プロローグ
はじめまして。初投稿になります、青い信号と申します。
本作を読んでいただきありがとうございます。
冴えない男が異世界で新たな人生を歩む物語です。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
冴えない、惨めな人生だった。
電車に揺られながら、俺は膝の上の鞄へ額を預けていた。
梅雨の夜。車内には湿った空気と、人いきれの匂いがこもっている。仕事帰りの身体は重く、明日の朝にはまた早く出て、プレゼンの準備をしなければならない。
それなのに、頭から離れないのは仕事のことではなかった。
──俺は、いつからこんな人生になったんだろう。
昔は、自分も特別な人間になれると思っていた。
母親に言われるがまま励んだ中学受験には合格した。小学校の卒業式には、クラスの人気者だった幼馴染に告白して、奇跡的に付き合うこともできた。
十二歳のあの春が、俺の人生でいちばん輝いていた時期だったのかもしれない。
中学へ進むと、すぐに現実を思い知らされた。
周囲には、自分より頭のいい人間がいくらでもいた。どれだけ勉強しても成績は伸びず、気づけば一番下のクラス。テストの点が落ちるたび父から叱られ、母からは何も言われないことの方が苦しかった。
やがて、両親の目から俺への期待が消えていった。
その後は、普通の大学へ進み、普通の会社へ入った。
胸を張って語れるような経歴ではない。
だからこそ、就職した時に思ったのだ。
(ここなら……今度こそ、俺でも一番になれるんじゃないか)
過去の失敗を環境のせいにして、俺は仕事へすべてを注ぎ込んだ。
残業して資料を作り、帰宅してからもプレゼンの練習をした。休日も仕事のことばかり考え、友人からの誘いを何度も断った。
その結果、俺は同期の中で営業成績一位を取った。
あの時は嬉しかった。
ようやく、自分にも価値があると証明できた気がした。
──けれど、その一年後。
新しく入ってきた後輩は、俺が死に物狂いで積み上げたものを、あっさりと越えていった。
仕事の覚えは早い。人当たりもいい。容姿まで整っている。
何より腹立たしかったのは、そんな自分を鼻にかけることもなく、周囲への感謝を忘れない人間だったことだ。
そして今日、彼は会社創立以来の歴代最高成績を叩き出した。
「皆様のご指導のおかげです」
そう言って頭を下げる後輩へ、惜しみない拍手が送られていた。
俺も、その輪の中で手を叩いた。
笑うことさえできていたと思う。
けれど胸の中では、何かが崩れていた。
自分が削った時間も、捨てた付き合いも、必死に積み上げた努力も──全部まとめて「お前は特別じゃない」と突きつけられたような気がした。
気づけば、酒に付き合ってくれる友人もいなくなっていた。
スマートフォンを開けば、同級生たちの近況が流れてくる。
高級車。結婚式。新しい家。子供を抱いて笑う写真。
みんな、自分の人生を進んでいるように見えた。
(なんで……なんで俺じゃないんだ)
そんなことを考える自分が、一番嫌いだった。
それでも、嫉妬は消えてくれない。
何のために生きているんだろう。
そんなことを考えながら電車を乗り換え、湿った夜のホームへ降りた。
遠くから、線路を震わせる走行音が近づいてくる。
明日の朝も早い。こんなことを考えている暇があるなら、少しでも早く帰って寝た方がいい。
そう自分に言い聞かせ、列へ向かおうとした──その時だった。
「──きゃああああっ!」
女性の悲鳴が、ホームの喧騒を切り裂いた。
振り返る。
視界の端で、黒い影がホームから落ちた。
線路の上に、横倒しになったベビーカーがある。
その中で、赤ん坊が泣いていた。
トンネルの奥から、二つのヘッドライトが迫ってくる。
轟音が膨らむ。
誰かが叫んだ。
考えるより先に、身体が動いていた。
ホームの縁を蹴り、線路へ飛び降りる。
足裏へ硬い衝撃が走った。
電車はもう近い。
怖い。
今さらになって、はっきりそう思った。
それでも足は止まらなかった。
ベビーカーへ駆け寄り、小さな身体を抱き上げる。
軽い。
あまりにも軽かった。
「頼むっ!」
両腕を伸ばし、赤ん坊をホームの上へ押し上げる。
そこにいた男性が、必死に手を伸ばした。
赤ん坊の身体が、その腕の中へ収まる。
──助かった。
そう思った瞬間、全身から力が抜けた。
首筋を焼く熱風。
耳をつんざく警笛。
眼前いっぱいに迫る、鋼鉄の車体。
何者にもなれなかった人生の最後に、なぜ自分がこんなことをしたのか。
考える時間はなかった。
ただ、赤ん坊が助かったことだけが嬉しかった。
次の瞬間、俺の意識は途切れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




