後編 ようこそ最後の楽園へ
賢者と亡霊の邂逅、幽々子の過去になります。
胸糞悪い展開や残酷描写が含まれる為、予めご了承ください。
読む時は自己責任で。
ま、まだ?まだ始まらない?も、もうそろそろ始めても良いんじゃない?回想シーン入っても良いんじゃない?
ん?もう始まってる?え、嘘、やっと?そっか、じゃあ早く本題に入ろうか。
──────────(place ???)
桜が、綺麗な夜だった。
肉の焼ける臭い。けれどきっとそれは、獣の肉ではなくて──人の肉だ。
獣の肉とは違い、吐き気を催すような臭気の中。肉を断つ音、潰す音、生々しく不快な音が気持ちの悪さを助長する。
目でも潰されていれば、目の前に広がる酷く凄惨な光景を見ることもなかっただろう。血塗れで転がる死体、死体死体死体。切り離された胴体と首。その光景はあまりに衝撃的で、その所為か目を閉じることすら出来なかった。
男の声。何を言っているのかは混乱していて分からない。ただ、下卑た笑みを浮かべるこの男は、間違いなく敵だ。
地に這いつくばっている彼女──西行寺幽々子は、憎悪と殺意に満ちた目で男を睨む。彼女も腹部から尋常でないほどの出血がある。まだ刀が腹部を貫いたままなのだ。
男はそんな視線を意に介した様子もなく、幽々子の腹部に突き刺さった刀を力任せに引き抜いた。傷口から止め処なく血が溢れ、幽々子は声にならない悲鳴を上げた。
「クハハハッ!おいおい折角の美人が台無しな面だなァ!この俺が女にして少しはマシな面にしてやろうかァ!?おら、下の口はまだ使えんだろォ?さっさと開けよ、この俺様が使ってやるんだからな!」
男の瞳にあるのは……情欲と愉悦。恐らくはここから行うつもりであろう限りなく下衆で非道な行為を思ってのことだろう。何処まで屑なのだろうか。
とは言え、いくら目の前の男を殺したくても、身体は動かない。こんな身体では抵抗も出来そうになく、そもそも女であるところの彼女が男の力に抵抗出来るとも思えない。
男の醜い顔が幽々子に近づいてくる。最後の抵抗として、幽々子は男の顔に唾を吐き掛けた。血が混じって赤くなった唾が、男の顔を伝う。
それぐらいしか出来ない自分が腹立たしいと幽々子は唇を噛むが、身体が言うことを聞かないので仕方が無い。
だが、そんな些細な抵抗を受けて、男は益々表情を愉悦で歪ませた。どうやら幽々子の抵抗は男を喜ばせるだけだったらしい。
「ゲヒャヒャヒャ!なんだ、一丁前に抵抗は出来るんだな!ただなぁ、折角お前を女にしてやるってのに、そんな真似はいけねェぜ?ちょっとイラッときちまっただろォ?人形を犯す趣味はねぇんだが……仕置きは必要だからな。こりゃ仕方ないんだよ」
男はそう言葉を零して、徐ろに手に持った刀を掲げ──幽々子の腹部に突き刺した。
「─────ッッ!!」
再び声にならない悲鳴。腹部の傷を抉るかのように再び突き刺さった刀は、噴き出した血で赤く染められた。
何よりも不運なのは、ここまでされては寧ろ痛みの大きさで気絶すら出来ないということ。傷口が焼けるように熱い。ただただ痛みに苦しみもがくしかない。
男はただ突き刺すだけでは飽き足らず、無理やり刀を動かして傷口を広げ始めた。その度に幽々子の反応を窺っては歪んだ笑みを溢す。どうやら幽々子の苦しげな表情を見て快楽を得ているらしい。
内臓の損傷は激しく、仮に今、この男を殺せたとしても幽々子は助からないだろう。臓器が掻き混ぜられてグチャグチャになっている。口から血を吐き出した。着ていた着物は吐瀉物と血に塗れて汚れてしまっている。
辺りに転がる人々も同じだ。死んでいる者も辛うじて生きている者も、皆が皆血に染められてしまっている。それはもう、老若男女問わず全ての者が。
──せめて、この男を殺してから死にたかった
そう、思ってしまう。いや、口に出していたかもしれない。無意識の内に湧き上がった本音。と言うより、弱音の方が近いだろうか。
死して尚、自分は辱められるのだろう。そう思うと、底知れない殺意と無力感が込み上げてくる。幽々子は今の自分達の有様を他人事のように見回しながら、小さく息を吐いた。
──あぁ、この世に神が居るのなら。何故私達は苦しむのか。救ってはくれぬのか。
──これは神のご意思なのか?ならば何故、我らはそのご意思に殺されるのか。
──この男の行いは、悪逆ではないのか。抵抗も出来ず殺される我らの無力が悪なのか?
──ならば神など最早意味を成さぬ。善悪すら判断出来ぬ愚昧な輩などが、人の上に立つ存在である筈も無し。そのような者が神だと言うのなら、我らは苦しみの怨嗟を以て弑逆させて頂こう。
男への殺意は理不尽な運命への、そしてその運命を許容した神への怨嗟に変わる。
込み上がる血反吐を抑えていると、不意に男の動きが止まった。顔を上げると、男の首がゆっくりと崩れ落ちて、重力に引かれ地面へと転がっていった。
男の身体は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ち、後には炎の燃え盛る音しか残らない。
要するに、死んだのだ。この男に、漸く神の裁きが訪れたのだ。後は醜き己を憎み、煉獄で永遠に焼かれるが良い。
目の前で人が死んだのに、幽々子の心は寧ろ先程よりずっと晴れやかだった。殺したいほどに憎んだ相手が死んだ時、人はこんな気持ちになるのだろう。これが罰だ。あんな男は殺されて然るべきだと、幽々子はそう思った。
とは言え、男が死んだからといって幽々子が助かるわけでもない。神罰は遅すぎた。恨むのは筋違いだと分かってはいても、その行き場の無い怒りを向けるのは、そこしかなかった。
──人の一人も救えずして何が神か。詰まらない戯言に付き合う義理も無い。ただ天上から見下ろすだけなら、纏めて地に叩き落としてくれる。
幽々子でありながら幽々子でない、表にして裏である者。言わばその内側に、人の中に巣食う“本性”とも呼ぶべき者の嘆き。
殺し合いは激化する。血の臭い。木の焼ける臭い。そして、人の焼ける臭い。この世界、幽々子の目の前に広がるこの光景こそ、正しく地獄絵図であろう。
悔いるべきは、此処に在ることだろうか。幽々子は儚く舞い散る桜の花びらを眺め……静かに目を閉じた。現実から、世界から、目を背けるように。
そのまま意識は──暗転。
──────────(place 幻想郷)
此処は何処か。私は誰か。
前者は分からない。が、後者は分かる。
西行寺幽々子。それが名前。人として平和に過ごし、人として死んだ。歳は……いや、それは別に関係ないだろう。
確か自分は桜の花びらが舞い散る中で息絶えたはずだと、幽々子は困惑する。
胸を押さえる。生きていればあるはずの鼓動は、一切感じられない。つまりそれは、あの光景が現実のものであることを示していて。ならば何故、今この時自分はこうして動いているのかと、幽々子は更に思考を混乱させた。
息絶えたのに動いている。天国にでも来たのだろうか。それとも幽霊にでもなったのだろうか。色々と可能性を考えてみるが、結論など出るはずもない。
そもそもとして死後の世界なんて場所は知らないのだからこの場所がそれであるかなど分かるはずもなく、幽霊になどなったこともないのだから今の自分がそれであっても分かるはずがない。
今はそれよりも、目に見えて分かる不可解な点に着目すべきだろう。
「……これ、どう見ても桜じゃない。雪?春に雪が降るの?」
舞い散るのは、薄桃色の鮮やかな桜の花びらではなく。純白の、素朴さが滲む粉雪だった。この寒空、明らかに冬である。
雪の中一人佇む彼女は、白と黒に染め上げられた世界に取り残されたように、孤独を感じさせる。
どうしてこんな場所に居るのか。そして、何時まで此処に居るのか。そんな答えの出ない問いを、幾度となく繰り返す。
そうしていなければ、あの光景を、あの絶望を思い出して狂ってしまいそうだったから。
──あら、こんなところにお客様かしら?
モノクロームに移り変わる世界に彩りを齎したのはそんな言葉だった。
声の主は降り頻る雪の中をゆっくりと幽々子の傍まで歩いてくる。歳は、幽々子と同じくらいだろうか。浮かべる妖艶な笑みは、どうにも少女には見えない。
「……また珍しいお客様ね。雰囲気は人間、でもその中身が見えない。妖怪ではないし。だとするなら……貴女、“亡霊”ね」
彼女は幽々子をまじまじと観察しながらそんなことを呟いた。幽々子は彼女の言葉に首を傾げる。
亡霊。確かに彼女はそう言った。やはりそうなのか。幽々子にはその言葉が奇妙なくらい腑に落ちた。そう、死んだのだ。自分はあの世界で死の運命に殺されたのだと。
彼女が呟いた言葉は、あの光景が紛れも無く現実であることを残酷なくらい鮮明に突きつけてきた。
「……此処に肉体を持って顕現している。亡霊の身なら魂魄になるか思念体として在る程度のはずなんだけど。貴女、余程強い未練や後悔があるみたいね」
彼女は幽々子の心の内を察した様子もなく、未だ幽々子を観察し続けている。幽々子としても、ただ黙って観察されているというのは居心地が良いものではない。
それに、幽々子自身彼女に聞きたいことが幾つもあるのだ。
だから。この白と黒の世界で初めて出会った彼女に向かって、幽々子は言葉を紡ぐ。
「あの!聞きたいことは数え切れないくらい沢山あるんですけど、とりあえず今、この一つだけは聞かせてください」
そう聞いた幽々子に対して、彼女は何か答えるでもなく、微笑を浮かべて幽々子を見つめた。聞きたいなら聞けば良い、ということだろうか。
そう判断した幽々子は何度か小さく深呼吸して、彼女を正面から見据えた。
「……貴女の、名前は?」
幽々子の言葉に彼女は暫し目を丸くし、やがて小さく吹き出した。
幽々子自身もこの状況で先に聞くべき質問としておかしいことは分かっていたが、笑われて恥ずかしかったのか、ほんのりと頬を赤く染めた。
「ここでそんな質問をしてくるなんて……貴女、結構面白いじゃない。本当ならここでは貴女の方から名乗るべきだとは思うのだけど。うん、答えてあげる」
彼女は目元に浮かべた涙を拭うと、見た目通りの少女のような笑みを浮かべて頷いた。先程の質問はそんなにおかしかっただろうかと、幽々子は少しムッとしてしまった。
「私は八雲紫。忘れ去られた者達が集う楽園の管理者にして、この世界、幻想郷の大賢者と呼ばれているわ。今更になるかもしれないけれど、貴女にこの言葉を贈らせてもらうわ」
──ようこそ最後の楽園、忘却と幻想の終焉へ。願わくば貴女にとってこの世界が、至上の幸福と共にあらんことを。
幽々子と紫の幻想が、幻想郷から始まる。




