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歴史人物浅評  作者: 張任
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纂國士

なろうをご覧になっている方には周知の事なのだが、物語には『物』を創る作者とそれを『語』る読者が必要不可欠だ。

(何を当たり前の事をと思われるだろうが御容赦頂きたい)

それは大昔から現代に掛けて変わる事無い理と言える。

時に歴史には誰に見せる事も無く小説を書き続け、そのまま没する奇特な作者も居るには居るが、それとて自分自身を読者として看做して自分の為に記したに過ぎない。

事ほど左様に作者と読者は切っては切れぬ物。それは世に名高い小説とて覆しようの無い、永遠の命題なのだ。


三国志___が創られるまでの経緯。


今回は何時もと趣向を変えて歴史上の人物では無く、その歴史を文章に起こした者達について記そうと想う。


_____________________


1.


三国志は…と何時もの堅苦しい説明をする必要も無かろう。

現代でも人気の有る、個性豊かな武将・智者が数多出てくる時代小説で在る事は今更に自分が語る事でも有るまい。

劉備・関羽・張飛の義兄弟、諸葛亮と司馬懿の二大軍師、乱世の奸雄と謳われた曹操、親子三代で国を興した孫一族と、人気の有る人物を挙げれば枚挙に暇が無い。

が、しかし。これが彼等を記録に残した人物、即ち著者の事になると途端に知名度がガクンと下がってしまう。

作者そのものにと言うより、その作者が創る作品にこそ興味が有るのだから当然と言えば当然の話なのだが。

とは言えど彼等とて上に挙げた英雄達に勝るとも劣らぬ個性の持ち主だと個人的には思う。なにせ作家とは平穏な治世に於いて筆を武器に国や民を相手に大立ち回りを演じ、同業の士と鎬を削る群雄そのものなのだから。


さて、最初期の三国志は時代にして奇しくも三世紀頃。

晋によって全国統一が為された時分に記されている。

現代だと俗に言う『正史』と呼ばれる代物の事だ。


これは読んで字の如く、歴史書として創られた書物。

当時の政権たる晋が今迄の出来事や人物を軒並み記録し、後世に情報として形有る物を遺そうとしたのが切掛だった。

同時に歴史を背景に持つ事で自らの正当性を訴え、統治を行う大義を得ようとの狙いも有る。我々は天下の簒奪者では無く、前王朝から権限を譲られたのだと知らしめる為にだ。

この場合、読者は国家と言う事になる。一個人程度の作者にとっては余りにも大きな存在過ぎて堪った物では無い。

下手な文章なぞ見られた日には役職としての首が飛び、罷り間違って批判めいた文章を書いた日には現実の首が飛ぶ。

増して記す量すらも尋常でなく多い。様々な事件・災害に加え、群雄一人一人の説明に国家の歩んだ暦も記さねば。

命が懸かる異常な重圧の中、至極損な大役を任ぜられた作者は血反吐を吐く思いで超長編の歴史を書き記していく。


普通ならば作者が頑張ったので出来上がりました、終わり…と言いたい所なのだが三国志の場合は少々趣が違う。

正史の著者は国家の意向に一部背き、自国(この場合は魏)の歴史だけでは無く残り二国の歴史をも編纂したのだ。


この作者は元々が晋の直臣では無く、既に滅びた国・蜀からの遺臣だった。それが彼の衝動を呼び起こしたのである。

忠心を忘れられなかったのか、彼が記した蜀に関する歴史書は基本好意的に記されており、かの国こそが正当な王朝で在ると取られても不思議では無い文章を起こしていた。

自国の歴史書をとの要求だったにも関わらず、余分な物を付けて三カ国版も提出しやがったのだから何を言わんや。

こんな書物が有っては禍根を遺すと処刑されてもおかしくない事をやらかした訳だが、晋としてはさして興味も無い事柄だったのか、それともこれを用いて支配を強められると画策したのか、何れにせよ特段問題視もされず受理される。

寧ろ三国志(以下、正史と呼称)は歴史書として高い評価を得、官吏にとっての聖書として重用され始めていく。

中には文章の中で描かれる光景に思いを馳せ、筆を執り文学として古の英雄譚を記す者もちらほらと現れる始末。


かくして正史が誕生し、読者から後に無限と拡がる三国志世界の芽も出始める。が、これはあくまでも宮中での話。

この物語が中国全土を席巻するのは、まだ幾許か後の事だ。


2.


時は進み、三百年後。日本からも船が来たる唐の時代。

僧侶が仏教の教義を民衆に伝える際、昔のままでは伝わり辛かろうと三国志の登場人物を用いて説話を行なったのを切掛に、それまで正史を知らなかった民衆の間に物語が浸透。

魅力的な英傑達の生き様が人気を博し、各地で三国志の話が創られ始めていく。民間伝承…二次創作の始まりで在る。

歴史書としての正史とは違い、この民間伝承は作品としての面白さを第一に考えられている。宮中内で伝わる教養としてで無く、愉快痛快な娯楽として愛されていったのだ。

結果として登場人物の個性が俄然と増し、その個性が受けて更に肉付けされて、現代に伝わる人物像が築かれていく。

と、同時に民衆に受けが良い形へと変貌したりもした。


例を挙げれば軍師は政治や策謀等の難しく地味な部分を廃し、天候を操り幻術で惑わすド派手で分かり易い存在に。

郷土の御仁を盛り立てんと有象無象の逸話が跳梁跋扈。

故事や神話を盗作…もとい参考にして個性を出させたりと。


色々と無法地帯と化していく最中、大きく恩恵を得た人物も居る。桃園の義兄弟が末弟、万夫不当の豪傑・張飛だ。

大酒飲みながらも情に篤く単純明快な性格は民衆の共感を得、怪力無双で難題を解決する様は驚嘆の念を呼び寄せる。

複雑な要素だらけの他群雄と異なり、名実共に分かり易い彼は誰にでも凄さが理解出来るが故に爆発的な人気を得た。

その人気は張飛本人の能力にも及び、当時の彼は兄で在る劉備や関羽をも喰らう存在感を放つ完璧超人と化していく。

それを表す逸話として、軍師・孔明との知恵比べが有る。


『未だ諸葛亮が在野の身で、劉備の軍師では無かった頃。

軍師になってくれと件の張飛が頼みに来たので、自分を家から出せたら何処にでも参りましょうと約束をする。

それを聞いて火事になった龍が出たと騒ぎ立てる張飛だが、嘘と即座に見抜かれて全く以て上手く行かない。

軈て張飛がさめざめと泣き出して、粗忽者の自分が知恵者の孔明殿を言葉で誘い出せる筈も無い、逆に自分が家の中に入って誘い出して貰えないかと柄にも無く弱音を吐く。

やれやれ…それじゃあ御手本を見せようと諸葛亮が扉を開けると、其処には満面の笑みを浮かべた張飛が一人。

一杯喰わされたと気付くも後の祭り、観念した諸葛亮は張飛に連れられて劉備の軍師となったとか、かんとか。』


3.


登場人物達の個性が爆発的に強まり、官民問わず知名度が鰻登りに上昇していく三国志。その人気たるや凄まじい物で旅先で物語を話して銭を得る講話師曰く、如何な騒がしい子供達とて三国の話をすれば一様に静かになって耳を傾け、話に熱中する様は喰い入るかの如くと語る程。

当然こんな人気作品を興行関係の者達が放っておく訳も無く、様々な場面が創作・脚色されて観客の許に届けられる。

その中には長篇物も多く含まれており、物語が白熱する場面で一旦休止して後日に続きを行う、所謂『引き』の技術も盛んに用いられたとの事。中々に商売上手な事で在る。

この引きのお陰かどうかは不明だが、この時を境に三国志の物語は唐代の短く簡潔な説話的な代物から、長く複雑な文学的な代物へと読者を含めて進化を遂げていく。


時代は更に進んで十三世紀。モンゴルの騎馬民族が猛威を奮い、有史以来最大規模と言える大帝国を築いていた頃。


世界の情勢が忙しなく移り変わる中、長年親しまれてきた三国志の物語にも激震が疾る。活躍の場を口から話す演劇から、文章にて記す小説へと移行し始めたのだ。

これは人気から演劇の数が増えた事で台本の数が嵩みに嵩み、扱わない話を有効活用しようと考えたのが切掛だとか。

体裁を整えるべく台本を時系列順に並べ変えて編纂し、場面場面を分かり易く描写すべく挿絵を所々に挟み込む。

一本の大筋として過去の英雄が転生を果たすと言う、現代の作品と見紛う程に突飛な展開で進む同作品は『三国志平話』と呼ばれ、大々的に世に売り出された…かは定かでは無い。

とは言え平話は各地に相応の数が現存する事から人気が窺え、結果、この形式は後々の作品群に受け継がれていく。


正史から始まり受け継がれた三国志物語が集大成も同様に。


同作の作者は元々が原典たる正史にも造詣が深い教養人で、当時の荒唐無稽と化していく路線に少々不満を抱いていた。

彼は歴史と摺り合わせて現実感を出し、寓話に近い民間伝承を極力除いた事実に沿う作品でも十分に娯楽性の高い、かつ知識人の鑑賞に耐え得る物が出来る筈だと考えていたのだ。

軈て願望は意識となって顕れ、現実とすべく行動が始まる。

先ず資料を掻き集め時系列を確認、大まかな粗筋を作成。

登場人物の人格までは歴史書に事細かく記されている訳も無いので、業績や行動から情報を組み立て推察していく。

文字だけでは理解出来ない事柄も当然有るので、その場合は現地に足を運んで住民から民間伝承を聞いたり、実際の場所を己の眼で確認して新たな情報を集めたりもした。

個性を確立させた群雄を粗筋に沿って配置し物語を創り始めると、今度はその個性と矛盾する場面が現れたり。

その場合は問題とならない状況を頭を捻って設定し、疑問点や違和感を丹念に丹念に、一つずつ確実に潰して。

気の遠くなる行為を何回も、何回も、幾度と無く繰り返し。

尋常ならざる苦闘の果て、遂にその熱意は完成を迎える。


三国志演義。現代に於いてまで伝わる伝説の作品として。


______________


三国志演義はその完成度の高さから民衆の人気はおろか、それまで小説なぞ低俗な代物だと見向きもしなかった役人の面々からも多大なる支持を得た。

そればかりか国王や異国の地にまで版図は及び、思想面・戦略面・政治面にも影響を与えるまでに深く浸透していく。

或る政治家の言をして『阿斗(最後の蜀皇帝)に成るべからず』と語られる程、三国志は当然の物と化した訳だ。

この成果を為したのは無論作者の力量の賜物だが、それは決して綿密な調査やプロット製作に依る物だけでは無い。


歴史上の事実を確かに尊重しながらも、庶民が長年愛してきた娯楽性を低俗と断じず、寧ろ作品としての面白さに繋がるならばと用いる貪欲さも大きな要因で在ろう。


演義の作者は発想の高尚・低俗に異は認めれど差は感じず、現代でも通じる柔軟な思考で作品を書き上げている。

例えば彼は作中の英雄と会話をし、彼等が納得する描写を考える謂わばメタ的な裏話を、まさかのこの時代に遺したり。

戦績が不明瞭で活躍が難しい場合、箔付けの為に架空の武将を捏ねくり出して戦わせ、活躍の場を増したりもした。

正史を基にしている以上はと各群雄の神秘的な部分は鳴りを潜め、張飛の様な二次創作と原典とで著しく能力が異なる人物の場合は、それを補う性格等を付け加える。

豪傑・軍師のみならず能吏や逆臣とても十分に扱い、老若男女を問わず多種多様で個性的な人物を幾つも描き出す。


繊細でいて大胆、奇抜にして王道を往く演義に人々が夢中になるのも当然と言える。同時に、それら複数の要素を混ぜても受け入れる土壌が三国志に有ったのも忘れてはならない。


実際の出来事を編纂して歴史書を記し、その歴史に魅力を感じた幾人かが物語の芽を植えて後世へと伝える。

軈て種子は宮中と言う狭い畑から飛び出して中国全土へと拡がり、各々が思い思いの英雄譚を紡いでいく。

無数に渡る物語と観客からの批評、それを推敲し続けた先人の作者達が居たからこそ演義と言う名作が出来たのだ。

遠い記憶だった筈の三国の志を後世に遺そうとした者。

衰退していく文学を大衆に知らしめ可能性を拡げた者。

無限と化す世界を丁寧に紡ぎ一つの龍へ昇華させた者。

彼等が居らねば、煌びやかな世界は存在もしなかったのだ。


現代。その志は新たな士を得て、今も引き継がれる。


完成度を上げんと演義の内容を洗練し、再構築をする演劇。

それまで端役や悪役を担っていた人物に焦点を当て、また新たなる視点を提供して新鮮な驚きを与える漫画・小説。

斬新な設定や容姿を考案し、可能性を追い求めるゲーム。

彼等の手によって今も三国志の物語は語り継がれ、そして魅了された読者によって今後も受け継がれていくのだろう。

時代時代毎に進化を遂げて、何時迄も新たなる形で。

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