金の卵が孵る時
娯楽。人は日々の疲れや苦悩を何かでよく紛わす。
運動、創作、恋愛、賭博、酒に食事と方法は様々。
古代ローマでは民衆にはパンとサーカスを与えていれば問題無いと嘯かれる程、人間の生活には娯楽と言う存在が必要不可欠な物として扱われてきた。
しかし娯楽は残酷な一面をも見せる事が有る。
フランス革命では貴族達をギロチンで処刑する際、民衆は祭り気分でそれを眺めていたと云う。
刎ねられた首を天高く掲げると、人々はそれを肴に酒を飲み、浮かれ、革命万歳と然りに叫んだ。
国家への抵抗、圧政への義憤という『正義』は、この様な悍しい行為をも娯楽へと変貌させてしまう。
そして、この正義はなにも怒りだけには留まらない。
辛い時、悲しい時。優しい物、可愛らしい物に癒されたいと思う心とて、時に悍しい娯楽と化す。
ディオンヌ家の五つ子姉妹。
今回は時代に翻弄され、数奇な運命を辿った彼女達、その悲劇について記そうと想う。
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1.
ディオンヌ家の五つ子姉妹とは20世紀、カナダにて注目を浴び有名となった姉妹の事である。
読んで字の通りだが彼女達は五つ子。しかも彼女達は一卵性の、非常に珍しい多胎児だった。
出産に立ち会った医者をして機器の異常だろうとしか思われておらず、実際に出産したらまさかの事実だったので驚かれた五つ子姉妹。
そんな彼女達は如何にして有名になったのだろうか。
そも、幼な子の得る『名声』とは何なのだろう。
人間に自我が芽生えるのは基本的に2から3歳時の話で、産まれて間も無い頃は視力も成長しておらず、身体をどう動かすのかも分からないと云う。
そんな赤ん坊が名誉や賞賛を求めて動く訳も無い。
なら。名声を欲するのは周りの大人と言う事になる。
彼等は双子どころではない奇跡を得た事で、自らの欲望を肥大させて子供達の人生を狂わせていく。
ディオンヌ家の五つ子は産まれてから三日後。
彼女達はこの時点で業者と契約を交わされた。
万国博覧会での出演、見世物としてのだ。
と言ってもこの時点では両親とて親の心を持っていなかった訳では無い。当時の生家は貧しい家柄で、とても複数人の子供を養育する余裕など無かった。
そこに噂を聞きつけた興行人が現れ、大金と引換に取引を持ち掛けたのである。
彼等としても現実に無理が生じている以上、親の倫理に反するとしても到底断れる物では無かったのだ。
結局この契約は司法の手で失効され、彼女達を悪辣な搾取から護るべく、両親から親権を剥奪し責任能力を持つ18歳まで国家が育成を行う法律が創設。
未だ幼い時分、最も親の庇護と愛情が必要な頃。
斯様な大事な時期に両親と別れを告げる事になる。
これが切掛となり、五つ子の人生は変貌していく。
単純な親と子から、国家幸福の象徴たる存在へと。
2.
五つ子は上記の法案成立後、自分達の出産に立ち会った医者の許へ身を寄せる事になる。彼ならば親身となって彼女達を育てるだろうと思われた為にだ。
最初は確かにそうだったのかも知れない。しかし国家からの支援で巨大な病院と保育所が建てられ、世間からは奇跡の名医と持て囃された医者は次第に精神を変容させていく。欲に取り憑かれた獣へとだ。
彼は施設の一部を改修すると、五つ子の生活を一般に公開し始めた。彼女達の将来を担う『募金』として、多額の入場料を徴収しながら。
来場者も可愛らしい子供の成長を手助けする『美徳』の下、好奇の目を爛々と輝かせ観覧を行う。
そこに当人たる五つ子の意思は存在しなかった。
人間の尊厳に対する保護意識も消え失せていた。
彼女達が人から物へと扱いが移り変わった事は、当時の写真を見ればよく分かる。
全員が全員、多胎児で在る事を強調すべく同一の服を着せられ、観客に誰が誰か分かる様に分かり易い特徴を付けられる。例えば色や手に持つ道具等でだ。
これらの要素は子供達が自発的に始めた物では無い。
観客が判別出来る様に、医者側が配慮した結果だ。
もはや五つ子は人間として扱われなくなっていた。
動く物。動物園のアイドルと彼女達は化していく。
配慮は益々強まっていった。
観客に手を振る。歌を唄う。踊りを見せる。
宣材の写真を用いた手紙が飛ぶ様に売れた。
保育所の向かいにはお土産屋が幾つも出来上がる。
その店の主人は、他でも無い彼女達の両親だった。
人間としての教育は次第にされなくなった。
代わりに愛らしい表情を、歌い方を、可愛い踊りの練習をさせられ始めた。サーカスの見世物として。
医者も。両親も。国民も誰も彼もが五つ子の人生を喰い物にしていく。それは政府とて例外では無い。
彼女達の為にと始めた『募金』…それが多額になるに連れ、観光資源として有用と気付いた政府はこれを黙認。それどころか集められた資金を国家の為にと勝手に流用までし始めていく。
それは、人権が完全に喪失した事を意味していた。
医者の許に保護されて以降、五つ子が外出したのは一回のみ。それですら重度の監視付きの牢獄も同然。
『天使』『希望』と人々に愛された彼女達の境遇は、言葉と正反対に囚人の生活を強いられる物だった。
3.
五つ子はその人生と引換に周りの人物に富を齎した。
しかし、その栄光はいつまでもは続かない。
彼女達が成長するに連れ世間の興味は薄れ、一時の勢いは無くなり募金の数も減っていった。
更に第二次世界大戦が勃発した事で、人々は他人の子供に関心を抱く暇も消え失せたからだ。
金の卵で無くなった彼女達に医者と政府は驚く程呆気なく、親権を自分達から両親へと返還した。
紆余曲折を経たとはいえど、遂に彼女達は自分の家族の元へと戻り、幸せな生活を享受する事になる___
訳が無かった。
上記の通り、両親は娘達が見世物とされている建物の向かいに土産屋を造っている。
この事からも分かる通り彼等は五つ子に対して親子の情を既に持たず、金稼ぎの道具としか見なかった。
こんな状況で家に帰された所で真っ当な扱いを受けられる訳も無く、五つ子は以前までと同じく…寧ろ苛烈さを増した搾取に晒されてしまう。
以前よりも歌や踊りの回数を増された事で心身共に疲弊し、家の内部では他人として存外に扱われる。
それどころか家事すらも押し付けられ、慣れない仕事故に失敗を犯す。その度に暴力を伴った躾が続く。
それだけでは無い。性的な虐待をも彼女達は受けた。
父親にとって彼女達は娘では無く、女と見ていた。
流石に人目が有る所でその片鱗が出る事は無かったが、移動中の車内等では性欲を露わにした。
血の繋がる親からも裏切られた五つ子は、何時しか内に籠る様になっていく。ずっと苦難を共にしてきた、分身たる姉妹にしか心を開かない様になっていく。
月日は流れ彼女達は18歳となり、法令上で募金を受け取れる年齢となるとすぐに家を出た。稼いだ金額と比べると圧倒的に少ない金額なれど関係無い。
家から出られる事。見世物では無くなる事を五つ子は求めており、その幸福が為に行動を起こしたのだ。
周囲の大人によって浪費されたとは云えど、貰った募金は大金。人生を取り戻すには十分な額だった。
普通ならば。普通の人間ならば。
前述した通り、彼女達は人生を代償に富を齎した。
その結果奪われた物は、なにも金銭だけでは無い。
教育。社会性。人間関係。凡そ人生を送る上で必要不可欠な要素を学ぶ機会をも同時に奪われたのだ。
歪んだ幼少期を送った事で成長を止められた彼女達に世間は冷たかった。仕事に就けない。友人も作れない。詐欺に遭い、なけなしの金を失くす。
未来に展望を持てない生活は五つ子の精神を蝕んだ。
或る者は神に救いを求め、或る者は酒と薬に溺れ。
苦しみに苦しみ抜いた後、最悪の結果が訪れる。
1954年。姉妹の一人が持病の発作で死亡した。
神のお膝元たる修道院の中で、一人寂しく。
1970年。更にもう一人が内臓疾患により死亡。
後日医者が訪れ、死後数日が経っている事が判明。
2001年。癌により姉妹の一人がこの世を去る。
これにより死者の数が生者の数を上回る事となった。
現在。残りの2名は質素な部屋で日々を過ごす。
そこに往年の、時代の寵児たる者の姿は存在しない。
全てを奪われた、孤独な老人の姿が在るのみである。
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ディオンヌ家の五つ子の人生に救いは存在しない。
産まれてから今現在に至るまで徹頭徹尾利用され、搾取され、弄ばれた後、興味を無くした人々によって打ち捨てられた。まるで飽きた玩具の様に。
誰も気が付かなかった。彼女達が人間である事を。
意志が存在するとも思わずに、ただ表面の笑顔だけを見て彼女達は幸福なのだと考えていた。
仮面の裏側で泣いているとは、露程も知らず。
若しくは理解しようともしなかったのかも知れない。
もし不幸な実態を知ってしまえば。
今までと同じ様に笑う事なんて出来ないからと。
子供は親を選べないとは良く聞く言葉だが、それは何も貧乏な家の話に限る物では無い。事情とは如何な家庭にも存在する物である。
だからこそ親は子供を所有物と看做してはならないのだ。世間で囁かれる陰惨な事件は遠い話では無く、身近な場所で起きるやも知れない事柄なのだから。
血の通った人間として扱わねば、誰もが『五つ子』の人生を送りかねないのだ。
昔話に出て来る金の卵は殻付きの状態では輝く宝物と扱われるも、一度割れば普通の黄身が出て来て落胆される。しかし、果たしてそれは正しいのだろうか。
その黄身が殻の黄金に勝る代物で無いと、一体誰が知るのだろう?誰が決める事が出来るのだろう?




