スフレフロマージュカレー
「やっぱりスフレフロマージュカレーは美味しいなあ」
「確かに、たまには学食で食べるのもいいね」
ゆきとももの二人はこの日の昼食時、いつものお弁当ではなく、生徒向けに解放されている学食で昼食をとっていた。
ここは異立ひのき湯中学校。異界の名士である理事長がひのき湯をはじめとした日本の文化に感銘を受け、その文化の継承の一環として設立した中学校だ。
アナログ文化を大切にする校風であり、授業では紙のノートを使用し、給食こそないものの、生徒たち向けに古めかしい定食屋の形態をとった学生食堂が開校当時から設置されており、多くの生徒たちの胃袋を喜ばせている。
なお、学食の見た目こそ古めかしい定食屋だが、メニューは古風なものから今風のもの、そして異界由来のキテレツなものまで様々であり、比較的カオスなことになっている。
「今日はさ、なんだか学食に来るといいことある気がしたんだよね! もしかして【直感】のスキルが働いてるんじゃないかなあ」
「ここは異界じゃないし、スキルは働いてないとは思うけど」
「んー、そっか。まあいいや、食べちゃおう。もぐもぐ、ぱくぱく」
この日、ゆきとももが弁当ではなく学食へと訪れたのは、ゆきの思いつきだった。
昨日の下校時に、特に具体的な理由もなくゆきが言い出したのだ。「明日のお昼は学食に行こう!」と。
その結果、普段は取り扱っていない期間限定の『スフレフロマージュカレー』というべらぼうに美味しいカレーにありつけたのだった。
ゆきはスフレとカレーを交互に味わうように食べては、舌鼓を打っている。一方、胃袋が元気なももはスフレごとどっかんどっかんカレーを食べ進め、すでに三皿目を空にしようというところだった。
「そういえば、ゆきちゃんは知ってた? スフレフロマージュカレーも異界レシピなんだって」
「そうなの? 知らんかった。だって、カレーもスフレフロマージュも、もとから地球の食べ物じゃないの?」
「そうなんだけど、昔はこの組み合わせの料理はなくてね、むしろカレーとスイーツを混ぜて食べるのは悪食とか非常識とか思われてたみたいだよ。だからこれはあくまで、地球と近い文化圏の異界レシピなんだってさ」
「めっちゃ語るじゃん」
ももは六皿目を空にしながら、いま二人が食べているスフレフロマージュカレーについての蘊蓄を語っていく。ももは食べ物には詳しいのだ。
過去、1999年の異界事変が起こる以前からも、地球においてカレーは人気メニューだったのは間違いない。だが、スフレフロマージュと組み合わせて食べることはなかったのだそうだ。
無論、スフレフロマージュカレーと並び愛されている、ソフトクリームカレーやカスタードエクレアカレーといった類似料理も同様に、当時は存在しなかった。
これらはすべて、異界の食文化が地球に流入してきたものである。
ゆきはそんな話を聞きながら、皿に残ったスフレフロマージュのラスト一切れを口にする。甘さとまろやかさにスパイシーさが絡み合い、絶品である。
「でも、異界にもカレーがあるってことだよね。じゃあ、地球とご飯が似てる場所もあるのかなー」
「並行世界も異界に数えられてるから、たとえばパラレルワールドのカレー好きな女の子が思いつきで作ったレシピかもしれないね。とは言っても、カレー自体が国によってまるっと違う料理だから、異界のカレーが私たちの知ってるカレーと同じものだったのかどうかはわからないけど」
「めっちゃ語るじゃん」
「それだけカレーは奥深い食べ物ってことだよ、ゆきちゃん」
「インド人もびっくりってことだよね、わかるわかる」
ももは九皿目を空にしながら、パラレルワールドの食文化について話を進めていく。普段の会話では聞き役のももだが、食事の話題になると饒舌だ。
なお、ゆきは内心、ももが喋りながらなのに鬼のような速度でカレーを食べ尽くしているのを見て、ほえーとなっていた。
そんなときである。
「北風さん」
「ひゃいっ?!」
ゆきの背後から、女性が声をかけてきた。
その声の主を振り返るまでもなく、反射的にゆきは背筋がびしっと伸びて、舌が絡まりつつも「はい!」と返答を返す。
それは何故か。その声が、めっちゃ厳格で厳しいことに定評ある数学教師の声だったからだ。
硬直するゆきにかわり、その向かいで十皿目を空にしていたももが声をかける。
「スージー先生、なんでこんなところに?」
「見回りです。ところで北風さん……」
「は、はい! 宿題はちゃんとやります! コピーとかしません!」
「それは当然です。……いえ、そうではなく」
スージー先生――いや、シグマ社製AIを搭載した機械の身体を持つAIスージー先生は、ゆきをジッと見つめる。
その瞳のレンズがキュイーンと音をたて、ゆきの姿を分析している。
ゆきとももは当然として、周囲で昼食を取っていた生徒たちも今は皆、静まりかえっていた。
なにせ、ただでさえ食事の必要を持たず、すべてにおいて合理的で厳格なAIスージー先生が、学食までやってきて女生徒に声をかけているのだから。
「……あなたは元気が有り余ってるようですが、あまり無茶をなさらないように。それだけです」
「あっ、は、はい! 無茶はしないことにします!」
背筋をピンと伸ばし、裏返り気味の声で返答したゆきの様子を数秒ほど眺めると。
機械の身体のAIスージー先生は、静まりかえる学食からすたすたとまっすぐに立ち去っていった。
しばらくの間、学食は静寂に包まれていたものの、カウンター奥のおばちゃんの「アラビアンジェラートの天ぷらあがったよ~!」の声と共に、再び音を取り戻しはじめる。
「……ふう。めっちゃ緊張した! なんだったの?!」
「なんだったんだろうね。ゆきちゃんだけに話しかけていったけど、怒ってたわけじゃないみたいだし……」
これが、宿題のコピーがばれた上のお説教ならばまだ理解はできたのだが、先生の発言はゆきのことを心配するようなものだった。
そもそも合理性に偏ったシグマ社製AIに、生徒個人を心配するような感情が備わっているのかも疑わしい部分なのだが、そこは元になったスージー先生がメカになってもなお生徒を大切に想っていたということなのだろう。
ももをはじめとして、学食でそれを目撃していた生徒たちもまた、今回見た出来事をそのような美談として処理することにした。
一方、緊張から解放されたゆき本人は、なんだか顔がにやけている。
「へっへ、もしかしてめちゃくちゃレア体験じゃない? 私、いま運気上昇中?」
「かもね」
「ももっ、今日の放課後は異界ダンジョン屋に行こうよ! 今なら私、お宝見つけられる気がする!」
「まあ、考えておくよ」
「やった!」
スージー先生に「無茶をするな」と言われたことはすっかり忘れて、放課後の冒険に心を躍らせている親友の姿に。
ももは半ばあきれながら、十二皿目を空にして、腹八分目の昼食を終えるのだった。
◇ ◇ ◇
「兄貴ー! ドラゴン兄貴ー!」
放課後。ゆきとももは連れだって、セーラー服のタイを乱してスカートのプリーツをひるがえしながら、駅前の異界ダンジョン屋の扉をあける。
入店したゆきは頬を上気させ、ももはその後ろではぁはぁと疲れ切っていた。元気がありあまりすぎてここまで駆け足でやってきたことが伺える。
「あいよ、また騒がしいのが来たな」
元は平成初期のカラオケボックスだった店内カウンターでゆきたちを迎えてくれているのは、竜の翼に龍の角、そして鱗に覆われた肌に爬虫類の顔といった、純度百パーセントの竜人種である店員――通称『ドラゴン兄貴』だ。
彼は顔に装着したミラーレンズのサングラス越しに、肌にじんわりと汗をかき、そしてはぁはぁと息を切らせながら頬を紅潮させる女子中学生たちに視線を向ける。
「なんだよ、まさかここまで走ってきたのか? そんなに急がなくてもこの店はなくならねえぞ?」
「はぁ、はぁ、兄貴! 今日はダンジョンに潜りにきたよ!」
「そりゃそうだろうよ」
兄貴の話を聞いちゃいないゆきの様子に、彼は呆れたように肩をすくめた。ここは異界ダンジョン屋なのだから、ダンジョンに潜りにくる以外の来店理由などないだろう。
続いて兄貴はももに視線を向けた。ももならばゆきよりもまともに会話をしてくれるだろうという判断だ。
ももはどうにか息を整えてから、兄貴へと向き直る。
「ふぅ……えと、こんにちは、兄貴さん。すみません、今日はゆきちゃんが見ての通りのテンションで……」
「えっへっへ、テンションマックスだよ」
「見りゃわかるぜ。お前、なんかいいことでもあったのか?」
「うん。それがさ、お昼を学食でスフレフロマージュカレーを食べてたんだけどね」
「昼間からいいもん食ってるな。それで?」
「ももが馬鹿みたいな速さで食べてて、ほえーって思ってたら、後ろから声をかけられて――」
兄貴は話を聞きながら、サービスで二人に水をいれた紙コップを差し出した。カウンター内には異界産のウォーターサーバーがあり、人間の五臓六腑に染み渡りやすい安心飲料水が提供されているのだ。
ゆきたちは異界の水で五臓六腑を潤わせつつ、話の続きを語りはじめた。
◇ ◇ ◇
「――ってわけで、スージー先生に心配してもらえた記念にちょっと異界で一山当てようかなって思って、学校から走って来ちゃった。今ならドラゴンの巣みたいな危険な場所でも上手くいきそうな気がするんだよね!」
「教師に『無茶するな』と心配されて、それがどうして危険な場所に行くことになるんだよ」
「そうだよゆきちゃん。スージー先生も心配してるんだから、進んで危険な目に遭いにいくのは駄目だからね?」
話が終わったのを察した兄貴とももが、揃ってゆきへとダメ出しを開始する。
ゆきの中では『スージー先生が心配してくれた』→『今日は運がいい日』→『高難易度ダンジョンでお宝発見』とすんなり繋がっているのだが、どうやら目の前の二人にとって、その思考回路はまだ早かったようだ。
まるで揃えたかのように説教を始めた二人を交互に見やり、ゆきは前々から思っていたことを聞いてみる。
「兄貴とももってさ、たまに阿吽の呼吸で会話するよね。生き別れの兄妹かなにかなの?」
「そうかもね」
「そうかもな」
ゆきは「阿吽の呼吸」という最近漫画で覚えた格好良い言葉を使った。おそらく数日後には忘れているだろう。
そしてそれに対するももと兄貴の返答は実に淡泊だ。これだけ反応がそっくりならば、生き別れの兄妹疑惑は真実かもしれないなとゆきはごくりと唾を飲む。
「二人とも、こんど本気でDHA検査してみない?」
「ドコサヘキサエン酸じゃねえか」
「ゆきちゃんはマグロの目玉でも食べた方がいいよ」
「えぇー?」
ゆきの言い間違いに対し、二人揃って阿吽の呼吸でつっこみをいれてくる。しかもゆきにしてみればその内容は意味不明だ。
DHAとDNAの言い間違いに気づいていないゆきは内心で「いきなり意味不明なこと言い出して、この兄妹ヤバっ」と思ったが、口には出さないでおいた。
これ以上意味不明なことを言われると、なんか不気味すぎて夢に出そうだから、という判断だ。
『ピーマンには夢が詰まってるのに、ピーマンの夢詰めとは言わないんだよなぁ~。十六時だぜぇ?』
そんな異界ダンジョン屋の受付では、脇に置かれたピーマンの肉詰めを擬人化したぬいぐるみが。
無駄にダンディかつアンニュイな声で、十六時の時報をお知らせしてくれていた。




