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第3話 影の系譜

帝国暦1263年、夏。


黒棘の家は、蝉の声に包まれていた。

裏山の木々は青々と茂り、川の水は冷たく澄んでいた。


ヴェルナは十一歳になり、ますます逞しく成長していた。

棍棒から本物の木剣へと持ち替え、孤児院の周囲を警戒する「守護者」として子供たちに慕われていた。


ミリアーナは十歳。

黒髪は長く美しく伸び、瞳は以前より深みを増していた。

しかし、表面上の笑顔の裏で、彼女の苦しみは日増しに深くなっていた。


予言は、ほぼ毎週のように彼女を襲った。

予言の悪夢は彼女の心の平安を奪った。 

予言と引き換えに彼女の身体は蝕まれた。

夜中に血を吐き、記憶の断片を失い、胸や背中に痣が広がっていく。


それでも彼女は、ヴェルナの前では完璧に振る舞い続けた。


ある晴れた午後、二人はいつものように裏山へ出かけた。


「ミリアーナ! 見てみろ。

この木の実、すごく甘いぞ!」


ヴェルナが大きな木に登り、真っ赤な実をいくつも摘んで投げてよこした。

ミリアーナは笑いながら両手で受け止め、地面にシートを広げて並べた。


「ヴェルナ、危ないからあまり高く登らないでね。

でも……本当に美味しいわ」


二人は木陰に座り、木の実を分け合って食べた。

風が木の葉を揺らし、柔らかな日差しが差し込む。

ヴェルナは寝転がり、空を見上げながら言った。


「なあ、ミリアーナ。 

俺たち、本当に七剣になれるかな?」


ミリアーナは隣に座り、ヴェルナの栗色の髪を優しく指で梳いた。


「なれるわ。

あなたは誰よりも強い剣になる。

私は一番賢い頭脳になる。

二人で帝国を変えるの。

辺境の子供たちが、もう誰もお腹を空かせないように」


ヴェルナは照れくさそうに笑った。


「お前がそう言うなら、本当になれるんだろうな。

誰もお腹を空かせない世界か。

その為なら俺は頑張れるよ。

お前がいなかったら、俺は何の未来も見出せずに今でも一人で喧嘩ばっかりしてただろう。

それを考えれば何だって出来るさ」


ミリアーナの瞳が優しく細められた。


「私もよ。あなたがいてくれるから、私は強くなれた。

怖い夜も、寒い冬も、一緒にいると大丈夫だった」


二人はしばらく無言で空を見つめていた。

やがてヴェルナが手を伸ばし、ミリアーナの小さな手を握った。


「約束だ。俺たちはずっと一緒にいる。

2人で七剣になって、誰も泣かない世界を作る」


「ええ、約束よ」


二人は固く手を繋ぎ、夏の風に吹かれながら笑い合った。

その瞬間、二人の絆は誰よりも固く、温かいものだった。


更に数日後。


「ミリアーナ、今日も一緒に川で泳ごうぜ!」


ヴェルナが元気よく誘うと、ミリアーナは優しく微笑んだ。


「ええ。でも、くれぐれも危ないところには行かないでね」


二人は手を繋いで川へ向かった。

水しぶきを上げて遊ぶヴェルナの笑顔を見ながら、ミリアーナは心の中で何度も謝った。


ごめんね、ヴェルナ。

私は……

もう、あなたの味方ではいられないかもしれない。

予言が私にそう告げるの。


その夜、子供たちが寝静まった頃、孤児院の周囲に黒い影が忍び寄っていた。

月明かりの下、黒いローブをまとった三人の人物が、静かに敷地内に入ってきた。

彼らは孤児院の地下室へと向かい、ミリアーナが一人でいるのを知ると、音もなく近づいた。


ミリアーナは静かに椅子に座っていた。予言を受け入れるために。


「……来ましたね」


彼女は小さく呟いた。

予言で何度も見た光景だった。


部屋の扉が音もなく開き、三人の影が現れた。中央の老人が、フードを外した。

白髪と深い皺、冷たい銀色の瞳を持つ男だった。


「ミリアーナ・ヴァルハイト。

予言の器よ。

我らは『影の系譜』。

汝の血に宿る古代魔導王の因子を、数百年にわたり守り続けてきた者たちだ」


ミリアーナは震える足で立ち上がった。


「わかっています。

私は何をすればいいのですか?」


従順なミリアーナの返事を聞き、老人は満足げに頷いた。


「まずは儀式だ。

汝の力を、完全に目覚めさせる」


彼らはミリアーナを地下室へ連れていった。

そこには古い魔術陣が刻まれ、蝋燭の炎が揺らめいていた。


挿絵(By みてみん)


儀式は残酷だった。

魔力が彼女の体に流れ込み、予言の力を強制的に引きずり出した。


ミリアーナは激痛に悲鳴を上げ、口から大量の血を吐いた。

視界に、再び未来の幻視が襲いかかる。


ヴェルナが黒翼を広げ、大陸を焼き払う姿。

自分がヴェルナに首を刎ねられる瞬間。

そして、ヴェルナが英雄として生き残る、わずかな可能性。


「うああああっ……!」


全ての幻視が終わると、ミリアーナの小さな体が弓なりに反り床に倒れた。

痣が全身に広がり、両目から血の涙が止まらなくなった。


儀式が終わった後、老人は冷たく告げた。


「汝は予言の器。

帝国の未来を視て導く者。

特に、ヴェルナ・ド・ルシフェルという少女の運命を、汝は変えなければならない。

彼女が魔王となる未来を阻止せよ」


ミリアーナは血にまみれた唇を震わせ、弱々しく笑った。


「知っています。

彼女を救う為に、私が悪になります」


老人たちは満足げに頷き、影のように去っていった。


彼らに取ってミリアーナは単なる道具に過ぎない。

ミリアーナの覚悟を込めた感情など彼らにはどうでも良いのだ。

自分たちが望む未来のために役立てばいい。

そう思っているのだから。


一人残されたミリアーナは、地下室の冷たい床にうずくまった。


「ヴェルナ……」


彼女は嗚咽を漏らした。

予言の代償は、想像以上に重かった。

予言はミリアーナに未来の知識を与えるが代償として過去の知識を求めるのだ。


儀式の後、彼女は昨日の朝食の内容を予言に奪われ完全に忘れていた。

ヴェルナと川で遊んだ楽しかった記憶の大部分も、霧のように薄れていた。


「私はあなたを愛しているのに。

予言は貴方と敵対する未来しかくれない。

あなたとの大事な過去の記憶も奪い去る。

どうして、こんな力を持って生まれてしまったの?

どうして自分を破滅させて帝国を救わなければいけないの?」


彼女は自分の胸を掻き毟った。

まだ十歳の幼い体に、帝国の運命を背負うなど、あまりにも残酷だった。


しかし、予言は明確だった。

ヴェルナは英雄となり、英雄の重圧に耐えられず必ず魔王となる。

それは、ヴェルナと帝国の破滅への道だ


私がヴェルナを深く裏切り、私をヴェルナの憎悪の対象にすることで、ヴェルナと言う英雄が持ってしまう狂気を『復讐』という一点に収束させ、最終的に私を殺させる。

それが、唯一の救済ルート。

私を殺す事でヴェルナの狂気が浄化され真の英雄になる。


ミリアーナはゆっくりと立ち上がった。

血の涙を拭い、決意を固めた。


「いいわ。私は悪になる。

あなたに最も残酷な裏切りをする役を演じ続ける。

あなたの剣で私の首を落とさせる。

それであなたは救われる」


その夜、彼女は初めて自らの手で未来を「選択」した。

愛する者を救うための歪んだ愛の形だった。


翌朝。

ヴェルナがいつものように明るく声をかけてきた。


「ミリアーナ! 今日も一緒に訓練しようぜ!」


ミリアーナは完璧な笑顔を作った。

昨夜の血の跡は、すでに魔術で隠していた。


「ええ、行きましょう。

あなたが強くなれば私は安心できるわ」


二人は手を繋いで外へ出た。

ヴェルナの温かい手の感触が、ミリアーナの心を痛く抉った。

この手もいつか私が裏切って手放すのだ。


影の系譜の監視はすでに始まっていた。

彼らはミリアーナを道具として育て、帝国の暗部で利用するつもりだった。


しかし、ミリアーナは心の中で誓っていた。

私は道具なんかじゃない。

ヴェルナを救うための唯一の悪になる。


夏の強い日差しが二人の小さな影を長く伸ばしていた。

黒棘の家に静かな嵐の予感が忍び寄っていた。

影の系譜の介入により、ミリアーナの運命は決定的となった。

予言の器として選ばれた少女は、自らを悪に染める道を選んだ。

その決意が、後にヴェルナとの絆を血塗られた悲劇へと変える。

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