穴と声
リューオーと逢って1週間も、彼はいなかったと思う。
いつのまにか消えるようにいなくなっていた。
2階奥の扉もなくなり、家族にたずねても、誰のことだと逆に問いかけられる。
……あたしのときも、そうなのだろうか。
寂しいと思うけれど、家族に心配させるよりは、それはそれでいいのかもしれないと思った。
最後の日の夕方、また二人きりになったことがある。
挨拶を交わして雑談。
ふと、こんな話になった。
「花姫は温かい家族をもって、幸せですね」
それを聞いて面映ゆい気持ちになる。
そんなことはないと否定しつつ、けれど妙に照れくさく感じた。
話を変えようと、そういえばとでもいうように、あたしは言った。
「リューオーの家族は違うの?」
冷たい笑みを浮かべて、リューオーは答える。
「他人のほうが、少なくとも優しかったんじゃないでしょうか」
淡々と話すリューオーに、どう、返事したらわからない。
ごめんというのも変だし、取り繕っても墓穴を掘るだけだと思ったから、しばらく黙ることしかできなかった。
リューオーは苦笑して、急に明るい話題をふったけれど、あのの冷たい笑みは忘れそうにない。
リューオーがいなくなって1週間。
リビングの壁で、ひとつの小さなしみが少し気になったけれど、深く考えることはなく1日を過ごす。
日に日に大きくなっていく、黒いしみ。
同時に声が聞こえる。
最初はかすかに聞こえる程度だった。
けれど、しみは大きくなると共に声もはっきりとした口調になる。
子供の声だ。
独特の高い声は、かわいいと思うけれど、かえってそれがより一層怖く感じる。
誰も声はおろか、もはや穴となりつつあるしみさえ気づかなかった。
声も穴も、あたし以外誰も指摘することなく気づかない。
リビングに行くたびに大きくなっていて憂鬱だった。
ひどい恐怖体験。
『きて、早くここにきて、ごめんね、もう、そこにはいられないの』
何を言っているか、わかってはいる。
わかってはいたけれど、その言葉を無視し続けていた。
1ヶ月経った頃、母がテストの点数結果が全部わかる頃だろうと催促してきた。
全体的に平均点で苦手な分野は赤点ギリギリという、散々な結果に呆れた表情を浮かべる。
ちなみに妹の点数はよかったらしく、スナックを食べながら、呑気にテレビのバラエティ番組を見ている。
中堅芸人にいじられた若手芸人の、少し情けない姿に笑っていた。
……要領いい妹が羨ましい。
「聞いているの、花姫?」
母の声が荒くなった、同時に風がどこからともなく吹いてくる。
風の行きつく先は穴だった。
だんだん風は強くなる。
「やだ、台風?」
「誰?窓閉め忘れたのー?寒いんだけどー」
その場にいた母と妹は、それでも穴に気づくことなない。
『ごめんね、お願い、きて、こないとだめになっちゃう、はやく……いい加減にしろよ』
穴の中の子供の声は、急に男の声へと変わった。
ぼそぼそと声が聞こえた気がしたけれど、はっきりわかるのは男の声。
『黙っていたけどもううんざりだ、おい、さっさと穴に入れよ』
男の声は、高圧的な態度で、命令する。
従う気は更々ない。
そしてまた一段と低くなった声で、穴は言う。
『従う気がないなら、従わせるまでだ』
「……花姫、どうした」
いつのまにか家族全員そろっていたことに驚いた。
不思議そうに、みんな、あたしを見る。
風はさらに強くなり、あたしを吸いこもうとしていた。
……ブラックホールってこんな感じなのかな?
呑気にそう思った。
「ばいばい」
また会えたらいいね。
この世界に、あたしは別れを告げる。