第19話 叔父さんの威徳
脱出の機会は、思いの外にも早く訪れた。
「あれは…、踢雪烏騅じゃないか!」
「こっちは、叔父さんの照夜玉獅子です!」
踢雪烏騅は、かつて呼延灼が梁山泊討伐を命じられた時に下賜されたものであり、呼延灼が兀朮に殺されて奪われ、阿黒麻が兀朮から世話を命じられた為に、この陣営の厩舎にいたのである。尚、踢雪は蹄が白い事を表し、烏騅とは黒馬である事を差す。
また照夜玉獅子は、金朝の皇子(誰の所有だったか不明)から馬泥棒である段景住が盗み、梁山泊に入山する手土産として献上しようとしていた所、史文恭によって奪われた。その後、晁蓋の仇討ちを果たした宋江の愛馬となった。尚、照夜玉獅子とは混じり毛の無い白馬の事を差し、かつて趙雲の愛馬だった白龍駒の別名も照夜玉獅子と言う。
3人は、阿黒麻の命令で偵察に行くと言って堂々と、踢雪烏騅と照夜玉獅子に乗って出て行った。怪しまれない為に、早る気持ちを抑えてなるべくゆっくりと門を出た。そして門番の姿が見えなくなると、全力で駆けって逃げた。
「おい!念の為に、阿黒麻様に報告しろ」
門番の1人は、疑い深い人物だったと見える。直ぐに阿黒麻に報告した。
「何と言ったのだ?もう一度、言ってくれ」
「はい。阿黒麻様の命令と言って、3人で出て行きました」
「馬鹿な、俺はそんな命令は出しておらん!手柄を立てる為に勇んだか?待てよ…」
(それにしては、何処か変だ…この違和感…)
「3人を捕らえて来い!抵抗するならば、殺しても構わん」
「はっ!!」
阿黒麻は、直ぐに追手を差し向けた。
「あれ程の者達だ。宋の間者であったなら脅威だ。我が国に降らないのであれば、惜しいが殺すしかない」
味方であれば心強いが、敵になるなら脅威だ。しかし阿黒麻は、この後に及んでも2人を惜しんでいた。
「これからどうする?」
「予定通り、このまま登雲山へ向かうか?」
「お待ちを。登雲山に行くのであれば、その前に両親も連れて行きたいのです」
「宋清さんか。よし鄆城県へ向かうとしよう」
鞭を入れて鄆城県に向かった。喉の渇きに耐えられなくなって来た頃、一軒の酒家が見えて来た。酒家とは文字通り酒屋だが、旅人が宿泊出来る施設も兼ねているのが普通である。
「店主!走り続けて来たんで、喉が渇いて堪らない。甕ごと売ってくれ。釣りは要らない」
そう言って呼延鈺は、銀子の入った巾着袋ごと店主に投げて渡した。
「へへへ、こいつはどうも。ありがとうございます。さ、さ、さ、此方のお席へどうぞお座り下さい!」
呼延鈺達は汗を拭い、酒はまだか?と店内を見まわしていた為、店主が奥に怪しく目で合図した事に気付けなかった。
「はい、お待ち遠様」
「おお、来た来た。さぁ、先ずは一杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
キューっと一杯、流し込んで喉を潤わせた。
「かぁーっ、うめぇ!」
呼延鈺は、直ぐに2杯目を注いで一気に飲み干した。
「空きっ腹に染み渡るな」
「酒だけじゃ、直ぐに酔いが回っちまうな。おい、店主!こっちに鶏と牛をおくれ!」
「あいよ!」
下準備も良く、直ぐに蒸し鶏とスライスされた牛焼き肉が皿に山盛りで運ばれて来た。それを呼延鈺と徐晟は両手でそれぞれの肉を掴み、口に押し込んだ。
「良い塩梅に、塩が効いて美味いな」
「うむ、確かにイケるな。こんな酒家じゃ勿体無いな」
「ははは、確かに良い味ですね」
美味い酒と美味い料理に舌鼓を打ちながら、会話も弾んで来た。
「鄆城県まで、あとどのくらいの距離だ?」
「正確な距離までは分かりかねますが、ここから南西に降って行く事になります」
「ふーむ、すると梁山泊を通るな」
「久しぶりに、寄って行くとしようか」
徐晟がそう言って振り向くと、呼延鈺の様子がおかしい。
「どうした?」
そう言った側から、今度は自分がおかしい。呂律が回らなくなり、指先が痺れて震えて来た。そして指先から徐々に腕や足にまで侵蝕し、椅子から転げ落ちると、泡を吹いて焦点が合わなくなった目をクルクルと回した。
「呼延鈺殿!徐晟殿!しっかり!!」
2人を介抱しようと駆け寄ったが、今度は自分が息もまともに出来ないほど呼吸が乱れて苦しんだ。
「うぅぅ…っ…」
宋安平は喉を掻きむしり泡を吹きながら、毒を盛られた事に気が付いた。そして意識を失った。
「へへへ、ようやく効いたみたいだな?」
「良し、いつもの様に身包みを剥ぎ、遺体は解体して肉饅の餡にするぞ」
「へい、お頭」
「ちょっと待ってくれ!」
「どうした?喬の兄弟!」
喬と呼ばれた背の低い男は、痺れ薬を飲んで泡を吹いている3人の懐を漁り始めた。
「いや何、こいつらが鄆城県やら梁山泊やら、しかも久しぶりになんて話しているのが聞こえたんでな。何者か知りたいのよ」
すると喬が呼延鈺の懐から、一対の八稜銅鞭を取り出した。
「こ、こいつぁ!呼延灼将軍の双鞭だぁ!どうしてコイツが持っている!?」
喬と言う男は、慌てて配下に命じた。
「何をしている!早く解毒薬を飲ませるんだ!!」
痺れ薬を飲まされ意識を失った3人は、解毒薬のおかげで意識を取り戻した。
「う、うーん」
「すまねぇ。だが、1つ聞きたい。どうしてこの八稜銅鞭を、あんたが持っていなさるんで?」
「そいつぁ、俺の義父の形見だ」
「すると、あんたは…いや、あなた様は呼延灼将軍の息子様なので?」
「そうだ…俺は、呼延灼の養子の呼延鈺で、こっちは徐寧さんの息子の徐晟だ」
「ひぇーっ!すると、まさか鄆城県と言っていたのは…」
「私は、宋清の息子の宋安平と申します」
「宋親分の甥御様!!申し訳ございません。どうか私の身1つで、配下の者達には何卒ご容赦を。こいつらは、何も知らないのです」
喬は、床に額を擦り付け、それから何度も地面に額を叩き付けて謝罪した。
「もうお止め下さい!一体あなたは何者なのですか?」
宋安平は、喬の身体を抱き起こして止めた。喬は、額から血を流しながら言った。
「私は武松の昔馴染みで、喬鄆哥と申すチンケなヤクザ者で御座います。是非とも梁山泊に寄って頂き、私の兄貴分である江忠に会って下せぇ」
「武松さんの昔馴染みなら、俺らの仲間だ。それで、江忠と言う人は何者だぃ?」
「へぃ。江兄貴は、梁山泊では歩兵軍の小頭をしておりました。皆さんに会えたら、きっと喜びます」
宋安平は、感動を覚えて涙を流した。
「どうした?宋安平」
「いえ、叔父さんが…梁山泊が無くなって10年もの時が過ぎました。しかしまだこうして、在りし日の梁山泊を偲んで頂ける方がいると思うと、涙が止まらないのです」
「当然でさぁ。宋親分は、どんな高官よりも立派な方でした」
そう言って喬は、左腕に出来た傷痕を見せて語り始めた。それは喬が梁山泊に入山したての頃であり、梁山泊が遼国との戦争中の出来事であった。
「私は不覚にもミスをして敵に囲まれ、死ぬのを待つばかりでした。しかしそこへ、宋親分が100騎ばかりの手勢を率いて助けて下さったのです。雑兵である私1人の為にですよ?しかも、その時に負った手傷が膿んでいて、恐れ多くも膿を口で吸って下されたんでさぁ。そのままにしておくと、腕を落とす事になると言われて。私は、あの時の感動と感謝を忘れた事は御座いません」
その話しを聞いた喬の配下達から、啜り泣く声が聞こえた。
「叔父さん。貴方の威徳は、まだ輝いていますよ」
自分は何と誇らしい叔父を持ったものだと、改めて感激していた。それと同時に、自分を通して亡き叔父を皆が見ている。その証拠に、先程まで自分達を毒殺して身包みを剥ごうとしていた者達でさえ、自分に憧れと羨望の眼差しを送っている。
(下手な真似は出来ないな)
宋安平は、彼らを見て身が引き締まる思いだった。




