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私の価値

「エリアスが望んであなたを助けているのよ。素直に甘えればいじゃない」

 ソルヤのその言葉を聞いたとき、私はそんなはずはないと首を振った。

 否、エリアスは確かに私を助けたいと思っているのかもしれない。しかしそれは恩にすぎないのだ。時折、エリアスは私との主従関係が終わっていることを忘れているのではと疑うぐらい彼の忠誠心は厚い。私はたしかに貴族として、主人としては良い主人であったはずだ。そのようにふるまってきた。優しくはなかっただろうが、冷たくもなく、残酷でもなかったはずだ。

 しかし私はもう貴族ではない。

 私自身に今、何の価値があるというのだろうか。私が誇ってきたものが私の全てだったというのに、今はすべて失ってしまったのだ。


 ソルヤにそのまま屋敷に残るか聞かれたが、あの状態のエリアスを放っておくわけにはいかなかった。私にできることがあるのなら、したかった。

 短くなってしまった髪を隠すためにもう一度フードをかぶって、ソルヤの用意してくれた馬車に乗る。

 家に戻るとちょうど医者とすれ違った。エリアスの様子を問えば、熱自体は過労から来るものなので安静にしていれば問題ないと言う。

 熱自体は、その言葉に多少のひっかかりは覚えたものの、私は医者に礼を言い、そして家に入った。そしてエリアスのいる部屋の扉を開ける。

「エリアス!」

 扉を開けた瞬間、まだ顔色の悪いエリアスが、扉の前でうずくまっていた。どうやら外に出ようとして、身体が言うことを聞かなかったらしい。何のために部屋を出ようとしていたのかは知らないが、さすがにこれは放ってはおけない。

「安静にしていろと言われたでしょう!」

 叱咤するようにそう言い、私はエリアスを助け起こそうと彼の隣にしゃがんだ。するとエリアスに腕を掴まれて私は体制を崩しそのまま彼に倒れこんだ。エリアスがそんなことをした理由が分からず驚いてそちらを見ると、エリアスが今までにないほど怒った様子でこちらを見ていた。

「何かあったらどうなさるおつもりだったのですか? どうして一人で外に出られるなど!」

 そういえば、一人で外に出ないと約束していたのだった。しかしあの状態でどうして家にいられようか。エリアスは記憶がないのかもしれないが、本当につらそうだったのだ。

 そしてどうやらエリアスは私を迎えにいくために出かけようとしたのだと思い当たる。

「お前のためよ」

 少し興奮している様子のエリアスを落ち着かせようと極力穏やかな声で話しかける。しかしエリアスはまったく落ち着きを取り戻しはしなかった。

「私はリューディア様がいないことに気づいて、心臓が止まる思いでした。二度と、二度とこのような無茶はなさらないでください」

 エリアスがこうも私をいさめるようなことを口にするのは珍しい。しかし、エリアスの言い分はどうしても認められなかった。

「私がここにとどまっていれば、お前は本当に心臓が止まったかもしれないのよ! 感謝こそすれど、私を咎めるだなんて! そもそも無茶をしたのはエリアスでしょう!」

 憤って思わず声を荒げれば、私の髪を隠していたフードが外れた。しまったと思った時にはもう遅い。

 エリアスがじっと私を見つめていた。彼の顔からすっと色が消えていくのが分かった。

 私は後悔していない。髪を失っても、多少のリスクが伴ってもエリアスを助けたかった。ただ、彼が彼のために私が髪を切ったと知ったら、それなりに責任を感じることは予測がついた。

 だからもう少し元気になるまでどうにかごまかしておく気だったというのに。

「どうして……」

 左手は私の腕を掴んだまま、右手でそっと私の短くなった髪に触れた。その痛々しい表情を見ると、正直に言って自分の行動が正しかったのか迷ってしまう。しかしこれは必要なことだったのだ。私がしたいことだったのだ。

「ソルヤに対価を渡したのよ。彼女が望んだわけではないけれど」

 あと少し動けば互いの唇が触れそうな距離で、エリアスは私の目を見た。


()のためですか?」

あなた(・・・)のためよ」

 

 その会話はごく自然で、しかし今までの私たちとは違うもの。

 そして気づいたのだ。どうして私が髪を切ってまでエリアスを助けたいと願ったのか。今までは貴族と言う私がいた。だからこそそれは在りえないことで、私は無意識のうちに感情を排除していた。

 しかし、エリアスが私を生かした日から、私は貴族ではない。私たちはいびつな関係を抱いていたが、主従関係ではなく、本来なら対等であるべきなのだ。

「エリアス。元気になったらソルヤの元に戻りなさい」

「そ、れは……」

「このまま続けるのはよくないわ。出口の見えない仕事はつらいでしょう」

「いいえ! 貴女の側にいられるのなら、辛い仕事などありません!」

 お互いの瞳の中にお互いを見つけられるほど近い距離。そんな近い距離でそんな顔をしないでほしい。まるでエリアスが私を求めているように見える。

 しかしそんな考えに私は心の中で嗤った。

 何を馬鹿なことを考えているのだろう。私は貴族であったときに彼を助けただけの人間だ。いまはまだ彼が恩を忘れていないとしても、いつかその時は来る。

 彼から離れたいと望まれてしまったら、私は今度こそ生きることを放棄するに違いない。しかし一度こうして生きながらえてみると、それが逃げであることが良くわかる。私は生きなければならない。しばしの自由を失ってでも私を生かしたエリアスのために。そして、私が生きていくために、私は自らエリアスを手放したいのだ。

「でもあなたは倒れたわ」

「不注意でした。ですが……」

「無茶はしないほうがいい」

「あなたは……また俺を捨てるのですか」

 苦しそうな声だった。

 また私が捨てると言うけれど、このままいればいつか私を捨てるのはエリアスなのだ。

「ソルヤとあなたに金銭関係が発生していても、私たちの間にはなにもない。私は何を信じたらいいのか分からないの」

 ああ、止めなければ。

 これ以上言っては、私の想いが彼の枷になる。

 しかしそう思っても止められなかった。

「今、あなたはどうして私を助けるの? 主従関係でもないのに、今までと同じ状態を保とうとしている。あなたは私に何を望んでいるの? あなたが私に何も望まず、ただ恩を返しているだけの今の状態がどれだけ不安定なものか。これ以上、あなたの負担になりたくない。この先、あなたが私を見限ったら、今度こそ私は生きていけない」

 立ち上がろうと思った。しかし次の瞬間、熱いものに囲われていた。

 エリアスに抱きしめられているのだ。

 まだ熱の下がらぬ体温は高い。しかし、それは驚くほど気持ちよくて、そしてそれがむしろ私を恐れさせた。

「俺の望みは……リューディア様と生きることなのです」

「何故? 何故なの? 今の私に何の価値もない――」

「――愛しています」

 抱きしめられているため、私はエリアスがどんな顔をしてそれを言っているのか分からなかった。また自分がどんな顔をしているのかも。

「貴女が貴族でなくとも、リューディア様個人が俺にとっては最も価値あるものです」

 ずるい、そう思った。

 その言葉は、間違いなく、私が生まれてこのかた切望し続けた言葉だった。








 建物の中に響く子供の声。はじめはあまり得意でなかったけれど、もう十年以上の月日を重ねれば、愛着もわくものだ。

 それに、自分の子供も、あんな賑やかな頃があった。

「先生」

「はい」

 先生と呼ばれることに慣れた自分にも驚いた。

「息子さんはおいくつでしたか?」

 腰の曲がり始めた穏やかな男性がそう問う。彼は先生という仕事について様々なことを教えてくれた師である。

「もう、十六になります」

「そうですか……子供とはあっというまに大きくなる」

「そうですね」

「先生が来たとき、あんなに小さかった子が……十六に」

「最近では私の生い立ちに疑問を持っているようでして」

「生い立ち?」

「私の生い立ちは少し特殊なのですよ。あなたならお分かりでしょう?」

「詳細はわかりませんが……先生の振る舞いは確かに上品すぎますね」

 老師は全てを見抜いているかのようにふっと微笑んだ。

 私はいちどもハイラの名を名乗っていないが、私が貴族であったことはばれているだろう。そう思った。

「ですが、それが先生の良さでしょう」

「ありがとうございます」

 過ぎ去っていた過去もまた、私なのだ。

 私はそうしてまた一つ学ぶ。


 私たちの息子は、今、ハイラの名にたどり着いたようだった。

 彼はかつての私を知るだろう。

 その時彼が何を感じるのか。私はそんな風に興味を持てるくらい、心に余裕を持てていた。


「リューディア」


 私を呼ぶ声がして、私は振り返った。

「お迎えの時間ですね。先生、それではまた」

「はい。先生」


  




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