第18話 粛清の嵐
帝国暦1281年、夏。
新黒翼帝国の成立からわずか二ヶ月。
旧帝都は、恐怖の色に染まっていた。
ヴェルナ・ド・ルシフェルは、黒い鋼の玉座に深く腰を下ろしていた。
赤いビキニアーマーは血の染みが落ちず、まるで第二の皮膚のようになっていた。長い栗色の髪は乱れ、赤い瞳は虚ろに輝きながらも、底知れぬ狂気を宿していた。
彼女の右側には、硝子ケースに収められたミリアーナの生首が、静かに置かれていた。
ヴェルナは毎日、その生首に向かって語りかけ、時には優しく撫で、時には激しく抱きしめた。
「ミリアーナ、お前は正しかったのかもしれない。
俺は、もう誰も信じられない」
エリックの裏切りが発覚した翌日から、粛清は始まった。
ヴェルナは「純粋なる忠誠」を求めるようになった。
疑わしい者は、すべて「ミリアーナの残党」あるいは「エリックの共犯者」として捕らえられた。
玉座の間は、毎日、血の臭いに満ちていた。
最初に処刑されたのは、旧七剣の生き残りたちだった。
ガルドリック・ヴァルンシュタインは、重傷を負った体で玉座の前に引き出された。
白髪の巨躯は鎖に繋がれ、片眼の眼帯は血で汚れていた。
「ヴェルナ、お前はミリアーナに負けたな」
老将軍の最期の言葉に、ヴェルナは静かに微笑んだ。
「そうかもしれない。
だが、それが何だ。
お前も裏切った。
俺を信じなかった
それが全てだ」
ヴェルナ自らが剣を振り下ろし、ガルドリックの首を刎ねた。
巨体が倒れる音が、玉座の間に重く響いた。
次にバルトロメオ・クロス。
彼は神聖なローブを血に染めながら、祈るように跪いた。
「主よ、この堕ちた女帝を……」
ヴェルナは冷たく笑い、彼の首を一撃で飛ばした。
セレナ・ルミナスは、最後まで抵抗した。
幻影の分身を展開し、玉座の間を駆け回ったが、ヴェルナの黒翼オーラに飲み込まれ、捕らえられた。
「ミリアーナ様は…あなたを愛していたわよ?」
セレナの最後の言葉に、ヴェルナは短剣を突き立てた。
「知っている。
だからこそ、許せない」
粛清は貴族、官僚、軍人へと広がっていった。
ヴェルナは毎夜、玉座の間でエリックを呼び寄せた。
エリックは鎖に繋がれたまま、ヴェルナの足元に跪かされていた。
エリックは鎖の冷たさを感じながら、心の中で激しく苦しんでいた。
『ヴェルナ、俺は君を愛していた。
本当に愛していた。
なのに、ミリアーナの甘い身体と命令に屈し、君の情報を流し続けた。
君の温もりを味わいながら、君を裏切り続けた。
俺は、君の傍にいる資格などない。
それでも、君がまだ俺を殺さないことが、たまらなく苦しい』
ヴェルナはエリックの顎を掴み、強引に顔を上げさせた。
「お前がミリアーナに情報を流していた夜、
俺は何をしていた?
お前を抱きながら、幸せを感じていたのか?」
エリックは虚ろな目で答えた。
「すまない、ヴェルナ。
俺は弱かった」
ヴェルナは彼の頰を撫で、優しく囁いた。
「殺さない。
お前は、俺の傍で永遠に苦しめ。
それが、お前の罰だ」
エリックの目から、涙が零れた。
ヴェルナは彼を抱きしめながら、狂ったように笑った。
粛清の嵐は、帝国全土に吹き荒れた。
疑わしい村は焼き払われ、密告が奨励され、家族同士が互いを疑う社会が出来上がった。
農民は重い税を課せられ、兵士は無意味な遠征に駆り出された。
経済は崩壊し、疫病が蔓延し始めた。
ヴェルナは玉座の間で、ミリアーナの生首を抱きながら独り言を繰り返した。
「お前が見たかった帝国は、こんなものじゃないだろう?
でも、お前が俺をここに追いやったんだ!
全部、お前のせいだ」
彼女の背中には、黒い翼のオーラが常時浮かぶようになっていた。
近衛兵たちはその姿を見るだけで震え上がり、誰も彼女に近づこうとはしなかった。
ヴェルナの孤独は、日ごとに深くなっていた。
周囲にいる者は皆、恐怖で震えるだけ。
誰も本心で彼女を慕わず、誰も彼女の痛みを共有しない。
その孤独が、彼女の心をゆっくりと魔王へと変えていった。
『誰もいない。
ミリアーナも、エリックも、旧七剣も、影の系譜も。
みんな俺を裏切った。
帝国という国そのものが、腐りきっている。
貴族は欲のために民を踏みつけ、軍は弱い者を守らず、皇帝は老いて猜疑心に満ち、
この国は最初から、俺たちのような者を救う気などなかった』
ヴェルナは玉座の背もたれに深く寄りかかり、虚空を見つめた。
『だったら、俺もこの帝国を憎む。
すべてを憎む。
この腐った国が産み出したすべてを、灰に変えてやる。
それが、俺の復讐の完成だ』
帝国への憎しみは、彼女の心の中で急速に膨れ上がっていった。
かつて守りたかったはずの国が、今や憎悪の対象となっていた。
その憎しみが、彼女をさらに深い狂気へと導いていった。
ある夜、ヴェルナはエリックを自分の寝室に連れていった。
鎖を解き、彼を抱きしめながら体を重ねた。
「愛してると言え」
エリックは虚ろな声で繰り返した。
「愛してる」
ヴェルナは激しく泣きながら、彼を抱き続けた。
愛と憎しみ、復讐と虚無が、彼女の中で渦巻いていた。
粛清から三ヶ月後。
帝国の半分が荒廃し、反乱の兆しが各地で生まれ始めていた。
ヴェルナの狂気は、もはや制御不能だった。
彼女は玉座の間で、ミリアーナの生首を抱きながら笑った。
「みんな、裏切る。
いいさ。
全部、焼き払ってやる。
この帝国ごと、灰にしてやる」
黒い翼のオーラが、玉座の間全体を覆った。
女帝の狂気は、帝国を内部から食い尽くす嵐となって吹き荒れていた。
エリックは鎖に繋がれたまま、ヴェルナの足元で静かに目を閉じていた。
二人の歪んだ関係は、帝国の崩壊と共に、さらなる深淵へと落ちていこうとしていた。
黒翼の帝国は、生まれたばかりだったが、
その根底には、血と裏切りと、果てしない虚無が渦巻いていた。
粛清の嵐は、ヴェルナの狂気を全国に広げた。
勝利の代償は、彼女自身と帝国を同時に蝕んでいった。
もはや、止める者は誰もいない。
灰への道は、静かに、しかし確実に近づいていた




