第九十話「七人」
次の休日。
訓練場に着くと、ガレス、リネット、エミールはもう来ていた。
「ルシアンは?」
「二人を迎えに行くって言ってたわ」
リネットが答える。
それなら、もうすぐ来るだろう。
俺も鞄を置き、訓練場の奥を見る。
前に五人で模擬戦をしたのと同じ区画だ。
石造りの障害物や、人の背丈を越える柱が並んでいる。ただ今日は認証板もなく、向かい側に相手の班もいない。
「何やるんだろうな」
ガレスが言った。
「ルシアンが来れば分かるでしょ」
リネットが返したところで、入口の扉が開いた。
ルシアンが入ってくる。
その後ろに、二人いた。
(この二人か)
一人は小柄な女子生徒だった。
黒い巻き髪を後ろでまとめ、黒縁の眼鏡をかけている。眼鏡の奥の黒い瞳が俺たち四人を順番に見て、最後に少し遅れてついていくようにルシアンの隣まで来た。
もう一人は男子生徒。
短い焦げ茶色の髪に、帝都ではあまり見かけない褐色の肌。体格は俺たちとそれほど変わらないが、履いている靴だけは学院で使い始めたものには見えないくらい馴染んでいる。
ミラ・ロアン。
カイル・アベル。
昨日まで名前と回答しか知らなかった二人が、目の前にいる。
「待たせた?」
「今来たところ」
俺が答える。
「じゃあ、先に紹介するね」
ルシアンが隣を見る。
「治癒科のミラ・ロアン」
「ミ、ミラ・ロアンです」
ミラが俺たちに向き直った。
「今日は、その……よろしくお願いします」
一度頭を下げる。
「あの、足を引っ張らないように……じゃなくて、えっと……」
途中で言葉が止まった。
「そんなに構えなくても大丈夫よ」
リネットが言った。
「今日は試験じゃないんだから」
「あ、はい。ありがとうございます」
ミラがまた頭を下げた。
(回答から想像してた感じとは、結構違うな)
あの回答を書いた学生だから、もっと淡々と話す人を想像していた。
紙の上では、どの文章にも迷った跡なんてなかったのに。
「こっちは探索科のカイル・アベル」
「カイルだ。よろしくな」
「レイン。よろしく」
「よろしく」
短く返して、カイルは他の三人にも視線を移した。
その間に一度だけ、訓練場の奥を見る。
石造りの障害物。
その間の通路。
地面。
すぐにこちらに戻った。
ルシアンが残る三人も紹介する。
「ガレス・ハイゼン」
「よろしく。そんな固くならなくていいぞ」
ガレスがミラに言う。
「は、はい。ありがとうございます」
「私はリネット。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
「敬語じゃなくてもいいわよ」
「あ……でも」
ミラが俺たちを見る。
「皆さん、貴族の方ですし……」
「いきなり気にするなって言われても難しいわよね」
リネットが言った。
「慣れてからでいいわよ」
「はい」
最後にエミールが名乗る。
「エミール・フェイン。よろしく」
「よろしくお願いします」
やっぱり丁寧だ。
ルシアンだけではなく、俺にも、ガレスたちにも距離を測っているように見える。
一方のカイルは特に態度を変えなかった。
「じゃあ始めようか」
ルシアンが言う。
「昨日も二人には話したけど、今日は一緒に動いてみるだけ。僕たちが二人を見るだけじゃなくて、二人も僕らと組めそうか見てくれればいいよ」
「分かった」
カイルが答える。
「は、はい」
ミラも続いた。
* * *
ルシアンが広げた紙には、訓練場の一角が簡単に描かれていた。
三つの印。
その間に、石壁や柱状の障害物が書き込まれている。
「最初に言っておくけど、今日はかなり簡単にするよ」
「簡単に?」
リネットが聞く。
「七人で動くのは初めてだからね」
ルシアンが紙を指でなぞる。
「まずは移動と、途中で条件が変わった時の対応を見る」
「ここから出て、この三地点を順番に通る。それからここに戻ってくる。経路は自由。時間も競わない」
「途中で何かあるのか?」
エミールが聞いた。
「一つだけ条件を追加する」
リネットが紙を見たあと、ルシアンに顔を向けた。
「前に決めた予選の動きは、今日はやらないの?」
「今日はやらないよ」
「二人が決まってから?」
ガレスが聞く。
「うん。あれは五人にはもう説明したけど、ミラとカイルにはまだだからね」
「俺たちが知らないやつか」
カイルが言った。
「そう。二人が正式に入ることになったら、その時に話すよ」
「分かった」
カイルはそれ以上聞かなかった。
ルシアンが紙を差し出す。
「経路は任せるよ」
俺はカイルを見る。
「カイルに見てもらう?」
「いいのか?」
「探索科だし」
「じゃあ見る」
カイルが紙を受け取った。
最初に地図を見る。
それから顔を上げて、訓練場を見る。
紙と障害物を何度か見比べたあと、最初の印までを指で示した。
「最初はこっちでいいと思う」
「一番近いな」
ガレスが言う。
「今の条件なら、遠回りする理由もないしな」
でも、カイルはすぐには歩き出さなかった。
「ルシアン」
「何?」
「帰りも同じ道を使わないと駄目?」
「いや。三地点を通って戻れば、帰り道は自由」
「了解」
それだけ聞いて歩き始める。
俺たちも続いた。
訓練場に並べられた石造りの障害物の間を通る。
一人なら十分通れるが、横に二人並ぶには狭い場所もある。
俺の前にはエミール。
後ろからガレスとリネットの声が聞こえる。
ミラは列の真ん中あたりで、何度か足を止めていた。
前に出ようとしてやめる。
後ろを見る。
結局、俺の横に来た。
「ミラは真ん中でいい?」
「えっ」
ミラがこちらを見る。
「あ、はい。私は……その、皆さんの邪魔にならないところなら」
「邪魔?」
「いえ、そういう意味じゃなくて……」
「ああ、うん」
位置を聞いただけだったんだけど。
「じゃあ私の隣に来る?」
後ろからリネットが言った。
「あ、ありがとうございます」
ミラがそちらに移る。
(やっぱり、回答とは全然違う)
こういう時は、自分の立ち位置一つ決めるのにも迷うらしい。
そのまま一つ目の印を通過した。
二つ目までも特に問題はない。
カイルは何度か足を止めたが、大きく経路を変えることもなかった。
二つ目の印まで来たところで、ルシアンが止まる。
「じゃあ追加条件」
制服のポケットから、折った紙を取り出した。
「エミール」
「俺?」
「うん」
エミールが紙を受け取る。
数秒読んでから畳んだ。
「ここからエミールは負傷者役」
「どんな?」
リネットが聞く。
「それは本人に聞いて」
ルシアンが答える。
「書かれていることは、聞かれたら答えて。書いてないことは分からないでいいよ」
「分かった」
エミールが頷いた。
ガレスがそちらを見る。
「どこを怪我した?」
「右足首」
「歩けそうか?」
「体重を掛けると痛い」
「なら——」
「待ってください」
ミラだった。
ガレスが口を閉じる。
「エミールさん、怪我をした時は、ぶつけたんですか? それとも捻りましたか?」
「着地した時に捻った」
「足首のどちら側が痛みます?」
「外側」
「腫れは?」
「ある」
「傷はありますか?」
「ない」
「足の指は動かせますか?」
エミールが紙を見る。
「動かせる」
「感覚は? 反対の足と違う感じはありませんか?」
「ない」
「足先が冷たいとか、色が違うとかは?」
「それもない」
「分かりました」
ミラが一度、エミールの右足を見る。
「歩けるかは試さなくていいです」
「試さなくていい?」
エミールが聞く。
「はい。今の情報だけで捻挫と決める必要はありません。骨に傷がある可能性も残っているので、そっちに合わせます」
迷わず続ける。
「ルシアンさん、固定に使えるものはありますか?」
「端に板と布を置いてあるよ」
「ありがとうございます」
ミラがそちらを指した。
「ガレスさん、板を二枚取ってもらえますか」
「分かった」
ガレスが動く。
「レインさんは、右脚を動かさないように膝の下を支えてください」
「うん」
言われた位置に手を入れる。
「エミールさん、足首は楽な角度のままでいいです。真っ直ぐにしようとしないでください」
「このまま?」
「はい」
ガレスが持ってきた細板を受け取る。
一本を脚の外側。
もう一本を反対側。
ミラは固定する位置を確かめながら、布を通していく。
「足首だけじゃなくて、もう少し上まで固定します」
最後まで足先だけは覆わない。
結び終えてから、エミールの足先を見る。
「締めた後も、指は動かせますか?」
「動く」
「感覚は?」
「変わってない」
「なら大丈夫です。移動している間も、しびれたり、足先が冷たくなったら言ってください」
さっきまで立ち位置一つ決めるのにも迷っていたミラが、いつの間にか俺とガレスをそれぞれ別の場所に動かしていた。
ミラは固定した脚をもう一度確認する。
「この状態なら移動できます。ただ、自分で歩かせるのはやめた方がいいです」
「カイル」
ルシアンが呼ぶ。
「帰り、どうする?」
カイルはすぐには答えなかった。
行きに使った道を見る。
それから右側。
さらにその先まで視線を動かす。
「右から回ろう」
ガレスがそちらを見る。
「遠回りだな」
「うん」
カイルが歩き出しかける。
「待って」
リネットが止めた。
「なんで右?」
「ああ」
カイルが行きの道を指した。
「あっちは二つ目の角で身体を横にしないと通れない。今は右脚をこの長さで固定してるから、エミールを支えたまま向きを変えるのが面倒だと思う」
次に右側を示す。
「こっちは距離は長いけど、曲がりが緩い。それに途中に広いところが二つある」
「広いところが必要なの?」
「ミラが足先をもう一回見ることになったり、支える人数を増やしたくなった時、その場で止まれる」
カイルが行きに使った狭い通路を見る。
「あっちで途中から二人で抱えることになったら、一度戻らないと変えられない」
今の状態で通れるかだけじゃない。
途中でまた条件が変わった時の場所まで見ている。
「右でいいと思う」
カイルが今度は全員を見てから歩き出そうとする。
俺も二つの道を見る。
右は広い。
でも遠い。
行きに使った道なら、もっと早い。
問題は、エミールを誰かが支えながら進むことと、固定した右脚の位置を保つこと。
「カイル」
「何?」
「エミールを人が支えなくてもよくなったら、来た道でもいい?」
「どうやって?」
「風で支える」
エミールが俺を見る。
「俺を?」
「うん」
俺は固定された右脚を見る。
「ミラ。脚をこの位置から動かさなければいい?」
「はい。上下に揺らさず、固定したところに無理な力が掛からなければ」
「分かった」
魔力を動かす。
腰の下と右の太腿。
身体を広く受けられるように魔力を分け、そのまま風に変える。
強く吹き上げる必要はない。
身体の重さを下から受けるくらい。
出力を合わせると、エミールの身体がわずかに浮いた。
「どう?」
「変な感じ」
「落ちそう?」
「それはない」
ミラが固定した右脚を見る。
「その位置を保ったまま進めますか?」
「できるよ」
カイルが狭い通路を見る。
「左右にも揺らさずいける?」
「このくらいなら」
「途中で切れたら?」
「切れる前に言う」
カイルはもう一度、二つの経路を見た。
「じゃあ来た道で戻ろう。風を続けられなくなったら、その手前で右に切り替える」
「分かった」
今度は誰も止めなかった。
さっきまで右から回ると言っていたのに、それにこだわる様子もない。
俺たちは来た道に戻る。
カイルが先頭。
曲がる前には一度止まり、後ろを確認する。
俺はその少し後ろで、エミールの身体を風で支える。
ミラは右脚の固定を見ながらついてきた。
最初の狭い角を抜ける。
二つ目。
そこも問題ない。
全員が通ったのを確認してから、カイルが次に進む。
行きと同じ道なのに、七人の動きは行きとはまったく違っていた。
* * *
最後の印を通り、出発地点に戻る。
「はい。終了」
ルシアンが言った。
俺は風を止める。
エミールが普通に立ち上がり、右脚に巻いていた布を外し始める。
ガレスが地図を覗き込んだ。
「思ったより時間かかったな」
「時間を競ってないけどね」
リネットが言う。
「分かってる。もっとすぐ終わると思ってた」
「七人になった分、確認することも増えたね」
ルシアンが紙を見る。
「五人の時と同じ動き方じゃ駄目そう」
カイルが地図を受け取る。
「俺も、一つ聞きたい」
「何?」
俺が見る。
「さっきの風。ああいう使い方も普段からできる?」
「できるよ」
「どれくらい続けられる?」
「今日くらいの出力なら、かなり長く」
「なら次から最初に教えて」
「最初に?」
「移動に使える魔法だけでいい」
カイルが地図の細い通路を指す。
「地形だけ見て道を決めても、レインが足場を作ったり、人を運べたりするなら選べる場所が変わるから」
「ああ」
確かに。
「土で段差を埋めたりもできるよ」
「それも欲しい」
今度は迷わず返ってきた。
「じゃあ次は、始める前に使えそうなの聞く」
俺は地図を見る。
地形そのものは同じなのに、使える魔法が一つ増えただけで、カイルが選んだ道が変わった。
それなら、もっと別の魔法ならどうなるんだろう。
少し試してみたくなる。
「ミラも」
リネットが声を掛ける。
「ずいぶん慣れてたわね」
「えっ」
「私なら、足首だけ巻いて終わってたと思う」
「い、いえ。治癒科では何度もやるので……」
ミラの返事がまた一拍遅くなった。
「あの」
ミラが俺とエミールを見る。
「さっきは、その……かなり言い切る感じになってしまって。すみません」
「何が?」
「レインさんに支えてくださいって言ったり、エミールさんに動かないでくださいって……」
「必要だったんじゃないの?」
俺が言う。
「曖昧に言われる方が困るよ」
エミールも続けた。
「怪我してる想定なんだから」
「……そう、ですか」
「うん」
ミラが頷いた。
「今日はありがとう」
ルシアンが二人に言う。
「一回一緒に動いてみたかったから、来てもらえて助かった」
「こっちも見たかったし」
カイルが返す。
ミラも頷いた。
「返事は急がなくていいよ。前にも言ったけど、他の班から話が来てるなら、それも聞いてからでいい」
「俺は出るよ」
カイルが言った。
「もう決めた?」
「うん。ここなら、割と柔軟に動けそうだし」
「分かった。よろしく」
「よろしく」
ルシアンがミラを見る。
ミラはすぐには答えなかった。
「私も……参加したいです」
そこで一度止まる。
「でも」
「何?」
「治癒魔法だけなら、私より上手い人はいます」
ルシアンは何も挟まず、続きを待つ。
「回答も、私より良かった人がいたと思います。それでも……私でいいんですか?」
「うん」
ルシアンはすぐに答えた。
「それでも、僕はミラに来てほしくて声を掛けたよ」
ミラはしばらく黙っていた。
それから、
「……分かりました。お願いします」
と頭を下げた。
「よろしく」
俺が言う。
「よろしくな」
ガレスも続く。
リネットとエミールもそれぞれ返した。
ルシアンが七人を見回した。
「じゃあ、この七人でいこうか」
そう言って、さっき使った紙をもう一度広げる。
「せっかくだし、今日はもう少しやろう。今度は条件を変えて、もう一回」
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