第二十四章 おとぎ話の、そのあとで
第二十四章 おとぎ話の、そのあとで
佐和は、病院に残ることになった。
童話犯罪捜査局の捜査員が、そのことを説明した。
物語への干渉によって、患者を傷つけた。
助けようとした子やぎの件も、狼と狸を消そうとしたことも、猟師を狙ったことも、確認された。
佐和が使っていた粉は、捜査局が預かった。
そのうえで、病院の隔離室で保護することが決まった。
「三度、満月が窓に映るまでです」
捜査員は言った。
佐和は顔を上げた。
「三度ですか」
「はい。その間にも、院長と一緒にお話を伺います。物語へ干渉せずに過ごせることを確認し、保護が終わったあとの生活について相談します」
佐和は頷いた。
奈津は、机の上の書類を見た。
三度目の満月。
今度は、待った先が決まっていた。
*
患者への説明は、院長と捜査員が行った。
狼は、佐和と会わないと答えた。
「今は、顔を見たら何を言うかわからねえ」
院長は頷いた。
「わかりました」
「治ったら、俺は戻る」
狼は奈津へ目を向けた。
「あそこは、俺の森だからな」
奈津は頷いた。
「はい」
狸は、もう少し待つことにした。
佐和の干渉が止まっても、兎のいる続きを気にしていた。
「傷は、よくなってるんだけどね」
狸は言った。
「そこは、別なんだね」
「はい」
奈津は答えた。
「戻ることは、また院長と相談しましょう」
狸は頷いた。
猟師と子やぎにも、捜査局から説明が行われた。
猟師の服は確認を終え、修繕して返すことになった。
奈津はその申し送りを読んだ。
傷の理由がわかっても、患者の生活には、そのあとがあった。
*
佐和が隔離室へ移った日、奈津は着替えを届けた。
部屋には、ベッドと机があった。
窓のそばに椅子が一つ置かれている。
佐和は荷物の中を確認していた。
「足りないものは、ありますか」
奈津が尋ねると、佐和は首を振った。
「大丈夫です」
奈津は机へ目を向けた。
紙も、鉛筆もなかった。
「何か、読んだり書いたりするものは」
「まだ、お願いしていません」
佐和は答えた。
「何を読めばいいのか、少し迷って」
奈津は頷いた。
ここへ、何かの絵本を置く。
その中の誰かが困っている。
佐和は、助けに行きたくなるだろうか。
奈津にはわからなかった。
「院長と、相談してきますね」
「お願いします」
佐和はそう言って、服を畳んだ。
仕事をしていたときと、同じ手つきだった。
*
一度目の満月の夜、奈津は勤務だった。
院長と捜査員が佐和に会ったあと、奈津も面会した。
佐和は窓のそばへ座っていた。
机には、使ってよいと確認されたノートと鉛筆があった。
「書いているんですか」
「少しだけ」
佐和はノートを閉じかけ、奈津を見た。
「見ますか」
「はい」
開いたページには、病院へ来てからのことが書かれていた。
傷が治った日。
初めて物品を棚へ戻した日。
患者に名前を覚えてもらった日。
日にちは、わからないところが多かった。
それでも、出来事は残っていた。
「私が知らないことが、たくさんありますね」
奈津が言うと、佐和は頷いた。
「三崎さんが来るまでにも、いろいろありました」
奈津はページをめくった。
その先に、子やぎの名前があった。
奈津は手を止めた。
佐和が言った。
「そこも、書きました」
「はい」
奈津は読んだ。
戸を開けてもらえなかったこと。
助けるつもりで、怪我をさせたこと。
病院へ来た子やぎに、そのことを言えなかったこと。
奈津は最後まで読み、ノートを佐和へ返した。
*
狼が戻る日、奈津は水の入ったコップを片づけた。
狼は、自分で掛け物を寄せた。
「背中は、もう平気だ」
「はい。院長の確認も済んでいます」
狼は立ち上がった。
部屋を見回し、忘れ物がないか確かめる。
「また来るかもしれねえな」
奈津は頷いた。
「必要になったら、来てください」
「今度は、話にある傷だけにしてほしいもんだ」
奈津はすぐには返事ができなかった。
狼は奈津を見た。
「お前に頼んでも、仕方ねえか」
「傷は、確認します」
「それでいい」
狼は短く答えた。
患者来院部屋まで歩き、扉の前で振り返る。
「世話になった」
「お大事に」
奈津は見送った。
狼は、佐和の謝罪を受け入れるかどうかを、決めないまま戻った。
それも、狼が選んだことだった。
*
二度目の満月までに、狸も戻ることを決めた。
「待ってても、兎がいなくなるわけじゃないしね」
狸はそう言った。
院長と何度か話し、戻る場面を確かめた。
直した服を受け取ると、狸は脇腹の縫い目を見た。
「穴、なくなった」
「はい」
狸は布を撫でた。
「ここだったことは、わかるね」
奈津は頷いた。
縫い目は残っている。
着られるようになっても、裂けたことまでなくなるわけではなかった。
狸は服を着たあと、少し体をひねった。
「痛くない」
「よかったです」
狸は笑った。
その日、奈津は狸と一緒に、患者来院部屋まで歩いた。
*
二度目の満月の夜は、奈津の休みだった。
洗濯をして、買い物へ行った。
夕食を作り、片づけた。
携帯電話には、月がきれいだと母から写真が届いていた。
奈津は窓を開けた。
同じ月が、病院の窓にも映っているだろう。
少し見てから、窓を閉めた。
ノートは、机の引き出しに入っていた。
佐和の続きを考えるために買ったものだった。
その日は、開かなかった。
次に会ったとき、本人に聞きたいことがあった。
*
数日後、奈津は佐和に尋ねた。
「隔離室を出たら、何をしたいですか」
佐和は机の上を見た。
「まだ、はっきりとは」
「小さいことでも」
佐和は少し考えた。
「外を、歩きたいです」
「はい」
「誰かのところへ行くためではなくて」
奈津は頷いた。
「何も起きていない道を、歩いてみたいです」
奈津は、自分のノートへその言葉を書いた。
森へ行く。
誰かを助ける。
悪い狼と戦う。
子供のころなら、そういう続きを考えた。
今、佐和がしたいのは、ただ歩くことだった。
「そのあと、お茶を飲めたら」
佐和が付け足した。
奈津は顔を上げた。
「お茶ですね」
「ええ。できれば、温かいうちに」
奈津は少し笑った。
「病棟だと、よく冷めますものね」
佐和も、わずかに笑った。
*
三度目の満月の日、院長と捜査員が来た。
佐和は、三人で話したあと、隔離室を出ることになった。
粉は、引き続き捜査局が預かった。
患者に直接関わる仕事へ、すぐ戻ることにはならなかった。
これからどこで暮らし、何をするかは、相談を続ける。
佐和は説明を聞き、確認したいことを尋ねた。
奈津は、少し離れた椅子へ座っていた。
自分が続きを語れば、何もかも決まるわけではない。
佐和がしたことには、その後の手続きがある。
佐和のこれからにも、本人と相談する時間が必要だった。
*
夕方、佐和は荷物をまとめた。
ノート。
着替え。
奈津が送った絵を印刷した、一枚の紙。
袋へ入れる前に、佐和はその絵を見た。
「持っていきます」
「はい」
奈津は答えた。
佐和は紙を折らず、ノートの間へ挟んだ。
「おばあさまが、取っておいてくださって、よかったです」
奈津は頷いた。
「私も、そう思います」
机とベッドの周りを確認する。
忘れ物はなかった。
佐和は窓を見た。
まだ明るい空に、月が出ていた。
*
院長の了承を得て、奈津は佐和と病院の中庭へ出た。
魔法を使わず、廊下を歩き、扉を通った。
佐和は外へ出ると、足を止めた。
木の葉が揺れていた。
道の端に、小さな石がある。
誰かを呼ぶ声は、しなかった。
「どちらへ行きますか」
奈津が尋ねると、佐和は道を見た。
「こちらへ」
二人で歩いた。
佐和は、奈津の歩く速さを確かめなかった。
奈津も、急がせなかった。
並んで、庭を一周した。
*
休憩室へ戻り、お茶を入れた。
奈津は二つのコップを机へ置いた。
佐和が座り、奈津も向かいへ腰を下ろす。
湯気が上がっていた。
奈津はノートを出した。
「少し、書いてみました」
佐和はコップから手を離した。
「私の話ですか」
「はい。でも、違うところは直してください」
奈津はノートを開いた。
最初の一行を、声に出して読んだ。
「怪我が治った魔女は、病院を出て、森の家へ帰りました」
佐和は黙って聞いていた。
奈津は鉛筆を持った。
「……ここ、違いますね」
佐和が顔を上げた。
「怪我が治ったあと、すぐには帰れませんでした」
奈津は頷いた。
書いた一行へ、細く線を引く。
「病院で、長く暮らしました」
佐和が言った。
奈津はその言葉を書いた。
*
魔女は、病院で長く暮らしました。
そこで働き、たくさんの人に会いました。
助けた人がいました。
傷つけた人もいました。
奈津はそこまで書き、佐和を見た。
「ここは、残してもいいですか」
「はい」
佐和は答えた。
「残してください」
奈津は頷いた。
しばらく、二人とも紙を見ていた。
奈津は次の行へ鉛筆を置いた。
「三度目の満月の日、魔女は――」
そこで止めた。
佐和が、顔を上げる。
「このあとは、どうしましょう」
奈津は尋ねた。
佐和は窓の外へ目を向けた。
それから、机の上のコップを見た。
「庭を歩きました」
「はい」
「お茶を飲みました」
奈津は書いた。
佐和はコップを持ち、一口飲んだ。
「まだ、温かいです」
奈津も、自分のお茶を飲んだ。
*
病棟のほうから、呼び出しの音が聞こえた。
今日は奈津の勤務が終わっていた。
別の看護師が返事をする声がした。
佐和は一度顔を上げ、またコップへ目を戻した。
奈津はノートを閉じず、そのまま置いた。
続きの欄は、空いていた。
「明日は、どうしたいですか」
奈津が尋ねた。
佐和は少し考えた。
「晴れていたら、また歩きたいです」
「では、晴れていたら」
「雨だったら、ここでお茶でも」
奈津は笑った。
「それも、書いておきましょうか」
「明日、決めてもいいですか」
奈津は鉛筆を置いた。
「はい」
佐和は、もう一口お茶を飲んだ。
奈津も、温かいうちに飲んだ。
奈津が鉛筆を置いたとき、廊下から、ばたばたと走る音が聞こえた。
「ちょっと、そっちは!」
森の声だった。
二人は顔を上げ、扉を見た。
ガチャリと音がして、扉が開いた。
狼が立っていた。
息を切らし、腹には新しい包帯を巻いている。
「狼さん、また来たんですか」
奈津が腰を浮かせると、狼は片手を上げた。
その目は、佐和へ向いていた。
「あんたが俺を傷つけたのは、まだ許せねえ」
佐和はコップを机へ置いた。
「でも、いつも俺らを労ってくれたことには、感謝してる」
狼は一度、廊下へ目を逸らした。
「だから、なんだ、その……」
耳が、少し伏せられた。
「早く戻ってこい!」
二人は驚いた顔で、狼を見つめた。
狼は眉を寄せた。
「だから……また俺が来たとき、看てくれって言ったんだ。何度も言わせるな!」
佐和の顔が歪み、目から涙が一筋流れ落ちた。
それから口の端を上げ、微笑んだ。
「はい」




