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『肥後の鶴』殺人事件  作者: にちりんシーガイア
第十章
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四ヶ月前の事故

 城戸は、調書を、一つの文字も逃さずに目で追っていた。内容を一通り理解した城戸は、

「天野さんは、崖からの転落で死亡したのですね?」

 と、確認した。

「はい、そうですよ。現場は、崖っぷちにある道路で、ガードレールもなかったんですよ。ただ、所持品を確認して頂くとわかるように、天野さんは、絵を描こうとしていたんです。なので、絵の構図を迷っている際に、足場の悪いところまで進んでしまい、がけが崩れてそのまま転落して亡くなったという結論に至りました」

 確かに、所持品を確認すると、キャンバスに絵具えのぐ箱とそれに入った油絵具、パレット、画筆等があった。門川も、それを見ていたが、

「イーゼルは持っていなかったのですか?」

 と、渡辺に訊いた。渡辺は、わけのわからぬ顔で、

「イーゼルとは、何ですか?」

「油絵を描くときに、キャンバスを立て掛ける為の、簡単に言えばスタンドの様なものです」

 門川が、説明をしたが、渡辺は、依然として納得していない様子だった。それを感じた門川は、更に説明を付け加えた。

「外で油絵を描くときは、絶対と言っていいほど野外用のイーゼルを使うんです。それで、天野さんの家にも、野外用のイーゼルがあったのを確認しているんです。あるものをなぜ使わないのか疑問に思ったので、確認してみたんです」

 城戸は、その門川の説明を聞いて、確かに天野の作業場アトリエの片隅に、イーゼルが置いてあったのを思い出した。もっとも、その時は、それがイーゼルという名だったのは知らなかったのだが。

 その時、渡辺は、困惑表情を見せた後、少し機嫌を損ねている様だった。

 門川の発見によって、自分達の捜査結果が否定されようとしているのだから、無理はなかった。

「渡辺警部、事故という結論でしたが、事件としても調べたんですか?」

 城戸は、火に油をそそ行為こういだとわかってはいたが、今回高森を訪れた目的を果たすため、構わずに聞いてしまった。

 やはり、渡辺の表情は、険しくなってしまう。

「勿論、調べましたよ。ただ、天野さんが死亡した時に、他の人間が居合わせた証拠はありませんでしたし、誰も天野さんを殺害する動機を持っていなかったんです」

「天野さんの奥さんは、事故という結果にどんな感じでしたか?」

「どんな感じと言いますと?」

「ですから、事故死という結果に、反論をしてきたりなどはありませんでしたか?」

「いいえ。天野さんの奥さんは、自分の夫が誰かに殺される様な、そんな人間ではないと言っている身でしたから」

 城戸は、「そうですか」と適当に相槌を打っておいて、自分の警察手帳に、天野が事故死した現場の詳細をメモしておいた。

 それから、城戸ら刑事三人は、対応してくれた渡辺警部に礼を言ってから、高森警察署を後にした。

 城戸は、自分たちが乗ってきた覆面パトカーに乗り込む前に、山辺に、

「天野が亡くなった事故現場まで行ってみたいんだが―――」

 と、言った。

「ああ、いいよ。それなら、今度は俺が運転するよ」

 山辺は、そう言うと、今まで運転してきた門川に代わって、運転席に乗り込んだ。

 高森へ来た時と同じ、国道二六五号線を今度は北上し、阿蘇五岳の一つ、根子岳ねこだけの真横に来ると、右に折れて、山の中へと突き進んでいく。

 高森署から三〇分が経つと、天野が転落死した現場に着く。

 確かに、今までは、道にガードレールが沿っていたが、事故現場だけは、ガードレールが切れていた。そのガードレールの切れているところに、まだ新しい花が手向たむけられていた。

 城戸は、その花を見て、もしかすると天野の妻・冴子がここへ訪れたのだろうかと考えた。

 その時、山辺と門川は、辺りに目を配っていた。

「結局、事故なのか事件なのかわからないな」

 山辺は、暫く経ってから、溜息をともなって言った。その言葉通り、辺りには特別何もなかった。

「それで、考えてみたんだが、やっぱり天野の死は、事件の可能性が高いな」

 城戸は、遠くを見てそう言った。遠くには、山が何重にも折り重なっている。

「あのタイミングで天野が死ぬのは、細谷にとって都合つごうが良すぎるんだ。だから、事件性を疑ってしまうね」

「天野は、『肥後の鶴』の不正取引について知ってしまった。それで、細谷が口を封じたのか」

 山辺も、遠くを見つめていた。

「だが、結局、それから四ヶ月が経った今、何者かに知られてしまい、脅迫されたんだ。それで、細谷は、阿蘇へ呼び出された。しかし、その脅迫者の死体が見つかっていないことを考えると、細谷は脅迫者と接触しないまま殺されてしまったんだ」

「田島に殺されたんだな」

「その事で考えてみたんだがね、田島が、『肥後の鶴』の不正取引の発覚を恐れたために細谷の口を封じたという推理は、田島の持っている『肥後の鶴』が贋作ならば、成り立たなくなる」

「それは、何故だ?」

 山辺は、城戸の顔を見て訊いた。

「第一に、実際に田島が不正取引の末に『肥後の鶴』を手に入れたとしても、それは贋作だとわかった。田島が、高が贋作のためにそこまでするとは思えないし、細谷がその計画を提案してきても乗らないと思うんだ。田島は、凡人ではない。資産家で、金持ちだ。そんな人間が、贋作で満足すると思うかね?」

「確かに、金持ちだから、偽物には見向きもしないだろうね」

「そして、第二に、『肥後の鶴』は一億五千万円で取引されている。これは、本物の値段だと思うんだ。勿論、贋作にそれだけの価値があるとは思えない。田島も馬鹿じゃないから、贋作だとわかっていたら、そんな額を払うはずがない」

「つまり、城戸が言いたいのは、田島は、純粋に『肥後の鶴』を手に入れたかっただけという事だな。それに乗っかった細谷が、田島を騙して、贋作を本物の値段で売りつけたわけだ」

「ああ、その通りだ。つまり、田島にとって、その取引の秘密が世間の明るみに出ようが、関係ないんだ。どちらかというと、被害者の立場だからな。それが知られて一番困るのは、細谷だ。だから、細谷は、何者かに阿蘇へ呼び出された際、殺害を計画し、ナイフを所持していたんだ」

「と言っても、犯人は、田島だよ。田島は、本物の『肥後の鶴』を手に入れようと動いたはずだ。そして、自分を騙した細谷の始末も遂行した」

「それに関しては、私も同意見だ。ただ、一つ分からない事があるんだ」

 城戸は、声を落としていった。

「何が分からないんだ?」

「田島が、贋作に気付いてから、動き出すまでには時差があったと思うんだ」

「時差?」

「これは、自分の憶測でしかないんだが、田島が、細谷から買い取った『肥後の鶴』が贋作であることは、手に入れてから数週間後に気付いたんだと思うんだ。厳密に言うと、三週間後かな」

「警部、三週間後と言うと、田島が、友人に『肥後の鶴』を貸して、それが返却されたぐらいのタイミングですよね?」

 傍で聞いていた門川が、城戸に訊いた。

「ああ、その通りだ。しかし、私は、ずっと引っかかっていることがあった。それは、田島の妻の証言で、絵画を受け取りに来たのは、個人ではなく業者の様な気がするという証言のことだ」

「それで、それがどうしたんだ?」

 山辺が、城戸をかすように言った。

「その妻の証言通り、田島が二週間絵を預け、受け取りに来たのは業者だったんだ。詳しく言うと、絵画の鑑定業者だ」

「つまり、田島は、『肥後の鶴』を友人なんかに貸したわけではなく、鑑定業者に鑑定を依頼していたのか。その鑑定の為に、二週間その鑑定業者に預けていたんだな」

「田島は、大変な収集家コレクターだから、もはや目は一般人とは別物だろう。この『肥後の鶴』は、贋作ではないかと勘付いた田島は、それを証明するために鑑定したんだ。恐らく贋作という結果が出ているだろう。うちの部下を使って、東京の鑑定業者を調べさせよう」

 城戸は、そう言うと、自分の携帯電話を取り出して、警視庁へ連絡を取った。すると、川上刑事が出た。

「川上君、申し訳ないが、東京の鑑定業者を洗って、田島が鑑定を依頼していいないかどうか調べてくれ。もし、田島が鑑定を依頼した業者を見つけたら、その鑑定結果も調べるように頼むよ」

 城戸は、そう言って切ると、再び山辺の方を見て話を再開した。

「それで、自分の分からないことなんだが―――」

 城戸は、まだ言いかけていたが、山辺が声を出した。

「城戸の言いたいことはわかるよ。田島は、遅くとも四ヶ月前には、細谷から買い取った『肥後の鶴』が贋作であることは知っていたのに、何故四ヶ月もの間行動を起こさなかったのかと言いたいんだろ?」

「ああ、その通りだ」

 城戸は、笑って言い、

「まだ田島は見つかっていないんだな?」

 と、山辺に訊いた。

「ああ、まだ見つかっていない」

 山辺は、顔を下げて言った。

「田島が見つかれば、事件の捜査は円滑に進むんだろうがな―――」

 城戸は、再び遠いところを眺めていた。

「今、自分の部下が全力で探してくれているよ。取り敢えず、捜査本部へ帰るか」

 山辺は、重苦しくなった雰囲気を紛らわすつもりで言った。

 城戸も、

「そうだな」

 と、返事して、移動してきた覆面パトカーに乗り込み、門川の運転で捜査本部のある阿蘇署へ戻った。 

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