幕間 この杯を月の光に託して
月が天を支配する夜。
カレアント帝国クレイスト領のゾルーディア家のお屋敷。
そのテラスには、グラスを傾ける二つの人影があった。
「今頃、コハクは何処に居るのかしら」
「俺は彼女のことについては詳しくないが、そうだな、突拍子もない所に居そうだな」
あの旅人がこの屋敷を旅立ったのはこの日の朝。
それでも、普通の旅を続けているとは、この夫婦には思えない。
「そうね、コハクのことだもの。北の吹雪の山の頂か、空中庭園か」
「俺は、あの月に居ても驚かないよ。あとは海底にいる可能性だって捨てられない」
「そうね、あのコハクだもの。どこかであっと驚くようなことをしていてもおかしくないわ。もしかしたら、また誰かのために駆けまわっているかも」
コハクにとっては気ままな旅の道中。
困っている人をついつい助けてしまったという感覚か。
それでも、助けられた側としては、この感謝が尽きることはない。
「誰かのために、か。君はいい友人を持ったな」
「ええ。あ、でも、あの子をこの家で囲うなんてことをしたら、いくらあなたでも許さないわ」
「まさか、この家の恩人に対して、そんなことはしないよ。かけられた恩も仇も必ず返す。それが我々ゾルーディア家の教えだ。我々全員が、彼女の種族を知っていたとしても、恩を仇で返す様な真似はしない」
「そうよね。ごめんなさい」
「かまわないよ。君の大切な友人、そして我らゾルーディア家の友人の話だからね」
自身のステータスを隠そうともしていなかったコハクの情報はゾルーディア家の多くの者が知っている。しかし、彼らの口からそのことが語られることはない。
彼らにとって家の教えは絶対。破ってしまえば、その者はもう家族ではなくなり、速やかに処分される。
今回のリレーフとそれについた者たちのように。
既に証拠は王宮に提出され、必要な情報も聞き出せば、彼らは用済み。既にこの世にはいない。
とは言っても、あの晩。フラウカリオンによって、多くの人間が死んでいた。
ゾルーディア家の手が下されるまでもなく、冥府の門は大渋滞を起こしていただろう。
第二皇子も病に臥せっていると伝えられ、しばらくすればお隠れになったとの報がひっそりと帝国中を駆けるだろう。
「そうだ、あなた、シゼスト領の夜景の話。覚えてる?」
「あの湖だろう。君にも見せたいよ」
大きな満月に思いをはせる。
「ごめんなさい。実は見てきたのよ。コハクとここに向かう道中に。そういえば、そこでサクヤにあったのよね」
「サクヤと言うと、コハクがテイムしているハティのことか。あんなところで出会うなんて驚いただろう」
「ええ。あの時はもうダメかと思ったわ。それでね、なんとしてでもここにたどり着かないとって焦っていたから、もう一度、あの夜景をゆっくりと見たいの。今度はあなたと一緒に」
「なら、エリーゼにも見せてやりたいな」
「そうね。エリーゼはサクヤがお気に入りのようだから、サクヤと初めて会った場所に行けば喜ぶかも」
「そういう君は、コハクがお気に入りのようだけど」
「あら、コハクは大事なお友達よ。まさか、嫉妬してるの?」
「そんなことはないさ。俺もコハクには感謝している。ただ、君の夫として、妻が危険な目にあっているときに、救助を待つしかなかったと思うと、どうにも情けなくて」
「そんなことはないわ。だって、私、あなたに会うために頑張ったんだもの。もし、あなたが情けない男だというのなら、私はあんなにも頑張れなかったと思うもの」
「そうか。ありがとう、セレナ」
「ええ。そうだ、もう一杯どうかしら、フルハートさん」
「いただくよ」
互いのグラスに葡萄酒を注ぎあう。
「そうだな……俺たちがこうして語らうことができることに。俺たちの友人に感謝を」
「感謝を。あの月に託せば、コハクへと届くかしら」
「どうだろうか。私たちと同じようにあの月の光の下に居ればいいが。地底に潜ってしまっていれば、届かないかもしれない」
「もう、風情のないこと言わないでほしいわ。どこにいたって、きっと届くわ」
「そうか、では、乾杯」
「乾杯」
この夜空の下。コハクはいったいを旅しているのか。
二人には分からない。
それでもきっと、旅人の元に届いたに違いない。




