第二話「母の愛情」
転生してから、一体どれほどの時間が経っただろう。
赤ん坊の身体というのは、想像以上に不自由なものだ。言葉を口にすることはもちろん、四肢を思うように動かすことすらできず、指先に力を入れることすらままならない。
泣くことしかできない肉体は、まるで借り物を押し付けられたかのようにしっくりこず、前世では当たり前にできていたことが何一つできない歯痒さに焦りばかりが募っていた。
それに、この世界の言語もまだほとんど理解できていない。周りの大人が何を話し、笑い合っているのかすら分からないのだ。聞き取れるのはせいぜい、「私」や「あなた」、「よしよし」に対応するいくつかの単語の音と、俺に与えられた「レイン」という名前くらいのものだった。
けれども――そんなもどかしさを、不快に感じることは一度もなかった。俺が不安に駆られて泣き出すたび、いつでも優しく抱き上げてくれる存在がいたからだ。
「よしよし、大丈夫ですよ、レイン」
昼寝から目を覚まし、心細さに涙を零した俺を、柔らかな声があやす。
この世界での母親――テレシアだ。
彼女の透き通るような碧い瞳に見つめられると、胸の奥で渦巻いていた焦燥が嘘のように消えていく。抱き上げられた胸元から漂う、日だまりのような温かい匂いと、微かに揺れる琥珀がかった美しい銀髪。
その優しさに包まれているうちに、気づけば俺は泣き止んでいた。
意識がはっきりと覚醒するにつれて、周囲の世界が鮮やかな色彩を帯びて広がっていく。
高々と組まれた太い木の梁と、温かみのある白い漆喰壁。そこには古風な武具や深紅の織物が飾られ、部屋の隅に置かれた陶器の花瓶には、瑞々しい花々が活けられている。開放的な窓からは柔らかく澄んだ陽光が差し込み、石造りの暖炉ではオレンジ色の炎がゆらゆらと揺らめいていた。
薪がはぜるパチパチという心地よい音、肌を優しく撫でる風のさざめき、遠くで聞こえる小鳥たちの愛らしいさえずり――。前世の排気ガスと喧騒に満ちた街角では決して聴けなかった、優しく豊かな世界が、小さな部屋の中に満ちていた。
そして俺は、その部屋の中心で――あまりにも奇妙で、息を呑むほど美しい光景を目にした。
(……なんだ、これ……?)
部屋にあるあらゆるものから、無数の『淡い光の粒』が溢れ出していたのだ。
俺を優しく抱く母親からは、柔らかく包み込むような淡い光。その傍らに立つ父親からは、力強く昂然とした強い光。
人だけではない。
暖炉の炎からは燃え盛る茜色の光が湧き上がり、花瓶の生花からは芽吹きを思わせる萌黄色の光が、まるで息づくように立ち上っている。
光彩陸離たるその光景は、あたかも大聖堂のステンドグラスを通り抜けた聖光が満ちているかのような、幻想的な世界を作り出していた。
「レイン」
母親が、壊れものを慈しむように俺をそっと抱きしめ直す。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
言葉の意味は分からなくとも、自分に向けられた彼女の目に宿る愛情から、何を伝えてくれているのかは痛いほど理解できた。
前世の俺は、人より優れていなければ価値がないと思い込んでいた。誰かに勝利し、結果を残さなければ、存在を認められず愛されることもないと信じ切っていた。
だからこそ――何一つできない無力な赤ん坊である自分に、無条件で注がれる母親の無垢な愛情は、前世の泥沼で積もり続けた胸の翳りを、優しく洗い流してくれるようだった。
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