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歴史人物浅評  作者: 張任
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三日天子

三国時代。今もなお人々を魅了して止まない此の激動の時代には、数多の群雄、豪傑、軍師、仁者が存在する。

彼等が織り成す英雄譚、十重二十重の策謀戦、心に訴えかける人情劇は現代まで無数の作品を通して伝えられる。

そんな多種多様な人物の中で一人、凄まじい閃光と共に現れ光の速度で消え去った漢が一人居た。

漢の名は袁術。後に「偽帝」と称された群雄の一人だ。


袁術の名を検索すると色々な語句が候補に出てくる。

正史等の語句を除くと、残るのは「蜂蜜」と「可愛い」。

蜂蜜は臨終の際の袁術の言葉で、可愛いと言うのは袁術の行動が奇妙なのを考えれば十分に納得出来る検索候補だ。

こうして結果を見てみると、今回紹介する袁術と言う人物は何処か軽んじて見られている気がする。

蜂蜜の遺言は情けなさと滑稽さが伝わる死に様で有名だし、可愛いと言う感想は小動物の失敗する姿を見て微笑ましく思う感情に他ならない。

袁術と言う人物は本当に軽んじて見られるのも致し方無い存在なのだろうか。彼の歴史を省みる事で確認したいと思う。


「四世三公の御曹司」


袁術は当時から名門と評判の袁氏として世に生を受けた。

上記の四世三公とは現代で言うならば大臣級の超エリートを何人も輩出したと言う意味で、如何に袁術の家格が高いかを示している。

そんな凄い家系に生まれた袁術だったが、若い頃の彼は侠者、此れは反体制と言うべきかヤクザと言うべきか、ともかく家名とは正反対のやさぐれた人間になっていた。

エリート一家に居る落ちこぼれとは創作の世界において多数見るモチーフであるが、袁術の立ち位置は正にそれである。

悪友達と放蕩の日々を送った袁術には幾つかの逸話が残されており、その中の一つに教科書に載る程の話が有る。


『或る日、袁家に一人の少年が挨拶に訪れた。

袁術は少年と挨拶を交わした後、土産にと蜜柑を与える。

蜜柑を貰った少年は大層喜んだが、帰り際になって少年の格好に違和感を覚えた袁術が身を改めると、少年の袖から与えた分では無い蜜柑が見つかった。

泥棒の真似事をするとはと袁術が詰め寄ると、少年は母君にも食べさせたいと邪な考えが浮かんでしまったと謝る。

訳を聞いた袁術は先程とは逆に感激して、なんて親孝行な息子だと母親の分もと更に蜜柑を与えたと言う。』


後年、中国一に豊かと伝えられた地域を荒野同然にまで追いやった暴君とはまるで違う、人情でつい物事を決めてしまう一人の人間の姿が其処には在った。


「咬牙切歯に至る嫉妬」


袁術には酷く嫌っている人物が居る。従兄弟の袁紹だ。

事あるごとに彼奴は妾の子だからと何度も嘲り、袁紹と親交の有った人物にも憎悪の感情を向ける程なのだから、その嫌悪感たるや凄まじいの一言。

何故に袁紹を此処まで嫌っているのかと言えば、それは袁紹の世間での評判が自分のよりも高かったからだ。

堂々たる体躯と積み重ねられた実績は袁氏の一員として相応しく、そしてそれは名門の名でしか己の価値を見出して貰えない袁術の自尊心を酷く傷付けた。

奥底まで刻まれた心の傷を癒すべく袁術は役人、群雄と成った後も誹謗中傷をするのだが、此れは逆効果であり暴言を意に介さない袁紹の名声を高めて自身の評判を貶めた。

そもそも袁紹に対して嫉妬から来る言葉をぶつけるのは、暗に自分の能力が低い事を認めている事になる。

それでもなお、袁術は誹謗中傷を止める事は無かった。

止める事など出来なかったのだ。弱い己を護る為には。


「合従連衡を起こす黒幕」


袁術は存命中、自らが戦争に向かう事が殆ど無かった。

では如何にして彼は乱世で自身の勢力を築いたのか。

袁術の足跡を調べると他と比べても秀でている部分が解る。

名門の威光に依って来たる人材と巧みな外交戦略だ。

袁紹と言う同類は有れど袁術もまた誉れ高き名門の出。

その名声の力で家臣となった人材は他勢力と比べても圧倒的に多く、その中には孫堅一族とその配下、呉の知嚢たる周瑜と魯粛、かの孔明の父親も居り、珠玉の逸材が存在した。


巧みな外交に関しては袁紹との勢力争いにて見受けられる。

袁術に対抗しようと近隣の勢力と袁紹が手を結んだ際、彼は相手を牽制する為に自分も同盟を結ぼうと考えた。

だが当時既に大勢力の一つとなっていた袁紹に対抗出来る群雄は少なく、また、他群雄が争うに足る利益を得る可能性も極めて低い。

此の困難な同盟相手に袁術が選んだのは公孫瓚と言う人物。

彼は自身の弟が袁紹によって殺された恨み(此れには非常にややこしい経緯が有るのだが)を持ち、勇猛で知られた騎馬軍団を率いる群雄の一人だった。

とは言え如何に強大な軍事力を擁していると言えども袁紹と事を構えるのは得策で無い事は目に見えていたのだが、当の袁術は同盟が上手くいくと言う確信を持っていた。

公孫瓚が直情で利己的、未来の繁栄よりも目先の利益を重視する性格で在る事を袁術は本人よりも理解していたからだ。

果たして同盟は成立し、公孫瓚と袁紹は激しい戦闘を繰り広げる事となる。そしてそれは袁紹の同盟相手だった勢力への牽制にもなった。


袁紹の助力が見込めない今、自前の兵力では不安が残る。


損害を気にして二の足を踏む臆病さも袁術は看破しており、結果として存亡の危機を乗り越える事に成功したのである。

この様に袁術には桁外れの名声と確かな戦略眼と言う最大の武器を所持していた。しかし、此の武器は同時に彼にとって最悪の呪縛でも在った。


「気息奄々の国家運営」


袁術の頭の中には理想の国家像が存在しなかった。

それは彼が裕福な家に産まれ、世間知らずだった故なのかも知れない。人の集合体である国の構造を理解しなかった。

そんな彼が内政を行えば…結果は言わずとも分かるだろう。

戦力が必要な時は際限無く徴兵し、物資が必要な時は血の一滴まで搾り取る、余りにも苛烈な内政の手腕。

それが後々まで悪評を轟かす事になる、袁術の政治だった。

数字上の結果だけを見れば一気に根刮ぎ奪うのは最善手なのかも知れない、しかし目に見えない人心や風評を考えると、此れは寧ろ最悪の方法だった。

では袁術と言う人物は血も涙も無い、人の心を解さない怪物だったのだろうか。実はそうとも言い切れない。

飢餓に苦しむ領民を見かねた家臣の一人が無断で兵糧を与えた事が有った、袁術はその行為に怒るが理由が奇妙だった。


「兵糧を与え名声を得るとは。私がしようと思ったのに。」


何とも驚くべき言い草である。領民を其処まで追い詰めたのは他でも無い自分なのに、だ。しかも当の家臣の命令違反は殆ど気にしていない様子だった。

此の一件や蜜柑の話の事を踏まえると、袁術と言う漢は耳目に入る範囲では他人を気にするし親愛の感情も持つが、範囲外になると気にしないどころか存在を認識しない節がある。

此れは都市を統括する指導者として致命的な欠点で、袁術が上に立つ者の能力を持たない事を如実に表す。

そして其れは、国の最高権力者と言える天子の適正がまるで無い事も同時に示していた。


「感慨無量の三日天子」


袁術の行った行為で最も有名なのが帝位僭称だろう。

我こそが中国に於ける最高権力者だと勝手に名乗る。

中国全土を統治していた国「漢」が未だ残っているにも関わらずの此の発言は愚かな行為に思えるだろう。

そして実際に愚かな行為だった。

誰の目にも明らかな愚行を何故、袁術は断行したのか。

私見だが、その理由は「逃避の結果」の様に思える。

先述した事柄を見るに袁術には高過ぎる家格と見合わない自身の能力へのコンプレックス、他人の弱い部分を見抜ける程度に人の耳目を気にする神経質な部分、自身の周囲以外への無関心と言った欠点が有る。

其れらを踏まえると当時の袁術の心情はこうではないか。

漢帝国の統治は成立しておらず、天子の威光も最早無い。

そして己の掌中には中華の皇帝の証たる宝物が在る。

ならば自身が天子を名乗っても問題は無い筈だ。

天子とは最高権力者。天子とは二つと無き者。

その天子と成れる機会が有る。そして天子にさえ成れば。


自分が誰かと比べられる事も無くなる、と。


そして袁術は家臣からの反対も押し切り、天子を名乗った。

その後の彼の人生は悪い方向へと転げ落ちていく。

悪政で知られた袁術に付き従う民は無く、悪評塗れの天子に味方する群雄もまた無い。

敵ばかりが増していく中で、袁術は一人闘い続けて。

そして死んだ。冒頭の通りに惨めで、情けない最期だった。

袁術の衰退までの歴史に敢えて言う事は無い。

当然の事態と化し、当然の結末に終わっただけだ。

…ただ、何か一つ言う事が有るとすれば。

袁術が天子と成った時に起こした豪奢な宴会。

あれは果ての無い欲望などでは無く、四世三公の呪縛から逃れ、只の袁術に成れた事を喜ぶ歓喜の産声では無いかと。

ふと、そう思う事が有る。


_____________________


袁術の歴史を省みれば、やはり彼は軽んじて見られても仕方が無い人物だとは思う。嫉妬深く、利己的で、先の事を考えられない性格は為政者として擁護が出来ない。

しかし袁術が何故そんな人物に成ったのかを調べると、彼が三国志演義で知られる様な単なる悪役では終わらない、普通の悩みを持つ『人間』である事が分かる。

また袁術と似た様な経緯を辿った人物の事を考えると、別の視点から彼を見る事が出来るだろう。

袁術と同様の歴史を持つ人物、それは他でも無い三国志の主役の一人『劉備 玄徳』その人である。

彼等は共に自身の名を武器として乱世を生き抜いた。

そして双方が皇帝と成り、何方も非業の死を遂げる。

細かい差異は有れども、此の二人には共通点が多い。

では何故、現代に於いての二人の評価は真逆なのだろうか。

政治や領民に対する考え方、理想主義か現実主義か。

要因は他にも有ろうが、私は『名』への差異も有ると思う。


劉備は大志を抱き、自身の劉の名は最高の武器と成った。

袁術は嫉妬を抱き、自身の袁の名は最悪の呪縛と成った。


片方は飛翔する為の翼に、片方は地獄に繋がれる枷に。

たった一つの文字が英雄と暴君を別けた。

歴史をそんな風に考えると、浪漫を感じざるを得ない。

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