国王夫妻は仮面夫婦
花の蕾が綻び始めた初春。
ヨナス・ランデルは緊張した面持ちで先輩となる侍従の後を歩いていた。
「右手と右足が同時に出てるぞ?」
「すっ、すみませんっ!」
振り返った先輩侍従は仕方ないさ、と微笑む。
「何しろお前、王宮は初めてなんだろう?」
ここはユティラ王国王宮。
ヨナスは今日から、国王陛下つきの侍従見習いとなるのであった。
「王宮のしきたりについては一通り学んでいるな?」
「はっ、はい! 父が病を得るまでは王宮に出仕しておりましたので......」
「あぁ、そういえばランデル卿も先代陛下の側付きだったな。なら安心か」
先輩侍従はよかったよかった、と笑みを見せる。父の名前が知られていることが嬉しいような、失敗できないという圧をかけられたような、微妙な心地であった。
「――と、これで大体部屋の案内は終わりだ。いよいよ国王陛下の元へ向かうぞ」
「はははははいっ」
緊張してるなあ、と先輩に小突かれ、ヨナスは情けない声を上げた。
「だって、銀の戦神と呼ばれた御方ですよ? 何か粗相をしたら、と思うと......」
「陛下はお優しい方だから、少しの粗相は気にしないさ。代わりに俺が怒るけどな」
「えええっ」
はは、と先輩は笑う。
「そうだ、国王陛下ご夫妻について、何か噂を聞いたことはあるか?」
耳元で尋ねられ、ヨナスはきょろきょろと周囲を見回した。不審な行動をするなよ、と頭を叩かれる。理不尽だ。
「ええと......あのう、仮面夫婦でいらっしゃると。仲があまりよろしくない、んですよね......?」
王妃アンネリーゼは、元敵国グレーデンの姫だ。かつては妖精姫と呼ばれていたとか。講話条約の条項のひとつとして、国王に嫁いできた。
「具体的には?」
「ええと、御子がいないとか」
「あー」
「公の場でも、笑顔を見せることがあまりないとか」
「うんうん」
「御名を互いにお呼びすることがないとか......」
「なるほど」
先輩侍従はけらけらと笑った。
「ま、仮面夫婦でいらっしゃるのは事実だ! 驚くんじゃないぞ」
「はあ......」
ヨナスの両親は政略結婚ではあるが、仲睦まじい。国のため、という理由で結婚した若い国王夫妻のぎくしゃくした雰囲気を考えるだけでも胃が痛くなりそうだ。
「ま、とりあえず、今日は仕事を見て覚えるんだな! 頑張れよ」
「はいっ、ご指導よろしくお願いします!」
ヨナスが大きな声で深々と頭を下げると、声が大きいぞ、とまたも笑われた。
***
カチャカチャと、カトラリーを動かす音だけが響いている。
――いやほんっと気まずい!
夕食の時間である。延臣たちが見守る公開食事、部屋の隅に控えたヨナスは心の中で悲鳴を上げていた。
なんでこんなに静かなんですかもうこの空気だけで胃が痛くなっちゃうてか国王夫妻一度も目を合わせないな怖い!!!
「......四年経ってもこの有様か」
密やかに落ちた声に、ヨナスはぴくりと体を強張らせた。
「お世継ぎは果たして望めるのか」「妃殿下が石女という可能性も......」「陛下は先王陛下の一粒種、なんとしても御子を産んでいただかねばなるまいに......」
延臣たちの声が聞こえているのかいないのか、国王は静かに顔を上げて発言した貴族たちを眺めた。貴族たちは途端に口を噤む。
「王妃」
「はい、陛下」
静寂を破った国王の声に、ヨナスは知らず、緊張した。
一体、どんなことを仰るのかと注視するが、国王は変わらず手元の料理を見ている。王妃は一瞬顔を上げたが、すぐに視線を落とした。
「近く、慰問に行くそうだな」
「はい、陛下」
温度のない冷ややかな国王の発言に対しても、王妃の声は微塵も揺らがない。代わりとばかりに肩が震え、その震えが伝わったカトラリーが皿に当たって、乾いた音を立てた。
「くれぐれも、気をつけるように――王妃として、威儀ある振る舞いを」
「……はい、陛下」
王妃は目を伏せた。長い睫毛が白い肌に影を落とす。国王は王妃を一瞥もせず、黙々と食事を続けている。
噂の真偽を早くも確信して、ヨナスの背につーっと冷や汗が流れた。
***
「もう無理.......怖い.......なんですかあれ......」
「音を上げるのが早いぞ。全く、軟弱な奴め」
先輩はヨナスの泣き言を聞くと呆れた顔をした。
「いやだって夕食なのにずっと静かで。逆に恐ろしいというか。しかも貴族の方々の噂話がずっと聞こえるし……」
「はー、お前耳いいんだな。俺には殆ど雑音にしか聞こえないぞ」
「そんな馬鹿な!」
「ははっ、まぁ、慣れる慣れる、大丈夫だって。それより早く、陛下のお部屋に行くぞ。今日は特に謁見や会議がないからな、妃殿下との団欒のお時間だ」
「ええっ」
ヨナスは悲鳴を上げた。あのギスギスした空間に就寝まで押し込められるのかと思うと鳥肌が立つ。
「やっぱり僕この仕事辞めようかな......」
「おいおい、まだ一日も経ってないぞ。それに――なんといっても、お前が驚くのはここからだ!」
「もう僕、これ以上驚くことないと思うんですけど......」
「ぜーったい、驚くから、見てろって!」
先輩は意味ありげに口角を釣り上げた。
***
ヨナスは先輩侍従と共に、国王の自室に控えていた。部屋の主たる国王は、夜着を寛がせ、ゆったりとした恰好で書物を読んでいる。大変美しい方なので、それだけでも絵になる。
ヨナスは失礼にならないよう、こっそりと国王を見つめる。
――やっぱり、王妃殿下のことをよく思ってないのかなぁ。
国王が出陣した戦は、他でもなく王妃の母国・グレーデンとの戦だ。二人とも望んだ婚姻ではないだろうけれど、仲が悪いまま、というのは寂しそうだと思う。
――僕が出る幕はないけど.......でも、ギスギス空間に戻るのは嫌だなあああああ。
心の中で嘆いていると、王妃付きの侍従が入室してきた。どうやら王妃の支度が終わったらしい。
「陛下。王妃殿下の御仕度が整ったとのこと」
「そうか」
国王は緩慢に身を起こすと、本を机の上に起き、共用の部屋へと向かった。足が長いせいなのか、普通に歩いているように見えても早く、ヨナスは小走りにならないといけなかった。僕も身長欲しい。出来ればあと13cmくらい。
そんなことを思いながら遅れて部屋に入室したヨナスは、己が耳を疑った。
「――リゼ」
甘やかな声は、紛れもなく国王のものである。しかし、晩餐の時の冷ややかな声とは似ても似つかず、誰の声か分からなくなるほどだった。
突然国王が足を止めたため、ヨナスは先輩侍従にぶつかった。気をつけろよ、と小声で注意され、すみません、と慌てて頭を下げる。そのまま顔を上げて、今度こそヨナスは固まった。
「ヴィク!」
国王の元に走り寄り、抱き着いたのは、王妃アンネリーゼその人である。晩餐で見た時よりもずっと気楽そうな笑みを浮かべていた。
「......全く。少しは落ち着かないか」
「仕方ないじゃない、ここ数日、ヴィクは会議や相談でずっと忙しくしてたんだもの。今日はわたくしがヴィクを独占できるんだから、甘えてもいいでしょう?」
「君を甘やかすのはやぶさかではないが、何もないところで転ぶんだから、はしゃぐのは程々にしてくれ。この前の慰問でも、孤児に混じって遊んで怪我を――」
「だからって、今日のお食事の時の言い方は酷いわ! まるでわたくしがユティラ王家の名に傷をつけるとでも思っていらっしゃる言い方! しかも、むすっとした顔で仰っているのに、口元にソースがついていたから、わたくし、笑いを堪えるだけで大変でしたのよ!」
「張り切り過ぎずに、という意味だったのだが.......怒ったか?」
「キスをしてくださるなら、許して差し上げる」
国王は身を屈めた。思わずヨナスは目元を手で覆ってしまい、馬鹿者、と先輩にその手を外された。
ちゃんと見とけ、と示された先では、国王が王妃をお姫様抱っこしてソファに運んでいる。
「体調は大丈夫か。最近、寒さが増してきた」
「平気よ。わたくしだって、寒さには強いもの。それに今日は、ヴィクが温めてくださるでしょう?」
悪戯っぽく王妃は笑い、膝の上に乗りたいわ、と国王を上目遣いで見上げる。国王は沈黙の後、軽やかに王妃を膝の上に乗せた。もう鼻と鼻がくっつくんじゃないかキスしそうえっえっえっ。
「え、な、え......!?」
「な、言ったろう?」
混乱するヨナスに向かって、先輩はにやりと笑った。
「おふたりは、仮面夫婦なんだってな」
「........そっち!?」
「ばっか、声がでけえよ」
あわあわするヨナスの眼前で、国王夫妻は心底幸せそうな顔で笑っていた。
「ねえヴィク、大好きよ」
「......あぁ。俺も、君を愛している」
***
「……で? お前、やめるの?」
「……これ、やめたら人生損しません!? 詐欺というか、ある意味仮面というか、ううん」
「はっは!」
ちゃんと言ったろ、と先輩は晴れやかな笑みを浮かべ宣う。
「おふたりは、仮面夫婦だってな!」
***
国王ヴィクトル三世
戦では負けなし、政治もお強い敏腕国王24歳。年下妻が可愛すぎて誰にも見せたくない。色々あって外ではつんけんモード。妻にだけは弱い。勝てない。
王妃アンネリーゼ
四年前に元敵国から嫁いできた20歳。実は仮面はアンネリーゼから提案した。旦那様可愛い〜、愛しい〜。
後々二男三女に恵まれ、全員無事に成人する。国王は娘たちを嫁に出したくないと赤ちゃんのうちから交友関係に目を光らせていたけど、呆気なく嫁いで行った。泣きそう。




