ手に手を振って、ニールは寝室に入るとベッドに倒れ込んでそのまま泥のように眠った。
ちなみにこの異世界転移の話がとある映画の脚本家の耳に入り、その縁から少し大きな役が回ってきたりした。とはいえ、その体に付いた数多くの傷あとやカラリパヤットという比較的マイナーな特技のおかげで悪役ではあったが。コアなアクション映画ファンの間で少し名が売れたのが収穫か。
大きな役を得られずに悶々と過ごした時期もあったが、それでもやはり演技の世界から離れられないニール。そして、長年馴染んできたカラリパヤットにも同じくだ。変わらないようで、少しずつ変化していく日々。
そんなニールの胸元に、今日も赤い水晶が淡く輝いていた。
◆◇◆
ガストンとアレクスが盗賊団のアジトまで戻ってきたとき、そこにはロランの姿しかなかった。宝の積まれた小部屋で、金貨の山をベッドに、ロランは黙って上を見上げていた。
「どうした、ロラン。あの鳥かごは? ニールはどこだ?」
ガストンの問いかけに、寝転んでいたロランはのっそりと身を起こし、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「知らねぇよ。帰ったんじゃねぇの?」
「帰った? どこから?」
「だから知らねぇって!」
「鳥かごは上にしか行かねぇし、そこから先はどこへも行けないっていうのに……」
「消えちまったんだからしょうがねぇだろうが。元々ここへは帰り道を探しに来たって話だ、宝も名誉も何もいらねぇんだとよ」
ロランの言葉にガストンは首を傾げたが、実際にあのヒゲの男はいないのだ、無理やりにでも納得するしかなかった。探索者の‟庭”に戻った彼らは、無事に依頼を達成したと認められ、さらに盗賊団を討伐したことで追加の報奨金を貰った。騎士学校にもこの依頼の達成は実績として認められ、ロランが宿舎を抜け出したことについては不問となった。
学校と名がついてはいるものの、国のために働く暴力装置の育成機関なのである、その成り立ちを考えれば今回のロランたちの行為は国王への背信として処罰されてもおかしくなかった。だが、幸運なのか政治的な取引の結果か、彼らはお咎めなしに学校へ戻った。
それどころか、学校中から英雄扱いだ。元々よく一緒にいる彼ら三人だったが、これ以降、それがもっと顕著になった。後に、国王からの要請によって魔王討伐に向かう際には、もうひとり若年の男子を加えて四人組となるのだが、それはもう少し先の話である。
「しかし、古代遺跡か……。なかなか旨い仕事だったな」
「そうだなぁ。まあ、盗賊たちが相当貯めこんでいたってこった」
ロランの言葉にガストンが頷く。
だが、ロランが言っているのは金になる宝のことではなかった。
(あの時、あのオッサンが引っ掴んでいった赤い水晶……。あれこそ、あの鳥かごを動かすためのアイテムだったんだよなぁ)
実際、もう一度あの鳥かごを動かそうとした際、油はしっかりと差してあったというのにビクリともしなかったのだからそれが真相なのだろう。一緒に調査に行った‟庭”の職員はガッカリしていた。
(欲しいよなぁ、あの水晶。他にいったいどんな能力があったんだか……クソ、あのオッサン!)
ロランは密かに歯噛みした。あのニールという男こそ、このインキュナブラ大陸に伝わるマレビトという存在――出会う者に新しい知識や奇蹟を授けるという古の言い伝えにある人間だったのだが、それをロランは知らない。だが、この出会いによって彼の運命は確かに変わったのだった。
〜〜fin.〜〜




