人為全力
果たして理想の官吏とは如何なる人物で在ろうか。
領民の事を思い遣り、国家の行末を気に掛け、上司が相手だとしても諫言が出来、現世を善くすべく只管に努力する。
其の様な人物であれば誠の国士と言えようが、斯様な逸材が此の世に存在し得るのだろうか。欲望と陰謀が渦巻く政治と言う名の伏魔殿に於いて、公に徹する者が現実に。
居る。居るのだ、歴史上には。私よりも公を貫いた御仁が。
晏嬰。
国家の為に人事を尽くし、領民の生活を第一にした政治家。
今回は中国史に於いて一、二を争うと謳われた、世の能吏と呼ばれた者を魅了し続けた名摂政について語ろうと想う。
_____________________
「南橘北枳を語り」
晏嬰は紀元前の中国、斉と言う国で活躍した政治家で在る。
彼は三代に渡って斉の国王に仕え、常々と正道の道理を説き、君主が道を外れんとすれば忠告・諫言を憚らず行う、まるで絵に描いた様な実直で誠実なる文官だったと言う。
突飛な政策や思想を語る事が無く、其の点で同時代を生きた思想家と比べ日本での知名度が低いのは否めないが、資質・信念に於いて彼等に勝るとも劣らない傑物で在った事は間違い無い。彼の人生を調べていると、殊更にそう想うのだ。
晏嬰は6尺未満、つまり小学生程の身の丈しか無かった。
しかし彼は其の事で己を卑下する事も無く、寧ろ身長を武器にする強かさが有った。それを示す逸話が存在する。
或る時、晏嬰が外交の使者として他国を訪問した際の事。
彼の身長を揶揄い嘲笑おうと、相手の国王が一計を案じた。
即ち往来用の扉を全て閉め、新しく造設した小門から通そうとしたのだ。子犬程度しか入らぬ門を潜らせる事で、なんと小さな人間で在ろうと指を指して馬鹿にする為に。
だが件の晏嬰がいざ来てみると閉じた門から動かない。
小門をこれみよがしに解き放とうとも微動だにせず。
業を煮やした国王が門番を通じて強引に小門へと誘導しようとすると、彼は何とも涼しげな顔でこう言い放った。
心遣いは有り難いのですが、私は此の国に用が有るのです。
ならば犬の門を通って、犬の国に参る訳にはいきませぬ。
以上の経緯で自国を公然と罵倒され、しかも発端が自らの悪戯と言う事で盛大に恥を晒した国王は、何事も無かったかの様に大手門を開いて歓迎するより他に術が無かったとか。
此の話からも分かる通りに晏嬰と言う人物は弁舌の技に長け、相手の思惑を見抜き対抗策を講じる聡明さも持つ。
彼にとっては低身長なぞコンプレックスでも何でも無く、逆に相手が無様に隙を晒す好機でしか無かったと言う訳だ。
「太山の高きは一石に非ず」
晏嬰の人となりの次は業績、政治面を話さねばなるなまい。
彼は己が没するまでの間、国家の為に身を粉にして働いた。
破天荒・奇想天外の政策を行う事は無く、ただ粛々と地道に治水・開墾・治安の仕事を続け、領民の為に尽くすのみ。
一見すると凡々たる活躍に見えるかもしれないが、彼が傑物たるとされた所以は公職たる者の理想を貫いた事に有る。
自らの生活は質素倹約に努めて、予算を国家運営に回す。
如何な仕事も道理を以って行い、清廉潔白の作業を実施。
意見を求められれば真摯に考え、最良の答えを思案する。
国の方針に過ちが有ると想えば、上役と言えども諌めて。
領民の幸福と国家の繁栄を願い、日々を怠惰に過ごさず。
そんな物語上でしか存在し得ない様な生活を晏嬰は続けた。
期間にして30有余年。如何な困難に直面しようとも、だ。
処罰を畏れず諫言を行い、結果として疎まれ不穏な空気が漂えば、自ら職を辞して叛乱の萌芽を早期に摘み取る。
後に彼の主君が自らの所業に依り配下に討たれれば、国家の配下たる臣として弔いに向かい、敵中にて信念を貫く。
軈て叛逆の徒が国政を取り仕切りて脅迫を用いて従わせようとするも、国の道理を説いて面前で背きて弾劾を行う。
時が流れ内紛にて叛逆者が斃れ、次代の手綱を握ろうと悪鬼羅刹が王の身を欲すれば、弁舌を駆使して国王を守護。
漸くと平穏安定を取り戻さば即座に国政を整え、寝食を切り詰めて財産を投げ出し、疲弊した領内の回復に努めた。
幾度もの叛乱に欲望を曝け出した者達に拠る饗宴、有能なる人材が死すか逃げるかで殆ど消え失せた、文字通り風前の灯火だった斉が後に黄金期を迎えたのは晏嬰の力が大きい。
高潔なる人柄にて民衆の莫大な人気を得、徹底した公職としての行動で再生の道を見出し、両方を維持する事で領民を潤し国家を富ませる大事を成し遂げんとす。
富士と阿蘇を繋いで綱渡りが如き、途方も無く永く細い道を渡り切ったからこそ彼の国は中国屈指に栄えたのだ。
己は国家の臣。国を盛り立て、根本を理解し。世の平穏と民の未来を守る事が役目で在る。晏嬰が常日頃から唱えていた信念失くして、斯様な大業は成し得なかったで在ろう。
「非宅是卜、唯隣是卜」
さて。人格、功績を語りて、最後に残すのは交友で在る。
人との交わりに於いても弁舌の才、並びに培った知識は効果を発し、出逢う人の皆々が晏嬰に対し敬意を抱く程。
思想家、斉の同僚、異国の者等、果ては未来の才人達。多数の縁中でも最も関係が深く、幾多もの逸話が有る人物と言えば彼が最後に仕えた主君・景公だと言える。
景公は晏嬰の能力を全面的に信頼して国政を一任する様にし、相談をすれば如何な返答でも真摯に受け止めた。
晏嬰の成した途方も無い大業の裏には、それだけの権限を与えた景公の大らかなる器の影響もまた大きかろう。
如何な優れた能力も、其れを発揮出来る場が有ればこそ。
その意味で彼等二人の主従は非常に合致した関係だった。
それは資質・性格に於いても同様と言える。…或る意味。
粛々と質素に日々を送る晏嬰に対し、景公は全くの真逆で。
ド派手に豪華、悠々自適の生活を送っていたとされている。
無論の事、此の豪遊には消費を通して人民に給与を与える、内部での臣下との関係構築の為の費用も有るのだろうが、其の事を差っ引いても彼が凄まじく散財していたのは事実だろう。なにせ晏嬰との逸話に出て来る景公から見るに、節々に能天気な性格が垣間見えるからだ。それはもう、幾度も。
趣味の狩猟の際に興が乗り過ぎ、十日を過ぎても本城に帰らず遊び呆け。軈て晏嬰に窘められてトボトボ帰路に着き。
物凄く突飛に家臣の家に遊びに行きたいと感じて即直行。
晏嬰と遊ぼうとしたら『其れは友の仕事で在り、臣下の仕事では無い』と正論叩きつけられて実にしょんぼり。
或る時には如何にかして晏嬰の功を労いたいと考え、広大な領地を与えようと画策。押して押して泣きの一手寸前まで行った所で、折れた晏嬰に領地を与える事に成功する。(因みに此の領地は後々こっそりと晏嬰が返却していたり)
また或る時には狩猟の際に不吉な動物を観て不安がり相談した所、晏嬰から『山に行けば動物くらい居ますよ、当然』と返答され、それもそうやな!と上機嫌で帰ったとか。
こんな調子なので景公は何度も晏嬰から諫言を受けていたのだが、不思議と彼等の関係は好意的な物だったと言う。
景公は晏嬰の言葉に落ち込む事は有れど不愉快とはせず、道理を以って話をする彼の事を信頼し親愛していた。
晏嬰もまた景公の事を手の掛かる主君と観てはいたろうが、素直に忠言を聞き暴虐を為さない彼に忠誠を誓った。
章題の言葉は家は立派な外観よりも建つ環境を重視すべしと言う、見て呉れより実の部分こそが肝要と言う意味で在る。
若しやの話だが、晏嬰にとっては才を認めて仕官を求める賢人なれど己が野望の成就を願う人物よりも、放蕩ばかりの道楽人なれど国家天下を案じ他人に頼れる景公こそが自らの身を置く最上の位置と目していたのかも知れない。
_____________________
晏嬰は国に仕えてから死す時まで媚びず、遜らず、怯えず、恐れず。ただ只管に国家の臣としての務めを全うした。
国家の食糧を担う農耕、航運や畑への水の供給・大雨時等の水害対策の水路の建設を始めとした大事業は大量の人足に資金、更には膨大な時間を要する地道な作業。
それを晏嬰が成す事が出来たのは労働者の信望を集める人徳、道理を的確・丁寧に伝えて費用を捻出する卓越した話術、己が信念に殉じる覚悟と執念有ってこその話だろう。
焦りて急遽の改革など起こさずとも、環境への叛乱をせずとも、世の正道を理解し真っ直ぐ進む事が出来れば求めた結果に至る。彼は己の人生で其の事実を証明したのだ。
しかし、だ。幾ら正道を行く道理を説かれようと、やはり自分には到底無理だと行う内に諦観してしまうかも知れない。
才能が有るから。特別な人だから。だから偉業を成せた。凡人に過ぎぬのに、彼等の生き様を真似出来ようか?
時は遡り、晏嬰が未だ若き頃。彼の人格と才覚には勝てぬと観、私では貴方に成れないと苦笑した同僚が居た。
弱々しく自らを卑下する同僚に対し、晏嬰は一言告げる。
『私は人と何ら変わりません、ただ行動をしただけです。』
世に言う天才と呼ばれる人は、ただ才を以って其の地位に居る訳では無い。己の武器を磨き上げ、研ぎ澄ます努力を日々行っている。只管、理想の自分を手に入れる為に。
道理とは何時の世も変わらず、正道に導く論理と言う訳だ。
個人的には聞いた同僚が如く、実に耳に痛い言葉だが。




