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七月三日 日曜日⑥

 人は刺激に慣れるものだ。

 だから、初体験を大事にしなければならない。だって、それが最も刺激的で色鮮やかな瞬間になるのだから。


 そんなありふれた価値観を、目の前の吸血鬼は破壊した。

 絶対であるはずの現実を、存在しないはずの幻想が破壊した。


 一度見た時、美しいと確かに思った。目を奪われた。

 しかし、今あるのは一度目を超える衝撃と、感嘆だ。

 二度目であるはずなのに、初体験はすでに終わっているのに、最も刺激的なその瞬間は過ぎているというのに、今が既知として色あせるわけがない。

 そう、思わせるほど人の目を魅了し掴んで離さない美がそこにあるのだ。


 確かにそこにあったのだ。


 □ □ □ □ □


 ()()()()()()()言うのはたやすいが、それを起こすのは恐ろしいほど労力がかかる。

 物語であれば、奇想天外奇天烈でありながら共感を呼ぶことが求められ、どんな形であろうと人が納得しうる王道を進まなければならない。

 映画であれば、その映像美と俳優の動きの芸術的対比で、目を逸らす間を与えぬ物を作らなければならない。

 舞台であれば、役者すべてが虚構を真実とした上で、空想を現実に生み落とし、世界に溺れさせなければならない。



 目の前の(吸血鬼)もまた、それらの尋常ならぬ創意工夫の傑物と肩を並べて存在していた。


 何人が彼女に協力し、そこへと押し上げんと励んだのだろう。

 月姫の結われた黒の長髪は、弛みも緩みもなく編まれている。複雑に、それでいて優しく丁寧に、素人目でもわかるほどに手を込んで編まれている。


 ドレスはあの時と大きくは変わりはしていないが、装飾品が増えている。

 ジャラジャラした金属類というわけではない。袖やスカートの部分に、細やかにレースが追加で編みこまれていたのだ。

 それがどうした、と思うだろう。だが、その細かさから異常な執着を感じられるのだ。


 未完成など許せないという執着。

 完璧を絶対とする職人の意地だ。


 そして、最も大きい部分。それは化粧。

 別に、月姫の美しさがすべてそれのお陰とは言わない。というか言えるわけがない。それは、月姫に失礼だし、化粧をした人間にも失礼だ。


 なぜならそれは、『月姫の美しさ』を際たださせるための物で、化粧が主体になっているものではないのだから。


 濃すぎず、化粧をした人の意思を一切排除したような塩梅。


 化粧とは、顔というキャンパスに描く芸術。

 しかし、それは同時に顔という作品との共同作業である事を暗に示している。

 化粧が目立ってはならない。自我を出してはならない。少しでも意図を察せられてしまえば、化粧そのものが視線のスポットライトを全て奪いかねないのだ。


 ゆえに、目の前の芸術は賞賛に値する。

 月姫だけを目立たせる手腕。月姫の美だけを引き出させそれ以外を見せない技術。

『考えられている』のにそれ思わせない自然さ。


 感嘆のため息が漏れ、酸欠の余韻が脳を焼く。

 ドレス、髪、化粧。全てが月姫雪菜の為。全てが彼女の魅力だけを的確に引き出している。


 ‥‥‥あぁ、クソ!嫌気がさす!

 魅力魅力魅力その二単語で表して、それが伝わるものか!だが、どう表せば良い?どう表現すれば良い。なんて言って褒めれば良い。

 語彙力が足りない。言の葉の量が足りない。頭が足りない。想像が足りない。


 小さな宝石を集めても大きな一塊にはならないように、少ない語彙力では言葉で彼女を表せられない。


 どう言えば、どうすれば、俺はどう言って表せば…



「良い加減戻ってこいですわッ!ユキちゃんを、どれだけ、待たせるんですの人間!!」

「いッ!?痛い痛い痛い痛い!!」

 頬をペンチで摘まれ、そのまま力一杯捻じりちぎられるような。

 そう表現する以外ない激痛が唐突に右ほっぺたに与えられ、意識が終わりの見えなかった思考から引きずり上げられる。


「えっと、メリィちゃん。やりすぎ駄目だ、よ?」

「大丈夫ですわ。ユキちゃんを無視する奴は大丈夫じゃなくしてやりますわ」

「何ひとひゅ大丈夫じゃねぇんだがぁ!?ていうかなんでつねっひぇんだこのッ!」

 頬をつねるメリィの指を掴み、必死に遠ざけようと力を込めるがピクリとも動かない。その手首がゆっくり回転していくのが止まらない。本当に頬をねじ斬られてしまうのではないかと、恐怖的な予想が脳裏によぎったその瞬間。

「あら、意識が戻りましたの」


 ぱっと、そのびくともしなかった指が開き、頬が解放された。

 あまりに急だったため、さすがによろけたがすぐに体制を整え、メリィを睨みつけて。

「何してんだよ。千切り取る気かッ!!」

「あなたが、ずっとトリップしているからですわ。まったく、魔術やマナに体制が無いからといっても、こんな初歩的で補助的な魅了魔術に、首ったけにならないでほしいですわね」


「‥‥‥え?は?み、魅了魔術?」

「はぁ、掛けられたことも気づいてなかったの?‥‥‥レースですわ。彼女の付け加えられたレース。それらが、魔術的記号になって、空気中のマナを使い半自動的に魅了魔術を行使しているのよ。と、いっても、視線をほんの少し誘導するぐらいの、ちょっと意識するだけで無意識に抵抗できるような弱いものだけど」


「えっと、つまりは、私が悪い?」

 いつの間にか買っていた水を持つ、ドレス姿の月姫が、おずおずと、不安そうな顔をして問う。

 それに対して、メリィはため息を吐きながら。


「いいえ、いいえ。ユキちゃんは全く悪くないですわ。魅了魔術に一切の耐性がないよわよわなこいつが悪いですわ。‥‥‥弱いどころの話じゃないですわね、激弱ですわ」

「おい、さすがに言い過ぎだろうが」

「事実ですもの」

 散々な言われ様にさすがに腹を立てても、ふん、と悪びれる様子もなく意志を曲げないメリィ。


 流石にイラっと来たが、息を吐き、冷静に状況を整理する。


 メリィが言ってた魅了魔術。それは、言ってしまえば意思に作用する魔術だ。

 人を命令だけをこなす人形のようにする強力なモノから、視線を誘導するだけの簡単なものまで種類や効力は様々。


 その効力が強まる理由としては、魅了魔術を掛けた対象への恋慕、友情、嫉妬などをふくめた興味・関心、そして魔術耐性の低さ、などが上げられる。

(俺の場合は後者。‥‥‥いや、まぁ、興味関心の前者もか?)

 俺は今日、月姫だけを『見に来た』。


 彼女の吸血鬼バレを、防ぐために。月姫雪菜だけのために、彼女だけを理由に、この場所に来たのだ。


 大会を見に来た人たちと比べて、月姫に意識を集中させていたのだから、月姫の魅了魔術にかかりやすくなるのは当たり前だろう。


 結論をまとめると、月姫から目が離せなかったのは効きすぎた魅了魔術が原因、ということだったわけだ。


「魅了魔術ってすげぇな…」

「訂正なさい」


 それはあっという間だった。

 一瞬で間合いが詰められる。


「な」

「言っておきますけど、魅了魔術『だけ』のせいで〜とか考えてそんなこと言ったのなら・・・・・・殺しますわよ」


 心を読んだかのような的確な指摘と明確な殺意に、肺が怯えて萎んで膨らまない。


 息が、止まる。


「魅了魔術は、『理由』がなければ目を奪えない。貴方が目を奪われたのは確かに貴方がユキちゃんを美しいと思ったからですわ。それを、誤認で塗りつぶすな。そんな侮辱、私が許さない」


 言葉を言いきった瞬間だった。

 すん、と向けられていた殺意が収まる。

 止まっていた呼吸が再開する。浅い呼吸を繰り返しながら、深呼吸へと切り替える。

 月姫は、おどおどとしていた。どうすればいいのかわからない様子だ。


「魅了魔術じゃなく、月姫が綺麗だがら。はい復唱!」

「え?」

 それなりの大声が耳を貫く。発声元はメリィだ。

 困惑していると、睨まれて。

「復唱しろ」

 ドスの利いた声が行動以外を許さなかった。


「み、魅了魔術じゃなく、月姫が綺麗だから!」


「声がちいさぁあいい!!舐めてんのかですわ!!」

「月姫さんは綺麗ですぅう!!?」


 俺は、何を、させられてるんだ!?


「その、恥ずかしいん、だけど‥‥‥」

 間を割って、声を入れてくるのは、顔を羞恥で真っ赤にしている月姫だ。

 そりゃそうである。周りに人がいないにしろ、目の前で綺麗だと大きな声で言われるのは、恥ずかしいことこの上ないだろう。


「もう少し、このバァカの頭を矯正したかったのだけれど、ユキちゃんが言うならもう止めにしますわ。それに時間も、来てますからね」

「時間?」


「公演時間ですわ」


 言われて腕時計を確認すれば、確かにもうすぐだった。

 おおよそあと六分で、最初の公演が始まる。

「‥‥‥ところで、人間。貴方の名前はなんですの」

「今更かよ。上代、上代秘織だよ」


「そう。私は、メリィ・グランヴィエル。メリィが名前で、グランヴィエルが家名ですわ」


 カイとは違って、先に名前が来るタイプの家か。


 そんなことを思っていれば、メリィはすでに遠くへといっている。

 これまでの出来事からわかっていたが、我が強い性格であることは間違いないようだ。

 カツ、と。靴の音が聞こえた。

 振り向けば、月姫が一歩分の距離を開けてこちらを向いていた。


 手をわたわたと、赤い目をせわしなく回しながら。

「えっと、あのね秘織くん。メリィちゃん、あんな感じだけど、その、悪気はないから‥‥‥私からも言っとくから、あんまり嫌いにならないであげて、ね」

 勇気を振り絞るように、言った。


「お前。結構、友達想いなんだな」

「友達は大事だから、ね」

 月姫は、優しく微笑む。

 俺は、また月姫の知らない一面を見つけた様だ。


「まぁ、嫌いにはならないよ。相手が同じ思いかはわかんねぇけどな」

「大丈夫。メリィちゃん、ああ、見えて恥ずかし屋なんだ、よ。」

 ‥‥‥ほんとうか?


「だから、いつもはね、名前を教えたがらないの。名前を教えたってことは、きっと、あなたの事、嫌ってないよっていう証拠」

 脳裏に、出会ってすぐに殴りかかってきたメリィの姿がよぎる。

 本当に、ほんとうか????


「ユキちゃーん!!どうしたんですのー!靴になれてないなら、お姫様だっこしますわよー!いや、したいからいますぐそっちに向か」

「大丈夫」


 向こうから聞こえてきた大声が、月姫の言葉でぶった切られた。

「えっと、それじゃ、私、行くね」

「あ、ちょっと待ってくれ」


 メリィが嫌ってないという言葉に対して、疑問しか出してこない思考を止める。

「ん、なに?」


「無理やり言わされた、みたいな感じだったけど。綺麗だって言うのは、本心だよ。言葉にできないぐらい。だから‥‥‥舞台、がんばれよ。応援してる」


 どうしても伝えたかった言葉。「言わされた」で、すましたくなかった、引きずり出された心の声の弁明。

 月姫が時間に迫われているのは知っていて、わがままだとは知っていても、伝えたかったのだ。


 言った言葉が嘘だと思われるのは、あまり良い気分ではないから。


「ん」

 月姫が、驚いたようにぱちりと瞬きをする。


 引かれたか?そう、不安になった瞬間。

「とっても、ありがとう。がんばる、ね」


 彼女はうれしそうに、笑った。

 吸血鬼と呼ばれる滅ばされた怪物とは思えない、無垢な幼い少女のように。

書き貯めを行うので、1か月ほど投稿お休みします。

読んでくださっている方、いつも、本当にありがとうございます。


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