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歴史人物浅評  作者: 張任
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狂えに足るは現

世界には人が沢山存在する。現在は然り、未来は当然。

過去にまで遡れば人数は無量大数の域にまで到ろうか。

兎も角。人は何時の世も多いと言う話だ。そして人が普遍的に歴史上に存在するならば、爪弾き者もまた同様。

世に馴染めず、他人と合わない、奇妙な人も当然現れる。

孤独な世界に居て、誰も理解してくれず、無情に生きて。

苦しく、狂しく、刳るしく。そんな日々を過ごす者が居た。


夢野久作。


生を受けてから死す其の時まで。己が人生を孤独な世界で過ごした奇妙な作家について、今回は記そうと想う。


_____________________


「暗黒公子」


夢野久作は明治から昭和に掛けて活躍した小説家の一人だ。

世間一般では日本三大奇書の一つと謳われた『ドグラ・マグラ』の著者、と記すと些か分かり易いだろうか。

当時…と言うより現代でも非常に特異な文章を書いた事で知られ、人によっては精神に異常を来すともされた。

そんな代物を記したとなれば其の作者は如何なる奇天烈な人物かと思おうが、実際に夢野の人生を紐解くと存外に普通、寧ろ気の毒に感じる程の劣悪な環境に居た事を知るだろう。

1889年、福岡県福岡市に産まれた彼は、幼少の時分に両親が離婚。世話を面倒臭がる父親の手によって祖父の許へと引き取られ、詩文や政治についての勉強を施されたと言う。

祖父曰く、自家を支える逸材で在ると評された為、此の時点で文筆の才能は発揮されていたのかも知れない。

そんな久作に転機が訪れるのは自らを育ててくれた祖父の没後、生き残る為に父親の許へと転がり込んでからだ。


世には優秀な人物と呼ばれる者が星の数程も居る。しかし。

才覚即ち人格とは行かず、人間的に問題が有る者も屡々。


久作の父親もまた同様で、奔放な性活を送っていた彼は子育てにまるで興味を示さず、愛人の処に入り浸る毎日。

家に残るのは未だ顔も馴染まぬ異母と腹違いの兄弟のみ。

また彼等とて突然来た息子の事は他人同然にしか思えず、両者の溝が埋まらないまま久作の生活は一変する。誰とも交われない、一人孤独で疎外された生活へと。

飯も服も一段と落ちた見窄らしい物、家族の輪には入れず、布団も与えられず寝る時は廊下に簾を引いて横になる始末。

硬い床に寝転がり身も心も冷え切りながら、彼は一人物思いに耽る。祖父から教えられた詩文を宙空に描きながら。


「冥土行進曲」


孤独な生活を送る事、幾年。高校生へと成長した久作は或る一大決心をする。…志願兵として軍隊に入る覚悟を。

理由として挙げられたのが父親の放蕩。家族を蔑ろにし、愛人の許に入り浸る父を家へと戻すべく行動に移したのだ。

家庭内の不和の緩和か、将又、唯一の血縁者への郷愁か。

兎も角、志願によって取り付けた約束は果たされ、久作の父は我が家へと帰る事に成る。決死の願いは叶ったのだ。しかし、努力と言う物は必ずしも報われるとは限らない。

久作は一年の兵役後、芸術・文学に興味を持ち大学へと進む。順調に勉強を重ね、漸くと様々な事を識る矢先。


父親の命令に依り、彼は強制的に大学から中退させられた。

自分の息子が文弱なのが気に喰わない。そんな理由だけで。


世の中に突如放り出された久作は、その後に農園を営むも完全なる門外漢だった為、当然ながら失敗。此の時に思う所が有ったのか、二年程もの間を僧侶としての修行に費やす。

修行後は還俗し、農園経営に復帰。後に父親の伝手も有り、新聞社の記者へと転職。此処で漸く童話等を書き始める。

暫くの間を此の様に過ごして…幾許かの時が経った後、応募した作品が入賞したのを切掛に作家の道を歩んでいく。

因みに此の時、父親に自身の小説を見せた際に『夢の久作が書いた小説なんぞが…』と苦言を吐かれているのだが、夢想家を意味する夢の久作と言う言葉の響きに惹かれたのか、筆名を『夢野久作』としたのが名前の由来とされる。

さてさて、何はともあれ。作家としての活動を開始した久作は自身の思いの丈をありったけ詰め込んだ作品を執筆し。


結果、襤褸糞な低評価を受けた。余りにも独創的が故に。


基本的に小説には文字以外の情報は存在しない。音も鳴らないし、絵も精々が挿絵程度の物ばかりで動く事は無い。

事細かに記された情景と環境、心理を記す事で場面を想像させるのが小説と言う代物で在る。が、しかし。

久作は他者と違い、文章を音を基軸にして創り出していた。

代表作とされるドグラ・マグラを例に挙げると、状況の説明時に『ひゅうるるる』『ブゥゥゥ…ン』と擬音も同時に扱い、間を表現する為か『…』も多用。

劇中では奇妙な言い回しや破滅的な性格も度々現れ、読んでいる最中は狂気の世界に当てられ混乱しっぱなし。

更には登場人物の心理を表現するのに小説の構成を複雑怪奇にする事も有った為、普通の作品を見ている人には読み辛い、解り辛い、故に観ていて辛いとの三重苦を感じさせた。

また内容も陰鬱、惨虐、支離滅裂な人々や出来事を記した物も多く、これも低評価に拍車を掛けたと言えるだろう。

こうして久作の作家生活は前途多難に始まったので在る。


「一足お先に」


その異様過ぎる作家性から世間での評価が芳しく無い久作だったが、中には彼の才能を認め激賞する者も存在した。

『怪人二十面相』で有名な江戸川乱歩もその一人で在る。

乱歩は他作家から惨々たる文章と酷評された久作の小説に稀有なる才能を認め、作家としての道を強く後押しした。

久作本人も乱歩の評には非常に感動したらしく、遺物の中に乱歩氏への感謝を認めた文書を遺す程だったと言う。

また独特と言う事は唯一とも同様で、彼の作品に虜となった人々もまた現れ始める。狂気で、陰虐で、故に心奪われ。

一種のカルト的人気を得た久作は彼等の尽力も有り、様々な作品を執筆・発表し、後世の評価の基盤を創り上げた。


…此処で後世と記したのは、当時の彼が評価を感じ取る機に終ぞ会えなかった事を示している。なにせ自身の勤め先が倒産の危機に陥り、更に父親が急死し多額の負債を抱え。

返済の為に奔走する事と成り、小説に時間を割く事が出来なくなったからだ。最晩年はほぼ此の問題に終始する有様。


父親の負債には愛人への補填も含まれており、人間関係も煩雑化。金に纏わる事態なので、良い関係で在ろう筈も無い。

そんな怒涛の如き日々と関係は久作の精神と肉体を著しく擦り減らし、その艱難辛苦が1936年に最悪の結果を招く。

春の陽気を感じる三月の頃。負債処理を任せていた知人から報告書を受け取り、感謝の言葉を述べようとした際。

久作は長年の心痛が祟り、急性の脳溢血を発症して昏倒。

そのまま帰らぬ人となり、47歳の若さで此の世を去った。

雲一つ無い、快晴の。何とも気持ちの良い天気の日だった。


_______


夢野久作は小説家として有名だが、それが総てでは無い。

彼は新聞記者としての名も持っていたし、大学での勉学の際には士官教育を受けて少尉としての階級を頂いている。僅かの間とは言え僧侶として修行を積んだ時も有り、農園の主人としても活動していた。実に多種多様な人生と言える。

この多様性はそのまま作品にも影響を与えており、彼の作品は怪奇・推理・童話・エッセイ・評論など種類に富む。

兎角、ホラー作家として見られがちな久作自身だが、実際には商業的と言うより芸術家肌、タブーや暗黙の了解を気にせず自由に創作する人物だったと言える。

制約を取っ払ったらその手の要素が他人よりも多かった、程度の話なのかも知れない。ただ陰鬱・惨虐な作品の根底には、幼少期の孤独な生活が影響を与えてはいるだろう。

久作は人を感動させる文章には先ず音の響きが重要、との考えを持っていた。自身の子供や妻に文章を読み聞かせ、如何な感情を抱くか逐一伺ったと言うのだから拘りが凄まじい。


しかし此の逸話からは久作の執念以外に、自身の或る迷い。

即ち『会話』に対する恐怖や憧憬も個人的に感じられる。


幼少期より真っ当な扱いを受けず、他者同然に遇され。

唯一の血縁者たる父は自身の考えを振りかざし、久作の意志なぞ気にも留めず、必死の自己主張も一笑に伏す。

詩文のみが友人と言えた此のような状況だからこそ、久作は会話の際に生まれる音に魅力を感じ、しかし会話の輪に入る事が出来なかったが故に己の見識だけでは不安に感じ、家族の力を借りて完成させようとしたのではないか。

彼の作風、そしてドグラ・マグラの『胎児よ』の冒頭歌を見るに、作品の根底には家族への憧憬と諦観、そして自分が家族を持つ者と成る事への期待と恐怖が有るのではないかとも思うのだ。狂気の世界の中枢に、己の心を記す事で。

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